勇気

『???????????????????』


 突如廃墟に響いたのは禍々しい絶叫。獣の咆哮とは違う、苦しみに悶え全身を掻き毟るような、泣き声にも近いと感じさせるコエだった。

 それに答えるように、左右の廊下の奥から女性が悲しみを抑えきれず泣く声や、小さな男の子が泣き叫び喚き散らす声も同時に発生したのだ。  


「な、何だ何だッ!?」


 飛び跳ねるまでに驚いた。男の嗚咽みたいな声も遅れて聞こえてきたぞ。


「悪霊の叫びに幽霊も共鳴している。本格的に目覚めつつありますね」


 瑠唯さんが男子更衣室へ繋がる廊下をチラリと一瞥する。

 確かに最初の声はそっちから聞こえてきた。


「最初に聞こえたバカでかい声は悪霊が出したのか」

「ええ。強い波動だったわ。やっぱりこりゃ強敵だわ」


 光華も問題の廊下の先を見据える。


「どれ、奴さんも待ってることだし、行くとすっか。瑠唯ちゃん、灯霊弾で道を照らしてくれ」

「はい!」


 幻尊さんの指示を受け、瑠唯さんが甲奘の先にオレンジ色の光弾を出現させる。

 懐中電灯の明かりなんかよりも力強い光が暗闇を照らした。瑠唯さんの隣に光華がつき、俺が真ん中、幻尊さんが後ろにつくという陣形になった。

 俺たちは男子更衣室へ通じる、人が四人ほど広がって歩ける幅があり蜘蛛の巣だらけの廊下を、ゆっくりと進んで行く。


「光華、聞きたいことがあるんだが」

「何よこんな時に……」


 前方を警戒しながら光華が答える。


「外の幽霊はもう大丈夫なのはわかったけど、元から中にいる奴は壁をすり抜けて来ないだろうな?」


 壁をすり抜けてくる習性があるなら、その危険性は当然あるだろう。


「あたしたちを視認した奴らはね。例えば、さっき取りこぼしたやつとか。だからこそ、あたしたちを見た幽霊は全て除霊しなきゃいけないわ」

「う、わ、わかった」


 やっぱり。

 見つかったらどこまでも壁をすり抜け追いかけて来るのは怖すぎる……それにしても、突き当たりまで距離は短いハズなのに、ゆっくり進んでるのもあって妙に曲がり角までが遠く感じる。

 悪霊の叫び声はもうしない。音は俺たちの息遣いと、靴音のみ。それに――


「近い!」


 進むにつれ、ブレスレットの感覚も強くなっていく。

 案外近くにあるかもしれん。

 足元を探しながら歩くが、埃を被ったゴミしか落ちていない。

 近づいてはいるけれどここではないな。もっと先にあるのだろう、が。


「うぅ! 幽霊の気配だ!?」


 生まれた時からの付き合いである第六感が俺の脳内を巡る。

 間違いなく、曲がり角の先にいる。


「ああ。幽霊が近くにいるな」

「確かに気配を感じるわね」


 幻尊さんと光華は、各々の除霊具を構え始めた。


「瑠唯、カバーはあたしらに任せなさい!」


 瑠唯さんが光華の指示に無言で首を縦に振る。意識を集中しているのだろう。


「ハッ、ハッ、ハァ……」


 緊張が膨れ上がり、俺の息が荒くなる。

 自分は安全だが、皆に向かって突然幽霊が襲って来る可能性がある。

 嫌というほど見てきた奴らの姿だろうが、ビビらずにはいられない。

 そこを歩く、という恐怖。ただ足を一歩、一歩踏み出すのがこんなにも怖いとは。 

 そして――廊下の突き当たりを曲がった! また短かくて広い廊下だ。幽霊はいなかった。

 廊下を歩いて――またすぐ左に曲がる……うわぁ、瑠唯さんが照らす灯霊弾の先に幽霊が一体、イタ。


「ホニィィィィィッ!? 出たァァァァッッッ!」


 俺の恐怖耐性メーターが振り切れて腰も抜けた。

 皆、頼みますよッ。


「くッ!」


 光華が幽霊の攻撃を封光で受け止めた。 


「オラァッ!」


 幻尊さんが壽蓮樹をすかさず振り下ろす! 

