第5話 出会い:ヴァン
墓地から出て、森の中へと入っていく。暗く整備されていない森の中。歩きづらく、時々木の根や草の
しばらく歩き続けると、ある程度開けたところに出た。そこに一軒、
前を歩いていたダライニは、そのまま躊躇なく扉を開けて入っていく。どうやら自室のようだ。
家の中は、外にも増してボロボロだった。しかし一応は家具が一式あり、生活はできそうである。さほど広くないが、狭すぎて生活できないというふうではない。
左手の戸棚には酒らしきものが入ったビンが置いてあり、右手奥にドアがある。その前にベッドがあって、すぐ左側には布団。おそらくはまだ見ぬ『彼女』の物だろう。
ぼろいが、散らかってはいない。掃除は行き届いていて、清潔感があった。狭さと朽ちかけた壁から、汚いというイメージを持ってしまいがちだが、しっかりと見れば掃除の行き届いた綺麗な部屋だと分かる。
「とりあえず、ここが私たちの部屋だ。君もおそらくは、しばらくここで暮らすことになるだろう」
「あぁ」
修行、ということになるだろう、復讐を果たすための。そしてその復讐は、その過程で多くの吸血鬼を殺すことを意味する。
つまり、自分は今この男を騙しているのだ。無知な子供を装って。
だが、それでも、俺はあの男を――あの村を襲った全ての人間を――殺さねばならないのだ。だから、そのためになら……たとえそれが悪だとしても、俺はやらなきゃならない。
できれば、この老人にはその生涯を安全に暮らして欲しい、というのも事実。
せめて平和に、ここが軍に見つからないことを願おう。といっても、俺をここに送ったのだからある程度察しはついているのかもしれない。
「改めて、自己紹介をしようか。まあ座りなさい」
椅子を引き、対面に座るよう促す。
「どうも」
軽いお辞儀をして、椅子へと腰を下ろす。
「ダライニ・カスタリスだ。見ての通り老いぼれでな、細々と生活をしている」
深く刻まれた皺と、血色の良くない肌。
「ヴァン・オリエンタです。今日はありがとう」
「ああ。ここらのグールを退治して回っていてな、
「それでもありがとう。死んでたかもしれないんだ」
「吸血鬼……いやダンピールというべきか。まだ戦い方を一つも知らないようだな」
「ああ。つい最近まで、その事実すら知らなかった」
「なぜいままで……いや、訊き方を変えよう。どこでその事実を知ったんだい?」
ダライニの顔に、訝しむような陰はなかった。ただ純粋な疑問、といった雰囲気だ。
「一緒に生活していたやつがいた。そいつが死ぬ間際、それだけ俺に言ったんだ。俺はずっと、同族を探していた」
もちろん、嘘だった。
「なるほど」
それ以上、ダライニは訊かなかった。訊いてはいけないと、気を遣ってくれたのかもしれない。
「とりあえず、力を教えようにも吸血をしなければ話にならない。明日早速狩りに行こう」
狩り、その単語がヴァンの心に刺さる。
「やっぱり、吸われた人間は死ぬのか?」
「ん? ああ。私は基本的に人の血は吸わんよ。獣の血液を採りに行く」
「え?」
かなり驚いた。普通、吸血鬼とは人間の生き血を吸うものではないのだろうか。
「変わり者、そう呼ばれているさ。吸血鬼でありながら、人の血を吸わない老いぼれ、とね。だが、人の血液はどうも性に合わないんだ」
そう言うダライニの目は、どこか遠くを見ていた。彼が人の血を吸わなくなった理由を物語っているように。だがもちろん、それをヴァンは知るよしもない。
不意にダライニは立ち上がり、棚からビンを一本取り出す。グラスをヴァンと自分の前に置くと、そこに透明な液体を注いだ。
「酒ではない。ただの水だ。疲れているだろう、飲みなさい」
「ありがとう」
冷たく澄んだ水は柔らかく、体中に染みていく。
「修行……ってことになるんだよな。どれくらい時間がかかりそうだ?」
「君がどれだけ力を手にしたいかによるだろう。吸血鬼として生きていく術だけで良いのなら数ヶ月だ。だがもしも、ある程度の戦闘を可能にしたのなら一年。それ以上を望むのなら二年だ」
「けっこうかかるな」
「短いほうではないか? 軍の訓練だったら、学校を出るまででも三年はかかる」
「それもそうか」
軍、よりにもよってその単語が出てくるとは。吐き気がする。
「君は混血だ。我々のような純粋な吸血鬼をオリジナルと言うが、ハーフの吸血鬼としての力はそれに到底及ばない。まあもっとも、吸血によって生じた吸血鬼、セカンドには勝るがな。私とて、長年生きてきたがダンピールの実物を見るのは初めてだ。分からないことも多い」
だが、とダライニは続ける。
「噂によればそれは莫大な力を秘めているらしい。純粋な吸血鬼としての力ではなく……な。で、だ。まず君には、力の習得と平行して様々な武器の扱いを学んで欲しい。いずれそれが、吸血鬼との能力差を埋める鍵になるだろう。あくまで勘だがね」
たしかに、武器で戦闘は必要だろう。ダライニの使ったような技が百パーセントの割合で使えるのであれば、もうすでにその断片程度は見えていてもいいのだから。
