広がりはじめた暗雲
1
「父上――、何を企んでいるんですか?」
母マデリーンからの伝言を持って、父親である国王ブライアンの執務室を訪れた王太子ディアスは、ノックもなしに執務室の扉を開けて、そして開口一番にそう言った。
唐突に部屋に入ってきた息子に、ブライアンは飛び上がらんばかりに驚いた。
「こ、こら、入るときはノックぐらいせんか!」
「しようと思いましたけど、扉の外まで父上の笑い声が聞こえてきたので止めました」
執務室の中に国王しかいないのは、部屋の外で警護をしている兵士に確認済みだ。そしてディアスは、この父親が一人で含み笑いをしているときは、何かろくでもないことを思いついたときだと知っている。本人にしてみれば「いい案が思いついた」とでも言いたいのだろうが、こういうときのその「いい案」が「いい案」であったためしはほとんどない。
父親譲りの黒髪に、眼光の鋭さは母譲り。すらりと高い長身と、昔から母親に鍛えられてきた肢体には適度に筋肉がついて引き締まっている。マデリーンに「ブライアンのようになっては大変だ、しっかりと自立して来い」と早々に他国に留学させられ、ようやく戻って来たディアスは、少なくともこの父親が「なにかをやらかす」性格をしていると言うことを十分に理解していた。
つまり――、十中八九、今まさにこの父親は何かろくでもないことをしようとしている。
ディアスにじろりと睨まれて、ブライアンはうっとたじろいだ。息子のことは愛しているが、マデリーンとそっくりな眼光の鋭さは、心の中を見透かされているようで少々苦手なのである。
「企んでいるなんて人聞きの悪い――」
「昨日、ジョシュアをフリーデリックのもとに遣いに出したようですが、それと関係していますか?」
「………なんでお前はいつもそう……」
「何か言いましたか?」
「いや、べつに……」
ブライアンはぶつぶつと口の中で文句を言いつつも、自分の「素敵な案」を誰かに言いたくて仕方がなかったらしい。うきうきした足取りで息子の向かいのソファに腰を下ろすと、にこにこ笑いながら口を開いた。
「実はな、ユミリーナをフリーデリックと結婚させようと思うのだ」
「――――――、は?」
ディアスはたっぷりと沈黙し、それからポカンとした顔をした。
「すみません、熱でもあるんでしょうか、幻聴が……。もう一度お願いします」
ブライアンはコホンと咳ばらいをして、少しもったいぶったようにためてから、繰り返した。
「ユミリーナをフリーデリックと結婚させようと思っているのだ」
「あほか――――――!」
今度こそディアスは絶叫した。
ディアスは頭を抱えて、
「何考えてるんですか、え? フリーデリックはアリシアと結婚するんですよ? わかっていますか? どうしていきなりユミリーナと……」
「ユミリーナがフリーデリックが好きらしいのだ」
「どこでそんな妙な情報を手に入れた! いや、そう言う問題じゃない! とにかく、フリーデリックが結婚するのはアリシアです! フリーデリックがユミリーナと結婚したら、アリシアはどうなるんですか!?」
「そんなもん、お前とでも結婚すればいいだろう。お前まだ婚約者決めていなかったし」
「犬猫じゃないんですよ! 何考えてんだッ」
ディアスは叫び続けて疲れたらしく、ぜーぜーと肩で息をして、両手で顔を覆った。
「大体何だっていきなり……」
「名案じゃないか」
「どこがだ!」
ブライアンはどうやら息子が怒る理由が解せないらしい。首を傾げながらこう宣った。
「ユミリーナはどうもラジアン王子ではなくフリーデリックが好きなようなのだ。父親としては娘には好きな男と結婚してもらいたいだろう? それに――」
「それに?」
「フリーデリックと結婚すれば、ユミリーナを遠い異国にやらなくてすむ」
「………」
最後が本音だな――、ディアスはある意味この父親らしいと納得して、はあ、とため息をついた。
正直、妹がラジアン王子といまだ婚約関係を続けていることについては、ディアスも疑問を持っていた。彼が実行犯でないにしろ、これほど騒がせた妹に毒を盛られた事件の犯人がエルボリス国とかかわりのある人物であったことで、彼に対する不信感は計り知れないものがある。
このまま妹を他国に嫁がせていいものか――。もちろん、国同士の約束事だ、そう簡単に反故にできないのもわかってはいるが、今回のことで、決定権はどちらかと言えばこちら側にあるはずである。申し訳ないが婚約はなかったことにと言ったところで、それほど波風はたたないはずだ。
しかし、だからと言って、フリーデリックに白羽の矢が立つなんて――
ディアスは大きく息を吐くと、席を立ちながらこう言った。
「父上、お願いですから何もしないでください。アリシアに対して我が国がどれほどのことをしたのか、理解していますよね? これ以上彼女を苦しめないでくれ」
ディアスは早々に留学していたから、アリシアが悪徳令嬢と呼ばれはじめていたことを知らなかった。留学に出てから一度も帰国していなかったからだ。母からの手紙には国の内情に関することは書かれていなかったし、アリシアのことは子供のころからよく知っている。まさか彼女がそんな風に呼ばれることになるなんて思いもしなかった。
(……俺がもし、もっと早くに戻って来ていれば……)
きっと、アリシアにあそこまでつらい思いはさせなかっただろう。
ディアスは父ブライアンに向かって母からの伝言をやや乱暴に伝えると、バタンと音を立てて執務室をあとにした。
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