第18話 凛サイド~係長、意味がわかりません

「凛さん、ポテトサラダ食べれますか? 」

「うん? 食べれないの? 」

「人参が苦手なんですよね」

「しょうがないわね」


 お箸で摘まんで取ってあげようとすると、天音は定食についていたポテトサラダを一口フォークですくうと、私の口の前に持ってきた。


「あーん」


 天音の手ずから餌付けのように差し出されれたフォークを前に、私はピシッとフリーズしてしまう。

 カップル認知の為、なるべくお昼は一緒に食べよう、しかも見せつけるように社員食堂で……というのは、なるほどいい案だとうなづいた。

 それでも営業で外回りが多い天音とお昼がかち合うことは稀で、今回二回目のランチタイムとなった訳だが……。


 これ、本当に必要? 隣合って食べるだけで十分じゃない?


 ツンツンと唇をフォークで突っつかれ、しょうがないから口を開ける。人参だけじゃなく、普通にポテトサラダを口腔内に入れられ、ハムハムと咀嚼する。

 普通に美味しい。


「あ、凛さんのお弁当の肉巻き美味しそう」

「……食べる? 」

「いいんですか! あーん」


「あーん」返し……私には高度な恋愛技だ。しかも社食って。何かよくわからないけど、色んな場所からの視線が痛い。気のせいじゃなく見物されてる。さらに言うなら、見物人が増えてきた。

 元の目的は達成されているんだろうけど、私はあまりの羞恥に眉毛がピクピクしてしまう。


「凛さん、口開けてるの疲れます」


 そう言えば、少し前に希美の作ってきたお弁当を「あーん」とやらで食べていたっけ。このはそれが通常使用なのか。


「……あーん? 」


 しょうがないから、肉巻きをお箸でつまみ、天音の口の中に入れてあげた。


「凛は(さ)ん、美味しいれ(で)す」

「飲み込んでから喋ろうか」

「ひゃ(は)い」


 この二回のランチタイムでわかったこと。

 天音は人参とピーマンとパセリが嫌い。そして「あーん」が大好き……ということ。


 刺さるような視線を前後左右から受けながら、なんとかお昼を食べ終えた私と天音は、無料のお茶をおかわりして昼休みをまったりと過ごす。


「はは、いっぱい見られてますね」

「そう……ね」

「またいっぱい噂になりますね」

「そうね」


 私は友達も無駄話しをする人もいないから聞かれることはなかったけれど、天音は私との関係を色んな方面の人達から聞かれたらしかった。もちろん「付き合ってる」と答えたらしい。その話しが広まり、さらに今日お昼を一緒に食べているのを見た人達が、さらに噂を広めることだろう。


「……高柳君」


 視線を上げると、中村信吾係長が目の前に立っていた。苦虫を噛み潰したような顔っていうのは、こういう表情を言うんだろうな。


「はい、何でしょう」

「ちょっと話しがある」


 天音の方をチラリと見て、より眉の間の皺を深くする。


「仕事のお話しですか? 」

「まぁ……そうだ」

「そうですか……では」

「まだお昼休み時間ですよ。仕事の話しなら就業時間内でいいんじゃないですか? 」


 天音が心配そうに私の袖を引く。


「大丈夫、またね」

「はい、肉巻き美味しかったです」


 立ち上がり、係長の後について社食を後にする。こんな人でも上司である限り、逆らうことなんかできない。係長が向かったのは、第三会議室だった。会議室に入ると、係長は電気をつけてブラインドを下ろした。私はドアに背を向けて立ち、何やらイライラと歩き回る係長を見た。


「君は! 」


 思った以上の大声が出たのに狼狽えたのか、係長は咳払いをすると私のすぐ前までやってきた。


「君は、笹本天音と本当に付き合っているのか」

「何か、問題でも? 」

「問題……、問題か。この前の飲み会の時、君が飲み過ぎてしまったのは、同じ席にいた俺にも多少なりとも責任がある」


 多少なりとも責任があるというか、酔い潰そうとしたのは係長ですよね? 多いに責任があるのでは?


