第3話 新しいパートナー

 暗くなり始めたころ、ナナカマドの町に馬車はすべりこんだ。閉門ぎりぎりだった。

「大きな町だろう」

 自慢げにいう護衛と、御者のコンビが住んでいる町でもあった。

「だが、その分危ないところもあるからね。北西の一角は避けたほうがいい。そこの通りを南西にまっすぐいったところに宿が三軒並んでる。どれでもそんなに高くないが安心して泊まれるからおすすめだよ」

 アルフェリスには迎えがきていた。鎧こそきていないが、大剣をせおったごつい大男と細い剣をさげた女。うやうやしく彼女に一礼する。

「大儀。遅くなってすまぬ」

 うちとけたと思ったその顔は隊長としての顔となり、難しい顔で報告を受けている。彼らは卸した荷物をかわりにかついで話しながら去って行った。

「じゃあ、わしらも家に帰ります。二日後、ここで鐘二つに」

 護衛と御者も楽しそうに馬車をまわして去って行った。

 ぽつんと残された寂しさといったら。

 気を取り直し、宿を取るべく教えてもらったほうへと俺は歩みをすすめた。

 大きな町で、広場の市場はもうほとんど引き上げていたがちらほらと飲食店があいていて御機嫌な声が聞こえ、行き交う人の姿も多い。宿と書かれた看板を見つけ、手前から入ってみる。

 カウンターに立つのが色気たっぷりの妙齢の美人なせいか、その宿は満室だった。次の宿は大きな隊商によって貸し切りになっていた。部屋はあるのだが、隊商に護衛の必要な同行者がいて、その関係でだめらしい。

 最後の宿も駄目だったらどうしようかと思った。ここは子供がカウンターにたっていて、部屋はあいているということだった。

「ただ、うちは人外の客がおおいけど、大丈夫? 」

 子供は男女どちらかわからない身なりだが、どうも女の子のようだ。妙に毛深く、ちらちら後ろに見えるものがなにかと思えばしっぽだ。

「人外? 」

「あたしのような有尾人、岩小人、森妖精、角鬼、そんな連中さ」

「俺も半分そっち側だ、問題ないさ」

 子供はじろりとこっちを睨む。

「ああ、よく見ると確かに古妖精の目だ。お高くとまってないならとまっていくといいよ」

 そこで何がおもしろいのか、きししと笑う。いや、自分が無意識に出しただじゃれに受けているようだ。見かけは子供がこの中身はいわゆるおっさんではないのか。

「いや悪かったよ。食事はすんだかい? まだならいい店を紹介するよ」

 前金と鍵を交換しながら子供はまだ笑いの余韻にひたっていた。

 食事は小麦を練ったやつをゆでてスープに浸したもの。出発の朝、御者と護衛がたべていたひねりスープだった。これにあぶった三枚肉がのっている。

 うまいが、いろいろ足りてない感じだ。塩味は薄い、風味づけのハーブは一種類だけ。香辛料の類はない。魚醤は川魚なのだろうが、あまりきいてない。といってもハーブがいい感じに引き立ててくれるので物足りない程度ですんでいる。体も温まるし、ちょっと幸せな気分だ。

 一つわかったことがある。ナビゲーターのもっている情報は古いということだ。イベントモンスターを配置するなどシステムは生きているし、それに関しての情報は正しかった。だが、町のガイドとなるとこの世界の歴史としてもかなりずれているのだ。

 例えばいま出てきたひねりスープの店、ナビゲーターにきくと誰々の家としか言わないし、店主は全然違う者だった。ナナカマドの町ならおすすめのグルメとかの店の場所を見ると、十年くらい誰もすんでいない感じの廃屋だった。

 そう、廃屋である。イベントのためでもなければ廃屋などあまりないはずなのに、ナナカマドのまちにはちらほらある。宿にもどって受付と話をすると、珍しいものではないらしい。治安に不安のある北西の一角は表通りの一部をのぞいて全部廃屋らしい、

