物書きが死ぬとき、あるいはアフロディーテへの告白
刈田狼藉
第1話:すべての人間は、自らが求め目指すものになる。
すべての人間は、自らが求め目指すものになる。
誰かが言った言葉。
誰が言ったかのかは忘れた。
言い得て妙だ。
ではないか?
とすると僕は、
なりたくてこのクソ忙しい勤め人になり果てた、
ということになる。
ロックスターがそうであるように、
サッカー選手がそうであるように、
テニスプレーヤーがそうであるように、——
僕も強く求め目指した結果、この草臥れたサラリーマンになり得た、
という理屈だ。
くだらない世の中だ。くだらない人生だ。
しかしやはりそれでも、
言い得て妙、というしかない。
だってそうだろう?
自己の才能に対する評価、
払うべき犠牲とリスク、
家庭環境や経済的状況、
安定や安全を求める人間の本能、
夢や憧れ、だけじゃない、打算や生存本能まで含めた全人的な僕の本質、魂そのものが、志向し、求め目指した結果が、
この「社畜」とも言うべき忌々しい中間管理職、
というワケだ。
もっと言う。
孤独なロック青年が、様々な不理解や差別、貧困や困難を、超人的な努力によって乗り越え、数々の幸運を奇跡的に掴み取ってスターダムへの階段を駆け上がりロックスターとなってゆくように、
僕も様々な人生の分岐点で、それ以外のあらゆる可能性を厳しく排除し、夢を切り捨て、憧れを呑み込み、良心を吐き捨て、そんな非人間的な努力の連続の果てに、今こうして目出度く、何ひとつ成し遂げることないまま、つまらないサラリーマンとして不惑を迎えるに至っているのだ。
反吐が出る、でもそれが僕だ。
孤独なロック青年がロックスターとなるように、
孤独な文学少年は、
結果的に、
サラリーマンとなった。
そう、僕のことだ。
もともと、僕は作家になりたかった。
荒唐無稽な夢だ、中学生の頃の話だ。
十三歳の時、
中学二年生だ。
当時大好きだったマンガがあって、そのヒロインの女の子のことが大好きになって、だったらイラストを描きそうなものなのだが、僕の場合はそうではなく、その娘をモデルにしたキャラクターを主人公にして、当時そんな言葉は無かったが、ある種の二次創作のような小説を、ごくごく個人的にノートに書き付け始めたのがそもそもの始まりだった。
当時、小説投稿サイトなんてまだ無かったから、それは本当に地味で、趣味とも呼べないような、極めて個人的な作業だった。
高校時代は、逆に美術部に出入りしてイラストを描いてみたり、しかしどちらにしても地味で、根暗な雰囲気の青春時代を辿った。いやそれが今、この歳になって思い返すと、ものすごく楽しい思い出なのであるが、……
大学時代は文芸部に所属した。
ようやく僕にも、仲間と共に本格的に創作に打ち込める、そんな季節が巡ってきた訳ではある。しかし、
僕は、
書けなくなった。
その原因について分析的なことを今ここで述べる気はない。
というとカッコいいが、やっぱり少しだけ触れてみる。
純文学志向で、
思想的、人格的、精神的な必然性を持たない作品はクズだ——
そんな雰囲気だった母校の文芸部を、僕はこよなく愛したが、
僕の創作家としての体質とは、
今にして思うと、
合わなかったんだと思う。
また思想的にも、人格的にも、
十九歳だった僕は大きな揺動期を迎えていて、
何を書くべきなのか、何が書きたいのか、
自分を完全に見失っていた。
文学部文学科で日本文学専攻だったことも、逆に致命的だった。
文学的価値あふれる偉大な作品に触れ過ぎた結果、
自分が元々書きたかったハズのものに、
価値をまったく見出せなくなってしまっていたのだ。
こうして僕は完全に不完全燃焼のまま、
すべてを、
すべてを置き去りにして、
社会人となった。
社会人として商社に就職した僕は、
時間的にも、
体力的にも、
精神的にも、
完全にギリギリの、
それまで培い、胸に抱き続けてきた、
あらゆるものを吹き飛ばし去る激務の嵐に、
曝され続けることとなった。
在職した二十年もの間、
僕の精神世界には猛烈な暴風が常に吹き荒れ、
それは片時も止むことは無く、
すべてをきれいに吹き飛ばされ続けて、
結果、
僕の精神世界には、
くだらない処世術や世知以外のものは、
何ひとつ残らなかった。
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