エピソード5 記者
少しきわどい格好の女給が通り過ぎるとできたての食べ物の匂いが鼻孔をくすぐった。大盛りの料理をどんとテーブルにおくと、彼女は厨房にもどろうと振り返った。一人の客が彼女にむけて指で卑猥なサインを送ってくる。彼女は太い柱にかかった大きなゼンマイ式の時計を指差して首をふった。
客は残念そうにサインをひっこめビールの追加を注文する。彼女は景気よい返事をして厨房に注文を伝えた。
この酒場の客は男ばかり、それも人品卑しからずとはとても言えない男ばかりだった。そして五人いる女給は娼婦でもあったが、忙しい時間帯は客を取らないきまりになっている。
そんな酒場の片隅で、一人の身なりの悪くない男が、顔に傷跡のある目つきの鋭い男とひそひそ話をしている。
傷の男は上機嫌だった。上機嫌だが何度も身なりの良い男に確認をしている。
「その符丁を編集部に送れば、取材報酬がもらえるんだな」
「出所してからのことについて取材させていただければ、さらに御支払いしますよ」
傷の男はようし! と喜びをあらわにする。
始まったのはこの世界に送り込まれてからの彼の苦労話。聞き手は相づちをいれ、時折質問をさしはさみながら手帳に概要をかきとっていく。
「あれが例の記者かい? 」
隣のテーブルでは三人組の男たちがその様子を見ながらひそひそ話。
「らしいな、でも何か面白い話がないと取材してくれないらしいぜ」
「面白い話、ねぇ」
「ここでも悪いことやってるとか、うまいことやっておいしい思いしてるとか、そういう話がいいみたいだよ」
「そんな話、みんなよく話す気になるな。あいつが本当の記者かどうかわからないんだろう」
「俺たちゃあ、おたがい何者か知らない。だからかどうかわかんねえが、聞いてほしいんじゃないかな。もちろん娑婆での謝礼も魅力だけどな」
と、いいながら彼らはここでは口にしない過去の話を思い浮かべる。著名な海賊団に属して好き放題やっていた、無知な貴族をだましてうまい汁をすすっていた。いずれも一度死ぬことで終焉となった成功だった。鮮烈な体験だった。それがメディアにのり、みんなの目にふれる。おまけに謝礼ももらえる。騙されるならそれでもいい。夢を見たい。後で興味もってもらえるか聞いてみるだけ聞いてみようと彼らは思う。
傷の男は上機嫌で話を続けている。「記者」は話を引き出すのがうまいらしい。偽物なら大した詐欺師だ。
それを知る事はできない。彼らの発言には内容によりフィルタがかかるからだ。その一つがお互いの個人情報、そして犯した犯罪の内容。そう、彼らは服役囚だった。
刑期の間はこのゲーム世界の一般キャラクターとして暮らすことを強要され、ログアウトは許されない。死ねば別の一般人の誰かに憑依する。能力は平均、スキルもたいしてない。一般プレイヤーのそれとはまるで違う、数でもたのまなければ対等に戦うこともできない。いわゆる雑魚というわけだ。
「受刑者たちに教訓的なことは一切伝えません。仮想世界で悪事をなそうとなにをしようと自由です。ただ、現実世界よりも生きるのに険しい世界です。彼らはいやでも何が割にあわないかを学ぶことになるでしょう。出所後の彼らに期待するのは。少しは身に付いた思慮です」
初期にこんなことを言った人がいる。異論はいろいろ出たが、受刑者の再犯率はかなり減っていて、一応の効果はあったものとされている。
服役囚たちのコミュニケーションの制限はお互いの間にとどまらない。NPCとの会話では、加えて外海二関する情報が制限される。たとえば服役囚であることなどだ。ここだけはプレイヤーも同じで、いわゆる技術チートは一切できない。そしてプレイヤーに対してはただのNPCに見えるようなフィルタがかかっている。ここでの関係を外に持ち出さないというのが骨子だ。そうでないと別の犯罪を誘発することになりかねない。
