結婚はお断りです!

1

 ――ああ、ついにこの日が来た。


 アリシア・フォンターニアは王都の公爵邸の自室で目を覚ました朝、横になって垂れ下がる天蓋てんがいの美しい藍色を見つめながら、静かにため息をついた。


 公爵邸の周りは兵士が取り囲み、アリシアの逃亡を警戒している。


 邸にはすでに誰一人としていなかった。


 両親はさっさと国外の親戚のところに逃げてしまったし、邸にいた使用人たちも、我先にと金目のものをくすねて逃げて行った。


 アリシアがたった一人でこうして公爵邸にいるのは、最後の彼女の我儘にすぎない。


 最後に生まれ育った邸で眠りたい。アリシアのその一言を王がかなえたのは、何も同情からではなかった。


 地下牢はもちろん城の地下にある。刑の執行を待つ罪人は、最後に何をしでかすかわからない。地下牢とはいえ、アリシアを城の中に入れたくない――、王はそう考えたのだ。


 可愛いユミリーナに近いところにアリシアを投獄し、もしも王女に何かがあっては大変だ――、そういうことである。


 だが、そのおかげでアリシアは生まれ育った邸で最後の朝を迎えることができた。


 小鳥のさえずりが微かに聞こえてくる部屋で、ベッドから降りたアリシアは、ただ一人で着替えをはじめる。


 誰の手も借りずにドレスを着るのは大変だったが、充分に細い腰はコルセットを必要としないので省略し、シュミーズの上に直接ドレスを着ることにした。


 選んだのは真っ白なドレス。前世、街のショーケースで見たことがあるウエディングドレスのような、ふんわりと軽い布をふんだんに使ったお気に入りのドレスだった。


 胸元はレースで、スカート部分は裾に行くほど広がりを見せるが、引きずるほどの長さではない。


 ドレスに着替えたアリシアは、ドレッサーの前に座り、鏡に映った自分の顔をじっと見つめた。


 ふんわりと緩く波打つ金色の髪に、アーモンド形の少し大きな紫色の目。日差しを知らないような白い肌に、唇は艶々とした薔薇色。パッとしない容姿だった前世の自分が憧れたすべてがそこにある。


 アリシアは髪に櫛を通し、薔薇の香りをつけた椿油を少量なじませると、化粧はせずに首元に真珠とダイヤモンドのネックレスをつける。


 この顔も今日で見納めかと思えば感慨深かった。


 次は幸せな転生ができるだろうか。できれば前世の記憶は失っていてほしい。覚えているからこそ、アリシアはつらかった。


 ドレッサーの前に座り込んだままのアリシアの耳に、遠くから足音が聞こえてくる。


 階段を上り、廊下をずんずんと進んでくる足音。その音は大きく、そして力強い。


 やがて足音はアリシアの部屋の前で止まり、コンコンと控えめの扉が叩かれた。


 アリシアは、唐突に扉が開けられなかったことに少し驚いた。乱暴に部屋に入ってこられて、そのまま引きずられていくのだと、心のどこかで思っていたからだ。


 アリシアは立ち上がり、部屋の扉を開けた。


 そこに立っていた背の高い男の名は、フリーデリック・ランドール。第三騎士団の団長で、今までアリシアを追い回し、何度も捕えた男だった。


 フリーデリックはきれいな青い瞳を微かに見張ったのち、静かに告げる。


「アリシア・フォンターニア公爵令嬢。同行願う」


 アリシアはそっと瞼を閉じた。


 ついに、この日が来た。


 ――アリシアは今日、十七年の生涯に幕を下ろす。

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