「おかしなやつがおおいから絶対いっちゃだめだよ。夜遅く出歩くのもだめ」

「領主は何もしないのかい? 」

「戦争で受け入れた王都の難民だからね。あてのあるやつはとっくに出て行ってるし、今更どこに追い出すのかってことになるし」

「難民なんだ」

「もともとあのへんは人がいなくなってた一角だしね。戦争がなければ取り壊してなにか作ろうかって話もあったよ」

 ナビデーターによれば、その一角には冒険者ギルドがあり、冒険雑貨や武器防具、魔法関係商品の店、そして飲食店に宿とずいぶんにぎわっていることになっている。

 システムとワールドはずいぶん更新されているが、ナビゲーターが更新されていない。おまけに戦争で荒れている。どうもいやな感じだ。

 夜は危険と聞いていたので、魔法の練習と情報の整理をすることにした。

 ナビゲーターに地図を視界に投影してもらって確かめる。ここは東方王国。西に中央帝国。この二国は北の邪鬼の帝国の南下に拮抗するため友好関係にあるとある。

 だが、今は王国と帝国は戦争の傷跡深く、聞けば帝国は内乱のさなかだという。では北の邪鬼の国はどうしているのか。

 ここまでの旅で彼らのことは聞こえていない。この地図の設定の通りなら、このチャンスをのがすはずがない。いや、それがわかっていればここまで帝国と王国は戦ったりはしないだろう。

 情報が更新されていないということは、ナビゲーターはシステム本体から切り離されているのかもしれない。だととすればログアウトなどできないのは理解できる。

 だが、俺はなぜここに放り込まれたのか。そいつにコンタクトできないか。

 まず、ナビゲーターコマンドを片っ端から試すとことから初めた。

 翌朝、強いノックの音で目がさめた。いつの間にか眠ってしまったらしい。さわやかとは言いがたい気分で起きたところで二つめらしい鐘の音が聞こえた。

 寝過ごしだ。しかし、二泊することはいって金も払ってあるのだから叩き起こされる覚えはない。

「あんたにお客さんだよ。あけとくれ」

「どちらさまだい? 」

 一応剣を手元に持つ。

「水の司様だよ。さっさとあけとくれ。ご無礼はなしだ」

 なんだろう、その位。

「ちょっとだけ待ってくれ。身なりがひどい」

 寝乱れて皺だらけの服をひっぱったりのばしたりでいかにもという風情だけはなくす。

 ドアをあけると、受付にいた子供ににた太めの女性と、温厚そうなごま塩頭の男がいた。

 身なりからいって宿の女将と水の司殿だろう。

「お待たせしました。トネリコ、放浪者です」

「私はこの町の上下水道の管理をしておる金の子馬家のカケスという。歴史を少々研究しておってな。よろしければ少しお話を聞かせてもらえぬか。もちろんただでとはいわぬ。食事と些少の謝礼の用意がある」

 このタイミングなる腹をなんといえばいいのだろう。イベントはもうしかけてないのじゃなかったのか。

「朝からごちそうになっても大丈夫ですかな」

「ちょうど私も自分の分をかってかえろうと思っていたところです。屋敷までどうぞ」

 身分があるのだから使用人くらいいるのではないかと思ったが、案内された屋敷を見ると半分廃屋になっている。

「失礼ですが、お一人で? 」

「通いが一人おりますが、掃除と夕食の準備くらいです。三年前の戦争で本家がつぶれてしまいましてな」

 本家の荘園は帝国との国境にあったが、いまもあちら側に占領されているのだという。この人の兄とその家族はそのままあちらに抑留され、かえって来れないとか。

「それで、給料でなんとかできる範囲にとどめているのですよ」

 嘘だ、と思ったのは蔵書の量を見合たときだ。梱包をといていない本の束、開かれた橋からよんでるのがわかる読書テーブル、この人は生活を切り詰めて研究なのか趣味なのかにつぎ込んでいる。

「さて、まずは食事を」

 がさごそとバスケットから出したのは大きな葉でつつんだピタパンが二つ。もろもろ刻んで炒めた具に香りの強いソースを塗って、ひきわりパンで巻いたものだ。片手で食べられるのが選んだ理由だろう。

「どうぞ」

 味は悪くはない、いや大変美味しいのだが、水の司という上下水道の責任者といえばかなりの重責。それを担うだけの人の食事と考えると何か間違ってる気がする。

「勤めは昼からなので、それまでお話をうかがいたい」

「こちらもいろいろうかがってよろしいか」

「よいですとも。だが、まずは私がどの放浪者にもしている質問をお許し願いたい」

「他の放浪者におあったことがあるのですね」

「ええ、最後が四年前、その前は九年前で合計二人あってます」

 それだけなのか。

「どの放浪者も他の放浪者がいないことに驚いていました。あなたもそうなのですね」

「はじまりの村では疫病神扱いまでされた。何がどうなっているのかわからない。そもそもここにきているのが間違いなんだ。戻ってしなければならないことがあるのに」

「四年前の方も戻りたがっていました。放浪者というのは何かの間違いで異なる世界から我々の住まうところに迷い込んだ人たちなのだろうと理解しています」

「まってくれ」

 今、言われたことに二つ確かめたいことがある。

「他の放浪者も戻りたがっていたって本当ですか」

「ええ、彼らも他の放浪者の助力か、この世の理ともいえる神機に触れることのできるところを探していました。昇天の神殿、世界の欠損、そんなものに向かったと思います。無事に戻れたかはわかりません」

