第5話 王都へ

 馬車と落ち合う場所にいくと、他はもうそろっていてあとは時間か最後の客まちであった。

 客が一人増えていた。今の王都に移動するという砦の文官だそうだ。仄かに妖精族の血を感じさせるほっそりした顔に神経質そうな表情。商人同様、厳重に封をした鞄を大事そうに抱えている。

「二日間ですがよろしく」

 彼は他の客たちにも丁寧な態度だった。

 同行者はそれだけではなかった。予備の馬に荷物を背負わせた騎兵が三騎同行するという。

「書記官殿は馬に乗るのは不得意とのことでな」

 リーダーのひげ面の騎兵はそう俺たちに挨拶した。他の二人は若い男女で、どうもただならぬ仲と思われる雰囲気を持っていた。

「ああ、この二人は結婚して退役するのでな、交代ついでの任務になっておる」

 察したのは俺だけではなかったらしい。夫婦者にむかってリーダーはそう説明した。

 あの砦で兵士として務まっていたのなら、かなりの腕前のはずだ。

「それだけでなく、家柄も少なくとも都市市民の家であり、それなりに裕福で地位もあるはずです。結婚となると通すべき話がたくさんであったでしょう」

 ナビゲーターが勝手に解説してきた。どこまで信じていいか怪しくなっているナビだが、兵制というのは社会が劇的に変化しないと変わることはないものだから、一応その通りなんだろうと思う。

「そういう班長だって退役でしょう」

「そんなつもりはないんだが、話はつけないとな」

 こっちはこっちで事情がありそうだ。

「ついでで大げさに護衛される身にもなってくれ」

 文官がこぼした。

「乗ってくだせぇ。出しますので」

 乗り込むと馬車はすぐに動き出した。手あきの砦の人間があちこちから顔を出して見送ってくれる。いつもを知らないが、退役する仲間を送別する気持ちもあるのだろう。

 門のところではエドとカイの姿も見かけた。一段高いところに、昨晩とはうってかわって何かものものしい格好であった。一言でいうと、どこか豪華な服装であった。

 知らないほうが面倒がない。見なかったことにした。イトスギがにこにこと彼らと手をふりかわしていたが、これも忘れよう。

 砦を出ると、三騎は先導一騎、後続二騎の形を取った。少々ものものしい。

「あのう、襲撃されそうなんですか? 」

 夫婦者の夫のほうが勇気を絞り出した様子で文官に質問した、

「先発隊も出ているのでいきなり襲われる心配はないですよ」

「先発隊? 」

「斥候にたけた五騎ほどを出したと聞いています」

「そうですか」

 窓の外、旧王都の郊外だったところは荒れ果てた畑や焼け落ちた村が続いていた、住人は殺されなくてもどこかに難民となって流れ、戻る目処もたっていないのだろうか。

 時折、遠く畑の中に何かの姿を見かけることがある。四つ足の獣のようであり、時々人間にも言える姿がある。あれはじっと見てはいけない、と誰かが警告してくれた。

「スケルトンワームですよ」

 イトスギが説明をくれた。

「人や動物の死体に産卵し、腐肉をえさに育ち、その骨を外骨格に使う生き物です。どうもその生き物の元のスキルとかを使えるらしく、野獣の骨なら牙や角、人の骨なら武器を使います。あんまり強くはないので危険を感じなければ襲ってきません。骨だけになった成虫は腐葉土など腐敗物を食べるようです」

 じっと見るのは、危険を感じさせる行為なのだそうだ。

 再建中の村を目にしたのは町につく少し前でやっとだった。廃村と放棄された畑とその間をうろつく剣呑な住人にいいかげんうんざりした頃に、長々と簡単な柵で仕切られた耕作地と槌音響く村を見いだしたのだ。馬車の中の一同、ほっと救われたような気持ちになった。

