第7話 修行の成果

 それから、いくばくの時が流れる。

 

 基本的な知識を教わった。人間に対する吸血の仕方や、獣から血液を手に入れる方法など、ダライニは可能限りのことを徐々に教えてくれた。


 ある程度の体術と、吸血鬼としての力の使い方。ひいては基礎体力の向上まで。戦闘面を教えるのは、やはりリンが長けていた。

 ヴァンは狭い家での生活に、一抹の幸福感を覚えた。内容や場所は全く異なるが、そこには今まで過ごしてきた村と似たものがあったからだ。


 ヴァン、リン、ダライニの三人で生活して、早数ヶ月が経っていた。

 リンは途中、ギルドからの任務でしばしば家を開けたが、この地方に怪物が多いこともあり、基本的にはダライニの家に滞在している。



 家の裏側、少し開けて太陽の光が望めるその場所に、ヴァンとリンが相対していた。黒いローブを羽織り、フードを被るのはヴァン。

 リンはいつも通り紳士風の服を羽織り胸元に十字架を提げていた。


 ヴァンの手に握られるのは黒塗りのナイフ。小さく薄く、判別不能な文字が刻印されたナイフは、ヴァンの手によくなじんでいた。柄は短すぎず長すぎず、若干反りの入った刀身は鋭い。


 対して、リンの手には訓練用の銃が握られていた。

 銃口から発射されるのは小さな弾で、その速度は本物に遠く及ばない。ただし、あくまで騎士団ギルドで使用されていた銃だ。殺傷能力はないにせよ、当たれば凄まじい痛みが走る。神経毒の回る痛みに匹敵するとも比喩されるそれを、ヴァンは二度ほど受けたことがある。



 ナイフを握った右手に力が入る。

 この模擬戦において、吸血鬼としての力を使うことは禁止されている。理由は単純で、相手がリンだからだ。いくらギルドのハンターだとはいっても、中身は普通の人間。吸血鬼相手に真正面から戦っては、無傷では済まない。無論、浄化者である以上は、勝てないなどということはないが。