 と、いうことは他のプレイヤーもログアウトができなかった。

 そして、もう一つ。

「あなたは放浪者がどういうものかご存知なのか」

「ええ、私の研究の一つです。あなたがたがなぜ現れるのか、どんなところからやってくるのか。九年前にあった方はただ上を指差すだけでした。四年前の方はアンカー・シティといっておられた」

 アンカー・シティなら知っている。二基の軌道エレベーターの古いほうの地上側城下町だ。ようやくなじみのある名前がでてきた。

「俺はパインヒルだ。四年前の放浪者と大差のないところからきた」

 軌道エレベーターがあるわけではない、静かな地方都市なのだが大事な差ではないだろう。

「なるほど」

 カケス氏はペンにインクを浸してメモを取った。

 おかしなことといえば、ゲーム世界の住人はいかにも生きた人間のように振る舞うが、プレイヤーの実生活については無関心、または記憶にとどめようとしない傾向にあることがある。プライバシーの漏洩の心配だけでなく、世界観の崩壊を招かせないためでもある。

 そのはずなのだが、この人は平気なようだ。

 もしや、プレイヤーかスタッフの偽装ではなかろうか。

「記録では四百年ほど昔は放浪者が非常にたくさんいて、放浪者向けの店が放浪者の持ち帰る宝で栄えてたといいます。三百年前までの記録は絶えていますが、再開されてから放浪者はほとんどいなくなって、放浪者相手の店や施設はすべてつぶれてしまいました。この百年では記録のあるかぎり十人に足りません」

「俺の場合、別の世界から自分の世界に戻ろうとしたらここにいたんですが、他の二人はどうでしたか」

「四年前の方は四百年前のここからご自分の世界に帰ろうとしたらここにいたとおっしゃってましたね。九年前の方は旅行でやってきたら帰れなくなったとか」

 つまりなぜかここにいて、そしてログアウトできなかった、おそらく、彼らもナビゲーターが同じような状況だったのだろう。

「彼らのその後は」

「わかりません。皆さん旅立たれrてそれっきりです」

「どこに向かったかは知ってますね」

「九年前の方は王都の昇天の神殿をめざしました。四年前の方は戦争真っ最中だったので地図空白地帯に向かったと思います。あとで地図をお渡ししましょう」

「ありがたい。貴重なものではないのですか」

「かまいません」

 それより、お話を聞かせてほしいと言われたので、俺ばかり質問していたことに気付き、謝罪した。

「で、何を話せばよいですか」

「質問しますので答えてください」

 それなら楽だ。

「あなたの世界には天上界に通じる巨大な塔が二本あるそうですね」

「天上は天上だが、別の世界との間に横たわる荒漠たる空隙に通じている」

「なんと、そんなところに何の御用が? 」

「別の世界にも大小違いはあるが人が住んでいる。そこと行き来するためだ」

「なるほど、我々は善きものが死後天上界に上ると教えられておりますが、そのような別世界の一つかもしれませんね」

 そんな心当たりはなかったが、わざわざ言うことはするまい。

「しかし、過去のお二方含めてあなたがたがそんなふうにしてやってきたわけではないでしょう」

「共通してるのは、意図せずにここにいることですね。俺も、おそらく彼らもあなたの前に見せている姿は本当のものではない。ここに顕現するために仮に作られたものです」

 さあ、通常のシステムキャラクターならこのへんの話は聞こえないはずだ。

「知っています」

 カケス氏には聞こえていた。しかも既に知っているだと。

「四年前の方、女性でアーデルハイドと名乗った方ですが、その方から聞きました。本物そっくりの世界を作り、操られていると知らない作り物の人や生き物をおき、そこで遊ぶのだと」