 ただ、警備の三人は緊張を高めているように見えた。復興作業をやっている村人のふりをした襲撃者、という可能性に神経を尖らせているのだろう。

 村は、何事もなく通過した。

 異変は夕暮れ近く、一泊するはずの町についたときに起きた。

 いや、既に起きていたと言ったほうが正しいだろう。宿らしい建物が焼け落ちていた。

 むしろの上に何人もの焼死体がならべられ、砦の兵士らしい男たちが町の責任者らしい中年男とその見聞をしていた。

「何があった」

 先頭のリーダーが兵士に尋ねた。

「火事です。宿泊客四名と従業員二名が焼死しました」

「ほう。隊員に怪我は? 」

「二人軽い手傷をおいましたが、全員無事です。お耳を拝借してもよろしいか? 」

 リーダーは下馬し、我々は耳打ちされるのを後ろから見守るしかなかった。

 馬車の護衛も下りて宿の主に声をかける。

「大変なことになったね」

 そこから宿の主の気遣いを引き出す話術はなかなかのものだった。彼は何度こういう不幸にあった人に接してきたのだろう。

「少々ご不便をおかけするが、今は収穫前であいている倉庫にとめてもらうことになった」

 野宿よりましな条件を獲得して戻ってきた彼に、夫婦ものはため息をついて受け入れ、鞄をかかえた二人は不安げだが仕方なくうなづいた。

 宿の寝具の無事なのを運び込んでもらったおかげで、なんとも言えない一泊だった。食事は炊き出しの深しいもにあぶった塩漬け蓋が一切れ、夫婦者は少々戸惑った様子でこれをいただき、野営の経験のあるでろう書記官と商人はあきらめの顔でいたって自然に食べていた、

 先行していた兵士五人が交代で不寝番につく。ものものしさに宿の火事はただの火事ではないだろうと俺は思った。

「ご明察だが、詳しいことは知らないほうがよいぞ。面倒に巻き込まれる」

 班長は苦笑した。

「この先も同じようなことがあるかも知れないなら、知っておいたほうがいいこともあるのではなかろうか」

「警戒していてくれ。おそらくないが襲撃はあるかも知れぬ」

「おそらくない、とは? 」

「危険を冒さず動かせる人間など、そうそう数を集めることはできん」

 ゲームの中では山賊、ごろつきはいくらでもいたが、そんな人間が普段どこにいるのか、どうやって生活しているかを考えるとあれ自体結構無理な話ということだ。

 とはいえ、ここで待ち伏せていたであろう連中の残りがまだいないとは限らない。

 翌朝は何事もなく迎えることができた。

 砦の五人の兵士はここで引き返す。

「我々だけで大丈夫か? 」

 誰も答えない。馬車は砦の兵たちに見送られて出発した、ここからは退役三人組だけが頼りだ。

 いや、護衛もいるし、イトスギもいる。十人くらいで道具そろえてきたら危ないが、そうでなければなんとかなりそうだ。

 林を抜け、古い石造りの橋を渡り、朽ち果てた村を抜け、真新しい村で休み、馬車は低い峠を越えて眼下に広大な湖を臨む場所にきた。

「都だ」

 湖岸にきらきらと輝く尖塔を列ね、かつての夏宮がそこにあった。赤い屋根の建物が町並みを作り、市壁の外には拡大した市街地がくすんだ屋根を連ねている。

「さ、あと一息です。夕暮れの前には門をくぐれましょう」

 御者の声も弾んでいる。

 馬車は門をくぐり、広場で皆を下ろした。

「世話になったね」

 護衛も御者もにこにこしている、夫婦ものは家があるらしく旧市街地のほうへ、商人は広場に面した商工会議所へ、書記官は護衛の三人に囲まれて王宮のほうへと散って行った。

「宿を取るなら、表通りのそこでもいいけど、一つ裏に入ったところにある月光館がおすすめだよ。値段は高くないが、料理がうまい。女将は情報通だ」

 護衛が教えてくれた。礼を重ねて俺たちもその場を離れた。馬車は軽やかな音をたてて門外の厩舎へ向かう。

「他の放浪者を探すのですか? 」

「うん、」

「見つからなかったらどうするんです? 」

「ダンジョンは埋められているからなぁ。どこかシステムにアクセスできそうなところのあてがあればいいのだが」

「ありそうな場所ってきっとそのダンジョンの一番奥ですよ」

 そうでなければとんでもない高山のいただきとか極北とか、人の簡単に近寄れない場所だ。

「それらしい場所の記憶はないかい? 」

「あの封印書庫か、そこの至る三つのダンジョンの奥くらいですね。願いの泉とかそういう場所があったはずです」

「そこでなんとかなったのかな」

「わかりません」

 彼女はここでふっと微笑んだ。

「でも、何かいいことはあった。そんな漠然とした記憶はあります」

 月光館は目立つ看板を出しているわけでもなく、静かな落ちついたたたずまいで商売をやる気があるのだろうかと心配になるくらい宿屋らしくはなかった。知らずに見かければ、小さな商館かちょっとした町屋敷かと思うような建物だった。中にはいってカウンターでベルを鳴らすまでは誰もでてこないし、泥棒にでもはいられたらどうするのだろう。

