第13話 ミタテ島

 どう考えてもそれしかない。しかし、それを認めることはできない。しかし、そう考えれば合点のいくことだらけだ。結論は急いではいけない。腕のコンピュータの結論にいたる過程をさかのぼって検証していく。だが、どこかでその結論を否定する結論を急いでいるところがある。

 落ち着け、落ち着け、落ち着け。

 無理だ。

「ナビゲーター」

 久しぶりにナビゲーターを呼ぶ、

「バイタルを見せてくれ」

 クローズでも時々遣っていた機能だ。尿意、発熱、不整脈、ログインしていても身体の異常は検知できるし、場合によっては警告あるいは強制ログアウトも行われる。だが、そこまでいかなくても食事をとったりトイレにいったり、俺のようにメンテナンスで意識だけ切り離したものはメンテナンスの状況を知る事もできる。

 今までは特に使う必要を感じなかった。

「エラー発生。バイタルデータが取得できません」

「ナビゲーター、今日のリアルの日付を教えてくれ」

「サーバよりデータを取得できません。経過時間より算出すると……」

 それは俺がクローズからログアウトしたはずの年月日からここで過ごした時間を加算したものだ。

 ナビゲーターが役に立たない理由がわかったように思う。こいつも俺の同類だ。

 石の賢者は制限はあるだろうが、このナビゲーターとちがってサーバーから回答を引き出せるだろう。質問は変更だ。そして、なぜこんなことをするのか、今はどんな状況か知るべきだ。

 その日、夕方になってぼろぼろではあるが元気な女王たちが戻ってきた。それまで俺は宿の部屋にもどってこれまでに食わせたデータ、それに別の俺のものらしい手記の内容の確認に費やしていた。

「やったぞ」

 興奮する女王、疲労を隠せないが満足げなハガネ、なぜかため息ばかりついているイトスギ。何かつめこんだ木箱をかついだクレイは無言だ。

「結構大変だったようだね」

「大変でした」

 イトスギがぎろりと睨むと女王とハガネは目をそらした。

「この二人、しなくていい喧嘩を買ってくれましてね」

「いや、だってすごく攻めがいのある相手だったし」

「拙者も勉強になる相手ばかりで」

 二人ともはははと力なく笑う。

「つきあわされる身にもなってほしいものです」

「剣の迷宮のようなことはなかったのか? 」

「それはなかった。動きは誰かの真似らしいけど、ガーディアンはただのウッドゴーレム」

「子爵は? 」

「証と無事入手したみたい。帰りは本の迷宮のと同じ魔法のリフトでしゅっと。で、ポータルと折って出たのが城の中の祠。さすがに遅いのであなたをつれていくのは明日でいいかって」

「かまわないよ」

 至極満足げな二人を見て苦笑いするしかなかった。

「そう思ってかわりに答えておいた」

「ありがとう」

 イトスギはなぜかじっと俺の顔を見ている。

「どうした」

「なんか様子が変ね。何かあったの? 」

「ん、宰相んところで庭いじりしてるってやつがきたんだよ」

「よくわかんないわね。なにしにきたの? 」

「帝国に仕えるか出てけってことらしい」

「あら、選択肢があるのね」

「あるんだよ」

「よかったじゃない」

「そうだね」

「それだけ? 」

「それだけだよ」

 彼女はやっと目をそらしてくれた。

「わかったわ。でもなにか考えているなら、する前に相談してね」

「わかった」

 彼女は食事にしましょうといって干した海藻で包んだ何かを出した。湯気をたてるそれは野菜や海鮮を挽いた粉を溶いたものにで寄せ焼きにしたもので、どろっとした魚醤ベースのたれを塗って食べるものだった。

「まあたべてみてくれ。うまいから」

 どうやら女王が店頭試食でいたく気にいったららしい。一口いれてみると、確かになかなかうまい、だが、宮中で出すようなものではないし、彼女が小なりといえど王様だったことが疑わしく思えてくる。

