第38話 凛サイド~朝食にて
ビュッフェ形式に整えられた食堂では、すでに数名の先輩女子社員が朝食をとっていた。
「天音君、パン美味しかったよ」
「おはようございます。まじですか。凛さん、席にいてください。僕取りに行って……」
声をかけてきた女子社員達に返事をした天音は、すでに向かい合わせに席について食べ始めていた榎本達の席に私を座らせた。そして朝食を取りに行こうと振り返ったところで、何故か喋るのも動きも停止した。
それを不信に思った皆が、天音の視線を辿ると、中村係長と希美が食堂に入ってくるところだった。
ご機嫌な様子で係長に腕を絡ませて、ひたすら笑顔で話しかけている希美と、やや青ざめた無表情で前を見ている中村係長の姿は、なんとなく対照的で人目をひいた。
パラパラといた食堂の社員達も、無言になり二人に視線を向けていた。
「おはようございます」
やや強引に係長を引きずって席までくると、隣のテーブルに係長を座らせ、希美はご飯とってきますねと、天音を追い越す形で食事を取りに行った。それを目で追っていた天音もやっと動きだし、朝食の並べられたテーブルに向かう。
「係長、おはようございます」
「あぁ」
「二日酔い……ですか? なんか顔色悪いっすよ」
「あぁ」
榎本の問いにただ返事だけ返していた係長が、私と視線が合うといきなり立ち上がった。
「高柳、ちょっと!! 」
係長はそのまま私の方へズンズンと歩いてくると、私の腕を引っ張って立ち上がらせた。そして有無を言わさず食堂から引っ張り出す。
「係長?! 」
皆唖然とする中、食堂から連れ出されて階段を上がる。連れてこられたのは係長の部屋だった。布団は敷かれていたが、使った様子もなく整っている。シーツも枕もシワ一つなく、さあ今から寝てくださいとばかりに上掛けが半分におられていた。
「……係長? 」
部屋に入った係長は、私の腕を離すことなく、ただ黙って私を睨むように見下ろしていた。
「……何で部屋にいなかった」
「部屋? あぁ、一人部屋は寂しいだろうって、小出さん達の部屋に移動したんです」
「後で行くと言ったよな」
「えっと……私に何か話があったんでしょうか? もしかして、仕事でミスでもありましたか? 」
係長は私の腕を強く引っ張り、私を囲い込むように抱き締めてきた。
「や……止めてください! 」
係長からは、女物の香水の匂いとわずかに男臭い匂いが混ざり合った不愉快な匂いがした。嫌悪感で鳥肌までたってくる。
別に女物の香水の匂いが嫌な訳じゃない。男の匂い、嗅ぎ慣れない生暖かい温度を纏ったその匂いを生理的に受け付けなかった。
電車で痴漢にあった時のような不快感と、どうしようもない怒りで係長の胸を押し退けようとするが、係長はさらに強く私を抱き締め、あまつさえ頭に顔を埋めて鼻息荒く匂いを嗅いでくる。
「おまえが好きなんだ! おまえが会社に入った時から。昨日だって、おまえだと思ったから、だからあんなに……」
係長が何を言っているか理解できなかったけれど、告白されて気持ちを押しつけるように抱かれているのはわかった。
「私は笹本君と……天音君とお付き合いしています」
「あんな新人のガキ! おまえとは似合わない。第一、笹本に無理強いされて付き合ってるんだろ?あいつはしょっちゅうおまえを見ているようだが、おまえはそうじゃないよな。おまえは笹本なんか好きじゃない筈だ! 恋愛してる熱を感じないんだよ。なら、相手はあいつじゃなくてもいいだろ! 」
恋愛の熱量……って何だろう?
いわゆるトキメキというやつだろうか?
「私は天音君が好きですよ」
自分の声を耳から聞き、その言葉が頭に届いた。
係長の匂いには鳥肌がたつ。でも天音の匂いは安心する。一緒のベッドで安眠できるぐらいには、最初から嫌ではなかった。
係長に抱き締められると、まるで痴漢に触られている時のような怒りさえ覚える。でも天音に抱き締められても、くすぐったいくらいで自然でいられる。軽くキスされるのでさえ、その感触に違和感なんか感じない。
私の恋人は天音がいい。
天音じゃないとダメなんだ。
頭に届いた声が、ストンと心に落ちてきた。
他の誰だって天音と同じ距離でいることを許容できないんだ。ほら、こんなに気持ちが悪い。
「離してください。これはセクハラです」
「好きなんだ! 」
「私は中村係長のことは好きではありません。正直気持ち悪いです。奥様もいらっしゃるじゃないですか」
係長は抱き締めていた腕を弛め、私の顔を覗き込んだ。
「妻と別れればいいのか? 」
「そんなこと、一ミリたりとも望んでません。係長のことを異性として好きだと思ったことはありませんし、これからもないです」
至近距離で睨み合っているこの関係に、恋愛のレの字もないではないか?
何故わかってもらえないのか?
私をつかむ手の力が強くなった。
そのまま乱暴に布団の上に押し倒される。
「好きだ! 好きなんだ! 」
抵抗する手を纏めてつかまれ一括りにされる。身体が密着して、その熱に吐き気がした。というか、本当にもどしそうだ。胃液がもどってきて喉を焼く。
「高柳!! 」
口を半開きにし、赤い舌を覗かせた中村係長の顔が、眼前に迫ってきていた。
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