「記者」は出所後の報酬を約束したが、相手が誰かわからないし自分が誰か伝えることもできない。だから記事の掲載された出版社にゲーム内で伝えた符丁を送ってもらえば謝礼を返送するというかたちで支払うといっている。符丁は都度かえてあり、先に出所した誰かに謝礼をかすめとられないよう秘密にしておくよう勧められていた。
それでも疑わしい話である。それでも、「記者」は取材対象に困らなかった。
「しかし、よく取材が認められたものだね」
鉄製のジョッキにわずかにういた錆を削りながらマスターが常連で下町の乞食、すりの元締めにつぶやいた。二人とも服役囚である。
「あいつが本当に記者なのかどうか確かようがない」
下町の元締めは魔法で冷やしたジョッキを傾け、うまそうにげっぷした。
「やっぱ、きんきんに冷えてなきゃビールじゃないぜ」
「魔法使ってるからな。そんなの飲めるのお前さんくらいだ」
「確かにあいつは謝礼になにかもらってるわけじゃない。ギルドのしょぼい仕事で稼いだ金で一杯おごってるくらいだ。だが、なんだか気に入らねえ」
元締めは口元のあわを袖でぬぐった。
「あいつ聞き出した自慢話でどうするつもりだ」
「言葉通り、娑婆で記事にするんじゃないのかね」
「それにしちゃ、おまえさんにも俺にも話を聞きにこようとしねえ。この囚人酒場は先々代のマスターが俺たちろくでなしの情報交換と斡旋のために作ったところだ。知らないとは思えねえ」
「たしかに妙だな。ところで囚人酒場はやめてくれ。ちゃんと美酒酒場って名前があるんだ」
「プレイヤーどもの間では盗賊酒場だぜ。囚人でもなんでもない盗賊もけっこういるし、おかげで情報も集まってる」
「ああ、刑期がきて中のやつが抜けちまったやつがいい感じに動いてくれるよな」
「ほれ、あそこで女給相手に鼻の下のばしてるやつ。あれプレイヤーだぜ。ここは裏情報集めるには格好の穴場ってことになってるらしい」
「まあ、やつらに利用価値をしめしとかないとそのうちつぶされるからな」
悪党の巣をなんとかしろとかそんなクエストが発生すると跡形もなくなる、ということだ。
裏情報通プレイをしたいプレイヤーに情報を提供していればそんな心配はない。
「で、あんたあいつになんか頼んだのか」
先ほどまで、きわどい格好の女給にでれでれしていた盗賊プレイヤーが、「記者」のあとをつけて出て行ったのを二人は見逃さなかった。
「まあ、ちょっとした情報の対価にあいつのバックを探ってくれとな」
マスターはきゅっきゅとグラスを磨きながら微笑んだ。
「記者」は酒場を出ると町の中をあちこちに移動したりした。明らかに尾行を警戒している。盗賊は彼には絶対わからないスキルでかくれながら面白そうだと思った。依頼内容は簡単なもので、密猟された素材の取引に関する情報、人、場所、その他なんでもと引き換えに、最近盗賊酒場で怪しい動きをしているこのNPC冒険者が誰と密かに接触しているかこの午後だけでいいので調べてほしいということだった。その間にマスターが必要な情報をまとめてくれるという。
何気ない屋台でのやりとり、すれ違う人、盗賊はこれもスキル目星で「人目につかないよう」「やりとりするものや言葉」がないかをチェックしている。こういうものから条件がそろえば、どれだけいるかわからない俗称「クエストの精霊」つまり人工知能がクエストを仕立ててくれることがある。
冒険者ギルドに一度よった「記者」はチュートリアルでやるようなお使いクエストを受けて町を歩き回った。それをつけまわすのは苦痛だ。だが、その間に接触をすませるかもしれない。盗賊は現実生活では真面目な人間だった。それに地道なスキルあげにもなる。