「それでだ、もしあの時に無理やり笹本に襲われたり、それを理由に交際を迫られたりしているのなら、正直に言ってくれないか」

「は? 」

「あられもない姿を写真に撮られたり……そういうことでは? 」

「は? 」


 係長のネットリとした視線が私の身体を這い回り、ゾワゾワとした嫌悪感に奥歯を噛みしめる。


「いや、笹本という男は、色んな女に手を出しているようだし、社内でも君以外に噂の女子社員もいたりするし、何より君よりずっと年下だ。そんな男に、しっかり者の君が引っかかるとも思えんしな。第一、君は……何だ……いや……俺にな、気がある訳だし」

「ハアッ?」


 一番意味不明な発言があったような。

 何を根拠にそんな話しになっているのか、本当に意味がわからない。


「君の気持ちには気がついていた。俺に妻がいるから、一生懸命俺への愛を抑え込んでいたんだよな。いや、何も言うな! 真面目な君のことだ。俺の家庭のことを一番に考えてくれたんだろう。でもな、そんなことは些細なことだ。本当に愛し合う者同士、そんなことに囚われるべきじゃない!なあ、そうだろう!! 」


 係長は、私の肩をむんずとつかんで揺さぶる。その勢いで頭が上下し、まるでうなづいているようになってしまう。


「やはりそうか! ああ、じゃあやっぱり笹本には脅されたか何かしたんだな」

「ちょっと待って下さい。さっぱり意味がわかりません」

「いいんだ。何も言うな! 」


 係長にギュウギュウと抱き締められ、あまりのことに硬直してしまう。鼻息の荒さが首筋にかかり、全身が総毛立つ。


「高柳……いや、凛」


 耳元に唇を寄せられ、耐えきれずに係長を突き飛ばした。


「止めて下さい!! 私のお付き合いしているのは笹本天音君です。脅迫されてとかではありません」

「いいんだ、そんな嘘は」


 よろけた係長は、すぐに体勢を整え、ジリジリと近寄ってくる。

 そこへいきなりドアが開き、女子社員が二人入ってきた。


「あれ? 係長と……高柳さん。ウワッ! こんなところで逢い引きですか」


 営業事務の希美と春香だった。


「希美、何言ってるのよ。どう見てもセクハラじゃない」

「春香ちゃんわかってないな。大人の恋愛の駆け引きよ」


 何やら意味不明な掛け合いをし始めた二人を横目に、私は「失礼します」と軽く頭を下げて会議室を足早に飛び出した。



 私があまりの気持ち悪さに珍しく表情を崩していたその時、第三会議室では係長と希美が笑顔で向かい合っていた。


「さすがです、係長。高柳さん係長にメロメロじゃないですか」

「そ……そうかぁ? 」

「そうですよ。高柳さんの係長を見る目でわかります。天音君との噂だって、係長とのことを隠すデマですよね」

「そうだよな。でも、実は笹本が無理強いしてるんじゃないかって心配も……」

「やだ。天音君に限ってそんなことしませんよ。彼、すっごく優しいから高柳さんに協力してあげてるだけですってば。ほら、隠れ蓑? 的な」

「なるほど! 」

「……違うと思うけど」


 春香がボソリとつぶやき、会議室に来た要件をすまそうとテーブルのセッティングを始める。


「係長、邪魔です。午後一でここ使うから机を並べておくようにって言ったじゃないですか。そこに立たれると、凄く邪魔。希美もくだらない話ししてないで手伝って」


 春香は、淡々とした口調で言いながら、一人黙々とテーブルを動かし、椅子を並べていく。


「ああ、そうか。そうだった」

「朝イチで私達に言ったの係長ですよね」


 春香の無表情は、はっきり言って怖い。人を寄せ付けない冷たさがある。しかも、口調まで淡々として機械的だ。可もなく不可もなくという容姿だが、そんな春香に好んで近寄っていくのは、自己中街道まっしぐらの希美くらいだろう。もしくは、彼女の趣味仲間くらいなものだ。


 可愛らしい希美には興味があったが、正直扱いが難しそうな春香にはあまり近寄りたくなかった係長は、「よろしく頼む」と一言残して会議室から出て行った。


「係長を煽ってどうするつもり?」

「別に~、収まる所に収まって欲しいだけよぉ。だって、係長と高柳さん、天音君と私の組み合わせの方がしっかりくるでしょ。年齢も見た目も」

「そんなもんかね」


 三次元は怖いなと、春香はあえて関わりをもとうとしなかった。希美が何を考えようと、係長が妄想にとりつかれていようと、自分の世界に入ってこなければ、どうでもいい。


 小出春香、実は二次元にしか興味のない女であった。


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