霊媒師の責務

「麗二? も~あんたが心配する必要ないって言ったでしょ?」

 

 しゃがみこんで頭を抑える俺に、光華が心配して駆け寄って来た。


「そうは言っても落ち着いていられなかったぜ。左右からやってくる奴らでもハラハラしたのに、えらい数の奴らが壁からこっちに這い出て来ようとしてたのによ」

 

 廊下の外側の壁一面に生えた無数の手やら頭。どいつもこいつも、もう「腰から下にかけて」はすり抜けてこない。

 無表情に俺たち一行を眺めている数多の幽霊、こいつらに取り囲まれたらと考えただけで地獄だ。


「神内さん。言い忘れていましたが、私が壺の前で壁霊封陣を施し始めた段階で邪魔さえ入らなければ、幽霊はもう完全にすり抜けることはできないんですよ。だから光華の言う通り問題なしです」

 

 瑠唯さんが小さくウインクをしながら、唇をほころばせた。

 ビビり損ですか、うん。


「あぁ成程、瑠唯さんが詠唱し始めた時点で外の奴らは防げてたってワケだな。。脅威は建物中の幽霊だけだったってことか……」

 

 それでもこの恐怖の光景を見るだけでも心臓が飛び出そうになるには変わりないが。除霊し慣れた霊媒師では、先の状況は俺みたいに狼狽える程の難関ではないんだろう。

 それで光華と幻尊さんは抜け出そうとする幽霊は気にも留めず、瑠唯さんに手を伸ばそうとする奴らと、廊下の奥から集まってきた奴らだけを倒してたってワケだ。


「瑠唯ちゃんの言った通りだ。事前に言えなくてすまなんだ麗二君」

 

 二カッと顔いっぱいに口を広げ、真っ白な歯を幻尊さんが見せた。


「大丈夫ですよ。あれだけの幽霊が向かって来たら、いちいち俺に説明してらんないだろうし」

 

 安堵のため息を吐いた。

 そうだよな、皆は除霊のスペシャリストなんだ。心配はいらない。

 壁霊封陣――廃墟除霊に必要不可欠だな。


「それにしても便利ですね。これで外からの侵入を防ぐと」

 

 思わず呟くと、幻尊さんも得意げに頷いた


「おおよ。あの粉末はな、霊樹のかけらをまぶしたものだ」

「霊樹?」

「長~い間生きている木ってのはな、膨大なまでの霊的な力を宿しているんだ」

「はぁ。よく御神木とか言われんのもそれに関係しているんですか?」

「おう。それを増大させる霊術式をかけらに組み込む。次にかけらを壷に入れた後、真言を紡ぎ続けて力を固める。あの壷は霊通力が分散しないようにするための専用の入れ物さ」

「あの変わった壷が……」

「最後に完成した溢れんばかりの霊通力の塊をはじけさせ壁霊封陣の札を起動させるためのエネルギーとする。起爆剤だな。それか、異なった導線を繋げたようなモンだ」

「へぇ。まるで何かの機械みたいな仕組みですね」


 霊術式、まだまだ奥が深いな。


「さて、あとは悪霊を倒すだけね。それにしても、大規模な廃墟ね。事前にでも構造を調査出来てたら良かったんだけど」

 

 話が丁度終わったところで光華が額に手をかざし、灯霊弾で照らされた辺りを見渡す。


「まったくだぜ。こんだけバカデカい廃墟なら、そりゃ悪霊も発生するわな」

 

 幻尊さんが頬をポリポリと掻きながら相槌を打つ。

 やっと落ち着いてきた今、ロビーを観察すると色々と目に付いた。

 こういう場所にありがちな、所々に亀裂があるシミだらけの壁いっぱいに描かれた落書きや埃まみれの床。破られた窓ガラスからは緑が入り込んでいる。

 どこから持って来たのかわからない木材の破片や雑誌、コップやら、イスなんかもあるし。不法投棄か知らんがゴミだらけだ。

 俺の記憶が正しければ、確か左の廊下の突き当りを曲がればレストランや売店があったっけ。

 右の廊下は温泉に行くための廊下で、その先には休憩スペースもある。プールとは別々になっていたハズだ。

 正面にある受付の隣にある女子更衣室への廊下をまたいで、すぐ右にある階段を登れば、フィットネスクラブもあったような。

 

「本部でも未確認の廃墟がまだ存在していると聞きます。ここもその一角かと」

 

 瑠唯さんが受付のカウンターらしき箇所を眺めながら呟いた。

 その後ろにある開かれたドアの向こうは――流石に見えないか。事務室だろう。

 時が止まったかのように無機質で、ジメジメした空間。哀愁やある種の退廃美すらも感じられた。

 一時期でも賑わっていたのが嘘のようだ。


「こんなトコ潰れたらすぐにぶっ壊しちまえばいいのに。悪霊が生まれる必要も無くなるのに。ですよね、幻尊さん?」

 

 廃墟をそのままにしておくから悪霊が発生するのだ。

 俺は足元のリュックを背負いながら素朴な疑問をぶつけてみると、幻尊さんが顔を歪ませた。


「麗二君が目をつけた通り気の残骸は籠るもんがなくなると消失していく。だが廃墟の危険性もわからん、霊感もない奴に危険性を語ったって信じないだろ? 所有者が不明な施設だってあんのによぉ、全国各地の廃墟をクリーンな方法でかたっぱしから潰していく前代未聞な作戦を敢行するような金も人材も霊媒師にはねぇんだ。不可能なのさ」

 