夕暮れがせまってくるまで、「記者」はお遣いをこなしていた。このまま日が暮れれば約束の時間になり、酒場のマスターと情報を交換し、そのあと宿屋で他のパーティメンバーと合流する。ここまで何もなかった。それは事実だし、マスターは約束を守ってくれるだろうが、できれば彼の気に入る結果を持ち帰りたいと盗賊は思っていた。
その願いが聞き届けられたのだろうか、「記者」はギルドでささやかな報酬を受け取ると、貧乏冒険者御用達の下宿、宿屋のあるあたりではなくなぜか貴族の屋敷がならぶ区域にむかったのである。
俄然やる気のでた盗賊は、時間ぎりぎりまで尾行することにする。正直、ここで彼が下宿か定宿にもどるようであれば打ち切ろうと思ってたのだ。
「記者」は一つの屋敷の裏口に姿を消した。忍び込んで確かめようかどうしようか、盗賊は迷った。ただ、もう時間はなかった。地図を呼び出し、ここがどこかを確認して彼は酒場に戻った。
その後のことは盗賊は知らない。マスターにこの屋敷にはいったほかは怪しいところはなかったと報告しただけである。マスターは表情一つ買えずに十二分な情報を提供してくれた。盗賊のパーティははりきって翌朝、大急ぎで町を出たのである。現場を抑えるためにはそうする必要があったのだ。
酒場はざわついていた。あの「記者」の死体が見つかったからだ。後ろから首を喉ごとかききられていた。悲鳴はほとんどでなかっただろう。
彼らが「記者」のことを忘れるのにそれほど時間はかからなかった。
それからゲームの中でが二年がたった。ゲーム外では一年ほどである。
「いや、おまたせしました。私が記者です」
真夏の書店街の喫茶店。髪も髭もきちんとした真夏のサラリーマンスタイルの男が汗をふきふき、席にすわった。向かい合わせに座っているのはえびす顔だが目の笑っていない精悍な男。
「本当に記者だったのか」
「実をいうとあのときはそうではありませんでした」
サラリーマンは出された水をぐっとあおってアイスコーヒーを注文する。
「そうだろうな。俺から気分よく話を引き出して、うまく隠しておいたつもりの隠し財産をはねやがったしな」
「残念ながら、その分け前を頂く前に盗人酒場のマスターあたりの回し者に殺されてしまいましたけどね」
「ふん、やっぱり黒幕がいたのか。噂じゃ、どこかの貴族の執事だったとか」
「あの人も服役囚ですよ。かなり頭の回る人で、貴族の使用人の服役囚や悪いのをまとめて仕切っていました」
「山の手のボスか。道理で鍵もきれいにあけられてたし、後が乱れていなかった。手際がいい」
「でもまあ、本当に記者になろうと思ったのは私です。やってみると相性がよいものですね。読者を気持ちよくだますって点では同じで、つかまる心配もない。売り込んで、あなたがたにした約束通りの支払い分も用意してもらえるところから出しました」
「服役中のことは他言無用だよな。よくつかまらなかったな」
「あ、それは私の記事で追加されたルールでして、しかも罰則は事実上なし」
「そうかい、でもそのうちやりすぎて本当につかまるぞ」
「気をつけます。さて、お支払いと、それから差し支えない範囲で取材させてほしいのですが」
「そうだな。じゃあ俺もいまなにやってるかをあかそう」
男は名詞をつっとだした。
そこには「服役を考える会」という組織名があった。残酷な刑を見直し、従来の収監に戻すか、せめて費用を出してゲームのモブではないようにしようと主張する人権組織だ。
「さあ、お互い協力しようじゃないの」
同様の組織はいくつかある。だが、男が所属するのは基本的にカネ目当ての反社会的組織がついているという噂のところだった。
「あのルールをやぶるってことは、これからもつるんで悪い事しますよって宣言だぜ」
男はニヤニヤ笑う。
仲良くやろうといわれて記者は青くなった。
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