第8話 凛サイド ~まさかの遭遇
うん 、あの驚き様! 昨日は何もなかった!!
私はホッとして僅かに笑みを浮かべた。
もし万が一にでも身体の関係をもっていたとしたら、天音がさっきみたいな発言をする筈がないからだ。
なにせ、私はバージンだ。
バージンの女に、彼氏とラブホ来たことないの? とは聞かないだろう。
あれ?
もしかしてさっきのってセクハラ発言?
会社の上司に言われたらセクハラかもしれないが、どんな経緯があれ一応付き合っている相手になるのだから、セクハラにはならないだろうと思い直す。
「凛さん、飲み物代くらいは僕に出させてください」
一階の受付に鍵を返した時、飲み物代を請求されてお財布を出そうとしたら、天音が先にお札を受付の小さい窓に押し込んだ。
「……でも」
「凛さんは今は僕の彼女なんですからね。先輩は封印してくれないとです」
彼氏・彼女という括りはよくわからない。今まで一方的に恋愛感情を押し付けられるだけで、とにかく逃げ回っていたから。
私はおごられるのが苦手だ。
下手にご馳走してもらうと、何を要求されるかわかったものじゃないから、自分が全部出すかきっちり折半。プレゼントの類いは受け付けたことはなかった。
「でもやっぱり半額は……」
「高柳? 」
聞き覚えのある声が聞こえて、恐る恐る振り返ってみると、目を見開いて私達を見つめる係長……中村信吾が一人で立ち尽くしていた。
こんな場所で出会いたくない相手ナンバーワンかも。
というか、なんで一人なの?
「あ、係長。おはようございます」
あまりの出来事に、いつも以上の無表情で係長を見つめてしまった私の横で、いつもとかわらず人懐っこい笑顔の天音が、まるで会社で朝会ったかのような挨拶をかわした。
「えっ……あぁ、おはよう」
「係長も会計ですか? 僕達はもう終わったのでどうぞ。凛さん、朝ごはん食べに行きましょう。僕、おなかぺっこぺこです。じゃあ、お先に失礼しまーす」
「おい、ちょっと待て! 」
追加会計がなかったようで、鍵だけを返した係長は、ラブホテルを出ようとした私達を追いかけてきた。
「どうしました? 係長もおなかぺっこぺこなんですか? 」
「いや、っつうか、おまえら……」
三人共昨日と同じスーツでヨレヨレしているし、男性陣は寝癖もついて、係長にいたっては無精髭がうっすらはえている。いわゆるラブホテル街で、いかにも朝帰りですという風体で立ち話しもどうだろう?
「……昨日、高柳……飲み過ぎてたよな? それで泥酔して笹本に?えっ? お持ち帰りされちゃった訳? 」
「やだなあ、係長。確かに凛さん飲み過ぎてたし、介抱したのも事実ですけど、お持ち帰りされちゃうような軽い女の人じゃないですよ」
頬を膨らませて言う天音は可愛らしいし、私のことを庇った発言なのはわかるけど、係長と遭遇した場所が悪すぎるし、第一まだラブホテルの前である。
「……あの、場所かえません? 」
「そうですよね。おなかぺっこぺこですもんね」
天音はするりと私の腕を取って歩きだす。
それは男女の……というより仲良しな女子達がよくするような腕の組み方で、あまりに自然過ぎて私も咎めることなく受け入れてしまった。TPO的には間違っている気がするが……。
三人で入ったのは、駅ビルの並びにあった喫茶店だった。
モーニングがあるからか、まだ朝は早い筈だがそれなりに人が入っている。
私と天音はモーニング、係長はコーヒーを頼んで、空いている席に座ろうとして座り順に悩む。四人席だが、そんなに広い訳じゃない。ソファー側と椅子席二つ。上司を椅子席に座らせるのもなんだし、狭いソファー側に男二人並んで座らせるのも……。
「係長、奥どうぞ」
天音が係長に声をかけ、ソファー側に座らせると、自分は係長の前の椅子に座る。
「凛さんもどうぞ」
天音が椅子をひいて、隣りの椅子をポンポンと叩いた。
「ああ、うん」
これがベストね。
私が姿勢よく浅めに腰かけると、天音がトーストされたサンドイッチにかじりついた。
「おいひいでしゅよ。凛さん」
「飲み込んでからしゃべりなさいな。いただきます」
コーヒーを飲む係長の前で、黙々とサンドイッチに口をつける。天音はよほどおなかがすいていたのか、私が半分食べたくらいで食べ終わってしまった。
「うーん、腹八分いかないや。五分くらいだな。もうちょい食べようかな」
「まだ入るの? 私のいる? 」
「いいんですか? 凛さん優しい。いただきます。あ、これ美味しかったですよ。一口だけでも食べてみてくださいよ」
どうぞと口元にサンドイッチをもってこられる。これは、アーンしろということ?