 やるせなさとあきらめを含んだ口調であった。表情には哀切が漂っている。

 俺たちだけじゃなくて他の人間も強い霊感を持っていれば、霊媒師の存在が公に知られていたら、悪霊を出現させないために廃墟をすぐ取り壊せるのに。

 しかし、霊感を持たない普通の人がそんな話を信じるハズがない。

 

「じゃあ何も、何一つ対策を講じることはできないと?」

 

 光華と瑠唯さんの方へも顔を向けると、二人は曇りがちな顔を俯かせていた。

 あれ? もしかして俺、いたずらに士気を下げたのかも。


「うぬぬ……そうだっ。思ったんですけど、悪霊が出ないようにする霊術式ってやつを悪霊が出現する前に廃墟でやってしまえばいいんじゃ?」

 

 ピンと閃いた、簡単じゃないか。幽霊が悪霊へ変化する前に廃墟で悪霊の出現を抑える儀式をすればいいのではと。

 だが、幻尊さんは俺の会心の案にも残念そうに首を振る。


「悪霊を除霊した際、奴らは『不道没の気』っていう炭みたいな黒い塊を出すんだ。それを媒介にしないとできねぇんだよ。不本意だが俺達は現状、悪霊が出現するのを律儀に待ってから倒しに行かないと廃墟を安全な状態にはできん。神位霊媒師は貴重な存在だから戦闘には向かわせられん、だから悪霊の発生件数は年々増えようが現役霊媒師の数が減ろうが、俺達がやらなきゃいけねぇんだ」

 

 幻尊さんが匙を投げたように説明した後、おどけたようにお手上げして見せる。

 そして、沈んだ表情のまま沈黙していた瑠唯さんが、


「それに廃墟に残る気の残骸を取り除く方法も建物を壊す以外にわかればいいんですが、現在でも解決できないままなんですよ。本当に、困ったものです」

 

 補足し、小さなため息を吐いた。


「先人の霊媒師たちが試行錯誤して霊術式や悪霊、幽霊を除霊する新たな除霊具を開発したはいいけど、気の残骸そのものは消せないなんてねぇ。再重要問題は何年経っても本部ですらお手上げなの」

 

 次に、光華が憂鬱そうな顔で現状を解説してくれた。

 そして「気の残骸なんてどこにあるのよ~?」と空気を掴むように手をばたつかせる。

 俺も目を凝らして見るが、んなモンはまったく見えない。俺が思いつく範囲では、問題は解決できないようだ。

 気の残骸を消すことはできない。だから廃墟に巣食う幽霊を除霊してもまたすぐに集まってしまう。

 悪霊を倒した後でないと、二度と出現しないようにするための儀式はできない、そのために廃墟へ悪霊が出現するのを一時は見逃すしかない。

 そして出現したら、関係のない人が犠牲にならないよう即刻霊層へ入り除霊に向かう。

 今後も大規模な廃墟は増える可能性もあるし、神位霊媒師を含めた霊媒師の数が全体的に人材不足と幻尊さんが嘆いていた。

 考えたくはないけど悪霊が発生しやすい現在、全国の霊媒師達が命を懸けて戦ってる分、亡くなる人も増えるかもしれないのだ。


「そんな……霊媒師に負担が有り過ぎるじゃないですか!」

 

 圧倒的に不利な状況の極み。霊媒師側の数にも限りがあるというのに。


 「確かに不利、霊媒師が圧倒的不利だ、だがな……」

 

 と、憂いを含んだ声で幻尊さんが言うが、


「それでもずっとやってけば必ず終わりが来るものさ。なぁに、本部の神位霊媒師陣も新たな霊術式の開発を続けてるし、絶対に対策は見つかる。その日まで俺らが歯を食いしばって戦えばいいんだ」

 

 影を背負った様相から一転し、余裕をたやした笑みを浮かべて右拳をぐっと握って奮起してみせた。

 それを見せられた女性陣の表情へ、徐々に光が戻る。


「まっ、しゃあないか。めげて現状が変わるわけでもないし、あたしらがやるっきゃないのよね」 

 

 封光を持ったまま気だるそうに背伸びをするものの、光華の瞳には強いが灯っている。


「おじさまのおっしゃる通りでした。霊媒師だけにしかできないのであれば、私達が泥を被ればいい、でも一人じゃない。皆で力を合わせればいいのですから」

 

 瑠唯さんが凛とした声で決意を宣言する。

 二人は幻尊さんの言葉へ感銘を受けたか、一瞬露呈した自身らの不安感を力強い意志を持って消し飛ばしたのだ。

 いくら嘆こうが結局、俺たちが平和に暮らせるように霊媒師の人が未然に危機を防ぐしか対策はないんだろう。

 大変という言葉では済まないことだけど、三人は霊媒師に不利な状況を受け入れ、さらに乗り越えようとする強い気持ちを持っている。

 それには何故だかわからないが、カリスマ性じみた何かが感じられた。


「よっし、やる気が高まったとこで行きますか! 麗二、感覚の方はどう?」

 

 封光を頭上で器用に振り回し、張り切った様子の光華が俺に問いかける。


「うん、あっちの方からするよ」

 

 俺が指差した方向。

 フロントの左側にある、プールに通じるであろう男子更衣室への道。

 あちらからブレスレットの存在を強く感じるのだ。


「プールに続く道のようだな。悪霊の気配がする方向と同じか。場合によっちゃ、施設の中を隈なく探すことになるかと思っていたが必要無いみてぇだ」

 

 幻尊さんが首をぽきぽきと鳴らしながら言った。


「悪霊と同じ方向かよ。俺、隠れてた方がいいかな?」

「その時になったらね。でも、まだ大丈夫。気配は今んとこはそこまで強くないし、近くなったら教えるから――」

 

 そして光華が余裕綽々に進もうとした、その時だったのだ。

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