 撃破。事態は短時間で収拾がついたのであった。


「よ、よかった……」

「ったく。耳元で大きな声を出さないでよ麗二!」


 光華に叱られてしまった。しょうがねぇだろ。


「すまん光華! いきなり現れたもんだからつい……」


 てか、幽霊よりも俺の声にビビったのかよ。


「ハハハ! 大丈夫か麗二君?」


 驚きのあまりしりもちをついてしまっていた俺を見て、幻尊さんが大口を開けて笑った。


「はい……とっ。痛てぇなぁ、ちくしょう」 


 いやマジで。コンクリートでできた硬い床に喝を入れられたようだ。

 起き上がり前を見る。男子更衣室、と書かれた錆びた看板が天井から下がっている。

 放置された結構な数のロッカーも見えた。広い男子更衣室に足を踏み入れる。酸化しているのかロッカーも錆びているな。明らかに外部からの衝撃で壊された物もあるぞ。

 天井の壁が剥げている箇所もあり、荒れ放題だ。元は何の液体が入っていたのかわからないペットボトルや、年代を感じさせるエッチな本も散乱している。

 ここにもブレスレットは無いようだ。この強さでもまだ先とは。


「皆、ここにも無いよ。もうちょっとだ。多分、あと少し進んだ場所にあると思う」


 部屋の真ん中辺りまで進んだところで皆に伝えた。

 感覚はかなり強くなったが、まだ頂点に達するまでは足りない。


「近づいているのは間違いないようね。ホント、ミラクルだわ。何年も経ったのに、まだ残ってるなんて」

「職員の方も気がつかなかったんでしょうか……奇跡です」

 光華と瑠唯さんが、感嘆したように呟いた。


「見つかりそうでよかったぜ。だが、この先は――」


 幻尊さんの視線の先は、シャワールームの方だった。

 灯霊弾で照らさせる室内。壁のタイルは所々剥げ落ち、カビか汚れで殆ど黒く染まってしまっているし、卑猥な言葉でペイントされている部分もあった。

 抜けるとプールに出る。そして、悪霊もいるのだろう。

 俺たちが再度陣形を組み、薄暗いシャワールームへ進み始めた時だった――


『???????????????????』

「うっ!? またあの声!? 今度はもっと大きく聞こえたぞ!?」


 まただ。プールの方から響く、この世のモノとは思えないコエ。

 瑠唯さんも俺のように一瞬たじろいだが、それでも先頭を勇ましく歩く。

 そして空気の悪いシャワールームを中盤まで差し掛かると、なんと幽霊の気配も現れたのだ。 

 尋常じゃない数である。感覚も滅茶苦茶強いし、間違いない。プールのどこかにブレスレットがある。

 予測はできていたが、やはり最悪だ。まさか悪霊がいる場所と、目的のブレスレットが重なってしまうとは。こりゃ、やはり除霊した後に探すしかないだろう。

 瑠唯さんも幽霊の気配を感じとったか、振り向いて幻尊さんにアイコンタクトを送る。

 幻尊さんは頷き、瑠唯さんがシャワールームの天井に小さな灯霊弾を撃った。


「いよいよだな。皆聞いてくれ」


 明るくなった室内。俺たちは幻尊さんの真剣な顔を見上げる。


「ヤバイ数だぜ。悪霊に感化されて集まったんだろうな。光華に瑠唯ちゃん。肝心の悪霊がいる位置の詳細はわかるか?」


 幻尊さんが訊くと、


「大きな邪念がプール内に蔓延しているのは間違いありません。しかし、詳細な位置までは……」

「瑠唯と同じく。ここまで近づいて、いるのもわかっているのにプールいっぱいに幽霊の邪念が広がってて気配がつかめないわ」


 瑠唯さんと光華が同様に首を傾げる。

 幻尊さんはそれに「やはりか、俺も同じだ」と苦笑した。

 俺には幽霊の気配しか掴めない。悪霊の気配は修練を積まないと気配を感じ取れないと瑠唯さんが言っていたし、特殊なモンなんだろう。


「まっ悪霊はともかく、先に片づけにゃあなんねぇのが幽霊共だ。そこで、だ。≪強霊装の儀≫を除霊具に施そうと思う」


 幻尊さんの提案に瑠唯さんと光華も異論無しといった顔で、コクリと頷いた。


「作戦もクソも無いがな。瑠唯ちゃんが強化した除霊具の特大灯霊弾をまず天井に放つだろ、次に俺達が悪霊の前に幽霊を一気にかたずけると。強霊装の儀は悪霊相手に残しておきたかったが、この数相手だとやむおえねぇ。麗二君――」

