ニルヴァーナ

(うん……? あれ、ここはどこだ)


 つーか白い。うん、真っ白だ。

 目を開けた瞬間の感想はそれだけ。俺はどういうことか、いつのまにか見渡す限り白く見える空間に立っているようだった。不思議なことに、果てが見えない。


(悪霊は倒したんだよな。それじゃ皆は無事――ってか、本当に誰もいねぇ。マジでどこだよここは?)


 ここにいるのは俺だけだ。

重要事項が頭に浮かんでも何故か至極冷静だった自分にも疑問を持たずもう一度辺りを見渡してみるが、何も解決しないのはわかりきっていた。冗談抜きにこの殺風景な景色がどこまで続いてるのか見当もつかない。

 そうしてぼうっと前を眺めていたところ、いきなりだったのである。後方から人の気配がした。

 俺が振り向くとそこには、


(へ? 誰だこの子)


 喪服みたいな黒色のワンピースを着た五、六歳くらいの女の子が立っていた。

 髪型はショートカット。そしてクリっとした丸い目が印象的な可愛らしい子だ。

 どうしたのだろう。俺を観察するようにじーっと見ているのだ。

 あと、状況の変化はそれだけじゃない。


(んなっ。テレビが宙に?)


 いや、じゃねえな流石に。

 なんと女の子の頭の上に、三十二インチくらいのテレビみたいな物体が浮いているのだ。

 うん、デカい。液晶的な部分は鏡みたいで外側の枠は木製――そこに透明な板がはえてるワケではない、不思議だ。


(お、おい……)


 非現実な光景も特に気にせずそちらに向かおうとすると、突然鏡部分に映像が現れたのだ。


(モニターだったのか!? ホントにテレビみたいだ、一体何が始まるんだよ?)


 女の子よりそっちに気をとられる。

 それに彼女だって興味の対象がテレビもどきに移ったようだ。


(これは――)


 葬式会場が映ってるではないか。

 それほど広くない部屋だが、結構な数の人が喪服を着て座っている。白木祭壇が奥の方にある。テレビもどきから全く音は聞こえてこないが、坊さんがお経を読んでいる様子が確認できた。

 映像はまるでテレビカメラのように次々と様々な視点へ切り替わっていく。

 弔意する人々の中でも一際生気のない顔でいるのは、メガネをかけた三十代中盤くらいの頬がこけた短髪の男性と病的に痩せたセミロングヘアーの女性二人である。

 彼らが亡くなった人と一番親しかったのだろうか?


(どこの誰だかわからないけど、大切な人が亡くなったんだろう。俺だってあの時は……)


 俺は葬式映像を見ながら、幼き頃に経験した悲しい思い出を回想する。

 第一報を聞いた時は、自分の部屋でわけもわからずワンワンと泣きじゃくった。

 俺の母さんは病気で亡くなった。死因は心筋梗塞。突然倒れたんだ。


(そりゃあ人はいつか亡くなるさ……けど、誰だってなる可能性はあるとはいえ、まさか自分の母親が実際かかって、こうも早くに亡くなるなんて思わないだろ)


 記憶の断片には元気な母の姿しか思い浮かばない。

 若くして病に侵されて亡くなってしまうって、そりゃあんまりだ。

 昨日まで当たり前にいた存在がいきなりいなくなったのだ。心にぽっかりと大きな穴が開いた。悲しい。残された人はとても悲しい。

 けど、いつまでも悲しむだけじゃ亡くなった人は安心して逝けない。

 だから俺たちは葬式のようなお別れの儀式をして、人間として生を受けて生き抜いた人に敬意を表する。そうやって心に亡くなった人の軌跡をしっかりと刻むんだよと、親父にはそう教わった。


(俺は母さんが亡くなった時、生まれて初めて親父が泣いている姿を見たんだ)


 誰もが経験するだろう家族との別れを思い出していた最中、映像が中央へと徐々にズームアップしていった。たくさんの花飾りに彩られたその中心――まさしく本物の遺影に近づいていくが、そこで映像が砂嵐に変わってしまったのだ。

 幼年の女の子らしき人の輪郭だけがかすかに視認できたのだが結局、誰が亡くなったのかは、わからずじまいだ。


(何がどうなっている? 何故、こんな悲しい映像を映すのだろう。それにこの女の子は、何故に俺と一緒にいるんだ?)


