第28話
幸いなことに薬局に売っていた解熱剤によって美樹の熱は治まった。
しかしそれも一時的なものかもしれない。それに、そもそも解熱剤を飲ませてよかったのかも分からない。
――もう、あまり時間がない。
美樹の看病を他のメンバーに任せて、集まったデータの分析を進めた。
まずはデータの整理。集まったデータを解析する前処理。全員のMixorからデータを収集。データの整形。プレイヤーごとの行動傾向による誤差を補正。データの結合。極端な外れ値の削除。
次に事前に作っておいた解析プログラムにデータを放り込む。データ量が大きいのでマイホーム豊洲の家電量販店で一番スペックが良いPCを使って解析を進める。それでも結果が出るまでに数十分はかかる。
ただただエラーが出ないことを祈る永遠のような時間が終わり、簡素なコンソール画面に結果の文字列が表示される。
――ゾンビの弱点候補は十三個。
思ったよりも絞られた。ここから先は虱潰しだ。一つ一つ、実際のログを確認しながら本当にゾンビを弱体化させてそうな因子を探り当てる。
この中に正解がなければ、この一ヶ月は無意味だ。その可能性を考えると全身の血が引いていく。一度目をつぶって深呼吸をすると、解析を続ける。
ゾンビが他の要素と比べて特に避けたり、行動が弱まったりした物や場所。自動ドア、公園、特定の一軒家の近く、等々……
一見無関係なデータを眺めながら、ふと、ひとつの可能性に思い当たる。
念のためEndless Worldの中で追加実験を行う。バーチャル空間でのゾンビの反応を見て、可能性が更に高まる。
――確かめてみる価値はある。
Endless Worldをログアウトすると、現実で実験するための準備を整える。そうして、急いでササミとリーダーを呼びに行く。
「外に行くから車を出してください。確かめたいことがあるんです」
◇
数時間後、僕らは以前リボンさんを救出した交差点に立っていた。
何の武器ももたず、車の外に。
目の前には、倒れて動かなくなったゾンビが横たわっていた。
実験は、成功だった。
◇
その夜、僕らは屋上に集まっていた。
「うぅ、寒いな。そういえば今って何月だっけ」
見た目に似合わず寒いのが苦手なササミが震えている。マッチョは脂肪が少ないので、案外寒がりらしい。
「今日はもう十二月だよ。十二月十日」
リーダーが答える。気がつけば今年も終わろうとしていた。
怒涛の一年だった。
たしか最初の感染者が出たのは年が変わってからだったから、思えばすべて今年の出来事だ。たった一年でこれほど世界が変わってしまうとは思わなかった。
世界は僕らが思うよりよほど脆かった。
「すっかり冬になっちゃったわね」
リボンさんは身につけたマフラーを締めなおす。
この屋上には本当にたくさんの思い出が詰まっている。マイホーム豊洲に来てから、屋外の記憶といえばその殆どが屋上だった。
「体調は大丈夫?」
「はい、おかげさまで熱も引いて。すみませんわがまま言って。最後にここからの夜景をもう一度見たくって」
屋上に出たのは美樹の提案だった。
ついにゾンビの攻略法を発見した僕らは、早速明日、マイホーム豊洲を立つことに決めた。今日がここでの最後の夜になる。
「いいのよ。というか、私だって来たかった。それに実はこんなものも持ってきたの」
リボンさんはおずおずと、後ろ手に隠し持っていたワインとコップを取り出す。
明日は大事な日なんだから、と嗜めるリーダーを適当にあしらって、僕とササミで酒を配って回る。
「ふたりにはこれ」
まだ酒が飲めない美樹とマイのために、リボンさんはシャンメリーを持ってきていた。
「それじゃあ少し早いけど、クリスマスっていうことで。ほら、メガネくん乾杯お願い」
「え、僕ですか」
「もちろん。実験成功のお祝いも兼ねてるんだから、主役には張り切ってもらわないと」
――主役。
聞き慣れない単語に体が火照るのを感じる。いつのまにか、このゾンビ映画の主人公になれたのだろうか。
とにかく、今は明日への希望をお祝いしよう。映画と違って、僕らの物語はエンドロールの後も続くんだから。
僕はコップを高く掲げると、夜空を見上げて声を上げた。
「メリー・クリスマス!」
翌朝は早くから準備を開始した。
普段の生活でも使っていた大型の非常用バッテリーと、家電量販店に売っている中で一番大きなスピーカーを車に積み込む。
バッテリーとスピーカーを繋ぐと、スピーカーを窓際に設置する。試しに音楽をかけると、周囲に爆音が響き渡った。
「いかにもパリピが乗ってそうな車になったな……」
配線をしたササミが顔をしかめる。これで準備完了だ。
何のことはない、やつらの弱点は「音」だった。ただし、人間には聞こえないような高周波の音。つまり超音波。
Endless Worldでの実験でゾンビ達が避けていた場所の共通点は、何かしら超音波が使われている場所ということだった。例えば自動ドアでは、人が近づいたことを検知するためのセンサーに超音波が使われていることがある。
なぜゾンビが超音波を嫌がるのかは分からないが、きっと生きている人間とは聴覚に関わる器官に何か違いがあるのだろう。そういえばドローンで奴らを追い払うときも、甲高いビープ音を使うと効果的だったのを思い出す。
とにかく超音波が有効そうだということで、昨日はスピーカーを使って現実のゾンビに超音波を聞かせる実験をしてみた。その効果は予想以上で、超音波を浴びたゾンビたちはすぐに苦しみだし、数秒も経たないうちに倒れて動かなくなった。
「ありったけのホッカイロ集めてきたよ」
マイがホッカイロでぱんぱんになったビニール袋を抱えて走ってきた。音を出すのに窓を開けるため、暖房があまり効かないことを考えて持ってきてもらったのだ。
「ありがとう。これで準備は整ったかな」
振り返ってマイホーム豊洲を見上げる。
ここに来て九ヶ月。言葉にしてしまうとあまり長くないが、とても多くの出来事があった。気がつくと、集まったみなも同じく建物を見上げている。誰からともなく、その四階建ての建物に向かって頭を下げる。
都外へのドライブは順調だった。
ドライバーはササミ。ちなみに彼には安全運転をお願いした。
窓際のスピーカーからは最大音量で超音波を流す。と言ってもかなり高周波の音源を用意したので、僕らの耳に聞こえることはない。
これが流れている限り、ゾンビが近寄ってくることはない。仮に近づいてきたとしても、勝手に自滅するだけだ。
僕らは首都機能が移転しているはずの神奈川県に向かっている。
出発から一時間もしないうちに、県境である多摩川が見えてきた。橋の手前で、ササミがゆっくりと車を停める。
「このまま行っちゃっていいんだな」
「うん、行こう」
僕は力強くうなずく。
――さようなら、東京。
車が再び、ゆっくりと動き出す。
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