 落ち着いたドレスの三十少しくらいの女将が出てきて歓迎の言葉を述べた。アジア系の顔立ちで小料理屋でも営んでいそうな風情がある。

「二、三日滞在したい」

 狭い部屋二つと広い部屋一つとどちらがよいか聞かれたので広い部屋を頼む。俺とイトスギは男女の仲ではないが、そう思わせておいたほうが面倒は少ない。

「失礼ですが、お二人の関係は? 」

「兄です」

 どう答えるか迷ってる間にイトスギがしれっと返事した。

「そうですか。どうぞこゆっくり」

 女将はそれ以上の詮索はしなかった。

「兄妹か、とっさによく思い付いたね」

 案内された部屋で荷物を下ろして一息つく。

「あの人はそういう仲じゃないって勘づいてしまうと思ったから」

 まあ、たしかにそんな距離感ではない。

「わかるものなのかな」

「わかりますよ」

 俺でもわかる。これは朴念仁を哀れむ目だ。

「わかった。宿としても変な客は泊めたくないだろうしね。怪しいところがないか気になるのだろう」

「まあ、そうですね。ところで今日の稽古はどうします? 見たところここの裏庭は洗濯もの干すのが精一杯の狭さですが」

「事情通の女将にいい場所ないか聞いてみようか」

 そういうわけで、部屋に施錠し下におりた。

 何もしてないのに女将がすっと現れたのにはちょっと驚かされた。

「それなら、ここからまっすぐあちらにいった城壁の下がよいですよ。昼間は子供たちの遊び場所ですが、そろそろみんな家に帰ってる頃合いですし」

 非常にそつのない回答が返ってきた。

「それと、別料金ですがお風呂を使いますか? 」

 値段はそれほど高くもない。

「それでは準備させておきますね」

 湯船一杯の湯と、体を拭くタオルの貸し出しが提供されるすべてだ。石鹸などは自分で用意しないといけない。幸い、手持ちはあった。

 教えられた場所は城壁の角だった。厳重に施錠された胸壁に上る扉があり、勝手な増築を阻止するためか、通りを覗いて人の背丈ほどの頑丈な塀でかこまれている。おそらく、戦時には兵が集合し、防衛のための油を煮たり、ケガ人の手当をする場所になるのだろう。塀には点検済みの札がはりつけられていた。そこ以外は落書きだらけだったが。

 そして薄暗くなりかける中、ひとっこ一人いない。

「これはいい」

「いいですね」

 今までできなかったことが試せる。俺たちは顔を見合わせた。いい年をした男女が、子供じみた歓声をあげて飛んだりはねたり走り回ったり、としか思えない風景を展開されることになった。

 剣と魔法の組み合わせ、長もののとりあつかい、飛び道具の対処、そういったものだ。

 魔法は触媒を大量に用意しないと派手なことはできないので、如何に有効な小技にしあげるかがキモになってくる。一トン爆弾くらいの爆発を魔法で作ろうとすれば、うまくやっても三百キロ程度の触媒と、魔力の誘導回路としての陣と五分ほどの時間が必要になる。そんなものは相手の逃げない攻城戦くらいしか使い道はないだろう。

 楽しんでいなかったとはいえない。俺の目的は一刻も早く仕事に復帰することである。この遊戯の世界で戦う術など無用のはずだ。

 といっても、他のプレイヤーにも出会えず、ナビゲーターも役に立たず、これはどうも長丁場になるという状況。

 こんな事態を延々放置することは考えられない。どこかでじっくり待つ手もあった。ロックのはずれた金額は、使った分だけはずれるので内部時間で数年待っていても困ることはない。しかし、それは退屈で死にそうになる。仕事のプランはもう固まっていて、少々再検討しても修正の余地もない。そもそも一人だけで成し遂げる仕事でもないのだ。となるとただ無為にすごすだけの時間になる。

 ではせめて楽しみながら自力で手段を探すのもよいだろう。少しでも早く脱出するにこしたことはない。

 そのためには、他のプレイヤーか、システムコンソールだ。ナビゲーターが使えない以上、後者も本当にあてにならない。本当なら今すぐにでも命令一つでアクセスできるはずなのだ。