「はい」


 俺はリュックを幻尊さんに渡した。

 彼はその中からサイズ的に、漫画単行本程度の大きさがあるお札を三枚取り出した。中央には強霊装と、書かれている。

 それを瑠唯さんと光華に渡す。二人が札を手に持つと、なんと札が金色に輝き始めたのだ。

 次にそれぞれの除霊具を拭くようにして札を隅々までこすり付けると、今度はその輝きが移ったかのように除霊具の光が強くなったではないか。 

 札の方は役目を終えたのか、輝きを失ったのである。


「すげぇ、除霊具が半端なく光ってる!」


 幻尊さんも作業が終わったようで、壽蓮樹が溢れんばかりの閃光を放っていた。


「これも年に支給される数が限られてんのさ。麗二君、感覚の方はどうだ? かなり強くなっていると言っていたが」

「間違いありません。プール内にあります」

「そうかい。捜索する時間だがな、悪霊の除霊が完了してから封魔立陣の儀式を施し終えるまでの時間で探してくれるか。車の中でも言った、おめぇが同行するはめになった原因の結界霊術式だ。大体約一時間だけどもよ、時間内に見つかなかったら、その時は悪いが……」


 言い終えた幻尊さんがとても申し訳なさそうな表情になった。

 けども、俺の方は何も問題はない。


「大丈夫です。一時間もあれば探し出せますよ、プールにあるのは確実なので」

「ほう! じゃあ心配ないな」


 けど幾分か安心したのか、眉と眉の間が広くおどけたようだ。

 そして、リュックの小ポケットの中を探る。


「じゃあこれを持ってくれ」


 出したのは、瑠唯さんが持っている短刀型除霊具、釈浄刃と同じタイプのモノと、オレンジ色の数珠だ。どういう意味だろう。

 え、まさかここまで来て俺にも戦えと!? 有無を言わさず俺の右手に短刀型除霊具を握らせる。

 それを幻尊さんの大きな両手が包み込む。次の瞬間。ブレスレットを登録した時のように金色の光が除霊具を覆ったのだ。


「あの、幻尊さん。これはどういう?」

「それは護身用の除霊具だ。最悪の事態を考えての処置さ。俺らがもし負けたら、悪いがブレスレットは諦めて逃げてくれや」

「は? え、えぇ!いやいや、ちょっと待って下さいよぉ!?」 


 だから呑み込めないって。いきなり何を言い出すんだこの人は。


「万が一を見通してって話よ。ま、あたしらが勝つに決まってるけども」


 光華が除霊具に不備がないか確認をしながら、縁起でもないことを言う。

 万が一なんてあって欲しくないんだが。


「私達は今からが本番です。本当に危険で死んでしまうかもしれませんが必ず生きて帰りますので。神内さん、どうか信じて待っていて下さいね」


 瑠唯さんが、その晴れやかなスマイルに似合わない物騒なセリフを発する。

 う。確かに死を覚悟するのも無理はないのかな。光華だって喫茶店で死を覚悟していると宣言したし、倒せるかどうかギリギリラインなのが悪霊だとも言っていた。

 しかし三人は、これから戦場へ向かう人のような言葉を吐露する割には、絶対に死なないという確固たる心持ちが溢れているようだ。 

 断々乎たる瞳からも、絶対に死んでたまるかという強い気持ちが伝わってくる。

 けれどさ、幻尊さんも光華も瑠唯さんも怖くねぇのかよ。今さらになって強く思う。命がかかってんだぞ……いや、彼らは多分そういう環境に携わる事が当たり前だと思って育ってきたんだ。

 要は、価値観が一般人とは違うのだ。

 恐怖感こそ持ってはいると思うけど、もっとぶっ飛んだ位置にいるんだろう。

 母さんは、そんな霊媒師たちを高い技術を使ってサポートする役目だったのだ。うん。よくよく考えると、我が母も結構変わった人だったようだ。

 けど、そんな常識離れした命知らずな霊媒師達が、人々の安全を影から守ってきたのだ。


「麗二。そんじゃ、行ってくるわね!」


 光華が俺に元気よく手を振った。

 これからどっかに遊びにでも行くようなノリだな、おい。


「おお! 絶対生きて帰って来てくれッ!」

「当たり前よ! あんた、あたしが喫茶店で言った言葉、覚えてるわよね?」

「ん~。ええと、なんだっけ!?」

「ななッと――ったく、覚えてなさいよッ」


 光華がズッコケそうになるがなんとか抑える。大事な場面で度忘れした俺も俺だが、光華も光華でホント、漫画みたいな反応が板につくやつだ。


「もう一度、あんたに誓うわ。悪霊に負ける気なんて毛頭ないから安心しなさい。楠屋光華は絶対に負けないから! 霊媒師の役割、果たして来るわッ」


 そうだ、その言葉だ。

 光華が見慣れた笑顔のまま、自信満々に言い切った。三人は最後の戦いの舞台へと向かって行く。

 その背中が暗闇の中で光輝いて見えたのは、気のせいではないだろう。

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