第2話:手術後、退院し、僕は、小説を書き始めた。

皮肉にも、

そう言いたければ言えばいい。

不吉にも、

そう思いたければ思えばいい。


僕が創作と再度向き合うキッカケとなったのは、

不治の病を宣告されたことによる。


体調の異変は半年ほど前から感じていた。

しかし業務が煩雑を極めていたことと、

事業所全体を引っ張っていく責任の重い立場にあったこともあり、

無視した。

大した人生じゃない、死ぬのなんて怖くない、そう思っていた。

馬鹿だった、今はそう思う。

大した人生じゃないなら、

仕事の方をとっとと辞めて、自由に生きるべきだった。


病名や病状について語るつもりはない。

今となっては、どうでもいいことだ。


喉と胸のあたりに違和感を、時に痛みを感じ続け、ついに食べた物が飲み込めなくなり、病院で消化器科を受診したら即日入院となった。すぐに手術が必要な状態だったのだ。


会社に電話をして、病名と病期(ステージ)を知らせて、しばらく出勤できない旨を告げると、その瞬間から、僕はやることが無くなった。果てしない、茫漠として何にも無い、空白の時間の中に僕はいた。

そんなのホント久し振りで、

呆然と、

僕は立ち尽くした。


手術後、

退院し、

小康を得た僕は、小説を書き始めた。


動機は、よく分からない。

だって大学在学中、すでに創作への意欲を完全に失っていた訳だから。


書きたいのに書けない、

書きたいものが無い、

書けない作家、

地獄の苦しみだ。


最初から小説を書きたいと思った訳じゃない。

不思議な経路を辿って、そうなった。


最初、

子供の頃から長年やっていた武道への興味が再燃し、

次に、

武道を通して学んだことを何らか書き残したいと思うようになり、

更に、

どうせ書くんならと、小説投稿サイトを探して比較検討し、

結果、

武道のことなど忘れて、オリジナル小説を執筆していたのだ。


因果関係は不明だし、

根拠が無くハッキリしたことは言えないが、

意外にも、

ホント意外にも、

病気になったことを機に煙草を止めたことが深く関係してる気がする。

根拠は無い、気がするだけだ。

或いは血流が変わって、

脳内の活性化する場所が変わるのかも知れない。


いろいろあったんだ。

ロックと文学は、

反抗・反逆の精神を以て、

真実と自由とを声を枯らして叫び、

神の意志を模索する「祈り」にも似た行為であると信じ、

しかし親の金で大学に通う日和見主義者、体制奉持主義者である自分に矛盾を感じ、果たして僕にその資格が、——


とか何とか悩んでいたが、

いや、悩んでいるつもりでいたが、

結局のところ、

僕の人生において、

書けなくなった時期と喫煙していた時期とはピッタリ重なるのだ、

不思議なものだ。

子供の頃、或いは少年時代、

僕は常に、

空想の世界に入り浸り、

そしてそれを表現したくて、

外見上は何だかボンヤリしている、

そんな夢見がちな少年だったのだ、

結果的に、

今もそんな感じではある。


閑職での謂わば「リハビリ」期間を終え、

前線に復帰した僕は、

また以前と同じ激務の嵐に曝され続ける日常に戻った。

しかし僕は、

もう以前のように仕事だけに打ち込むことが出来なくなっていた。


その日も僕は現地調査のため、

広大な研究施設の敷地内を丸一日歩き回っていて、

残暑のきつい九月の終わり、

急な雨に身体を濡らしてしまい、

冷えるなあ、

と思っていたら今度は急に晴れて暑くなったりして、

病み上がりで、

睡眠不足でもあった僕は、

何だか疲れてボンヤリしてしまって、

雲の切れ目から鋭く眼を射る西日が眩しくて、

僕は眼を細め、

手のひらを翳して空を見上げると、

光の束が、

雲の間から地上に降り注ぐのが見えて、


その瞬間、

自分が小説を書いていることを思い出し、


僕は、

あらゆるものを、


美しいものを、

儚いものを、

貴いものを、

愛しいものを、

言葉で表現することができて、


それは何も自分にだけに許された特別な権利ではなくて、

文字を書ける人すべてに、

等しく許されている行為なんだけど、


ああ、

僕は、

神に祝福されている、

なんという自由、

なんという幸福、

なんという奇跡なんだろう、


そんな気持ちが湧き上がってきて、

何故だか、

泣きそうになって、

そして、

ひざまづきたい、

ひざを屈して永遠の帰依と服従とを誓いたい、

そんな、

倒錯的な願望を抱いた。


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