固まったままサンドイッチを凝視していると、サンドイッチで口をツンツンとされた。
「本当に美味しかったですよ。ほら、アーン」
彼氏・彼女って、こういうことするって知識としてはあるけれど、上司の前ですることじゃないわよね?
係長の視線も私の口元をガン見している。
「わ……私は……」
喋る為に開いた口にサンドイッチを入れられ、思わず噛みちぎってしまう。
「ね? 美味しいでしょう? 」
私のかじったところをパクッと頬張りながら満面の笑みを浮かべる天音の顔を見ていると、邪気のない笑顔ってこういうのを言うんだろうなと思ってしまう。
「ゴホン……、ああー、おまえら……君達は昨晩は……」
私はまだサンドイッチが口に入っているから喋れず、天音がキョトンと首を傾げる。
「係長こそ何で一人であんなとこにいたんですか? あ、女の子に逃げられちゃったとか? 」
「な! 」
「だって、昨日飲み会の後で宮内さんと女の子二人組と歩いていたでしょ? ナンパしたんですか?」
「ナンパじゃ……。あの子らとはちょっと話しただけで。って、何で知ってるんだよ。ああもう! 俺のことはいいんだ」
「ええ? じゃあ一人であんなとこに入ったんですか? 一人で泊まれるんですか? 一人で何するんですか? 」
無邪気な笑顔で問いかけられ、係長はウグッ……とつまっている。もうほとんど入っていないコーヒーを飲み干し、苛立たしそうに眉間に皺を寄せた。
「僕達は緊急避難で入っただけですけど……。わかった! 出張ってやつですか? デリヘ……」
「笹本君、最近はああいう場所で女子会をやるって聞いたことがあるわ。一人でも泊まれるのよきっと。ですよね? 係長」
「ああ……まあ……そうだな」
あんな場所に出張って、会社から出張費用が出ると思っているのかしら? いくら会社の飲み会だといってもあり得ないでしょうに。
天音の言った出張を会社の出張と勘違いした私は、天音の勘違い(勘違いではないのだが)を嗜めつつ、雑誌で読んだラブホテルで女子会ネタから必ずしもラブホテルで男女がああいうことをするだけの場所じゃないとアピールする。
「一人で泊まるなら、カプセルとか、ほら、近くにありますよ」
確かに、喫茶店の斜め前に、カプセルホテルの看板が出ていた。
「きっと、広々と寝たかったのよ。ですよね? 」
「おう……」
「なら、タクシーで家に帰ればよくないですか? 係長の家、隣りの駅ですよね? ワンメーターじゃないですか? 」
「家に帰りたくない時もあるのよ、きっと。ああ、奥様が実家に帰っているっておっしゃっていたから、誰も待ってない家に帰りたくなかったのかしら? ねえ、係長」
「ぉぅ……」
「私達は、さっき彼が言ったように緊急避難(係長達と出会わないように)として利用しましたが、係長は広々としたベッドで一人で寝てみたかったんですよね? ラブホテルといっても、何もカップルだけが泊まる訳じゃないわ。実際私達は別になにもなかったものね? (お互いに素っ裸で寝ていたけど)」
確認するように天音の方を向くと、天音は膨れっ面をしてみせる。可愛いけど、社会人の男性のする表情じゃない。
「確かに僕達は何もなかったけれど……」
やっぱりね!
安堵のあまり表情がゆるみそうになった途端、天音が爆弾発言を落とした。
「僕達は付き合ってるんだから、カップルとして泊まったんでしょ」
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