 いや、そうではなく、こういう味に不慣れだったこそかも知れない。思い直す。ハガネは何やら書き付けながら食べているから、なにか料理に一工夫するのであろう。

「楽しんできたようでなにより」

「私はやきもきしかしてませんけどね。子爵様もあきれてました」

「クレイもか? 」

「さあ、ただあの二人がよけいな戦いを始めたら見ないようにして弓の手入れを始めましたが」

「いやいや、せっかく蘇ったのじゃ。生を謳歌せにゃ罰が当たるぞ」

 うんうんと同調するハガネ。イトスギは一にらみで二人をだまらせた。彼女もなんだか雰囲気が変わっている。

「出てきた障害はそのガーディアンだけだったのか? 」

 ときくとなぜか三人とも急に黙り込んでしまった。

「いいえ、かなりえげつないのが一つあったわ。一人一人内容は違ってたと思うけど」

 それについては聞かないで、とイトスギに頼まれた。ハガネでさえ、そこは同じようであった。

「石の賢者に質問とかはしたのかい」

「私はしてないけど、そっちの二人は何か聞いたらしいわ」

「うむ、ちとつまらんことをな」

「何もおもしろいことではないな」

 まあ、みないろいろあったようだ。

「そういえばクレイのやつもなにか質問してたの」

「ほう」

「賢者は答えておったようだ。賢者はあれをどう見ておったのかの」

 それをいえばたぶんあれはもともとプレイヤー用のギミックだ。そうでなくなった今、賢者とやらはどう見ているのか。そう、我々を。

 翌日、子爵と盾の迷宮の最奥、つまり島の頂上に向かうのは俺とイトスギだけになった。女王もハガネもちょっと調べものがあるという。迎えにきたのはまたハヤウオ。同じように裏道をいき、城にはいった。

「待っていました。まいりましょうか」

 子爵が待っていた。その棟には虹が乱れるように色の変化する石のはまったペンダントがある。

「それが証? 」

「はい。そしてこれを手にしたことで大公に奪われた証は壊れたはずです」

 どうぞ、と彼自ら案内にたつ。ハヤウオはお辞儀して退いた。

「そういえば、きのう宰相の庭のものと会ってたそうですね」

 見張られてたか。

「会った、というかむこうから接触してきただけですけどね」

「あの男は二年前、宰相が就任したときにはもう今の地位にあったようです。その前についてはいろいろ噂がありますが、宰相の腹心の一人であることに間違いありません。叔父に使いにきた者より宰相府での立場は上らしいです」

「帝国に仕えるか、出てけといわれましたよ」

「ほう、選択肢があるんですね」

 イトスギと同じ反応をする。

「返事はずっとあとでいいというのもこれまた」

「そのへんは申し訳ないがお力にはなれません。ハヤセ伯爵家としては宰相に逆らうことはできませんから」

 そうだろうな。彼らに何かさせようとしていないだけましかもしれない。

「さあどうぞ。この部屋です」

 案内されたのは海に面した少し高いところにある部屋。広い部屋なのだが、ドアのついた小屋ほどの箱が鎮座している。その表面はこれは銀メッキのようだ。

 その中へ子爵とはいれという。中は丸テーブル一つと椅子四つがならんでおり、はいると灯りの魔法がともった。

「はい、つきました」

 そういったのはドアをしめて子爵が証に手をおいた直後だった。何も起きたように思えなかったのでからかわれたのかと思ったほどだ。

 出ると、そこは確かにぜんぜん別の場所だった。明るい日差しがさす下、小鳥さえずる庭園に据えられた白亜の箱。それが俺たちの出てきた部屋だった。

 庭園は高い壁にかこまれている。その上は抜けるような青空なのだが、海鳥が一羽、羽根を広げてホバリングしているあたりで強い風がふいていることがわかる。鳥は斜めに体を傾け、斜めに滑って塀の向こうに消えて行った。

