第15話凛サイド~満員電車
天音は私の手を握ったまま、人混みの流れに乗るように駅に向かった。
「有栖川さん、榎本君に押しつけて大丈夫だったかしら? 」
「大丈夫ですよ。何かあってもそれは自己責任で。大人ですから」
二十後半の自分からしたら、まだ二十歳そこそこの彼らは大人というには幼く見えた。希美のあの態度も、学生の延長にしか見えなかったし、それを希美に注意してあげる程親切にはなれなかった。
「笹本君、もう少し人との距離をとった方がいいんじゃないかしら」
「天音……です。手……つないだらまずいですか? 」
天音はシュンと項垂れて、手を握ったり離したりしている。
希美には社会人としての自覚を促す義理はないが、天音にはおせっかいかなと思いながらも、つい一言言ってしまった。ただ、それがさっきの居酒屋でのことではなく、今、自分と手をつないでいることに対しての苦言と受け取られたらしいが。
「まずくはないけど……」
実際、天音と手をつないでいても不愉快な気持ちにはならなかった。裸で一夜を過ごすという衝撃的な出来事に比べれば、手をつなぐなんて可愛らしいお遊戯くらいにしか思えない。何より、通常の天音から性的な匂いがしないというのも一因かもしれない。
「けど? 」
「TPOをわきまえて……ということよ」
「こうして、凛さんと二人の時はイチャイチャしてもいいってことですね」
恋人つなぎにされ、指をキュッと締められ、思わず耳が赤くなる。
「そうではなくて、さっきみたいに他に会社の人がいるところで、有栖川さんとベッタリするのはどうかって……」
「ヤキモチ! やいてくれましたか? 」
嬉しそうにすり寄ってくる天音から、戸惑うように視線をそらす。
ヤキモチ?
見ていて鬱陶しいとは思ったけれど、それは目の前で見知らぬカップルがイチャイチャしているのを見せつけられる不快感と大差ないような気がする。
天音のことは嫌ではないし、可愛いとも思う感情は芽生えてはいたが、異性としての愛情とかにはまだ発展していなかった。ただ、ほんの少し胸の奥がチクッとした……かもしれないが。
「そういう感情はわからないわ」
「そう……ですか。いいです、ヤキモチなんかやかないほうがいいですもんね。僕、凛さんのことを大事にしたいから、これからは気を付けます。ノーと言える大人を目指します! 」
「はぁ……、まあ、頑張って」
何にせよ、「ノー」が言えるということは大事だ。大人を目指すって、やっぱりお子様なのかと思いつつJRに乗り込んだ。
まだ最終には早い時間だったが、そこそこに電車は混んでいた。
朝の通勤は女性専用車両を使っているから良いのだが、飲み会などがある時などの帰りは最悪だった。酔っぱらいにからまれたりわざと身体を寄せられたり、痴漢被害も多かった。今日は天音が一緒だから、いつものよりはゆったりとした気分で乗ることができた。
「けっこう混んでますね」
天音は見た目はなよっとしているのに、きちんと私を守るように囲って立ってくれていた。ヒールを履いているから、身長があまりかわらなくて、顔の位置が近いのが少し気まずい。
「凛さん、痴漢とかに気をつけてくださいよ。朝はちゃんと女性専用車両乗ってくださいね」
「乗ってます」
「さすがです」
「でも女性は女性専用車両があるからいいですよね」
「そうね」
「本当に羨ましい」
何やら心の底からのつぶやきに聞こえて、天音の顔を真っ正面から見つめてしまう。天音はいつもの天真爛漫な笑顔ではなく、少し困ったような情けない笑みを浮かべた。
「ハハ……、何でか僕って痴漢に会いやすいんですよね」
「……痴女? 」
「……どっちもです。そんなに女顔ですかね? いや、スーツ着てる時もだから、そういう趣味の人に狙われやすいのかな。知らないオジサンに鼻息荒く尻もまれたりとか、マジ鳥肌なんですよ。女性専用車両に乗りたいです」
「あぁ……」
そこら辺の女子よりもよっぽど可愛らしい顔立ちの天音は、変態の餌食になりやすいのかもしれない。……何ていうか不憫だわ。
「今度、痴漢撃退グッズをプレゼントするわ」
「ありがとうございます」
可愛らしい男子というのも、それなりな悩みがあるらしい。これだけ可愛らしい天音だから、私と同じような苦悩があるのかもしれない。親近感を覚えてしまう。
天音に守られてるうちに最寄り駅につき、吐き出されるように電車から下りた。
「ありがとう。登りは向かいのホームよ」
「ここまで来たんですから、家まで送りますよ。最終までまだあるから大丈夫ですよ」
「でも……」
「酔っぱらいも多いし、ちゃんと送らせてください。彼女を送れるのは彼氏の特権なんだから」
私は時刻表に目をやり、最終電車を確認する。まだ一時間くらいはあるみたいだった。
「本当にいいの? 」
「もちろんです! 」
改札を出て、深夜なのに騒がしい商店街を抜ける。
学生が集まって騒いでいたりして、少し前まで天音もこんな感じだったんだろうか? と目を細めて見た。
「凛さんも学生の時はあんな感じでしたか? 」
「だと思う? 」
「……思わないかも」
「あなたはあんな感じだったんじゃない? 」
「どうですかね。まぁ、回りは騒がしかったかも」
学生達の「うわッ! すげー美人」という声を背中に聞きつつ、商店街を抜けて大通りに出る。
しばらく歩くと、それなりに見映えのするマンションの前についた。
「ここ? 」
「ここよ」
「あ、ちゃんとオートロックだ」
「帰り道わかる? 」
「わからない……って言いたいけどわかります」
天音はするりと手を離してくれた。
「ありがとう」
「どういたしまして。凛さん、中に入って下さい。そしたら戻りますから」
「うん……、じゃあ気をつけて」
深夜バスに乗るのなら、せめてタクシー代くらい渡してあげるべきかと悩んでいる間に、天音は私の背中をトンと押した。
「おうちついたらラインくれる?」
「わかりました。でも待たないで寝て下さいね」
「明日は休みだし、すぐには寝ないわ」
「じゃあ……電話してもいいですか? 寝てたらなんなんで、ツーコールで切りますから」
「わかったわ」
母親以外からの電話というのは滅多にない。無言電話とか、一方的な告白の電話とか……そういうのは出ないようにしてるが……はあるが、友達や彼氏がいたことがないからスマホで通話すること自体稀だ。稀どころか初めてかもしれない。
私は再度お礼を言うと、オートロックを開けてマンションに入る。ドアが閉まり振り返ると、天音が大きく手を振ってから駅の方へ歩いて行くのが見えた。
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