第3話天音サイド ~非常階段

 僕の入社した会社には、凄まじく美人な先輩がいる。

 ハーフ……なのだろうか? 純然たる日本人ではないと思う。モデルも裸足で逃げ出しそうな抜群のスタイルは、あまりに完璧過ぎて三次元に生きているって信じられないくらいだ。

 顔は……もうパーフェクト過ぎて、拝みたくなるくらい神々しい。女神って存在したんだなって、人に言ったら笑われそうだけど、マジで思った。

 あまりに人間離れした美貌の先輩は、常にクールで感情を表に表さない。

 まるで人形のように動かないその美しい顔。笑わないかな? 怒らないのかな? 泣かないのかな? と、ちょこちょこ視線を向けてみるけど、決して視線が交わることはなかった。


 鉄壁の無表情。


 でもね、実は僕も先輩と同類なんだ。いつでもニコニコ笑顔で、みんなから可愛いなんて言われて可愛がられてるけど、いい年した男が可愛いって言われて嬉しい訳ないじゃん。性別不詳だよね、流行りのジェンダーレス男子だよね……とか言われても、僕は正真正銘男だし、化粧してる? って、してる訳ないじゃん。

 言われる度にムッとするけど、常に笑顔。笑顔意外の表情なんか忘れた。


 感情を表さない表情……。

 先輩と僕、対極みたいだけど、その実は似てると思うんだ。


 ★★★


 あれって……セクハラだよな。


 斜め向かいの席に、係長と凛が座っている。背筋がピンと伸びた座り姿は、後ろ姿だけど凄くキレイだ。表情は見えないけど、きっといつも通りの無表情なんだろう。

 一年先輩の宮内がお酒を作っているようだけど……、あれって嫌がらせ? なんか、酒の比率がおかしい。

 テキーラサンライズを作ってるんだろうけど、ほぼテキーラじゃないだろうか?

 宮内はキョドったように係長に目をやり、係長は凛に見えないように煽るように手を動かしている。それに合わせるようにいれられるテキーラ……。


 凛の後ろ姿に泥酔した様子は見られないけど、荷物片手に立ち上がった時に僅かに壁に手をついた。


 よろけた?


 相変わらずの無表情だけど、顔色はほんのりピンクに染まっていた。……やっぱり酔っぱらっているんだろうか。


 回りの女子社員に満面の笑顔を向けつつ、「お手洗い行ってきまーす」と鞄片手に席を立った。


 この店はトイレが店の外にある。店を出ると、壁に寄りかかるように凛が目をつぶって立っていた。何て言うか……、ついフラフラと顔を寄せ、僅かに開いた唇に唇を押し付けてその口腔に舌を捩じ込みたい……そんな劣情が湧き出てくる。

 性別不詳って言われる見た目のせいか草食扱いされるし、実際にすり寄ってくるような女の子に性欲なんか湧かないけど、高柳凛に関してはそれは当てはまらないようだ。


 近寄って顔を寄せると、お酒の匂いと共に凄く良い香りが鼻を擽った。香水ほどきつくない、リンスの匂いだろうか?

 つい、顔を近づけて匂いを嗅いでしまうと、凛の閉じられた目がゆっくりと開き、僕の視線と絡んだ。いつもなら絡まない視線に、熱量を感じるのは、酔っぱらっているせいだろうか?


「高柳先輩、どうしました? 」

「……笹本君」

「具合悪いんですか? 水もってきましょうか? 」

「……大丈夫。少しここにいれば……ね」

「でも……」

「迷惑かけたくないの。……ふぅ、少し酔っぱらったのかしら。そんなに飲んだつもりはないんだけどね。笹本君はトイレに出てきたんでしょ? 私は大丈夫だから」


 トイレの方向へ肩を軽く押され、凛も店の方向へ歩き出そうとし、フラリとよろける。


「先輩! 」


 瞬時に近寄り、後ろから凛の細い腕を掴んだ。なんとか転倒を免れるが、ズルズルと膝の力が抜けたように凛は床にへたりこんでしまう。


「立てますか? 」

「……」


 凛の返事はなく、クテッと座り込んだまま動かなくなってしまった。


 どうしよう?


 店に戻って先輩に助けを求めようか?


 しかし、わざと強い酒を飲ませていただろう係長に、泥酔した凛を託すのは危険だと思った。これだけ意識がないと、女性の先輩だけじゃ運べないだろうし、凛の仲の良い女子社員も知らない。きっと上司の権限を振りかざして、係長が凛をお持ち帰りしようとするだろう。


 取り敢えず、一人で帰れるようになるまではついていてあげたい。


 廊下の突き当たりに非常階段の扉を見つけ、凛の脇の下に頭を入れ、身体を引き寄せるようにして起き上がらせた。そのまま非常階段の方へ歩き、扉を開けて外に出る。下にハンカチを敷き、扉に背中を預けるようにして座らせた。昼間は上着一枚くらいの過ごしやすい気候になったが、さすがに夜は肌寒い。上着を脱いで、凛にかけてあげた。


 いつ目を覚ますだろうか?


 ここぞとばかりに凛の顔をじっくりと眺めた。


 睫毛で影ができるって、どんだけ睫毛が長いんだろう。

 鼻の穴が縦長だ。鼻高過ぎだろ。

 唇がプルンプルン。

 首ほっそ!! アンドなっが!!