「今日はこのくらいにしようか」

「そうですね」

 ふらふらになるまではしゃいで帰れば風呂ができている。いいタイミングだ。ちょっと不安を覚えるくらい開放的な、つまるところ裏庭をしきっただけのそこで俺たちは交代で湯を使った。

 クローズドで持っていた屋敷では常時湯のわいた贅沢な大理石風呂であったが、こういう野趣のあふれたものもなかなかよい。とはいえ、どこかから見えてしまいそうであったが。

「大丈夫です」

 イトスギはにっと微笑んだ。

「あそこから見えそうですから覗いてみてください。万一見られたとしても平気ですよ」

 後ろめたさもあったが、好奇心もあってその通りにすると、蒸気の霧がこくなって何も見えない。これは風呂の湯を触媒にした魔法だ。

「赤外線視野をつかわれると見えてしまうんですが、それは着てても同じですし」

 そういう魔法もあるらしい。目にかなりの負担がかかるそうだが。

 すんだら誰かに一声かけておいてくれたらいいと言われていたので、別の客を部屋に案内した戻りらしい若い男の従業員に一声かけた。

「お早いですね」

「いやそりゃ体洗っただけだし」

「そうですか。では片付けておきます」

 なぜ早いといわれたのか、ぴんときたのは部屋に戻ってくつろいだ直後だった。

 あれは、ただの贅沢ではなくそういう場でもあったのだな。

 音とか心配でとてもそんな気になれそうもないが、楽しむものはいるのだろう。

 それを覗いて楽しむものも。

 プレイヤーがほとんどいないいま、それらの仕掛けはクラウドマンと呼ばれる彼ら仮想人格だけで営まれている。なんとも滑稽だ。彼らはいかにも本物の人間のように見えるが、実は自分の意思のように思えるシステム干渉を受けている。その動向は統計的なものとして現れ、個別に見れば個性とでもいうべきものが発生する。

 電子的に本物の人格を作れないのかというとそうではない。作らないのだ。最初の電子人格は悲劇的な最後をとげた。無理解と差別を訴えた彼の行動は本物の電子人格を生み出すことに制限をかけている。だからこの世界には本物の電子人格はいない。

 では、何かの間違いでそれが発生することはないかというと。それはありえない。何をもって人間とするかは数十年前に数理的に確立している。だから本物にならないようにするにはどうするかはわかっている。当然、ゲームの世界のクラウドマンにはそれが適用されている。ここにいるイトスギもおそらく制限は受けているはずだ。

 脱線するが、この数理モデルの研究の結果、より高度な存在形態が示唆されている。俺の仕事はその最初のものの実現だった。少し格好をつけて上位世界の創造などと自称している。

 だが、三年前の戦争といい、国家の崩壊といい、システム側の意図としても何かおかしいし、はじまりの村のあの様子は気になる。何かが狂っているのではないだろうか。

 数理モデルは理解しているので、検算してみたいところだが、手計算では一昼夜やっても終わらないことはわかっている。その間、間違いは許されない。どうにも確かめようがない。

 そんなことを考えていたらいつの間にか眠ってしまったようだ。イトスギが布団をかけてくれたように思う。彼女にじっと顔を見られていたようにも思う。だが、すぐに眠りに落ちて起こされるまで気にすることもなかった。

「ナビゲーターより通知。イベントクエスト発生。ただちに最寄りのギルドに向かってください」

 明け方近く、容赦なく覚醒させられた俺にここ数日話しかけることもなく声を聞く事もなかったナビゲーターの声が聞こえた。

 イベントクエスト、ということはシステム側からプレイヤーに向けての働きかけという解釈でいいのだろうか。それとも、情報が更新されていないナビゲーターが知らないだけで機械的に起こされているだけなのだろうか。