 そこまで聞いていたか。

「天上界の方が地上で遊ぶとはそういうことなのでしょう。私どもは操られているのかも知れませんが、それでもここに生まれ、育ち、先達を見送り、確かに生きていると思っています」

 なんと力強い。だが、それを知っている事自体がゲームキャラとしての操作をもう受け付けてないように思う。ナビゲーター同様、システムがおかしい。

「もしかして、そのアーデルなんとかさんは、少々横暴だったかね」

「ええ、九年前の方のほうが紳士的で慎重でした」

 しかし、天上界か。

「そうすると俺は天に帰れない天上人ということになりますね。皮肉なものだ」

 もの問いたげな視線が向けられる。

「俺は人々がより純粋に知的生産活動ができる世界を構築しようとしていたのですよ。上位世界と名付けています。上が下を作るのではなく、下が上を作るのです」

「ふむ」

 カケス氏は興味深げに思案した。

「我らの信仰について、おそらくご存知ないでしょう」

「えーと、十二の神を祭るのでは? 」

「それもありますが、昇天信仰といって、賢く善行をおこなったものは死後天上界に召され、そうでないものは死後この地上に還元されるというものです。この三百年ほどのもののようでそれより古い文献にはでてきません。この信仰が始まったときのことを信者は光のもたらされた時と呼びます」

 カケス氏は誇らしく寂しそうに胸をはった。

「我々も同じように上の世界を作ってしまったのかも知れません」

 それについてはなんともいえない。

 それから細かい話になっていった。どういうものを使っているのか、国の組織はどうなのか。

 四年前にある程度聞いてたようで、その後聞きたかったことを聞かれている感じだ。

 十年に一度の身体オーバーホール等、目を丸くして聞いていた。

「今日はどうもありがとう。これが地図です。お昼もごちそうしますよ。とっておきがあるのです」

 気付けばそろそろ三つ目の鐘のなる時間。

 おごってもらった昼食は、肉野菜のハーブ炒め。これに蒸したねっとりした芋。芋には辛い味噌を卓上のツボから適量かけるのだという。かなり辛いからと注意されたが、想像以上だった。

「明日にはたつのだろう。よければ夕食もおごるので、もう少し話をさせてくれ。今日はあと鐘一つ半であがるから」

 何もない時は整備計画を書いていたり、作業報告を受けるだけだそうだ。それでも責任者なので、それくらいにはなるらしい。

 広場でカケス氏を見送ると、なにやら町の衛兵が人の整理をしている。見に行くと、旗をたて、鳴りものを鳴らしながら隊伍を組んで行進する数十人がいた。

 見覚えのある顔がいる。アルフェリスに、迎えにきた二人。神妙な顔でこれがパフォーマンスだってことがわかる。いよいよ出陣か。街道上の魔獣を無事退治できるといいのだけど。

 いま出陣だと明日までに終わらないんじゃないだろうか。たぶん明日が本番だ。

 見物人に俺の姿を見かけた二人がそっと目礼をくれたので会釈を返す。アルフェリスは気付いてないのか無反応だ。

 傭兵隊は整然と門を出て行った。

 午後はこの町の市場を巡った。オカノウエの町と違ってそれだけでほとんど時間がつぶれたといっていいだろう。青果、肉魚の加工品、川の鮮魚、料理を出す店、かごなど手工芸によるこもの販売、郊外の鍛冶屋が持ち込んだ刃物、道具類。武具も少しあるが、衛兵の甲冑の部分交換品とかそういうのがあるのと、自由民の証の剣が何種類か。実戦向きのものは注文生産なのだという。引き取り品も中古も数点ある。不要な戦利品を引き取ってもらおうかと思ったが、ロックがはずれて懐も温かいのでやめておいた。掘り出し物はなかったが、おもしろい魔法を使っている屋台を見かけた。

 それは料理店なのだが、調理の道具を持たず、すっかりさめたように見える焼き鳥を大量に積み上げていた。店主は元は軍人なのかがっちりした体格のにこにこ笑っている少しとうのたった青年で、特に呼び込みもやっていないのに常に何人か客がいる。見ていると、彼が客に櫛を渡すと途端に湯気をあげたあつあつのできたてになるのだ。

「こりゃどういう魔法だい? 」

 一本買い求めて聞いてみると青年は笑みを絶やさずただ「エントロピー」と答えた。

 俺の知るエントロピーの概念とは違うが、熱の出入りを静止状態にして状態保存をする魔法らしい。看取りで真似できるかわからないが、魔法の構成は見てわかるだけ見てとった。真似はできないと思うが、できれば便利だ。