 華奢な肩だな。

 ……これ(バスト)は……まあ……外人レベル?(何カップあるんだ? )

 足長くて細いな。

 ちゃんと食ってるんだろうか?

 規格外のバスト意外は、かなり細過ぎるよな。

 

 とりあえず見るだけ。触れたいって思わなくもないけど、ここで手を出しちゃったら係長と同類になってしまう。


 あまりにジッと見たせいか、凛がうっすらと目を開けた。


「……さ……笹本君」

「良かった。目覚めましたね。先輩、いきなり動かなくなっちゃうから、ちょっと緊急避難中です」


 凛は辺りを見回し、非常階段にいることを理解したようだ。自分にかかっている上着に気がつき、慌ててそれを僕に差し出した。


「ごめんなさい。ありがとう」

「水、持ってきましょうか? 気分は悪くないですか? 」

「大丈夫。ちょっとここで涼んで行くわ。笹本君は戻って」

「変な奴が来たらこまるじゃないですか。僕、ついてますよ」


 凛の横に腰を下ろし、誰からもお墨付きをもらう天然無害な笑顔を浮かべてみせた。

 もちろん、間を開けてパーソナルスペースはきっちり確保しておく。それでなくても他人をよせつけなくて、警戒心の強すぎる人だから、無理に近い距離に入って嫌われたらたまらない。


 特に話しかけるでもなく、凛の横顔をチラ見する。

 酔っていても相変わらずの無表情。僅かに緊張したように見えるのは、僕を警戒しているからだろうな。でも、笑顔をそのままに、なるべく“無”を装っていると、自然とまた瞼が下がって微睡み始める。


 しばらくそうして穏やかな空気感を楽しんでいると、バタバタする足音と声が聞こえてきた。


『係長、高柳さんトイレにはいませんよ』

『まじか? 』

『荷物もないし、帰ったんじゃないですか? いつの間にか天音君も帰っちゃってるし最悪~。それじゃあ、私達も失礼しま~す』


 ヒールのカツカツ響く音が遠ざかり、横を見るといつの間にか覚醒した凛が口元に人差し指を当てて小さく「シーッ」と呟いた。


『係長、飲ませ過ぎですよ。ヤバくなる前に帰っちゃったんじゃないですか』

『阿保ォッ! もっと泥酔するくらい飲ませろって言っただろ』

『犯罪の片棒は勘弁してくださいよ』

『バッカ! 合意だ! あいつは俺のこと好きなんだよ。だからいつも俺の横に座るんだ。クソッ、せっかく今日は杏佳がいないのに。だいたいあんな男好きする身体して彼氏いないって、取っ替え引っ替えヤりまくりだからだろ。その中の一人になってやろうと思ったのに』

『係長、最悪っす。諦めて帰りましょうよ』

『冗談じゃねえよ。よし、女ひっかけるぞ。宮内付き合え! 』

『勘弁してくださいよ~』


 足音が遠ざかって行き、凛を見ると僅かに眉が寄っている。


「……ふざけるんじゃないわよ。誰が係長が好きですって? 毎回横に座らせられるのは、ただの嫌がらせよ。我慢大会よ。私の意思じゃない」


 無表情のまま淡々と呟いているが、冷気のようなものが流れ出ているようで、さすがに僕の笑顔も凍りつく。


「取っ替え引っ替えヤりまくり?バッカじゃないの?! 万が一、億が一そうだとしても、誰があんな男! 絶対に有り得ない! もし次に私にちょっかいだしてきたら、セクハラで訴えてやるわ」

「……高柳先輩……先輩? 」

「ええ、そうだわ! 笹本君、あなたも今のは聞いたわよね? もし私が係長をセクハラで告発するとしたら、あなたも今の話しを証明してくれるかしら? 」

「まあ、それは……」


 正直、せっかく入社した会社だし、できれば専務の娘婿に喧嘩を売りたくはない。


「……あのですね、立ち入ったことをお聞きしますが、高柳先輩彼氏とかは? 彼氏がいるアピールすれば、必要以上に係長にまとわりつかれたりしないんじゃないでしょうか? 」

「彼氏なんか、二十六年間いたことはないわ」

「好きな人とかは……? 」


 凛の美貌なら、彼女とかがいる男でも何とかなるんじゃないだろうか?

 奥さんがいる相手はオススメしないが、略奪愛とかも可能だろう。つまりは、ほんの少し食指を動かすだけで、男も女も凛に夢中になる筈だ。


「いたことないわ」

「そう……ですか。高柳先輩に彼氏さえできれば、ある程度回りも落ち着くと思うんですけど」


 凛は何か考えるように黙り込むと、スクリと立ち上がった。そして、お尻に敷かれていたハンカチに気がつき拾い上げる。


「これ……笹本君の? 」

「ああ、はい。スカート汚れませんでしたか? 」

「うん、大丈夫そう。ありがとう。洗濯して返すわ」


 凛は丁寧にハンカチを畳み鞄にしまうと、僕に向かって手を伸ばした。その手を掴んで立ち上がると、初めて凛の表情が動いたのを目にした。ほんの僅かの瞳の揺れは、心もとなそうな不安気な表情を一瞬覗かせる。しかしすぐに無表情に戻ると、僕に一つの案を提示した。


「……もし、あなたに彼女とか特定の人がいなければなんだけれど、彼氏のふりをしてくれないかしら」

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