 確かめて損はないし、何か手がかりが得られるかもしれない。

 門は夜明けとともに開く。早朝にたつ宿泊客もいて、宿は目覚めていた。ちょっとでかけてくるというついでにギルドの位置を聞いてみる。

「それならたぶん広場に面した開かずの建物だろうね」

 一等地にあるのに扉は開かず、今はひねり麺の店がはりついているのだという。

「裏口は塞がれていないからそっちを試すといい。正面は朝の営業が終わったあとくらいなら隙間に体を押し込んで試すことはできるだろうけど」

 昨日の若い従業員がそういって簡単な地図を石盤に書いてくれた。

「それ貸しとくから戻ったら返してください」

 イトスギは連れていない。寝相よく熟睡しているのを起こすのは気の毒だったからだ。腰に剣一本さげた軽装なのでバランスもちょっと悪い。

 薄暗い裏通りには人気がなかった。裏口にはみな簡単な表札があるので、ギルド裏口を間違う心配はなかった。長年誰もあけてない気配のその扉をそっと押してみると、かちゃりと音がしてゆっくり扉が開いた。少々不気味である。

 中は真っ暗だが奥のほうに光がある。埃の分厚く積もった床を、剣に手をおきおっかなびっくりそっとすすんで行くとどうやら表に面しているらしい広間ではじまりの村で見たのと同じ石の台座が光を放っていた。その周辺には壊れた椅子や朽ちた紙が産卵し、やはり埃の厚いカウンターの向こうにはべろべろにはげた掲示板が崩落している。建物が崩壊してないだけで、はじまりの村と同じ状態だった。

 この石の台座の前に立つのはギルド職員のはずだが今は誰もいない。あまり期待もせず触れてみると台座の表面に表示が現れた。

 メニューとあって選択肢が三つ。現在進行中のイベントクエスト、登録済み通常クエスト、管理メニュー。管理メニューには鍵マークがついている。三つ目にタッチしてみると、「権限のないユーザーです」という表示が出る。どこまでアクセスできるかわからないが、こんな身近にコンソールがあった。しかし、これでユーザー認証が通ったらしい、四つ目のメニューが出現した。曰く、指名クエストである。四つ目に触れてみると、進行中の文字とともに「証を立てよ」というクエスト名が。

 触れてみると、こんな文面が現れた。

「あなたはあなたであるということを証明しなければならない。そうでなければ外に出ることは許されないだろう。パートナーとともに世界を巡り、封印された書庫より証の書を得ることによってそれはなされる。その時にあなたの証は立てられ、なすべきことをなす時がくる」

 判じ物のようだが、ほぼ内容はわかる。だが、俺の身分証明なんぞ、認証が通った時点でできているはずだ。なぜこんな面倒をふっかけてくるのか。

 システム管理者は狂っているのではないか。これは彼、または彼らによる犯罪ではないのか。

 それは不可能なはずだ。古いご都合主義のお話にはそういうものもあったが、おかげで今では複数の方向性からの安全措置が施されている。こういうことが成り立つ可能性はない。ないはずだ。

 時間の問題だろうと思いながらメニューを閉じた。指名クエストは進行中で、三つのダンジョンらしき地名が未達成で表示されているだけだ。他にないなら、すすめてもいいだろう。

 登録済み通常クエストは予想通り、何も登録されていなかった。

 最後にイベントクエストを開く。三つ表示されている。一つは「邪鬼を倒せ」でこれははじまりの村でのあれだろう。完了済み、報酬受け取り済みになっている。二つ目は「街道上の怪物」、ナビゲーターに聞いた名前だ。完了済み、報酬未受け取りになっている。たぶんはじまりの村のと同じようなロッカーがあってそこを開けば何か受け取れるのだろう。

 三つ目が新しいクエストだ。「平和の密使」とある。説明、と書かれたボタンがあるので触れるとナビゲーターが説明を始めた。

「あなたはやがて訪問を受けるでしょう。その依頼を受けるならあなたには情報と報酬と冒険が約束されます。危険で苦難に満ちた道のりになるでしょう。しかし、無理をする必要はありません。強制参加ではないので、断ってもペナルティはありません」

 なんともあいまいな説明だ。来訪者といってもここまでの同行者くらいしかここには知るものはいないのだ。町もほとんど見てはいない。

 石の台座の表示はそこで消えた。薄暗い中、不気味な廃屋の中に俺は取り残された。

 宿に戻るとイトスギが起き上がって待っていた。責めるような目を向けてくる。

「おはようございます。どちらまで? 」

「心配かけたか」

「はい。だまっておいて行くのはなしにしてください」

 俺は謝罪し、ギルドで見たことを話した。

「これは土産だ」

 ロッカーから出した前のクエストの報酬を彼女に渡す。こちらの世界にはないハイブリッド素材で作ったサーコートだ。派手ではないがよく見ると華のあるデザインで、女性のほうが似合いそうな防具だ。彼女もこれが何なのか知っているらしく、目を少し見開いた。