「好奇心であの上に上ったら飛ばされそうになったわ」

 イトスギが塀の角にある楼閣を指差した。

「あなたもあとで上ってみる? 」

 彼女は一緒にくるのだろう。そしてたぶん登ることになるのだろうな。

「石の賢者殿はあそこですよ」

 子爵が一段高くなったところを指差す。見慣れた石の台座があった。

 触れるともう見慣れたメニューが出てくる。 クエストの進捗、三つの迷宮のクエストがすべて完了になっている。そしてロックがはずれました、とメッセージが流れた。ステータスを見ると、スキルとステータス、所持金上限値がかわっている。今回はステータスの解除はほとんどないが、スキルとインベントリは完全に解除された。といってもここでどこまで使えるのか疑問のある代物がいくつもあるのだが。

 管理ボタンが無反応なのはいつものこととして、賢者への質問というボタンが三つ表示されている。たぶん使うたびに一つづつ消えるしかけなんだろう。

 見回すかぎりあのロッカーはない。どうやらこれがクエスト報酬のようだ。

 聞きたい事はある。ボタンを押すのにためらいはなかった。

「よう」

 聞き覚えのあるような男の声が聞こえた。目の前に見覚えのある男がたっていた。くたくたのシャツ、隈ので来た目、 無精髭。俺の本当の姿だ。たぶんメンテナンスに入る前の駆け込みで無茶をやってたころの姿だろう。

「石の賢者ってやつかい」

「そんなところだ。俺を設定したやつは自分との対話とか言ってたな。俺が答えるのはデータを編集しただけのもので、そこにはよけいな洞察も誘導の意図もない。そういうのは質問するおまえさんのものだから、回答に不満でもあたらないでくれ。俺はただの鏡だ」

「わかった」

 俺ってこんないらっとするやつだったのかと驚く。少しくどいとは思っていたが、これほどとは。こんな男につきあわせるイトスギには悪いことをしたかもしれない。

「で、一つ目は何をききたい? 」

「俺が目覚めたあとのこと教えてほしい。俺の仕事はどうなったのか」

「仕事人間だねぇ。つまり、おまえさんのかかわっていた上位世界構築事業のその後を知りたいということだね」

 俺ってこんなふうにバカにしてるようににやにや笑うやつだったかな。もちろんバカにしてるわけではなく、理解が広がるのが楽しい時にあまり品のよくないしたり顔をしているだけなのだが。

「ああ、うまくいったのか、いかなかったのか。今はどうなっているか」

「結果だけいえばうまく言った。上位世界の最初のものはネットワークを介したミームによる高度ネットワークとして成立した。たくさんの革新的成果が得られ、お前さんは得意の絶頂にいた」

 やった。でも、できれば自分でやりたかった。

「調子にのったおまえさんは、積み上げ式近似仮想世界計画にも手を出してな、仮想世界に一種の上位世界としての現実を生み出した。上位世界の最初の大きな成果で、既存のものなど原始的きわまるものになるような情報処理方式があったからこそできたことだ。その世界では原子くらいの挙動は近似的な模倣にすぎないが、分子からこちら、人類レベルに巨視的な世界は現実とかわらない挙動ができる。この中に滅びた種を含めて生態系をこさえた。最終的には人間も置いた。政治が生まれ、歴史が動くようになった。時間の流れはほんの十倍程度。それだけ処理能力を食う世界だな。この計画では特色の異なる四つの世界が用意され、ゲストを受け入れるしかも用意されていた。既存のゲーム世界を模したふざけた世界もある。どこかは自分では恥ずかしくて言えないがな」

 ああ、つまりこの世界の人間たちはコアを持たず、本当の意味で生身で存在しているのだな。もしこれが実験用の世界ならすべては記録されているだろう。

「一方、おまえさんの手を離れた上位世界のほうでも変革が訪れていた。限界が指摘され、解決が提案され、そして実行されたのだ。おまえさんは異をとなえたようだが、結局だまることになる。上位世界は開放され、既存の人類組織の手のとどかぬ存在となった。近似世界を含めてすべての下位世界と上位世界が接続されたのもこのころだ。上位世界はいつのまにか種を越え、距離を克服し、時間もその意義を変えるほどであったという」

 なぜ伝聞形なのだ。

「俺は下位世界の、そのまた住人でさえない存在だ。おまえさんも知らない事を自信満々には言えない。ただ、意識のありようにおいて基準を満たしたものは上位世界に遊び、下位世界から脱することもできたという。どの下位世界でも例外ではない」

