6

「リック――ッ!」


 混乱したままリビングを飛び出したアリシアは、その足でフリーデリックのいる執務室の扉を叩いた。


 ちょうどそのころ、フリーデリックは国王への手紙を書き終え、手紙に蝋を垂らしてステビアーナ辺境伯の紋の入った型を押して封をしたところだった。


 そして、珍しく慌てている様子のアリシアの声に驚き、フリーデリックは椅子から立ち上がると、急いで部屋の扉を開けた。


「アリシア、そんなに慌ててどうしたんだ?」


「こ、国王から意味不明な手紙が来たとジョシュア様に聞いて」


「ああ―――」


 フリーデリックは合点して、アリシアを部屋の中に招き入れると、動揺している彼女のためにメイドに紅茶を持ってこさせた。


 そして、紅茶を飲んで一息ついたアリシアが少し落ち着いてきたのを見計らって、ジョシュアが持って来た国王ブライアンからの手紙を彼女に差し出した。


「俺も読んだ時は思わず取り乱してしまったが、なんてことはない、あの方が意味不明なことを言いだすのは昔からだ」


「はあ?」


 アリシアは首を傾げて、フリーデリックから受け取った手紙を開いた。そして、あんぐりと口を開ける。


「すごいだろう。あの方の脳内はきっといろいろな妄想でいっぱいなんだろうな。冷静になって考えればなかなか面白いと――」


「面白くありませんわ! なんですのこれ!」


 アリシアがぐしゃりと手紙を握りつぶすのを見て、「ああ、俺もやったなぁ」と苦笑したフリーデリックは、彼女の隣に腰を下ろすと、憤っている彼女の背中を優しくさすった。


「まあ、少し落ち着け」


「落ち着け? どうして落ち着けますの? 何ですのこの手紙。こんな――」


 アリシアは握りつぶした手紙の皺を伸ばすと、そこに書いてある文面を睨むように見つめる。国王の手紙は要約すると――


「俺とユミリーナ王女が恋仲なんてどこでそんな勘違いをするんだろうな。お互い好きあっているなら結婚させてやるなんて、面白い冗談だ」


「面白くありません!」


 アリシアは余裕すら感じるフリーデリックの笑みが憎らしく思えて、彼の頬に手を伸ばすと、むにっとつねってやった。


 だが、頬をつねられても、フリーデリックは楽しそうに微笑んでいるだけだ。


「焼きもちか?」


「どうしてそうなりますの!」


「君が怒っているから」


 にこにこと微笑むフリーデリックは、どうやらアリシアが焼きもちを焼いたのだと勘違いしているらしい。いや――、まったく嫉妬心が起きなかったと言えば嘘になるが、それどころではない。


「こんなことを言いだして、せっかく結婚式の準備も進んで、もう少しで結婚なのに――、また……」


 また、ひっかきまわされるのだろうか。幸せになれると思った矢先に、沼の底に引きずり込まれるのだろうか。アリシアの中に言いようのない不安が広がって、彼女は表情を曇らせて俯いた。


 そんなアリシアの様子を見て、フリーデリックは慌てて彼女を抱き寄せた。


「だ、大丈夫だ! 陛下には俺が今、手紙の返信を書いたからな。もちろん丁重に断ったし、俺が好きなのは君で、ユミリーナ王女はおこがましいかもしれないが妹のようにしか思っていないと説明した! 結婚がなくなったりはしない。大丈夫だから」


 フリーデリックが国王の手紙を一笑にふせることができたのは、国王ブライアンが昔から突飛なことを言いだすことをよく知っているからだ。しかし、何年も悪徳令嬢だと追いかけられて、一時は処刑手前まで追い詰められたアリシアには笑えない冗談だろう。また幸せを奪われるのかと疑っても不思議ではない。


 フリーデリックはアリシアの焼きもちを喜んでしまった自分を恥じて、婚約者を抱きしめる腕に力をこめた。


「俺は君が好きだ、君だけだ。君以外の人と結婚する意思はない」


 すると、ようやくアリシアがホッとしたように肩から力を抜いた。


 フリーデリックの腕の中で顔をあげたアリシアの不安そうな表情に、フリーデリックの心臓がドクリと大きく音を立てる。


「君だけなんだ。君だけを愛している」


 そろそろと手を伸ばしてアリシアの頬を撫でると、彼女は睫毛を震わせながら目を伏せる。


「アリシア―――……」


 フリーデリックは、まるで磁石に引き寄せられるかのように、アリシアの口に唇を寄せた。

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