「あんたは、最近現れた放浪者だろう」

 店主が話しかけてきた。どうしてそう思われたのかわからないが、まだまだこの国に慣れたとはいえない身だ。そう思わせる何かがあったのだろう、

「そうだが」

「放浪者を厄災を運ぶものとして忌み嫌う人たちがいるのはしってるかい」

「最初の村がそんな感じだった。邪鬼が同時に現れれるから」

「悪いことは全部放浪者のせいだと考える連中がいてね。王都が丸焼けになった戦争も放浪者のせいだと思ってる」

 いや、さすがにそれはないだろう。

「気をつけたほうがいい。そうだ、この町に古書店が一つあるから、そこで赤い革の魔法書をかうといい。役に立つはずだ」

「あんたはいったい何者だ」

 ただの行商じゃない。さすがにそう思った。

「ただの暇人さ。縁があればまたあうだろう。さ、商売もあるし行くなら早めにね」

 そう言うと店主は客の応対に戻った。

 これは何かのイベントだろうか。

 古書店、か、とりあえず行ってみよう。場所は聞けばすぐにわかった。店主が偏屈で冷やかしとみると魔法で乱暴に追い出すらしい。ぱちっと音がして痛いというから静電気の魔法らしい。

 行ってみれば窓をしめきった重々しい建物で、扉に古書店とだけロゴか記されている。中にはいると、薄暗い中に二回、いや三階くらいまでぶちぬきの書架がそびえ、頑丈な足場がその間をはしっていた。ライトの呪文を封じ込めたものが足場にいくつもぶらさがっている。

「いらっしゃい。引き取りかね、探し物かね」

 声は頭上からふってきた。見ると、小柄な老婆がランタン片手に足場をおりてくるところだった。

「赤い革の魔法書って言ってわかるかね」

 下りてきた老婆はにやあと笑った。

「わかるとも、あんただね。最近あらわれた放浪者って」

 警戒心が高まる。呪文は思うだけで魔法が構成されるので、他に何かいないか生命探知を使った。

 脳内の建物の透視図が投影される。ナビゲーターの機能だ。大きな反応は俺とこの老婆だけ。あとはネズミらしい小さな影が屋根裏の片隅にかたまっているのと、もやのように見える細菌、暗い星のような虫が十数匹。

「放浪者に悪意もつ者がいると聞いたが、あんたはどうなんだ」

「わしは別になんも思わないさ。ずいぶん昔に契約をしてね、その役割を果たすだけじゃよ」

 老婆はふぇふぇと笑った。

「契約? 」

「放浪者に赤い革の魔法書を渡すのが役割じゃ。かわりにわしは好きなだけここで本とともに暮らすことができる。有望な若者と良書の縁を結んだり、それで生み出された新しい本を受け入れることができる」

 生命の反応はなかったが、老婆の後ろから何かが歩いてくる気配があった。

 極彩色の魔物だか動物だかをデフォルメしたお面をかぶせた骨、に見えた。やや分厚い本をささげもっている。赤い革表紙だ。老婆はそれを受け取ると、無造作に俺のほうにさしだした。

「ほれ、これがお前さんの分じゃ」

「ああ、ありがとう」

 表紙に箔押しで「マニュアル」とかいてあるのを見て膝から力が抜ける思いだった。

「あんたは、システム側なのか」

「のんぷれいやーきゃらくたー、であったかな。放浪者でないという意味ならその通りじゃよ。町の人間が世代ごとに複雑になって愚かさも賢さもすすんで行くが、わしはこの三百年かわらん。本と文化を愛する偏屈婆じゃ」

 放浪者がいなくなったころからいたことになる。

「このシステムはどうなってるかわかるか」

 老婆はかぶりをふった。

「何がどうなったか、元の状態を知らないので答えられんよ。封印書庫にはいれれば何か見つかるかも知れないが、あそこはわしがここにきてから開いたことがない」

「封印書庫? 」

 ロックだろうか。

「あんたも試してみるかね。放浪者はみんな試す。そして難しい顔になる」

「やってみよう」

 ついてこい、と老婆は先にたって奥にむかった。

 つきあたり、床に落とし戸がある。

「この下じゃ。あけられるかのう」

 取っ手を掴んでひっぱってみるがびくともしない。扉に文字が見えた。

 封印を解くには、三つのダンジョンの最奥にあるという鍵にふれなければならないとある。

 ゲームのクエストらしい。

「これ、いままで誰かあけたことは? 」

「ないのう」

 たぶん、その時の俺の顔はこの老婆のいう通り難しい顔になっていたのだろう。

「つまり、誰もこの条件を満たせなかった。満たさなかった」

「今ではダンジョンは埋められているからもっと難しい。この封印書庫は広さも何が入っておるかもさっぱりわからん。大変な思いをしてやる意味が見いだせない。そんなとこじゃの」

