4

 朝食をたらふく食べて「帰るのが面倒だ」とぶつぶつつぶやきながらジョシュアがステビアーナ辺境伯の城を出立すると、アリシアは彼の乗った馬車が見えなくなるまで手を振ってから、ふうと息を吐きだした。


 秋の高い空は青く澄み渡っていて、今日一日いい天気が続くだろうことが予想される。


 だが、アリシアの胸中には昨日の国王の手紙の内容への不安が広がっていて、気分はどうにも今日の空模様のように晴れそうもない。


(今日は……、ドレスの採寸をもう一度すると言っていたわね……)


 悪徳令嬢と言われてろくなものを食べていなかったアリシアの体はとても細かったが、ここ数か月、バランスのいい食事を続けたからか、フリーデリックやジーンに食べろ食べろと食事を勧められたからか、細すぎていたアリシアの体は少しふっくらとしてきた。


 フリーデリックやジーンに言わせればまだ細すぎるらしいのだが、悪徳令嬢と蔑まれる前ももともと細かったので、暴食をしない限りはこれ以上は太らないと思う。


 しかし、前回採寸した時よりサイズが大きくなっていることは確かなので、もう一度採寸しなおそうと言うことになったのだ。


(体型ぴったりなドレスのデザインにしちゃったから、今日採寸したら体型は変えられないわね)


 本当ならば、うきうきした気持ちで迎えるドレスの採寸のはずだった。生地も決まり、今日の採寸を終えれば、次はドレスが仕上がるのを待つばかり。心待ちにしていた結婚式まであと少し――だったのに。


(結婚できるのかしら……)


 もちろん。フリーデリックは国王の手紙に対して断りを入れた。アリシアと結婚すると返信してくれた。しかし、あの国王がそれで引き下がるのだろうか。


「浮かない顔をしている」


 アリシアがぼーっと空をながめていると、ふいに後ろからふわりと抱きしめられた。


 顔をあげれば、頭一つ分は高いフリーデリックが、背後からアリシアの顔を覗き込むように見下ろしていた。


「陛下への手紙は断った。君が心配するようなことにはならないさ」


「そう……ですわよね」


「ああ。もし陛下がまた何か言ってきたとしても、俺が君を守るから大丈夫だ」


「ありがとう。でも、あまり無理を……」


「無理じゃない。妻を守るのは夫の役目だろう?」


「………」


 夫――。


 そう言われてアリシアは軽く目を見開いた。フリーデリックの言葉に、ゆるぎない何かを感じたからだ。


(普段はすぐに赤くなるくせに……、こういうときだけ自信満々なんて、変な人)


 だが、そのおかげでアリシアの心の中の不安がゆっくりと溶けていく。もちろん不安のすべてが消え去ったわけではないが、フリーデリックがそう言うのであれば大丈夫かもしれないと思う自分がいた。これが、夫婦になると言うことだろうか。夫を信頼すると言うことだろうか――、そう考えると、少し気恥しくなって、アリシアは頬を染めて口を尖らせた。


「ま、まだ……、結婚式はしていませんわ」


「だが、俺が君の夫になることは変わらない」


「そ……、そうかも、しれませんけど」


「かもではなくそうなんだ。せっかく君を手に入れたのに、手放してなんかやるものか」


 なぜだろう。今日のフリーデリックはいつもよりもぐいぐい来る。アリシアは恥ずかしくなって、彼の腕をぱしぱしと叩いた。


「ほ、ほら。動けませんから離してくださいませ」


「もう少しこうしていたい気もするが……」


「だめです。こんな玄関先で……。みんなに見られるではありませんか。それに、わたしはもうじきドレスの採寸がありますし」


「俺は見られてもいいんだが……、まあ、ドレスの採寸があるなら仕方がないな。だが、終わったら一緒に裏庭を散歩しよう。庭師がコスモスが見ごろだと言っていた」


 フリーデリックが雇った庭師によって、城の庭がきれいに保たれていることをアリシアは知っていた。彼はまだ若いが働き者で、アリシアの好みもよく聞いてくれる。裏庭のコスモスも、アリシアが植木鉢にコスモスを植えようとしていたのを見つけた彼が、まとめて植えた方がきれいだからと裏庭にスペースを設けて育ててくれたのだ。


「わかりましたわ。それでは、お茶とお菓子を用意して、午後から裏庭でティータイムにしましょう。今日は採寸以外に予定がありませんから、料理長にお願いしてキッチンをお借りしてドライフルーツの入ったバターケーキでも焼きますわ」


 ジーンは「奥様はキッチンに立たなくていいんです」とあまりいい顔をしないが、アリシアはこの世界に転生する前、お菓子作りが好きだった。


 前世では仕事が忙しくてあまり時間は取れなかったが、それでも休みの時に簡単なお菓子を作って楽しんでいたのだ。


 転生した先が公爵令嬢で、教養の範囲内でということならば許されたが、キッチンへの出入りは基本は禁止されていて、あまり作ることはできなかったが、フリーデリックはアリシアがしたいことを止めない。ジーンも口ではダメだというもののアリシアには甘いので、仕方がありませんわねと許してくれる。


 料理長も最初は渋い顔をしていたが、アリシアが手際よくバターを練って卵を泡立てる姿に、大丈夫だろうと思ったのか、彼女がキッチンに出入りしても咎めなかった。


「君の焼いたケーキか。わかった、俺も仕事を早く終わらせておく」


 フリーデリックは「アリシアの手作り」が大好きなようで、ほくほくした顔で言うとようやくアリシアを解放してくれた。


 彼と結婚したらこんな毎日が続くだろう――、結婚がなかったことにはならないと、アリシアは自分に言い聞かせながら、フリーデリックと手をつないで城の中へ戻っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る