 また伝聞形。

「下位世界の諸権威は上位世界を無視したがったが、その恩恵と価値観の破壊による進歩にはあらがえなかった。戦争がなくなったわけではないが、その戦争さえ価値観の破壊のプロセスであったりと常時釈迦の掌にあるという状態だ」

 下位世界、俺的には娑婆の人間の命はどうでもいいのだろうか。

「上位世界によって、死という現象は意義を変えたらしい」

 またまた伝聞形。

「残念ながら、そうなる前にお前さんは死んだ。地球の時間にして四百年ほど昔だ」

「四百年! 」

「その後も上位世界は変化と発展を続けた。今はどうなっているかわからない。通信が遮断されてしまったからだ」

 何があったのだ。

「事故で、上位世界との接続が絶たれたのだ。物理保守は上位世界にアクセスできる者にしかできない。だが、その数が足りなかった。そのへんの設定は四百年前に死んだお前さんの仕業だよ」

「では、俺がいまここにいる理由は。そして今までもそういうことがあったらしいということは」

「それは二つ目の質問になるけど、質問権を使うかね」

「いや、ちょっとまってほしい」

 考えろ。あと二つしか質問は受け付けられない。考えて使わなければ。

「では、一度お別れだ」

 気がつくと、俺は一人あの台座の前にたたずんでいた。

 ボタンが一つ消えている。

「幽霊にでもあったような顔をなされているな」

 子爵が湯気にたつカップを持ってきた。

「まずはお茶を」

 茶の用意もあるのかここは。とにかくありがたい。俺は暖まるそれをすすりながら、これも伯爵家がもちこんだらしいテーブルと椅子を使わせてもらった。

 意外なほど俺はショックを受けてないようだ。あるいはあまりのことに麻痺しているのか。冷静に、二つ目の質問をするべきか。するべき質問はあるか、俺は考えていた。

 あると思った俺の本体はとうに塵に返り、なすべき仕事は既に終わっていた。これまでのすべてが水泡に帰したというのに、怒りも悲しみもなく、ただただ呆然とするばかりである。それではこれからどうしよう。そういえば、最近そんな質問をされたな。

 二つ目の質問は決まった。お茶を飲み終え、台座のところにいこうとすると、青い円筒に包まれて近づけない。

「いま、イトスギ殿が質問をしています」

 昨日は使わなかった質問権を彼女は今使ったらしい。あの中で石の賢者、自分の鏡像と彼女は語っているのか。

「お茶をもう一杯いかがです? 」

「ありがとう」

 子爵は見た目こそ怪物だが、仕草は洗練されていた。この人を賊としてあと少しで殺すところだったなどとちょっと信じがたい。

 そしてお茶菓子のまんじゅうを割ってその断面を見る。俺がクローズでやっていたころはある程度のランダム性はあるがその場で生成されたものだった。だが、ここではこれを構成する分子がそれなりの由来をもってここにこの形で存在する。人間も例外ではないはずだ。俺ならどうせならとそう作る。そうすると疑問もわいてくる。

 迷宮は人の複写を行っていた。しかし、ここの作りでははじめからそう認識される事は難しいのではないか。あるいは、人間認証を人、もの関係なく実行し続けているか。

「妖怪とか精霊とか、そういうのももしかしたら」

「精霊がどうかしましたか? 」

 子爵がくいついてきた。これはちょっと意外だった。

「ご存知で? 」

「わが一族は精霊とともにあるのです。精霊に人の知り得ぬ情報をもらい、精霊がすごしやすくするのがまだ部族のかんなぎであったころからのつとめ、そして精霊の存在を知る者少なく、信じるものはさらに少ない。トネリコどの、あなたは精霊と会話ができるのか? 」

「いや、無理ですよ」

「では、なぜ? 」

 迷宮の死者たちのことをあげて俺は説明した。

「クレイのようなゴーレムも拾い上げているからには、何か自然発生的なものもあるのではないかと」

 実際にはシステムの監視と記録の対象になるということではあるが。

「なるほど、精霊は我々とは異なりますが、もの思い方法さえわかれば言葉をかわすこともできる。どうやって生まれるのか、本人たちにもわからないようですが確かに存在はします。ここにもいますよ」