「いや、たぶん何らかのシステム干渉権限だと思う。ゲームであったことを考えると、種族変更とか、別サーバへの移動とか、いろいろ考えられるが」

 俺はもらった分厚いマニュアルを叩いた。

「こいつでできないなにかだと思う」

「やってみるかね」

「場合によっては」

「ふむ。ならばこのクエストをやるものに授けるものがある」

「まだやると言ってないが」

「受けておけ。これはこのことを知った時にしかできんことなのじゃ」

 老婆は返事を待たず、封印書庫の扉に触れる。まだ消えてない文字が輝きをまし、何かが中からせりだしてきた。

 人形だった。球体関節人形。

「触れてみよ」

 うずくまったその頭部に触れてみると、目の前にメニューが現れた。ずらっと人の顔と簡単なプロフィールが書かれている。プロフィールの内容は現実世界でのかなり省いた略歴とこちらでのスキルとパラメータだ。つまり、これらは過去のプレイヤーらしい。

「その中の一人を選びなされ、プライバシー保護からあちらでの記憶や人格要素はもっていないが、あちらでの技術とこちらでできることは全部覚えたままの複写になる。人格はうちのサーバントのものの複写をいれるから常識もある程度わきまえたものになる。あんたの冒険パートナーじゃ。最低限の持ち物はそやつのインベントリにはいっておる」

「過去の誰かの攻略を参考にし、手伝いもしてもらえるってわけか」

「そこまでやってやらんと難しいのだろう。だが、手助けにはなるのではないかな」

 なにしろ、よけいなことはわしは知らんと老婆は胸をはる。

 話を聞いてる限り、出費が少し増えるがそれ以外のマイナスはない。プレイヤーでもなければこの世界にしがらみをもっているわけではない。サーバントはさっき老婆に品物をもってきたお手伝いドローンだろうか。現実世界の仕事で使っていたサポートロボットと同程度ならかなり便利だ。

 並んでいるものたちにはいろんな人がいる。ゲーム内なら前衛、後方支援、現実世界ならプランナーや研究者や芸術家、外世界探索局の者もいるな。現実でも冒険家なのにこんなところに来るのも酔狂な、と思ったらデータ整理の内勤だった。いや、一人だけ偵察局所属がいる。未知の世界にでかけて情報収集をして来る仕事だ。といっても現地で体一つで飛び込むのではなくドローンオペレーターのような仕事だったはずだ。それでも体は現地にもっていく。この人物ならこっちでもかなりの洞察を得ているのではないか。スキル構成は魔法戦士という感じでどっちでもできる。

 選択を確定してから気がついた。この人、女だ。

 球体関節人形がぼやけたかと思ったら、そこには軽く動きやすそうな鎧を身につけた女性がいた。

「う、ううん」

 うめく。開いた目の瞳は黒く、混乱の色があった。

 リストは消え、命名をまっています、というメッセージが出る。

「名前をつけてやってくれ。複写元のサーバント、放浪者の記憶が不完全で自分を持てておらん。命名すればそれを核に一応の統合ができる。あとは付き合い次第じゃ」

 俺の専門分野ではないので、老婆のその言葉をどこまで信じていいかわからないが放っておくわけにもいかない。

「イトスギ」

 なぜその樹木を思い浮かべたのかわかららない。命名受理のメッセージとともに格調現実の表示は消えた。

 女がまっすぐ俺を見ている。まだ混乱は残っているようだが、意思の光がか細くやどっているように思えた。

「あなたを助けることが私の使命だ。わたしはわたしであってまだわたしではない。どうすれば助けになるかもよくわからない。しばらくはご迷惑をかけると思う」

 イトスギはお辞儀した。

「最後に、こやつを愛人にしようとどうしようとお主の自由であるが、モデルの放浪者の好悪もひきずっているからそのへんの扱いは慎重にな」

 老婆は楽しそうだった。

「わかった」

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