第26話
Endless Worldに入るとすぐさまバイト先に向かった。
僕と美樹の推理が正しければ、ここで書いたプログラムがEndless Worldに反映されるはずだ。ここに世界を加速するコードを紛れ込ませるのは難しくない。プログラムがひとつの処理を行う間隔を決めるタイムスケールのパラメータをちょっと弄ってやるだけだ。本来であればこれから行う変更はチートそのものだが、外部ネットワークにつながっていない今なら問題はないだろう。それにこっちは世界を救うかもしれないのだ、多少目を瞑ってくれても良いはず。
そういえば都外に出たあとでインターネットに繋がったら元に戻るような細工もしておく。このままネットワークに繋がって、チートが原因でアカウントが削除されるようなことがあれば目も当てられない。平和な世界に戻ったら、今度こそゾンビがいないEndless Worldをプレイするのだ。
該当の処理を数分で書き終え、Endless Worldに反映してみる。いきなり一七倍は少し怖いので、まずは二倍速でテストをする。思いのほか速いが、ついていけないほどではない。
二倍速に体が慣れると、それを三倍、四倍と徐々に加速していく。十倍を越えた辺りから、まるでレースゲームをプレイしているような感覚になる。かつて音ゲーで鍛えた反射神経をふんだんに使い、どうにか一七倍にたどり着く。
最後に世界のログを記録するコードを忘れずに入れる。一万回実験したあとは、その記録を解析してゾンビの弱点を探すのだ。これで準備完了。
ひとまず滞りなく準備が済んだことに安堵しながら、Mixorを外して一度現実世界に戻る。
――うげぇ。
一七倍のバーチャル世界からいきなり等倍の現実に戻ったことで、船酔いのような気持ち悪さを感じた。本格的に実験を始める前に少し休憩が必要なようだった。
「起きてる?」
休憩がてら美樹のお見舞いにきた。伝えないといけないこともある。
「ん、寝てました」
「ごめんごめん。寝てていいよ」
「大丈夫ですよ。ずっと寝てたので」
彼女は右手で体を支えて上半身を起こす。本当に寝ていたようで、まだ目が半開きだ。
「何か夢見た?」
「見ました。メガネさんも出てきましたよ」
「お、どんな夢?」
「私とメガネさんと、あと結衣が、たぶんEndless Worldみたいなところにいて、みんなで遊んでました。場所はEndless Worldなんだけどなんでかみんなアバターじゃなくて現実の見た目で」
「それじゃあ現実なんじゃない?」
「ううん、でもメニューとか出せたから。あれはVR。いや、でももしかしたら現実だけどメニューが出るっていう夢だったのかな? そうするとAR?」
彼女は左手で髪の毛をいじりながら、首をかしげる。もちろん夢なんだから正解は無い。
「とにかくみんなで散歩してました。何話してたのかとかは忘れちゃったけど」
そういいながらも、目を細める彼女はどこか嬉しそうだ。きっと楽しい夢だったのだろう。今や一日の大半を寝て過ごす彼女には、せめて幸せな夢を見ていてほしい。
「ねぇねぇ、何かして遊びません? この間ついにササミさんからスプラで一勝したんですよ。私最近だいぶ強くなったからどうですか? スプラトゥーン」
正直かなり魅力的なお誘いだった。スプラトゥーンは苦手だけど、彼女とやるゲームならなんだって楽しい。しかし、
「ごめん、今日はちょっと顔を見に来ただけなんだ。すぐ行かないと」
「なーんだ。残念」
彼女は本当に残念そうに口を尖らせる。ころころと表情が変わるところは美咲にそっくりだ。いや、同じ人なんだからそっくりなのは当たり前か。
「うん、それなのに起こしちゃってごめんね。それと――」
言い淀んでいると、彼女は怪訝そうに目を細めると顔を覗き込んできた。
「時間無いのに来たっていうことは、何か用事があったんですよね?」
「うん。実は、しばらくここに来れなくなりそうなんだ。やらなきゃいけないことがあって」
「え」
彼女は口を開けて固まってしまった。今日までほとんど毎日顔を出していたので無理もない。少し考えて、不安そうに目を細める。
「もしかして、どこかに出かけるの?」
「いや、ちゃんとここにいるよ。危ないことはない。ちょっと調べ物があってね」
それを聞いて彼女は安堵したように息を吐き出す。こんなときにも人の心配をしてくれる彼女がおかしくて、少し笑ってしまう。
「もー、何がおかしんですか。心配したんですから。でもそれなら安心ですね。きっと何か大事なことなんだと思うので、私待ってます」
そう言ってにっこり笑う彼女を見て、僕は改めて彼女を救う覚悟を決めた。
◇
翌日。実験一日目。
出だしは好調だった。美樹ちゃんを助けるために過酷なバーチャル世界に身を投じる自分はまるで映画の主人公のようで、それはそれはやる気に満ち溢れていた。今なら現実のゾンビだって倒せる、そんな気分だった。
数時間後、僕は便器に顔を突っ込んでいた。
実験をはじめて一時間後にはすでに違和感を覚えていた。三時間経った頃には気持ち悪さが明確に頭をもたげ、五時間が経過しようという頃に我慢が限界を迎えた。急いでMixorを外してトイレに駆け込んだ。胃の中にあるものを全部吐いても全く気持ち悪さは治らなかった。頭痛もセット。経験したことのない、ひどいVR酔いだった。VRには十分に慣れていたつもりだったが、一七倍もの速度で何時間も動き回るようなことはこれまで経験したことがなかった。結果として、目標の半分ほどの時間しか実験が出来なかった。
その日は再びMixorを被る気力がわかなかった。
◇
二日目。慣れるかと思ったが、逆に昨日より一時間以上も早く音を上げた。昨日はあった気力は姿を消し、VR酔いに対する恐怖だけが残っていた。
◇
三日目。このままではとてもじゃないが一ヶ月では終わらない。焦りを感じて、何か手はないかとマイホーム豊洲を見て回った。偶然見かけたタバコを、何かの効果を期待して吸ってみた。この日はVR酔いに普段吸わないニコチン酔いが加わって、二時間も保たなかった。
◇
四日目。昨日の反省をした。自棄になってはいけない。冷静に作戦を考えた。まずドラッグストアから酔い止めを拝借して、飲んだ。さらに吐き気を抑えるため、固形物を食べるのはやめた。一時間実験するごとに十五分の休憩を挟んだ。そうしてこの日、はじめて十時間実験することに成功した。
◇
七日目。実験中、急に思考がクリアになった。この世界に適応した。一七倍速で行動するのが当たり前の事のように思えた。Endless Worldから出たあとの現実がひどく遅くて気持ち悪かったので、実験を終えるとすぐに寝た。不思議と腹は減らなかった。
◇
九日目。もういくらでもできる。これなら一ヶ月もかからない。気がつけば、二十時間近くぶっ通しで実験を続けていた。
◇
僕がMixorをつけたまま意識を失って倒れているところが発見されたのは、実験をはじめて十日目のことだった。
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