「ほう、何か言ってますか」

「彼らはあなたには関心がないようだ。どちらかというと彼女について何かひそひそ語り合ってますね」

 彼女、と言われたのはちょうど質問がおわったか青い円筒がきえて出てきたイトスギだった。疲れた顔をしている。

「ちょっとだけいい? 」

 彼女は俺の背中にもたれかかった。

「ありがとう」

 わりあいすぐに復活する。

「じゃ、俺も二回目いってくる」

「気をつけて」

 ぐったりすわる彼女に子爵が茶をすすめる。まめな男だなと思いながら俺はボタンを押した。

「今度はなんだ」

 ふたたび俺の鏡像。

「放浪者とはなんだ」

「お前は疑問に思わないか。このリアリティ重視の世界に非常識な能力をなぜ発揮できるのか」

「ああ、思ってる。あまりにおかしすぎる。スキルの存在もおかしいが、俺のステータスは現実世界では絶対ありえない値だ」

「放浪者はシステムに特別に保護されている。許される限りの干渉をおこなってそのあり得ない事態を起こしている。これはリソースの問題と制限により一度に一個体にしか行えないし、外から来た者に対してか発動できない」

 なるほど、一度に一人というのは理解できた。

「それで、放浪者とはなんだ」

「強い回帰願望をもって上位世界にふたたび戻ろうと思えばどうするべきかな」

 質問に質問で返してきやがった。

「遮断されているなら接続するしかないだろう」

「そういうことだ。お前さんならもう理解できているだろう。そういうことだ」

「だが、遮断されてから長い。同じ方式でつながるだろうか」

「だからこそ上位世界からの来訪者や、上位世界の創造にかかわった者を繰り返し使っている。理屈はわからないが、本人がどこかに存在を続けているなら同じにはできないのでミームを継承した別の者としてここに生まれてもらうのだが」

 理屈がわからないわけがないだろう、と思ったがこいつは俺の鏡像とやらだ。俺がわからないことはわからないふりをするのだろう。

「それならこの旅の意味がわからない。再度問う。放浪者とはなんだ」

 鏡像はにやぁと嫌な笑い方をした。俺、こんなんだったのか。よく結婚できたな。

「補修設備は上位世界に行けるものだけしか操作できない。上位世界人はそのまま再現できない。可能性を育ててなってもらうしかないのだ」

「そしていまのところ全部失敗というわけか」

「正しい情報として伝わっていないので補足する。これまでに三名、送り出すことに成功している。彼らの仕事を完成させる者が必要だ」

「なるほど、わかった」

「続けて質問するか? 」

「いや、いまはいい。またあとで」

 ボタンが一つにへった台座の前に戻ってきた。イトスギが心配そうに見ている。彼女はなにものだろう。いや、彼女の原型となった偵察局員だ。それと、今や別個の人として自立しつつある彼女は俺にとって何者だろう。彼女は俺に従うよう条件づけられているが、それは彼女だけのことなのだろうか。

 台座を見ると、クエストはあとはナナカマドの古書店に、あの扉のところにもどるだけになっている。いよいよあそこが開くのか。開くと何があるのかわからない。だが、なんとなくひっかかるものがあった。これで本当にあがりになるのか?

 かつての俺が残した手記、そしてあの数式。あれはどういうことか。この俺がメンテナンスでクローズドにはいってたときのバックアップから呼び起こされたことに相違はない。

 ああ、そうか。

 あの時代の没入技術は本体の脳神経系にアクセスができることが前提だった。その限りのバックアップから生まれた俺には欠けている部分があったはずだ。

 そこを何で補ったのか。イトスギは記憶に自律型サーバント、つまりゴーレムの自我を複写して重ねた。最初の彼女は間違いなく一種のクラウドマンだった。俺が違うとなぜいえる?