 今更になって強く疑問が湧きあがった。

 俺は女の子がどういう様子でいるのかちらりと見てみる。彼女の視線は、相変わらずモニター部分に釘づけだった。


(キミは、一体誰なんだ) 


 俺の気のせいだろうか。遠い過去のどこかで会っていたような気がするが……うーん、思い出せない。


 瞳と閉じて記憶の奥底を探るように脳内検索していた俺は、ズボンのすそを女の子に掴まれたのに気がついた。彼女はナニカを恐れるように震えている。そして、またもモニターの映像が切り替わったようだった。

 今度は様々な情景が次々と映し出されていく。どれもメガネを付けた温和そうな短髪の男性とえくぼが印象的な愛嬌のあるセミロングヘアの女性、その二人に挟まれているショートカットの女の子、三人が遊園地やデパートやら色んな場所にいるのだ。


(これってやっぱり三人は家族、だよな)


 そこで察した。

 どこにでもいそうな、幸せな家族の日常が淡々と映し出されているんだ。


(あ! ゆ~わ~るどじゃんか)


 驚いたのは、ゆ~わ~るどに行った時であろう映像も流されたのだ。

 プール内にある休憩所の中で、親子揃ってアイスを美味しそうに食べている。

 もしかしたら、俺と同年代なのかもしれないな。

 そして次に映った情景……これは、散歩をしているのか。

 時刻は夕方。茜色の空を背景に、交通量の多いバイパス沿いの歩道を家族で歩いている。

 女の子が両親の手を離れてひたすら走っているのだが、父親が笑いながらも危ないから戻ってこいと手で催促している。母親も微笑ましく見守っているようだ。


(――っ!?)


 俺は映像を見ていたところ、ある事実に気がついてあっと息を呑む。


(あの顔。映ってる女の子は隣にいる子だ! しかも、父親と母親だって葬式映像に出てきたじゃんか……待て待て、まさか彼女は――)


 そこで思わず言葉を失った。

 不安定に揺れながら走るミニバンが、猛スピードで女の子へと突っ込んできたのだから。

 目を見開いた父親が手を伸ばすが、届かない。距離が空きすぎて、届くハズがなかった。

 母親も駆け出したけど、父親と同様に――


(え、嘘だろ……!?)


 茫然とした女の子へ凶器と化した鉄の塊がぶつかる直前、遺影の中はまたも砂嵐に支配された。


(あれで亡くなったのか! 何で、何でさっきまで幸せそうだった親子が……クソ!)


 理不尽な事故へ憤慨していると、誰かが泣く声が隣から聞こえた。

 その悲しい声の元は、当然黒いワンピースの女の子だ。


(そうだよ。この子が……間違いねぇ)


 そして、俺は女の子の何かを訴えかけるような視線を受けとめた時、不思議と確信したのだ。


(映像だけじゃない、釈浄刃でトドメを指した時に見えた悪霊の顔も、この女の子の顔だったんだ)


 全てが一致した。

 映像に出た登場した人は全て同一人物。しかも元は悪霊だった女の子に関するものなのだ。

 幽霊が生前に行ったことのある場所に立ち寄る習性があるかどうかはわからんが、仮にそう考えてもなんら不自然ではない。


(でも、なんだってこんな小さな女の子が悪霊なんかに、人間へ危害を加える存在になっちまうんだよッ!)


 この子だって好きで幽霊になって、悪霊なんかに変異したかったワケじゃない。

 事故もなく育っていたら俺と同じ歳だったかもしれないし、学校だって同じだったかもしれない。


(時に泣き、笑い、人生を幸せに歩んで――ッ!)


 他の幽霊や悪霊だって同じだ。皆幸せに生きて一生を終えたかったハズなのだ。

 誰にだって、等しく幸せになる権利がある。強い未練を残すまでに悲しい人生の末、悪霊なんかになって現世を彷徨うなんて望んでいるハズがない。


(でも、何が出来るんだ。俺に何ができるんだよ! 強い霊感は持ってるたって、それでも幸せに生きてきた俺が、悲しみの果てに逝っちまったこの子にできることなんて――!?)


 あぁ、あった。一つだけあったのだ。

 自然とわかった。脳内の片隅から力を込めて、ソレを取り出すような感覚だ。

 イメージを固める。難しいようで、簡単にできることだった。


(霊通力、この力は不仕合わせなんかじゃない。成仏できずに彷徨う彼女たちのような霊魂を救う慈しみの力だ。エゴでもなんでもいい、ただ目の前にいる子を癒やすために俺ができるのは――)


 しゃがんで目線を女の子に合わせ、そっと抱きしめた。


(どうか、安らかに……)


 それだけで良かったのだ。

 女の子がありがとうって、言ってくれた気がその刹那、女の子から白い閃光が発生。

 視界が急に眩しくなり、俺はたまらず目を閉じた。睡魔へ似た感覚が俺を包む。

 黒いワンピースを着た女の子。

 彼女はやっぱり、昔どこかで会っていたかのような懐かしさが感じられたのだ。

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