 これはヴァンの訓練である。

 彼が吸血鬼の力なしで、武器のみで、ある程度の戦闘力を身につける必要がある以上、模擬戦はこういった形になっている。


「はじめようか」


 リンのかけ声で、ヴァンは軽く腰を落とした。

 銃口が自分に照準される。


 そんな二人の戦いを、ダライニは少し離れたところで見守っていた。


 引き金が絞られ、銃弾が発射される。本物に比べたら格段に遅いそれは、ヴァンでも軽く身を揺らすことで回避できた。

 左手を地面に突いて加速。首を狙ってナイフを突き出すが、体をひねって回避される。


 一度腕を引き、続く二撃、三撃を繰り出す。


 体の動きだけでそれを避けたリン。右手に握った銃がヴァンの右肩にあてがわれる。ゼロ距離で銃の引き金が絞られる。


 ヴァンの左手が素速く伸びた。銃のボディを掌で無理矢理押しのけ、銃口を自分からずらす。

 発射された弾丸は虚しくも宙を滑り、それと同時に銃声が鳴り響く。


 本来なら、銃での接近戦は不利だ。そして、その状態で有効な方法は超近距離での発砲だろうが、原則不可避であるはずのそれも、銃口をずらすことで防ぐ。


 ハーフとして産まれたヴァンの身体能力、もとい基礎能力は常人よりも過ぎるほどに高い。しかし対するリンも生半可な能力ではなかった。

 互いに、単なる一般兵ならば瞬殺されるであろう戦闘を、二人は続けていた。



「上手くなったな」

 リンが言う。

「どうもッ」


 彼女には戦闘中に口を利けるだけの余裕がある、その事実に悔しさを覚えつつ、ヴァンは加速した。

 目の前で発射された銃弾。地面を転がって避けると、すぐさま立ち上がる。こめかみ目がけて蹴りを一発。左腕で防いだリン。


 すぐさま身をかがめ、腹に向かってナイフをなぎ払う。

 しかし、その行動をリンは読んでいたようだ。ナイフの軌道上に銃を置くと、甲高い金属音が鳴り響いた。


 数歩身を引き距離を取るリン。その間、ヴァンも荒く息を吐き体勢を整える。

 銃弾には無論制限がある。可能な限り無駄撃ちをなくし、一発で致命傷を負わせられるかが勝負だ。


 乱発して手数で稼ぐのもありだが、ハンドガンでそれは論外。

 ヴァンの息が整うのを待つ必要は皆無と判断し、リンは走った。ただし真っ直ぐ、ヴァンに向かって。予想外の行動に、ヴァンは反応が一瞬遅れる。


 遠距離で戦う兵士が、真っ直ぐ敵に向かって走る。まともじゃないと思った。


 銃口を額に向ける。とっさにしゃがんだヴァンのこめかみに、リンの蹴りが入った。


 軽く宙を舞った後に体を地面へと打ち付け、ころげるヴァンに向かって発砲する。が、すんでの所で体をひるがえし回避された。


 じっとそれを見守っていたダライニは、

――上手くなったな。

 腕を組み顎を撫でながら、そう思った。ヴァンはもちろん、リンも上手くなっている。


 リンの使う銃は模擬戦用だが、ヴァンのナイフは本物だ。実際に人を殺すことも可能。それを扱うことへの恐怖と、触れたことのない重みがヴァンを刺激した。


 凄まじい速度で腕を上げる素人の少年。それと戦うリンが、若干でも嫉妬を覚えないはずがない。故に彼女も、日に日に腕を上げているのだ。


 正直、自分も驚いている。若さ故の成長、というものに。


 もう五世紀ほど前になるだろうか。自分にもあのような時代があったことを、頭の片隅で覚えている。記憶はもはや薄く、それは夢かなにかで、実際にはそんな時代などなかったのではないか。そう錯覚するだけの時間をダライニは生きていた。



「そこまで」


 ダライ二が声をかける。


「今日はそのへんにしよう。二人とも上手くなった。昼食を摂って、その後は私と勝負だヴァン。リンはいつも通り見回りを頼む」


「わかった」 「了解しました」


 二人は返事をして、ダライニから渡されたタオルで汗を拭く。ヴァンはタオルを首に巻き、ダライニに続いて室内に入る。その後は二人順番にシャワーを浴び、温かな食事を摂った。


 空魚そらざかなのディップにパンとスープ、肉入りのサラダを少し。豪勢とは言えない品目だが、それでも十分すぎる。

 空魚とは、名前の通り空中を泳ぐ魚だ。島の空岸くうがんか、飛空挺から釣り糸を垂らして捕獲するもので、その種類は多岐にわたる。


 鳥に食べられることも多いが、彼らとは全く違う味のする魚は人気である。


 川に住む魚よりは脂ののっているものが多く、値段も多少張る。ただコレに関してはダライニが自分で摂ってきたものだ。よってタダである。


 一説によれば、島々のはるか下に広がる『海』にも魚や生き物がいるらしい。しかし、水の上に浮く船など考えられないし、わざわざあんなところまで行って漁をする物好きもいない。


 パンにディップを塗りながら、ダライニはヴァンに声をかける。


「だいぶ、腕を上げたようだな」


 ダライニの言葉に、ヴァンは慌ててパンを飲み干し答える。


「んなことないさ。ハーフの力に助けられてるだけだよ」


「昼間であそこまで戦えれば十分だ。せっかく持って産まれた力なら、ありがたく使わないでどうする」


 吸血鬼という性質上、やはり日光には弱い。純粋な吸血鬼オリジナルほどではないが、ヴァンもある程度制限されるのだ。

 首にタオルを巻いたままのリンが言った。


「お前は強くなっているさ。嫉妬を覚えるほどにな」


 リンが素直に妬みを口にしたことに、ダライニは少し驚いた。そういったことは言わないか、思っていること自体を否定するような性格だと思っていたからだ。


 ヴァンはリンを透かして、その奥を見るような目で答えた。


「足りないさ。ちっとも」


 目が昏い。彼が何を見ているか知っているリンは、迂闊に口を開けなかった。

 ダライニが訊く。


「強くなりたいか」

 突然の問いだった。

「ああ」 短く、ヴァンは答えた。


「一人で、か? 仲間は、いらないか」


 質問の真意を窺うような目線で、リンはダライニを見た。彼は、何を考えているのかが分からないことが多い。

 ヴァンは少し悩んで答える。


「あまり欲しくないな。強力だろうと、弱かろうと、それは結果的に俺を弱くする」


 仲間が自分を弱くさせる。ヴァンはそう言った。

 弱ければ足手まといになり、強ければ甘えがでる。そしてなにより――もし死んだら立ち直れなくなりそうだ。


「なるほどな」

 その考えをくんだのか、ダライニは唸った。


「仲間など、その程度のものなのかもしれないな」

 意外にも、そう言ったのはリンだった。いまだ湯気を上げるスープを啜りながら、皮肉げに漏らす。


「実際、騎士団ギルドでは集団戦法をほとんど使わない。それをしたら軍と同じだという考えのせいもあるが、その本質は心に残る甘えを断ち切るためだ。たしかにペアや数人での作戦は多いが、それはあくまで仕事上の付き合い。ビジネスだと割り切っている者も多い。心から繋がったパートナーはたしかに驚異だ。ただし、その分反動も大きくなる」


 ビジネス、正義とは正反対にあるようにも思える言葉だ。

「ビジネスか……」


 仕事で自分の命を賭け皿にのせる者の気持ちが、ヴァンには理解できなかった。


「まあ、強さを望むならひたすらに上へ上へと志すことだ。妥協してはならない」

 と、ダライ二。


 最後の一口を飲み干して、ヴァンは息を吐いた。

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