 気付いた俺が自分の分析をやった結果があれだ。失敗じゃないか。

 彼女が自分を形成したように、俺も自分を形成しないとあの手記の主の二の舞となる。

 これは、これからが本番だ。

「よし、あと一回残っているけど、もういい。いつかまたにしよう」

「早ければ明日でもいいですよ。孤雁殿の息子さんを釣れてくる予定ですから」

「思い付いたらお願いしますよ」

 いやたぶんそれはないだろうな。

「じゃあ、せっかくなので」

 イトスギが楼閣を指差した。

 絶景だった。水平線と島々と大陸、はうように飛ぶ鳥たち、真っ白い帆の船団。そして吹き飛ばされそうな強い風。イトスギがぎゅっと腕をつかむ。彼女からの接触、増えた気がする。

「寒くないか? 」

「くっついていい?」

 くっつかれた。外套越しに感じるその体は小刻みにふるえていた。動じないこころの内側で何かが暴れている気がする。それに従っては後戻りできない気がして、押さえ込む。

「堪能したし、降りようか」

「わかった」

 ひたすら古びた楼閣の階段を下りる間、俺たちは無言だった。

 宿に戻ると、女王が待っていた。話があるらしい。

「名残はあるが、ここらで道をわかとうかと思うのじゃ」

 それはまったく彼女の自由だ。

「路銀はあるのか? 」

「盾の迷宮で稼がせてもろうたよ」

「どこか行く宛はあるのかい? 」

「そうじゃのう、海をわたろうと思うのじゃ」

「あなたの強さは知ってるが、女の一人旅は面倒が多いと思う。大丈夫か」

「ああ、それでの、ハガネもしばらく一緒してくれることになったのじゃ」

 ハガネもいくのか。

「まあ、俺にあんたを止める理由はない。強いていえばここまで費やした金のあんたの分を返してほしいくらいかな」

「こまった、それをするとおそらく素寒貧になる」

「では、借用証をかいてくれ。再会したときに返してくれればいいさ」

「利息はどうなるのじゃ」

「期限関係なく固定五割でいい。面倒だ」

「今返してもかえ? 」

「借用証書く前なら同額でいいが、素寒貧だよな」

「むむむしょうがない」

 借用証を作り、内容を読み合わせながら女王がこれからどうするつもりなのかを聞き出せる範囲で聞いてみた。

「国を作ろうと思うのじゃ」

 海の向こう、混沌の大陸にわたってまっとうな国を作ろういうのだという。

「魔人が暴力と恐怖で支配してるようなところがごろごろしておってのハガネも強いものと戦えると乗り気になってくれておる」

「それはまた大変なことを」

「まあじっくりやる。魔人ではないが、彼らの不老のやりかたは真似できることがわかっておるのでの。そしてどの国家にも劣らぬ強国を作り上げるつもりじゃ」

 彼女ならやりとげるだろう。そんな予感がした。

「返済額は百倍にしとけばよかったな。そんな国の偉いさんならこんなのはした金だろう」

「いや、今はまだ生死をわかつほどの金額なので勘弁しておくれ」

「ハガネにも同じの書かせるよ、それから何か餞別をあげよう」

 その夜、俺たちは別れの宴を開いた。市場で海鮮を仕入れ、鍋をかり、薪を買って浜辺で煮込みを作り、酒を振る舞う。クレイも火の番、料理の番で呼び出した。彼らの乗る船は四日後に出航するそうだ。他愛のない話が延々続き、イトスギと女王は酩酊して抱き合って名残をおしむ。

