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 マデリーンがブライアン王太子の専属の護衛騎士になって二週間がたった。


 ブライアンの朝の散歩につきあって城の中庭を歩いていると、彼は突然、四阿でお茶を飲みたいといいだした。


 茶くらい部屋の中で飲めばいいのにと心に中で毒づきながら、マデリーンも渋々ブライアンとともに中庭の四阿へ向かう。


 四阿の周りには蔓薔薇がたくさんの黄色や白の花をつけていた。


 すでに侍女へ連絡していたのか、四阿の白い大理石のテーブルの上にはティーセットが用意されており、それが二人分あったことにマデリーンは首を傾げる。


「どなたか、いらっしゃるのですか?」


 何気なく訊ねれば、ブライアンはにこにこしながら答えた。


「私と君だけだよ」


「『君』?」


「うん。私とマデリーン、君だ」


 座って――と言いながら、用意されていたティーポットから、自らカップへお茶を注ぐ王太子を、マデリーンは唖然として見やった。


「おっしゃっていることが、わかりかねますが。わたしは殿下の護衛です。もう、婚約者ではございません」


 一緒にお茶を飲む理由はないとマデリーンは突っぱねたが、ブライアンは困ったように笑う。


「でも――、一人で飲んでも味気ないからね」


 では四阿でお茶を飲むなど言い出さなければいいだろう――、マデリーンは喉元まで出かかった文句をごくんと飲み込むと、やれやれと肩をすくめて、ブライアンの向かい側に腰を下ろす。


 こうしてブライアンと一緒にお茶を飲むのは、およそ二年ぶりだ。騎士団へ入団する前は月に一度の頻度でブライアンに城に招かれて、こうして一緒にお茶を飲んでいた。


 それこそ、五、六歳のころは、ブライアンに手を引いてもらい、庭を走り回った記憶もある。そのころは、ブライアンのことはただの優しいお兄ちゃん、くらいの認識だった。


「マデリーンは、ドレスもいいけれど、そういう騎士の服もよく似合うね」


 フルーツとクリームがたっぷりと挟まっている、一口大のサンドイッチを、ブライアンがマデリーンの皿に取り分けてくれる。


 王太子に食事を取り分けてもらうなんて、と普通なら恐縮しそうなものだが、二年前までこれが普通だったので、マデリーンは特に疑問を持たなかった。


「ドレスは動きにくいので、こちらの服の方が性に合っています」


「まとめ髪もいいね。君の銀色の髪はきれいだから、少しもったいない気もするけれど、よく似合っているよ」


「はあ……」


「君が騎士になりたいと聞いた時は驚いたけれど、以前よりずっと生き生きしているから、きっと君には今の方が気が楽なのだろうね」


 そう言ってブライアンが少し寂しそうに視線を落とすから、マデリーンは何も言えなかった。


 それにしても、どうしてブライアンはマデリーンを専属騎士に指名したのだろう。一方的に「騎士になりたいから婚約をなかったことにしてくれ」と言い出した失礼な元婚約者とは顔も会わせたくないのが普通ではないだろうか?


 何らかの罰まで覚悟していたのに、好き勝手したマデリーンに何のお咎めがなかったことも、今思えば不思議だった。二年前はラッキーくらいに思っていたが。


(相変わらず、にこにこしてるし)


 二週間前、マデリーンが専属騎士としてブライアンに挨拶へ行った時も、彼はにこにこと笑っていた。


 この身にかえても守ります――、と儀礼的な挨拶をしたマデリーンの手を取って、嬉しいけれど無茶はしないでほしいと言ったブライアンの顔は、子供のころ、庭で転んだマデリーンを助け起こしたときの彼の顔に似ていた。


 心配で心配でたまらない――、そんな顔。


 マデリーンはもう立派な騎士で、剣の腕がからきしのブライアンよりもよっぽど強いのに、どうしてそんな顔をされるのかわからなかった。


 だからマデリーンはついつい、「これがわたしの仕事です」と冷たく答えてしまった。


 ブライアンはその時も淋しそうな表情を浮かべていたが、マデリーンにはその表情の理由もわからない。


 だた、騎士としての腕を信用されていないのではないかと、少しムカッとしただけだ。


 マデリーンはフルーツサンドを口に運びながら、優雅な所作でティーカップを傾けている王太子を盗み見る。


 彼はいつも、護衛の騎士とこうしてティータイムを楽しんでいたのだろうか。


(騎士を、友人か何かだと勘違いしているんじゃないか?)


 彼の優しさは美徳かもしれないが、臣下との距離の取り方を間違えては、為政者として今後困ることになるだろう。


 一度注意してあげた方がいいのではないかとマデリーンは思ったが、すでに婚約関係にない自分がそこまで口をはさむのはいかがなものかと思いなおす。


 それほど長くないティータイムの時間を終え、四阿から立ち去ったマデリーンたちだったが、花壇の前で、ブライアンが突然足を止めた。


 花壇にはマーガレットの白い花が無数に咲き誇っている。


(きれいだな)


 可憐な花に目を奪われたマデリーンの目の前で、ブライアンが、花壇から一輪、マーガレットの花を摘み取った。


 それを、無言でマデリーンに差し出してくる。


「……え?」


 マデリーンが驚いて目を丸くしたが、ブライアンは少し照れたように、にこりと微笑むだけだ。


 マデリーンがおずおずとそれを受け取れば、彼はホッとしたような表情を浮かべて、また歩き出してしまう。


 マデリーンは彼の半歩うしろを歩きながら、手渡されたマーガレットの花に視線を落とした。


(なんで、急に……?)


 マデリーンは知らなかった。


 このマーガレットの花が持つ花言葉の意味も、ブライアンの真意も。


 ただこの時、微かな胸のざわめきを覚えたことには気がつかずに、マデリーンは小さく首をひねるしかなかったのだ。

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