第27話
目を開ける。視界に人影が映る。
――今度の実験はなんだったっけ。そうだ、ゾンビを取り押さえて……
僕は反射的に人影に掴みかかる。次の瞬間、柔らかい地面に抑え込まれる。
「おい、落ち着け。俺だよ、俺」
そう言われても視界は布で覆われている。どうやら地面には布団かなにかが敷いてあるようだ。少し冷静さを取り戻して、押さえる手を振りほどく。
「ごめんササミ、落ち着いた」
よく見ると僕を取り押さえたササミ以外にも、リーダー、マイ、それにリボンさんが部屋にいて心配そうな視線を僕に送っていた。
「えっと、ごめんなさい。僕何も覚えて無くて」
こうやって勢揃いされていると少し照れる。なんとなく状況は推測できるが、確認するように皆の顔を見渡す。リーダーが小さくため息をついた。
「倒れてたんだよ、部屋で。最近あんまり飯を食べてないみたいだったから心配してマイが呼びに行ったら、メガネかけたまんま床に倒れてた」
「私、ここで人が倒れてるの見つけるの二回目だったんだから。トラウマになりそう」
マイが口を尖らせる。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「ごめんなさい。自分では調子いいと思ってたんですけど、やっぱり無理をしていたみたいで。たぶんひどいVR酔いかなと思います」
「あと過労ね。無理し過ぎよ」
リボンさんが呆れた様子で付け足す。その通りだ。ここ数日、食事も睡眠も殆ど取ってない。
「メガネくんまで倒れちゃったら意味ないんだから」
「ほんとすみません」
口では謝りながら、しかし、心ではひどく焦っていた。僕はどれだけ眠いっていたのだろう。一日何時間なら倒れずに実験できる?こうしている間にも時間はどんどん過ぎていく。 美樹がいつ本格的に体調を崩すのか分からない。
とにかく急いで再開しなきゃ。体を起こすと、いつの間にか外していたMixorを探す。
「すみません、僕、そろそろ――」
「ねぇ、何か手伝えること無い?」
僕の声はリボンさんの発言に遮られた。
「それはすでに。ほら、仕事とか代わってもらってますし」
「そうじゃなくて。いまメガネくんがやってること。私達にも手伝えないかな。みんなで分担したら少し楽になるんじゃない?」
分担。そんなこと考えてもみなかった。
だってこれは僕がはじめたことで、僕が考えたアイデアで、僕のEndless Worldだ。僕以外の誰がやるっていうんだ。それに、こんな大変なことをみんなにやらせるのは心苦しい。
「それに、彼女を助けたいと思っているのはメガネくんだけじゃないんだから」
そんなことは分かっている。美樹は誰からも愛されている。でも彼女を一番大事に思っているのは僕だ。
「ねぇ、私たち、そんなに頼りないかな」
知らぬ間に深く俯いていたことに気が付き、顔を上げる。言葉とは裏腹に優しい笑顔を向けてくれるリボンさんが目に入る。見ると、みな微笑んでいる。
僕はいつからか、現実に対して諦めのような気持ちを抱いていた。ろくに友達もおらず、やり直しも効かない。現実ではいつだって、昔から積み重ねてきたことや、積み重ねてこなかったことが今の自分を追い詰める。
これに対して、見た目も声も自由に変えられる、性格だってゼロから作れるバーチャル世界での生活は最高だった。僕が考える最強のリア充を作り上げた。現実は生命維持のためにあって、生きる意味はバーチャル側にあった。美樹を助けたいと思うのも、彼女がバーチャル世界での恋人だからだと思っていた。
でも、もしかしたらもう気がついているのかもしれない。
今思えば、Endless Worldに現れたゾンビを退治しない選択をしたときから、とっくに気がついていたのだ。僕はこの現実を気に入っている。この人達を気に入っている。みんなを、仲間だと思っている。ここでの様々な出来事が、積み重ねが、僕にそういう気持ちを持たせていた。
現実の彼女を助けるために、現実の仲間たちと奮闘する。そんなことを僕がするなんて、何かとても滑稽なことのように感じる。
――でも、悪くない。
全然悪くない。できることは全部やろう。そのために、この信頼できる仲間たちと一緒に戦おう。
目を閉じてひとつ深呼吸をすると、僕は短く答えた。
