第3話:そして、 きっとまた、 歌い出すに違いないのだ。
血を吐いて、
病院に担ぎ込まれた。
検査の結果、
同時多発的な病巣の転移が認められ、
治療ではなく緩和ケアを打診、
余命を告げられた。
それは、
絶望的なほど短いものだったけど、
十分だ、
僕はそう思った。
少しでも、
少しでも近づくことができたら、
それでもう、
十分なのだ。
ではないか?
生活上の諸々の案件については、
今は何も言いたくない。
仕事のこと、
家庭のこと、
お金のこととか、
もちろん色々あった。
でも、
今、
人生の終わりにあたり、
語りたいのはそのことじゃない。
僕は小説を書いた。
ノートパソコンで、
スマートフォンで、
時に紙に書き付けて。
体調は、
当然悪かった。
しかし僕は、寝る暇も惜しんで書いた。
書きたいものは、無数にあった。
すべてを書くことは、
もちろん不可能に違いなかった。
しかしそれで良かった。
書いて死ぬ。
書き続けて、死ぬ。
その姿勢が、僕には重要だった。
書き続けることが、重要だった。
小説を書く、
僕はその生き方を最後に選んだのだ。
書き残したものを思い、
悔し涙に溺れながら絶命する、
そういう人間となることを、僕は選んだのだ。
小説を書き続けることが、
書き続けることそのものが、
表現なのだ。
弾き語りは、
その曲や歌詞を届けたい訳じゃない。
乱暴かな?
でも断言する。
床に座り込み、
ギターを大切に抱え、
それを爪弾き、掻き鳴らして、
声を振り絞る、
そのこと自体が重要なのだ。
それこそが表現なのだ。
下手かも知れない。
聞き苦しいかも知れない。
通行人に「うるせえっ」とギターを蹴っ飛ばされ、
僕自身も暴行を受け、
つばを吐きかけられても、
僕は呻きながらギターのところまで這って行き、
大事そうに、
ギターを抱え直し、
座り直して、
そして、
きっとまた、
歌い出すに違いないのだ。
ものが完全に食べられなくなった。
時どき血の塊を吐いた。
僕は小説を書き続けた。
栄養状態が悪くなり、
考えること自体が難しくなった。
また苦しさに意識の全域が占領されて、
書けないことも多くなった。
消化器官からの出血が続いていて、
酷い貧血に悩まされた。
輸血してもらうと少しだけ具合が良くなったが、
その日の夜は決まって血の塊をたくさん吐いた。
それでも体調の許す限り、
僕は書いた。
こう書くと悲愴な感じがするが、
僕は書いてる時、
何だかいつも笑顔でいるらしく、
楽しそうですね、
嬉しそうですね。
と看護師さんに声を掛けられることが多かった。
楽しいです、
ありがとうございます、
嬉しいです、
すごくしあわせなんです、
僕はろれつが回らなくなった口で、
弱々しい息で、そう答える。
小説と出会えて、
僕はとてもラッキーなんです、
こうして書く時間ができて、
すごくしあわせなんです。
そう僕は、
美に仕え、
そしてそれを自らの手で表現することを、
その喜びと、光栄とに浴することを許されているのだ。
そしてそれは何も、僕だけに限ったことではなく、
言葉を知る人すべてに、等しく、完全に許されていて、
だから、——
人生はやはり素晴らしい場所なのだと、
僕は言わずにはいられないのだ。
眼が見えなくなった。
起き上がることが出来なくなった。
酷い褥瘡が腰にできて、
でも薬のせいで、何も分からなかった。
もう字を書くことなんて出来なかったけれど、
先の丸まった鉛筆を、
右手に握らせてもらって、
枕元に、
紙まで置いてもらって、
僕はしあわせだった。
よかったね。
若い看護師の声がした。
きっと僕は、笑っていたんだろう。
あと、
どれくらい書けるだろう?
どれくらい、
あなたに近付けるだろう?
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