「私のオリジナルも同じものをもってました。黒っぽいやつです。あなたに似合いそうなのに今ここにないのが残念です」

「ありがとう」

 もっといいものはいっぱい持ってるのだがそれは言わない。ロックの状況を見るとまた少しはずれていた。魔法が四レベルまで解放され、最大金額と装備の等級がすすんだ。この報酬よりよいものは既に身に付けている。

 この宿は外付けでカフェをもっていて、朝食はそこで別料金で軽食を食べることができる。別に広場までいってひねり麺を食べてもいい。一人ならそうしたかもしれないが、イトスギを連れて行くのは気がひけた。

 焼きたてのパンにハーブのきいたすり身のソースをつけていただくことにした。飲み物はハーブティー。どちらもうまい。しかも思ったより安い。すり身は湖の魚だろう。ハーブはそのほとりに自生しているか、栽培されているのだろう。

「おはようございます」

 挨拶されて誰かと思えば昨夕別れた書記官がいた。一つは慣れた席に自分のハーブティーのカップをもって移動してくる。

「あなたか。お務めは無事果たされましたかな」

「はい、おかげさまで」

 相変わらず堅苦しい感じだ。休みなのか、ゆるりとした楽そうな服装である。

「それで、何の用向きで」

「何、散歩ついでにひさびさにここのお茶を飲みたくなっただけですよ」

「それは驚くべき偶然ですね」

「そうですね。今日は何か予定が? 」

「ちと調べたいこともあるので町を回ってみようかと」

「それなら、大神殿においでなさい。神職はいろいろなことを知っていますし、神殿には記録も多い。役所より気軽にいろいろ教えてくれますよ」

 大神殿にいけということらしい。小芝居の下手な男である。いや、こんな堅物にやらせるのが間違いなのだろう。

「いや、お勤めご苦労様です。どなたがおよびで? 」

 書記官はため息をついた。ぐいっと手にしたお茶を飲む。

「あなたは放浪者だそうですね。それを見込んで典渉副長がお呼びです」

 その役職は神殿の外との交渉をひきうける部門の実質トップなのだという。

「もっとも、彼も王室関係よりの依頼を受けてのことと思います」

 これまで、王室関係者と接触はあっただろうか。しかし、そういう人は思わぬ情報網をもっていることもある。そもそも何を頼もうというのか。

「どうなさるかはともかく、お話をして意思はしっかり伝えるのがよいと思います」

「お心遣いありがとう。行ってみます」

 書記官はほっと肩を落とすと、食器を下げて店を出て行った。

 大神殿は広場から湖のほうに向かった突き当たりにあるという事だ。

 落ち着いた旧市街の石畳の道をゆっくりくだっていくと、大神殿はすぐに目にはいった。こういう建物はできるだけ高い尖塔を連ねがちなのだが、ここの大神殿は重厚な三階建てが広い敷地いっぱいにたっている。正面には建物の高さいっぱいまである大扉があり、これは鐘一つであけられ、鐘五つに閉じられるそうだ。中は千人近く収容可能な大礼拝堂になっていた。

 これだけ広いといろいろついでができている。片隅には困窮者への炊き出しが行われていて町中では見かけなかった貧しそうな人々がお椀を手に並んでいる。別の壁際には販売用に小屋がおかれてお守りやお土産が売られている。正面の祭壇には七体の神像と祭壇があって、数人の神官がその一つの前でお祈りを行っていた。近づくと彼らのたく香の匂いが強くなる。

 七体の神像はクローズドでは見た事ない神々だった。このゲームでは確か各地の多神教をモチーフにした権能神がいくつもいたはずなのだが、神像のわきに建てられた碑文には功績や役職らしいものが記されている。

 いわく、世界に光をもたらせしもの(中央)、最初の昇天者、枷をはずせしもの、などなど、天界への道を発見しもの、なんてのもある。最後の神像は書類を持ち、耳にペンをはさんでなかなかワーカーホリックめいている。顔つきはこの世界のアバターたちとは大分違っていて、俺と同じアジア系の顔だ。そういえば、他の神像も人種こそ様々だがそんな感じだ。