「みなさん、お願いします。手伝ってください」
結局その日は、実験を休みにした。僕は体力を回復する必要があったし、作業を分担するためにしないといけないことがたくさんあった。
実験はあと二百時間分残っている。体質的にVRが厳しいマイを除いて、リーダー、ササミ、リボンさん、僕の四人で五十時間ずつ。一日に三時間も実験すれば当初の期限までに目標のデータを集めることができる計算だ。僕以外の人はEndless Worldに不慣れなためもう少し時間がかかると思うが、それでも十分に達成可能な目標だ。
この日は新しいMixorのセットアップと、新しく参加するメンバーによる実験の練習をした。
セットアップは思いの外すぐに完了した。僕のMixorに入っているEndless Worldのセーブデータをまるごとコピーしてみたところ、全く同じ環境が入ったMixorが四台出来上がった。あとはそれぞれで実験をして、最後にデータを統合すれば良い。
問題は後者、実験の練習だ。Endless Worldを加速して実験をしていたという事実を今まで説明していなかったので、一七倍に加速した世界で実験をしているという話をしたときは驚かれた。
「そりゃそんなところに一日中いたら倒れもするわ」
呆れ顔のササミに、僕は苦笑することしか出来なかった。それを見たリボンさんは不安そう。
「でもそれ私達にもできるのかな」
「大丈夫ですよ。練習方法も、コツも教えますから。僕だって出来たんです、誰でも出来ます」
何しろ倒れるまで経験をしたのだ、ノウハウは豊富に溜まっている。
そんなわけで、今は各自バラバラになってEndless Worldの練習中だ。しかしこんなことの教師役を務めることになるとは思わなかった。
「調子はどうですか?」
Mixorを取って休憩していたリーダーに声をかける。
「大体コツは掴んだかな。あとは長時間続けた時にどうなるかだけど、そこは少しずつ様子を見よう」
メガネみたいに倒れたくないしね、と苦笑する。
「すごいですね。こんなに早く順応するなんて、さすがリーダーです」
素直に感心する。リーダーはいつも何でもそつなくこなす。派手なことはしないけれど、僕らの今の生活基盤を作ってくれたのはこの人だ。こんな少人数のチームにリーダーがいてくれて本当に幸運だったと思う。
「よしてくれ。リーダーなんてただのあだ名だよ。今回だって、君が言い出さなければ何もできなかったんだ。俺はね、生活を維持するのは得意だけど、こういった思い切ったことは苦手でね」
「そんな、リーダーがいたから僕ら今までやってこれたんです」
「そう言ってくれると嬉しいね。とにかく、この計画については君が『リーダー』だ。頼んだよ。みんなで東京を脱出して、祝杯をあげような」
そう言って僕の肩を小突くと、もうちょっと練習するよ、と再びMixorをかけた。
「うげぇ。まじできもいなぁ、こいつら」
部屋の反対側から唸り声が聞こえた。うんざり顔でMixorをはずすササミに声をかける。
「ゾンビ?」
「そうだよ。他にいないっしょ」
「やっぱバーチャルでも気持ち悪いよね」
「ほんと、どうせ作りもんならもうちょっと可愛い見た目にしてくれりゃーよかったのに」
「現実を忠実に反映してる証拠だよね。まぁすぐに慣れるからさ」
なんとなく先輩風を吹かせてみる。
「そっか、もう何回もやってるんだもんな。お前すげーよ。根性あったんだな」
むしろ今まで根性なしだと思ってたのかよ、という軽口を飲み込んで、素直に照れておく。
「でも美樹ちゃんのためだからな、かんばらねーと。ここじゃ貴重なスプラ仲間だからな」
そう言うと、また再び練習に戻っていった。いつも前向きで根性の塊みたいな彼なら、きっとやり遂げてくれるはずだ。
そうしてEndless Worldのコツを教えたりして回っていると「夕飯の準備できましたよ!」とマイが呼びに来た。気がつけば夕方になっていたようだ。
これからしばらくの間、料理など日常的な仕事の大半をマイが引き受けてくれることになっていた。大人五人分の家事に加えて美樹の看病まで行うのはなかなかの大仕事だと思うが、リーダーに仕事を頼まれた彼女は「最近暇だったから、逆にやること出来て嬉しいくらい」と笑って引き受けてくれた。これで僕たちは実験に集中することができる。