「ハガネ、あんたにはこれをあげよう」

 インベントリから彼のスタイルにぴったりだと思う剣を出して渡す。ほっそりした速度重視に見える剣だ。

「ふむ」

 あまり喜んでいない。それはわかっていた。

「使い方を実演してみよう」

 薪を投げて目にもとまらぬ早さで刻み目を数本入れる。はじかれ空中にういたところに重い一撃をいれ、真っ二つに。

 ハガネの目が大きく開かれた。

「もしかして、その剣は重さが自在なのでござるか」

「そうだ。重いほうはここまでいく」

 最大に重くして地面にずしりと突き立てる。持ち上げようとしたハガネは驚いた顔をした。

「これは、魔人の本気モードでも持ち上げるのは大変ですぞ。本気で打ち込んだら城門も破れそうでござる」

「イメージした通りの重さになるから使いやすいとこで調整してくれ。ただ、これを使いこなすのはかなり難しいぞ」

「強度もとんでもないですな。これはよいものをいただきました」

 何しろ重さを変えながら振り回すわけだから加減がとにかく難しい。それをわかっていてもハガネは大喜びだった。使いこなせば相手は翻弄される。

「長さも少し変えられるから間合いを崩す事もできるぞ。慣れると普通の剣が使えなくなるかもな」

「なんのなんの、これもふくめてなんでも使えるようになればよいだけ」

「で、わらわには何をくれるのじゃ」

 座った目の女王がしなだれかかってきた。酒臭い中にフェロモンの刺激を受けてどきりとする。こういうことは今までなかっただけによけいだ。彼女とは理性的な話ばかりで、えらくセクシーな人だってことを忘れていた、

「はいはい、まずは水でものもうね。トネリコがこまってるじゃない」

 イトスギがそういってひっぱがす。減るもんじゃない、減りますというなんかお約束のようなやりとりをやっている。相変わらず仲はいいが、女王のほうにはからかっている風情がある。

「おまえさんへの餞別はこれだ」

 インベントリからずっしり重い袋を出して彼女の前に置く。

「ん、なんじゃ」

 小言から逃げる絶好の機会を女王が逃すはずはない。どれどれとなんだか嫌らしい手つきで袋の中身を確かめる。

「金と宝石と、なんじゃこの眼鏡は」

「その眼鏡をかけて見れば壁があろうと生命がそこにいるかどうかわかるようになってる。そいつが敵なのかどうかは状況で判断してくれ。警戒に使ってくれれば不意打ちは回避できるだろう」

「で、この金は? 借金はどうなるのじゃ」

「あれはあれだ。これは投資だ。初期投資だから将来とんでもない額で回収できるだろうね」

「油断ならんのう」

「うまくつかってくれ。順調にすすむことを祈るよ」

「おう、ことがなったらいつでも回収にこい」

 女王は豪快に笑った。そして不意に俺をぎゅっとだきしめた。

「感謝する。これで十年は稼げた」

 女王に渡した金額は膨大な俺の持ち金からしてもかなりの額だった。千人くらいの軍隊を半年は楽々運用できるだろう。だが、それだけではだめなことは女王ならよくわかっているはずだ。

「クレイと私からも餞別があるわ。出航少し前になるけど楽しみにね」

 イトスギがにこやかにそういうと、女王は俺から体を離してなぜか警戒する。

「何をくれるつもりなのじゃ」

「いいものよ」

 にこにこしている。女王はクレイのほうをきっと睨んだ。

「自走式自爆人形とかそう言うのは却下されたのでご安心を」

 クレイは残念そうだが、却下されてよかったアイディアだ。

「まあ、いいわ。楽しみにしておくわ。で、そっちは王国の商都に戻るのであろう。いつ出発? 」

「五日後にアシハヤが北方に出発するらしい」

「気をつけてまいられよ」

 翌日から俺たちは老商人から使っていない倉庫を一つ借りて準備にはいった。クレイはイトスギに手伝ってもらって何やら組み立てているし、俺は俺で馬車のメンテナンス、携行食料や地図の準備、そういった作業にいそしむ。日数は十分あるようで、ぜんぜんない。そして四日目、出航する女王たちの見送りに俺たちは向かった。俺、イトスギ、クレイ、そしてもう一つほっそりしたマントフード姿。

