癒しの果てに

 突然目が覚めた。


「く……」


 あれからどうなったってんだろう。

 とりあえず首から下が冷たい。けど、頭の方は暖かいのだ。どうやら俺は、妙に弾力性のある物体の布越しに、頭だけ乗っかっている。

 俺は状況を確認するために目を開けてみることにした。


「麗二? 麗二ッ!? 気がついたのね!? 良かった……!」


 真っ先に視界へ入ったのは、泣きはらしたのか目を真っ赤にした光華だ。


「光華、か」


 俺はプールサイドで光華に膝枕されているようだった。

 辺りをチラリと流し見る。瑠唯さんが放った特大灯霊弾の灯りはとうに消えているが、天井の壊れたステンドグラスからは代わりに朝焼けが入り込んでいる。長い夜が過ぎたのだ。

 泣きっ面の彼女に、現状を聞いてみる。


「光華、全部終わったのか」

「えぇ。父さんも瑠唯もちょっと前に封魔立陣の儀式を施しに屋上へ行ったの。あんたが持ってきたリュックの中のお札を使ってね。あたしはあんたが目が覚めるまで、ここにいろって」

「そうかい。となると幻尊さんと瑠唯さんの傷は、治療したのか。あの、どう見ても普通じゃねぇ傷は」

「ええ。霊障はあたしが残ってた霊通力を全部使って治癒霊術式を施したから大丈夫」


 光華は涙を拭いながら、無理やりに精一杯の笑顔を浮かべた。

 良かった。霊媒師が霊通力を使って治せる傷だったんだな。

 それにしても、こいつは――


「お前、体力切れかけてたのを無理やり動かしてたのに、霊通力の方はよく残ってたな」


 いや、切れかけたなんてもんじゃないかも。限界を超えていたような。


「あたし、神位まではいかなくても、霊通力が同じ歳の子と比べても高い方らしいから」

「へぇ、やっぱスゲーな光華は」

「でもね……あと少し遅れてたら、傷が深かったら、あたしの霊通力が切れていたら、二人ともッ!」


 ふいに、俺の顔にしずくが落ちた。

 光華の涙だ。止まらない。それは決壊したようにボロボロと流れ出した。


「あたしがヘマをしたから、あそこでやられたからッ! 黙って父さんに任せていれば終わってたのにッ。父さんも瑠唯も傷つかなかったし麗二だって危険を冒すことだってなかったの。あたしのせいでッ」

「光華……」

「あたしね、悪霊の除霊に出たこと、実はまだ数えるくらいしかないんだ。悪霊を倒すのはいつも父さん。普通の人にできない力が自分にはあるって、除霊をわかった気になって、最後の最後で油断して……」


光華はしゃくりをあげながら、自らを責め続ける。

 広いプールの中で悲痛な泣き声が鳴りわたった。


「今更になって言って……ごめんなさい麗二ッ! ひぐっ、あたしはッ!」


 顔から垂れた涙が次々と俺の頬につたってきた。

 見たくない。お前の悲しい顔は、見たくないんだ。


「なぁ光華、ここまで皆が除霊してきた幽霊もちゃんとあの世に逝けたんだろ?」


 光華は鼻をすすりながらこくんと頷いた。

 伝えたい。上手いことなんて言えないけどさ、それも伝えたいことがあるんだ。


「あくまで俺の考えだけど……自分にしかできない力を使って現世を彷徨ってる霊魂を救った。それだけで充分だと思うんだ。二人だって無事だった、光華が死力を尽くしたから俺と瑠唯さんが切っ掛けを作れたんだよ。お前の頑張りがなきゃ、悪霊を除霊できなかった」


 霊媒師たちの雄姿があったからこそ、俺は自分を奮い立たせて一端の勇気を持つことができたのだ。


「なんつーかさ、霊媒師の人が陰で頑張って俺らが安全に暮らせるようにしてたって、考えただけでもすげぇよ。あんな生死がかかった状況で集中力を保ってるだけでも大変なのに、命を懸けてやりきったんだ。幻尊さんだって瑠唯さんだって、お前を責めるハズがねぇ!」


 ただシンプルに。できる限り熱く伝えた。

 わかって欲しいんだ。自分を責める必要なんてないんだって。

 勇敢に除霊を敢行した霊媒師に送るのは、


「えぐっ。瑠唯も無事で良かったって。父さんも治したらすぐに起き上がって、あたしたちを抱きしめてくれて……あたしが原因なのに、何も言わないでッ!」


 心からの――


「だからもう泣くなって。これで終わりにしようぜ。それよりもだ、いつも俺たちを守ってくれてありがとうな、光華」

「麗二……うん、ありがとう」


 感謝だ。

 俺は光華が安心できるように暖かく微笑んで見せた。

 それから沈黙が幾分か続いたが、光華は納得してくれたのか、だいぶ泣き止んでくれたみたいだ。

 持ち直してくれて、本当に良かった。

 あとはブレスレットか――


「よし、じゃあ母さんのブレスレットを取りに行こう。幻尊さんたちが儀式をやり終わる前に目が覚めてよかったよ。終わってからじゃ遅いもんな」

「う、うん。封魔立陣の儀式が完了するまでに探さなきゃ。あたしのせいで大事な探す時間を取らせてしまって……ゴメンなさい、麗二」


 何回もペコペコと謝る光華の背中を、俺は励ますように優しく叩いた。


「だからいいっての。丁度いい時に起きれて、光華にも納得してもらえたし全然大丈夫さ。場所だってわかってる。悪霊が出てきた休憩所だ」


 もはや意識を集中せずとも自然とわかった。

 くたくたになった重い体を光華に支えてもらいながら立ち上がる。俺たちはカビや黒ズミ、コケだらけのプールサイドから休憩所へと歩いた。

 入り口は木で木製の階段を上ってから、左側と右側にと二つある。

 左側はアイスや飲み物を売っていた売店。そして右側は医務室だったハズ。そして、ブレスレットの感覚があるのは右側の医務室の方だ。

 右側の階段を上り、中に入る。室内は意外にもさほど汚れはいなかった。包装資材やイスや担架、ベッド等が無造作に置かれている。水色の擦り切れたカーテンを潜り抜け進んだ途端、感覚の強さが頂点に達した。前にある木製のテーブル、その上に置かれているプラスチック製の箱――消えかかってはいたが、マジックかなんかで廃棄処分と大きく書かれている。


