第4話:コードブルー、ハヤクシロ、コードブルー、ハヤク、……
どちらが夢なんだろう?
どちらかが夢なんだろう。
僕は白く光る空の下、
鮮やかな色彩の草原を、
裸足で走っている。
いや、
中学校の校庭のトラックを走っている。
いや、
青空の輝きを反射する、水溜まりを飛び越えて。
或いは、
泥が跳ねる、そのぬかるみに足を取られて。
ストレッチャーに乗せられる。
ここが、
入院している病院の廊下だと分かる。
しかし、
眼はもう見えない、身体の感覚はもう無い。
コードブルー、ハヤクシロ、コードブルー、ハヤク、……
僕は、動かないハズの眼を開ける。
見えない眼で、
地平で区切られた巨大な天蓋を、
頭上を覆い尽くす壮大な半球を、
圧倒的な高度で真っ青に抜ける、
その広大な、
ああ、その広大な、青空を見る。
僕は、
この大地を二本の足で踏みしめ、
そして、
羽ばたくように、両腕を大きく拡げ、
その、
きらめく瞳で、青空を見上げる。
この天蓋の、半球の、
反対側、
世界の底の方を、
巨大なドラムスティックで、
誰かが思いっ切り叩いている。
凄まじい連打に青空がかすかに震え、
こめかみが、
頭が痛くなるほどだ。
ハッとする、
カチャカチャという金属の摩擦音、
背中を揺する振動、
〇〇〇サン、キコエマスカ、ガンバッテ、モウスグ、……
そうだ、
もうすぐだ、
僕は、走り続ける。
息が……、
少し前から息ができないことにオレは気付く。
……苦しい。
でも走るのを止める訳にはいかない。
もうすぐだ。
もうすぐだ、僕は、ずっと、……
胸が、痛い、……痛いのか?
心臓が激しく鼓動し、
脈打ち、
ああ、
なんていう、
僕は、
期待で、
そのトキメキのせいで、
胸が、
今にも張り裂けそうじゃないか。
僕は、
遥か地平まで続く広大な草原の、
いや、
荒れ果てた荒野の真ん中に立って、
たった一人で、
彼女の、前に、立っている。
彼女、
彼女、……?
女性なのか?
人間なのか?
それは圧倒的な、
真っ白な光芒に包まれ、
直視することが出来ない。
しかし、
見えないそれが、
この世界でもっとも美しいものであることは、
僕にも分かる。
父なる男性の姿?
それとも、
母なる女性の姿?
あるいは、
まだうら若き、乙女の姿?
ひょっとして、
まだ初潮を迎える前の、少女の姿?
その姿は、
この僕には、
あ、
あまりに眩しくて、……
女神、
そう、その女神の前に立っている僕は、十三歳の時の姿だ。
それも、
一糸まとわぬ、
子供のような伸びやかな肢体を、
無垢で健やかな四肢を、彼女の前に晒して、
だって、
衣服など、この場に至って、いったい何の意味があるというのか?
あの日、
初めて創作という道程を歩き始めた、
憧れと共にその一歩を踏み出した、
十三歳の、
小さな、……
僕は「美」の前に、
膝を折って大地にひざまづき、
両手で胸を押さえて、
声を上げて泣く、
両手を「光」の方へと精いっぱい伸ばして、
泣き叫ぶ。
僕は、
ずっとこうしたかった、
この日を夢見てきた、
この時に恋い焦がれてきた、
あなたの前に膝を折り、
許しを請い、
泣きながら、
愛を告白したいと、
僕は願望し続けた、
あなたを想い、
眠れぬ夜を過ごし、
時にみずからを汚して、
狂ったってしまったんだ、
少年の日、
僕は「美」を知り、
その「美」を手に入れたくて、
その「美」になってしまいたくて、
ちっぽけな自分を顧みることなく、
非力で醜い自分を振り返ることなく、
夢中になってあなたを追い駆けた、
そしてあなたは、
決して、
ああ、
決して、
ぼくの手には入らないのだ、
心臓は聞いたことの無いほどの速さで鼓動し、
早鐘を打つように体内をガンガンと響き渡り、
そして、
空を震わせ、
地に轟いて、
僕は、
興奮に、
歓喜に、
息が、
出来ない、……!
僕は、
大振りのナイフを自分の胸に突き立て、
祈るように、
その柄を両手で握り締め、
自分の胸を、
縦に、深く、切り裂く、
血液がほとばしり出て、
僕は、愛しさを抑えることが出来ずに、
声を上げて泣いて、
しかし「美」は白く輝き、
直視できない程の
僕は絶望に髪を振り乱し、
両手をその傷口に挿し入れ、
肩を怒らせ、
肘を張って、
唸り声を上げながら、
胸を、
自らの手で引き裂き、
さらに、
右手を胸の中に乱暴に突っ込み、
血管を引きちぎり、
無理矢理に、
赤く、
血液の滴る、
脈打つ心臓をこの手で摑み出す。
僕は、
小説を書いている、
僕は、
あなたを愛している、
僕は、
あなたにすべてを捧げたい、
僕は、
あなたにすべてを捧げて死にたい、
僕は、
死ぬことで、
あなたへの愛を証明したい、
僕はその心臓を、
僕の愛の中心を、
痩せこけた手で、
彼女に差し出す、
血と埃とで黒く汚れた頬を、
涙に濡らしながら、
あなたが好きだ、
あなたに仕えることが出来て、
僕は幸せだった、
あなたのために死ぬことが出来て、
僕はうれしいんだ、
僕は死ぬ、
あなたは決して僕のものにならない、
愛してる、
息が出来ないくらい、
愛してる、
言葉にできないくらい、
愛してる、
死んでしまいたくなるくらい、
愛してる、
このからだが滅びた後も、
愛してる、
こんなに、——
きみを、愛してるんだ。
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