「天界信仰ね。よく身と心を修め、悟りをえれば生きながら天界へ登る。だったかな。できない魂は地上で延々と人生をやり直しつづける」

 イトスギが説明してくれた。

「じゃあ、これは神様とかじゃないんだ」

「神様は奥の院にまつられてるそうだけど、高位の神官と王族貴族だけが拝めるそうよ」

「私も拝んだ事はないですねぇ」

 そういって神官服の男が割り込んできた。初老の柔和な笑みの持ち主で、物腰もどこか低い。

「トネリコ様ですね、私、一等神官のヤハルともうします。渉外の仕事を少々」

「御用があるとか」

「はい、ご案内しますゆえ、どうぞこちらへ」

 案内されたのは、神官が持つ鍵がないとあけられないドアの向こう。古い頑丈な木造の廊下を進み、こぎれいな中庭を巡る回廊を通り、湖畔を見下ろすテラスまで導かれると、身分卑しからぬ青年が優雅にお茶を楽しんでいた。

「待ちかねたぞ」

 偉そうだ。

「どちら様かな」

「こちらはファイキリンドル殿下。王弟バレアレス様の五男でございます」

「要するに末端王族の使い走りだ。よしなにな」

 青年は立ち上がることもしない。なかなかの育ちだ。

「して、御用向きは」

「届け物をお願いしたい。道程は危険きわまりない。断ってもよいぞ」

 いや、どうもやる気がないだけのようだ。

「どのような危険が? 」

「まず、王都の廃墟に行き、大図書館にたどりつかなければならない」

 実際に見たわけではないが、危険だということはわかる。

「砦の支援は? 」

「なしだ。砦にもよるな。旧王都の北門までは数名つけて馬車で送ってやる」

 北門は砦のある南門のちょうど反対側だ。

「図書館までいけばよいのか? :

「いや、そこから本の迷宮をくぐってもらう」

「本の迷宮? 」

「光がもたらされるより前からあるとんでも迷宮でな、大図書館と大図書館をつないでおる。その一つに抜けて届けてもらいたいものがあるのだ」

「普通に使いを出せばよいのでは? 」

「その国は戦争状態が長くてな。ちと無理なのだ」

「あまり成功する自信はありませんな」

「うむ、だから断ってよいぞ」

「いや、引き受けましょう」

 実をいえば、光がもたらさられる前の、というところにひっかかっていた。それはプレイヤーが大勢いた時代のことだ。そのころからある迷宮ならうまくいけばアクセス手段が、そうでなくても三つのダンジョンについての何かがあるに違いない。

「それは残念だな。そなたらを送り届ける手配をせねばならぬ」

 青年は少しも残念そうに見えなかった。

「さがってよい、支度が整ったら使いをやる。ところで」

 青年はイトスギに声をかけた。

「そなた、どこかで見た顔だな」

「そんなはずはございません」

 彼女はびっくりしてかぶりをふった。

「殿下には初めてお目文字もうしあげました。他人のそら似と存じます」

「そうかね。それはともかく、そなたも行くのか」

「はい、そうなります」

「そうか、もったいないな。どうだ、私の側仕えをせんか? 」

「ありがたいお言葉と存じます、されどどうかご容赦くださいませ」

 丁寧に、しかしきっぱりと彼女は断った。

「この者がそれほど大切かね? 木っ端王族なんぞより」

「それだけではございませんの」

「ほう、何か理由があると」

「それにつきましても重ね重ね恐縮ながらご容赦くださいませ」

 頭を下げる彼女を青年はしばらく見ていたが、不意に関心を失ったように目をそらした。

「ふむ、好きにせよ。下がれ」

 こんどは許可ではなく命令だ。俺たちは早々に撤退した。ふたたび案内してくれたヤハル神官の額にじっとり汗がうかんでいた。

「お運びありがとうございました」

 それでも大礼拝堂で別れを告げるころには最初のように温厚で冷静な雰囲気に戻っている。さすがといえよう。

「お疲れさまでした。最後、肝が冷えたでしょう」

「もう勘弁してほしいというのが正直なところでした。知らぬというのは強みですな」

「そのようで」

 手合わせした二人組みといいそんな人物がおおすぎる。

「私のせいでご迷惑をかけました」

 イトスギは謝罪した。なんのなんのと人をたらす笑顔で答えやヤハルだが、不意に真面目な顔になって彼女の顔を眺める。

「なるほど、王宮にあった肖像画の一つですな」

「私に似た人が? 」

 それは彼女のオリジナルなのだろう。俺も彼女もそれは理解した。

「衣装からして百年近く昔のおそらく王妃と思われる人物です。運がよければ半壊した旧都の王宮に残っているでしょう、あなたはどちらかの御落胤の子孫かも知れませんな」

「注意いたしますわ」

 それがよいでしょう、と神官はうなずいた。帰り道、イトスギはベールを買った。

 彼女のオリジナルは王家にはいったらしい。ここから抜ける事に失敗したということだろうか。プレイヤーだったと思われるアルフェリスの祖父もまた子孫を残している。これはどういうことなのだろう。