「間違いない、ここだ」


 中身を光華と一緒に覗き込んで見ると、錆びた腕時計や破れた浮き輪なんかと一緒に、母さんから貰ったブレスレットが捨てられずにあったのだ。

 幻尊さんが言った通り紋章が光っている。いざ目にしてみると、驚きのあまり咄嗟の声すらも出ない。


「本当にあったわね。輪生守護、神位霊能者の霊術式って、本当に凄い……!」


 光華が目を丸くしながら感嘆の呟きを漏らした。


「うん。本当にあった」 


 掠れた声で譫言のようにしか喋れない。

 そして手も震えるけど、ブレスレットはしっかりと手に取った。すると霊術式の役目を終えたからなのだろうか――ブレスレットの位置を掴むための感覚が脳内から突然消えたのだ。

 紋章の光も同様であるが、その代わりに、今度はおなじみの青白い光がブレスレット全体を淡く纏い始めた。


「なぁ、これってブレスレットの登録が終わったって意味だよな?」

「どれどれちょっと貸して……うん、十数年越しの登録が正常に登録が完了してるわよ」


 光華も自分のことのように感慨深い顔を浮かべる。


「ああ。やっと、な」


 在りし日の母を思いながらブレスレットを再度強く握りしめ、心臓の位置へ持っていく。

 母さん。遅くなったけど、ちゃんと見つけることができた。

 物心ついた時からの、あなたとの思い出は指で数えれる範囲に収まるまでしかないのだけれど、それでも俺を想う気持ちは確かに受けとったよ。

 ブレスレットをポケットに入れた俺は、自分が気がつかない間に流していた涙を拭ってから光華に向き合った。


「さて、じゃあ幻尊さんたちのところに行くか」

「そうね、あと半分の時間で終わるかしら」


 俺たちは医務室を後にしてプールサイドに出た。

 壮絶な戦いが嘘だったかのような静けさ。靴音以外は何も聞こえない。目的を全て果たしたのだ。もう、ここに来ることはないだろう。

 誰の記憶からも忘れ去られて、いずれは朽ちていくゆ~わ~るど。だけど、ここに来たことは一生忘れないだろう。密度の濃過ぎる時間だった。昨日の放課後の一件から続いて、地元の寂れた廃墟で壮絶な体験をするとは、何日か前の俺は思いもしなかった。

 悪霊になった女の子の最後を看取ったこともだ。あのこの世とあの世の狭間みたいなところは一体なんだったのだ。

 あと数歩も歩けば出てしまうところだが、最後の疑問を訊いてみようか。


「光華――って、あれ」


 尋ねようとすると、光華がくるっとプールへ向き直った。

 そして彼女は目を瞑り合掌をしだした。死者を尊んでいるんだ。俺も光華に習って同じポーズをする。


「ねぇ麗二」


 光華が静かに口を開いた。


「ん、どした」

「あなた、悪霊を除霊した後、悪霊になってしまった人と会ったりした?」


 何かと思えばその内容は、知りたかった話とドンピシャだった。


「うん。見たよ」

「そうか、あんたは見れたのね」


 さほど驚いてもいないようだ。霊媒師なら誰もが体験する出来事なのだろうか。


「悪霊を除霊した時にここではない、違う空間に行ってたみたいなんだ。そこで悪霊になっちまった女の子と一緒に、生前の記憶を見たよ」


 体験した出来事を伝えると、光華が、


「それはね、人生璃鏡って言われているわ。悪霊の魂が消滅する際に見る、生前の記憶の欠片だそうなの。人によってイメージは違うみたいだけど」


 正式名称を教えてくれたのだ。


「人生璃鏡、ね。言葉通りだな。つまりあるかどうかもわからないあの世に霊魂が逝くのを見送るってワケか」

「えぇ。父さんや他の霊媒師から話には聞いていたんだけどね。悪霊に最後の一撃を加えた麗二なら、もしかして見たんじゃないかなって」

「うん。あの子、最後は笑顔だった。だからさ、もし天国ってモンがあるんなら安らかに逝けたんじゃないか」


 ただ倒すだけじゃない。同時に癒すのだ。それが霊媒師の戦い。

 俺は自ら除霊を体験したことで、霊媒師の本質を少しでも理解できたような気がした。


「ならしっかりと心に刻んでやりなさい。その女の子が確かにこの世に生きていたって軌跡を背負って生きるの。それがあたしらができる、せめてもの手向けよ」


 霊媒師の生き様を全て詰めたような光華の言葉。

 それに対して俺は――


「うん、忘れないよ。あの子が生きた証はこれからも俺が背負っていく。不仕合わせなんかじゃない、霊能力を持った俺達がするべき役割だから」


 自分にできる精一杯の誠意を示した。

 合掌にも自然と力が籠る。さようなら、名前も知らない女の子。

 輪廻転生があったのなら、どうかまた生をうけても人間として――

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