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ディアスはその足で、妹であるユミリーナの部屋に向かった。
(まったくあの人は、放っておくとろくなことを思いつかない)
ディアスにとって謎なのは、時々思考回路がぶっ飛んだ方向に行く父がどうしてこの国をおさめられているのかということだ。
その点については、母曰く、家族が絡むとろくなことをしないが、一応政治的な手腕はある、とのことであるが、今回のアリシアの一件で、ディアスの中の疑念がむくむくと大きくなっていた。
(……さっさと国王の椅子から蹴落としで、俺がついた方がまだましなんじゃ……)
もちろんディアスは、まだ自分が一国をおさめられるほどの器でないことはわかっている。知識も、交渉能力も政治手腕も、悔しいが父には及ばない。しかしこのまま父を野放しにしては、何を思いつくかわかったものではない。
(さっさとユミリーナを片付けるしかないな……)
あの父は娘を溺愛しすぎている。ユミリーナをさっさと嫁がせない限り、堂々巡りが続くだけだ。もしもまたユミリーナの身に何かあれば、第二のアリシアが誕生しないとも限らない。それだけは避けたかった。
ディアスはずんずんと大股で廊下を進み、妹の部屋の扉をノックした。
「ユミリーナ、俺だ。入るぞ」
母に似て少々大雑把なきらいのあるディアスは、扉の前でそう宣言すると、返事も待たずに妹の部屋の扉を開けた。
「ユミリー……」
部屋に一歩入ったディアスは、そこで思わず足を止めた。
いつもは何人もの侍女がいる妹の部屋の中に、今はその姿はなく、ただ一人ユミリーナだけがぼんやりとベッドの端に腰を下ろしていた。その横顔に涙の痕を見つけて、ディアスはぐっと眉を寄せた。
「どうした、まだ体調が悪いのか?」
妹のそばに寄って、隣に腰を下ろすと、ようやく兄の存在に気がついたとでもいうようにユミリーナがぼんやりと顔をあげた。
「お兄様……、どうなさったの? この時間は騎士団じゃ……」
「少し用があって父上の下に行っていた。それでお前はどうして泣いている。侍女たちはどうした」
ユミリーナはハッとして、手の甲で目元をぬぐうと、無理やり笑顔を浮かべた。
「ああ、ちょっと気分が優れなくて……、侍女たちには一人にしてとお願いしたの」
「侍医を呼ぶか?」
「ううん、そんなんじゃないの。体調が悪いわけじゃないし」
「ではどうした」
ディアスはますます眉間に皺を寄せた。父の言葉が脳裏をよぎったからだ。ユミリーナはフリーデリックが好き――、まさかそれが本当で、そのせいで泣いているのではないかと思ったのだ。
(いや、馬鹿な……)
そんなはずはないと思いたいが、妹の涙が引っかかる。もしもユミリーナがフリーデリックを思って泣いているのだとしたら――、それを見た父王が、何をしでかすかわからない。それこそ無理やりアリシアと別れさせて強制的にフリーデリックとユミリーナを結婚させることだってあり得る。
(泥沼もいいところだ。勘弁してくれ……)
妹には悪いが、王太子として、次期国王として、そしてユミリーナの兄としてもそれだけは回避したい。誰も幸せになんてなれないからだ。
そこでディアスは、さっそく妹の説得を試みることにした。
ディアスは妹の両肩に手をおくと、諭すようにゆっくりと口を開いた。
「ユミリーナ、いいか? たとえ好きになったとしても、どうしようもないこともあるんだ。お前は王女で、だからこそ感情を押し殺して耐えなければならないこともある。ましてやフリーデリックはすでにアリシアと婚約していて、結婚も目の前だ。ラジアン王子が嫌なら俺がほかの男を探してやるから、今回は耐えてくれ」
ディアスはどちらかと言えば朴念仁だ。正直色恋沙汰の機微に疎い。だが精いっぱい言葉を選んで妹を諭そうとした。うまく言葉が紡げたはずだった。しかし目の前の妹は、ものすごく怪訝そうな顔をして、首をひねった。
「…………何を言っているの、お兄様?」
「だから、フリーデリックは―――」
「どうしてフリーデリックが出てくるの?」
「いや、だって、お前が……」
言いかけて、ディアスはどうも話がかみ合っていないことに気がついた。ディアスは不思議に思って、妹に確認することにした。
「お前、フリーデリックが好きなんじゃないのか?」
ユミリーナは目を丸く見開いた。
「え? どうして? フリーデリックは確かに優秀な騎士だし、もちろん嫌いじゃないけど、フリーデリックはアリシアの婚約者よ? 恋愛感情なんて持っていないわ」
これにはディアスが目を丸くする番だった。
「は? じゃあなんだって泣いていたんだ?」
「お兄様こそ、どうして急にそんなことを言いだしたの?」
「それは――、まあ、ちょっと、な……」
ディアスは額に手を当てて嘆息した。
(やっぱり違うじゃないか、父上め! いったいどこからその妙な話を聞いて来たんだ)
いくら思い込みの激しい父でも、勝手な妄想だけでは突き進まない。必ず話の出所があるはずだ。ユミリーナのこの反応では全くのでたらめのようだが、このままにしておけば妙な噂が立ちかねない。どうやらディアスは、妙な噂の出所を突き止めないといけないらしい。
ディアスは妹の頬に手を伸ばして、頬に光る涙の痕をぬぐった。
「お前はどうして泣いていた?」
ユミリーナは目を伏せて、話すかどうかを逡巡したようだったが、やがて諦めたように口を開いた。
「ラジアン殿下が……、わたくしが殿下のことを好きではないのだろうと、そう言うの……」
「ラジアン殿下が?」
「ええ……、どうして突然そんなことを言いだすのかわからなくて。それに、どれだけ説明してもわかってもらえないし……、どうしたらいいのかわからないの」
「そうか……」
ディアスは顔を曇らせている妹を引き寄せて抱きしめると、ぽんぽんと子供をあやすように背中を叩いた。
(あの王子は、何を考えている……?)
ディアスはラジアン王子とユミリーナの関係を深くは知らない。ユミリーナが彼と婚約したのは、ディアスが留学に出たすぐ後のことだ。しかし、二人がそれなりに仲良くやっていることは母から聞いていたし、つい最近まで、ユミリーナも楽しそうにラジアンのことを語っていたはずだ。二人が仲良く並んで歩く姿も一度だけだが見かけた。
もちろん、これはただの痴話喧嘩かもしれない。気にするほどのことではないかもしれないが――
(ラジアン王子か……、あいつが何か知っているかもな……)
ディアスは、再び泣きはじめてしまった妹をあやしながら、なんだか妙な胸騒ぎを覚えて眉をひそめた。
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