食後に食器洗いを手伝っていると「オンライン対戦のためにもさっさと外に連れてってよね」とせっつかれた。
「オンライン?なんの?」
「マリカーに決まってるでしょ。そうしたらあんたも一緒にやるのよ、対戦。ここで特訓した成果を世界に見せつけてやらなきゃ」
彼女はそう軽口を叩いたかと思うと、ふと食器を洗う手を止めた。
「どうしたの?」
「何でもない。何でも無いけど、その、ちょっとだけ期待してるってこと。もうオンラインのマリカー対戦なんて一生出来ないと思ってたし。もしかして美樹と普通に買い物行ったりできる未来もあるのかな、なんて思っちゃってて……」
最後のほうは聞き取れないくらい小声になっていた。
食器洗いを再開したマイは残りの皿を急いで洗い終えると、水を止めて手を拭きながらこちらを向く。
「なーんてね。ほんとは別にあんたに期待なんてしてないから。無理せずやんなさいよ」
もう人が倒れてるの見つけるのはごめんだからね、と言い残すとどこかに行ってしまった。
僕は少しニヤつきながら「頑張らないとな」とつぶやいた。この計画はもはや美樹のためだけのものじゃない。マイホーム豊洲メンバーが日常を取り戻すためのものなんだ。
その夜、昼過ぎまで寝ていたせいかなかなか寝付けず、屋上に顔を出した。
柵の前に人影を見つけ、声をかける。
「こんばんは。めずらしいですね、こんな遅い時間に」
「あら、こんばんは。そんなに遅くはないわよ。前はもっと遅い時間まで遊んだりしてたもの」
たしかに今の生活は以前に比べるとかなり健康的だ。ネットもテレビもないと夜にやることは極端に減る。それに電気は貴重なので、夜は基本的に暗い。そうなってしまうと、もう夜は寝るしか無いのだ。暗くなったら寝る、日が昇ったら起きる。それが今の生活サイクルだった。
リボンさんは柵にもたれ掛かりながら、明かりを失って真っ暗な街を見つめている。
「ねぇ、都外に出れたら前の生活に戻れるのかな。メガネくんは前の生活に戻りたい?」
「僕は、戻りたいです」
自分でも驚くほど、すんなりと答えていた。
「へぇ、ちょっと意外。でもそっか、そうだよね。ここで一番変わったのはメガネくんかもしれないね」
はてなマークが頭に浮かぶ。対して勝手に納得した様子のリボンさん。
「そうね、私も戻りたいや。やりたいこといっぱいあるもん。ここのみんなで遊びに行ったりしたいね」
そのためにも頑張らなくっちゃね、と小さく呟くと、リボンさんは建物の中に戻ってしまった。
僕は一人夜空を見上げながら、ここを出たらこんな綺麗な星空は見られなくなっちゃうな、といらぬ心配をしていた。
翌日からマイホーム豊洲の総力を挙げたゾンビ実験プロジェクト、通称プロジェクトジェイルブレイクがスタートした。プロジェクトの名付け親は美樹。
正直、今回のプロジェクトについて美樹に話すかは悩みどころだった。彼女に余計な心配と責任を感じさせてしまうのではないか、というのが理由だ。しかし、
「みんなにこそこそやられているほうが嫌だと思うよ。それにこれは美樹のためだけじゃない、みんなのためでしょ」
というマイの一言で、すべてを彼女に話すことになった。
計画を聞いた美樹は困惑するどころか、実験自体に興味津々だった。
「実験データの解析、私も一緒にやりたいです!」
というのは、彼女が計画を聞いて最初に言った台詞だ。
最初の数日間は惨憺たるものだった。みな予想外のVR酔いに苦しみ、実験終了後の様子はまさに死屍累々。
しかし三、四日も経つとみな次第に慣れ、そもそも毎日のノルマが少なかったこともあり、計画は順調に進んだ。
朝起きて、色々と抵抗しながらも一人当たり百回ゾンビに殺される。それを三週間。
気がつけば、僕らのもとには一万回分のデータが集まっていた。
それはちょうど最後に実験を終えたリボンさんがMixorを外したときだった。
「大変です!」
長かった実験の功を労いあっていると、部屋にマイが飛び込んできた。
「美樹が……美樹がすごい熱を出しています!」
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