 宿の部屋は荷物が散乱していた。これからこれをまとめて明日乗船するらしい。

「すまないね」

 薄着でも悪びれない女王。額には汗。ハガネは使いにでているらしい。

「大変そうだね。手伝おうか」

「いや、いいよ。正直、どう手伝っていいものか途方にくれておる」

「では、この餞別を役に立てて」

 イトスギがフードマント姿においで、と声をかける。

「まさか、奴隷とかいうのではないよな」

「あなたの時代にはあったかもしれませんがこの娘はちがいますよ」

 顔を見せると血の気はあまり感じないが奇麗な少女の顔が現れた。

「あなたほどの人が侍女もなしに国を立てようって間違ってませんか」

「いや、わかるがその娘はどこからきたのだ」

「私が作りました。正しくはイトスギ殿との合作ですが」

 クレイが得意げな顔をする。

「造形はクロニス様の薫陶です」

「ゴーレムなのかえ」

「あなたにはこれから敵も多くできるでしょう。この娘はあなたに秘密を持ちません」

 少女型ゴーレムは優雅に会釈した。

「あたしに名前をいただけませんか」

 それで、彼女は女王のものになる。

「この短期間でよくまぁ。役に立つのかえ」

「ゴーレム王の空中ライブラリから侍女ゴーレムの知識を移植してあるので、一から教える必要はないと思うよ。人格祖型は私のを学習させた。統合と一体化はあなたが名付けたときから始まる」

 いま、さらっととんでもないことを言ったな。しかも一つじゃないぞ。

「何ができる? 」

 女王は侍女ゴーレムに質問した。ベッドメイキングから着替えの補助、洗濯といった屋敷仕事から野営の補助まですらすら述べ、さらに力仕事と最低限の護身術まですらすら述べる。

「わかったわかった。クレイ、クロニスから受け取ったのは技術だけではあるまい」

「剣の迷宮で回収されたコアも二つほど。一つはこの娘になりました」

 それはそこらで売ってるゴーレムとは一線を画すということだ。

「よかろう。そなたの名前はこれよりウラニアだ」

 少女、ウラニアの顔つきが変わった。似せただけのはずの目に光がやどったかのように表情があらわれる。

「確かに頂戴いたしました。わが主。なんなりとご命令を」

「イトちゃんの人格写したわりには素直じゃの」

「それでは失礼しまして」

 命令を待たず、彼女は散らかった物品に手をのばした。

「これは扱いがまちがっていますので直します。かまいませぬね」

 おいおいと女王の顔が物語っていた。

「口うるさいとはきいておらんぞ」

「あなたがだらしないと、小言のほうが成長していくから」

 にやにや笑うイトスギに、女王は美しい眉を逆立てた。

「ゴーレムというのは素直で従順なのではないのか」

「それでは面白くないので、はりきってみました。わたしだと思ってかわいがってね」

「かわいくないわ。それより、これほどの出来だと船賃要求されるではないか」

 俺は笑った。

「わかった。払っておくよ、これから船長のところへ行く」

 散らかっていたのがどんどん片付いていくのを見て、女王が安堵してるのがわかった。

 その夜は、せっかくということで倉庫でハガネの手料理をごちそうになることになった。

「拙者の料理も食べ納めでござる。さあさあ遠慮なく」

 それで終わりかと思ったら、最後に彼は試合を求めてきた。油断していた。こいつは戦闘狂でもあったのだ。

 結果は二対一でかろうじて勝ち越し。終わった後にはいくつか指南までつけてくれた。

 よくこいつに勝てたと思うような見事な指南だった。片付けを手伝っていたウラニアがなぜか俺たちを見てため息をついたような気がした。

 彼女もまたいつか人間として認められるまでの数理的意識世界を形成するのだろうか。

 翌朝、三人を俺たちは港で見送った。船は途中の貿易都市に寄港し、そこで目的地に向かう船を探すのだという。剣豪然としたたたずまいのハガネ、旅の侍女という風情のウラニア、そしてこれはウラニアの手によるのだろう。旅の貴婦人めいたみなりの女王は貴族のマダム一行にしか見えなかった。足りないとすればもっと大勢の使用人だろう。彼らの大荷物は雇った人夫の手で運び込まれた。

「あれはなにか考えてますね」

 腕組みして苦笑いするイトスギも初めてみる。

「貿易都市は中継点だろう」

「つまり、そこでしかできない事もあるということです」

 船は順風をうけてどんどん遠ざかり、とうとう見えなくなった。

「さあ、今度はこちらの番です。明日の準備をすませてしまいましょう。今日はアシハヤ殿もきますし。忙しいですよ」

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