どうやらこの老人は、ダンピールが吸血鬼ハンターの素質があるということは知らないらしい。あの男、大佐は、古い文献に記述があると言っていたから、普通の人が知っているものでないのだろう。
というか、一般に知れ渡っている知識なら、軍が自分をこの場所に送るはずがなかった。
「なるほど。わかった。長い間、お世話になるんだ。よろしくお願いする」
「こちらこそ。さて、今日はもう遅い。君ももう寝るといい」
ダライニは、部屋の奥から布団を一式持ってきた。床に敷くと、ヴァンを招く。
「ありがとう」
「私は少し外を見てくる。彼女のことも気になるしね」
そう言って、ダライニは家から出て行った。必然的に、ヴァンが一人残る形になる。
一人になってみると、急に色々なことが頭の中を巡る。全く自分は、どこまで無知なのだろうか。
世界がどうなっているのかも、どんな者が住んでいるのかも、自分が何者なのかも知らなかった。
文明が発達し、魔法を扱う国に、聖なる術を扱う国。飛空挺が飛び交う世界で、キカイの銃が火を噴く。
まったくもって理解の範疇でない。
大して大きくもない国の、極々小さな村。そことその周辺が、自分にとっての世界だった。だがそれも焼かれ、外に飛び出してみれば――――このザマだ。
いっそ自分で死んでやろうか。とも思う。人に殺されるのは御免だが、自分でやるのなら幾分マシだろう。だとしたら――
と、そこで、
「はぁ……疲れた」
不意に扉が開き、一人の女が入ってくる。青い髪と、紅い瞳。教会の神父のような黒い服に身を包んでいて、胸元に十字架をぶら下げている。
目が合った。
驚いたように女の目が見開かれ、手が十字架を掴む――――そして、引きちぎった。部屋の中に光が満ちる。
気付けば、女の右手には拳銃が握られていた。村で見た物とは色が違い、白とメタリックの中間といったところ。
そして銃口が、ヴァンに向けられていた。
「ここでなにをしている」
「こ……コッチの台詞っすよねぇそれは。いきなり人に危ないモン向けといて何言ってんの……」
「黙って質問に答えろ。ここでなにをしている」
黙っていたら質問には答えられないだろう。そう突っ込みたくなるが、やめておく。
「ダライニって吸血鬼に招かれたんだよ。あんた、あの人の言ってた『彼女』じゃないの?」
女の眉がピクリと動いた。
「じいさんに招かれた?」
「さっき会ったんだ。今あんたを探しに行くって出てったよ」
しかし女は銃を下ろさない。
「弁論の証拠は?」
「あるわけないだろ。招待状でも見せろってか?」
「持っているなら出せ」
「持ってるわけないだろ!?」
平坦な口調で喋る女。ぼけているのか、真剣なのか……。そもそも、普通に考えれば招待状があるわけないことくらい分かりそうだが……まあ、仕方ないか。
「なんだ、ないのか」
引き金を絞ろうとする女。
「いやぁストップストップ!!」
こんなところで殺されたんじゃシャレにならない。
「なんだ?」
「だから言ってるだろ? 俺はダライニの客だって」
「証拠がない」
「当たり前だろ! 直接聞けよ直接!」
やっと、女が銃を下ろした。
「私の布団もある。汚したくない」
い、いや、理由そこかよ……
「それしまってくれよ。気分が悪い」
ヴァンの言葉を、女は無視した。
「お前、名前は」
「ヴァンだ。ヴァン・オリエンタ」
「ヴァンか。私はリン・クーラ・カーランド。リンで構わない」
「リンか。わかった」
「で、なぜここに?」
銃を握ったまま、女が椅子に腰掛ける。
「俺と生活してた奴が死んでね。吸血鬼だったことを知った俺は、同族を探してたんだよ」
「なるほどね……」
顎に手を当て、ふむふむといった様子で頷くリン。
「ああ。たまたま、グールに襲われそうになったところを助けられてさ。それで一緒に……」
「嘘だな」
リンは断言した。疑っているのではない、確信しているという様子で。
ヴァンは悩む。彼女はどこについて嘘だと言っているのかに。最初からか、それともどこか一部か……
「何も言わないのが何よりの証拠だろう。私は、国境なき騎士団の
「く……」
「話せ。彼には黙っていてやろう。だが内容しだいでは、ここで死んで貰うぞ」
再度、銃口がヴァンを捕らえた。
「軍に渡す……とかはしないのか?」
「何度言わせる。私は
どうする……?
ここで話せば、自分にとって不利益になるだろうか? 少なくとも、死ぬことはないだろう。しかし言わなければ、間違いなく脳天に風穴が空く。
仕方ない……か。
「両親が軍に殺された。村にいた全員まとめてだ。主犯は軍。俺はその復讐をしなけりゃならない。だから、力がいる」
ヴァンは続けて、全部話した。ここにいたるまでの、経緯も合わせて。
嘘はない。リンはそう判断した。
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