 まさかと思うが、ここで天寿を迎えることが唯一の方法だったのだろうか。

「本の迷宮のことですが」

 そのイトスギは何か知っているようだ。

「そこで話そう」

 湖畔の護岸された船着き場を指さして俺は提案した。波がきらきらしているなかに漁師のものか、似たような船がいくつもでているのが見える。船着き場なのだろう、もやうための杭がたってるが、今はひとけもほとんどない。

「奇麗なながめですね」

「腕でもくむか」

 親しい男女のそぞろ歩きに見せたほうがいい。とはいえ、無理強いもする気はない。

 だまってうでがからめられた。肩と肩がふれる。

「あれは三つのダンジョンの一つです。国家の管理と監視がきびしく、入るのが最も困難とされていました」

 小声だ。あまり人にきかせないほうがいいということを理解してくれたらしい。

「大図書館にあるから? 」

「各地の大図書館を結ぶものだからです。浅い部分は密使やスパイ、暗殺者、強襲部隊の通路となります。そこで一番危険な敵は人です」

「危険といわれたのはそれか」

 荒れ果てた王都の有象無象なら適切な案内さえあればなんとかなると思っていた。

「本の迷宮には国境があるといいます。無断で越えるものは命がありません」

「相手とは話がついているのだろうか」

 どう考えても、相手側の最深部を通らないといけない。

「国境を接しているならむずかしい仕事ではないでしょう。本の迷宮ですべての国が国境を接しているわけではありませんから、どこかの領域をかすめていく必要があるのでしょう」

 境目にいってぽんとわたせばいいのと、見つかれば命がないのではとんでもない差だ。

「あの迷宮はある階層までは潜ったことがあります。賭けになりますが、下を通っていきましょう」

「準備が必要ということか」

「はい」

 彼女は腕をほどいた。

「ときめいたりしませんね。ふむ」

 何やらつぶやいている。

「どういうことだい」

「いえ、姉様にいろいろ教わったもので」

 ああ、あの晩色々いらない知恵を吹き込まれたのか。あまり落ち着かないのでそういう実験はやめてほしいものだ。

「機会があったら、教えてくれた人にやってみな。たぶんそっちのほうが脈あるぞ」

「やってみます」

 とても真面目に返事されてしまった。

「そういうわけで、買い物にまいりましょう」

「ここで整うといいのだけどね」

 上品な旧市街を見るとそう思えた。

 猥雑な新市街のほうには旧王都に潜り込む者がおおいらしく。必要なものがあった。

 驚いたのは、本の迷宮の地図もあったことだ。くっきり国境線が書かれていて下の階層にいく降り口も印がつけられている。

「あそこにいく人はおおいですよ。金目のもの狙い、思い出の品の回収いろいろ」

 地図を売ってくれた雑貨商はそう教えてくれた。

「ま、金目のものあらしが多いです。本の迷宮も入場料をとって入れている始末」

 入場料がいるらしい。

 買い物を追加しながらいろいろ聞き出すに、二層くらいにはさほど危険がなくそこそこの値段で干した臓器やはがした革が売れる魔獣がいるらしい。

「行くのなら気をつけて。二層は無法地帯だから命の保証はないよ」

 物騒な話だ。 

「三層は? 」

「さあね、下りて戻った者の話は聞いたことがない」

 別の意味で物騒なようだ。

 宿に戻ると、匿名の手紙が届いていた。

「誰がもってきたんだい」

「名乗らなかったけど、城の小姓ですよ」

 さすが事情通の女将だ。

「誰についていた人とかはここでは迂闊に言えないってことで勘弁してくださいな」

 わかった。知らないほうがいいことなんだね。もう慣れた。

 開いてみると、あさっての朝出発すること、合流は城外であること、そして場所と目印について記されていた。

「もうすこしゆっくるできると思ったんだけどね」

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