第24話

 さて、どうしたものか。

 絶対に助ける、と息巻いたくせに具体的な解決策は全く思いつかなかった。

 彼女を救うには、どこかの医療機関に彼女を連れて行く必要がある。最低限、まずは医療の心得がある人を連れてくることができればいいのだが、いまはどこに生存者が残っているのかすら分からない状態だ。生存している医者を見つけるのはそう簡単ではない。仮に医者を見つけたところで、何の設備も、薬もないホームセンターでは大したことはできないのではないかと思う。

――やっぱり、病院に連れていきたいよな。

 おそらく、壁で封鎖された都内でまともに機能している病院などほとんど存在しない。病院が感染者の巣窟というのはゾンビ映画の定番だ。それに運良く医者が立て籠もっている病院があるかもしれないが、今の状況下で病院としてのサービスを快く提供してくれるとは限らない。明日を生きるのも大変な今の状況で、誰もが見ず知らずの他人の看病を快諾してくれないことくらい分かっている。

 そうすると解決策はひとつ。すなわち、壁の外に彼女を連れていくしかない。

 東京が封鎖された当初は、多くの人が東京を脱出しようとして壁に殺到した。これに対して日本政府はかつてなく迅速かつ強硬な手段に打って出た。簡単に言えば、壁沿いに武装した自衛官を二十四時間体制で配備し、脱獄を試みようものなら容赦なく攻撃した。当時実際に壁際で自衛隊員によって無力化されている人々の動画がSNSに多く投稿された。僕もいくつか見たが、それは多くの人にとって壁を強行突破しようという考えを改めさせられるものだった。

 しかし裏を返せば壁近くには外部の人間が待機しているということである。すなわち交渉相手が存在するのだ。もちろん交渉のためには材料が必要で、「病人がいるんです!助けて!」というのが何の材料にもならないことは承知している。政府を説得して壁の外に出る方法――正直、お手上げだった。


「また何か悩んでる?」

 屋上菜園の手入れをしていると、リボンさんに声をかけられた。

「そう見えますか?」

「うん、だってさっきからずっと手が止まってるもん。前にもそんなふうになったことあったけど、今回はもっと深刻そう」

 前というのはおそらくEndless Worldにゾンビが出るようになって落ち込んでいたころのことだろう。

「やっぱり、美樹のこと?」

 すっかり見抜かれているので、白状することにした。

「はい。その、なんとか病院に連れていけないかなと思って」

「そうだよね。私もどうにかしてあげたい。メガネくんは何か考えてることあるの?」

「それがいい方法が思いつかなくて。都内の病院はあんまりあてにならなそうなので、本当は都外に連れていきたいんですが、どうやったら外に出れるのかがさっぱり……」

「うーん、都外かぁ。私も噂で聞いた程度だけどなかなかハードル高そうだよね。ねぇ、一回みんなで話し合ってみない?美樹のこと助けたいと思ってるのはメガネくんだけじゃないはずだよ」

 実際、彼女のお見舞いをしているのは僕だけじゃない。というより、みんな頻繁に顔を出している。ここでの生活は基本的に暇なので、お見舞いをする時間は無限にあるのだ。ともすると、彼女の部屋に誰もいない時間のほうが少ないかもしれない。

「そうですね。早速ですけど今晩やりましょう。僕からみんなに声かけておきますね」

「了解!なんかメガネくん、少し頼りがい出てきたんじゃない?」

 小突いてくるリボンさんをかわしつつ、僕はじゃがいもの水やりに戻った。


 その晩には作戦会議が開かれた。美樹の件について話したいというと、みなすぐに首を縦に振ってくれた。

「えっと、みなさん集まってくれてありがとうございます」

 言い出しっぺの責任として慣れない司会を引き受ける。

「みなさんも知っての通り美樹ちゃんの体調が良くありません。僕は医療のことはさっぱりわからないのですが、それでもこのままじゃいけないと感じています」

「そりゃーそうだけどさ。どうするの。医者でも探してくる?」

 ササミが早速割り込んでくる。

「それも少し考えたんだけど、医者を呼んでも設備が無いと意味ないのかなぁって思って」

「それじゃ、病院につれてくとか?」

 今度はマイがアイデアを出す。

「それもありだと思う。でもたぶんもう都内の病院はほとんど閉鎖しちゃってると思うんだよね。パンデミックが起きたところも少なくないだろうし。都内で活動している医療機関を探すのは至難の業だと思うんだ」

「そっかぁ」

 マイは腕を組むとうつむいてしまった。その様子を見たリーダーがこちらを見る。

「君は何かアイデアがあるのかい?」

「アイデアは無いんですけど、方針というかこうしたらいいんじゃないかなぁみたいなのなら……」

「都外。メガネくんは美樹を都外に連れ出そうと思ってるのよね」

 言い淀んでいたら、リボンさんに先に言われてしまった。それを聞いたリーダーが立ち上がる。

「都外?バリケードの外に連れて行くってこと?」

「はい、そうです。もちろん無茶なこと言ってるのは理解しているんですが、もし成功したら彼女にとって一番いいと思うんです。都内じゃあ何をしても問題の先送りにしかならない」

「でもバリケードの警備はかなり強固だって聞くよ。そのおかげで外では感染者も出てないわけだし」

マイが腑に落ちないといった様子で首をかしげる。それを聞いたササミは頷いている。

「そうだよ。たぶん警備部隊に捕まるのが落ちだぜ。下手したら殺されるかも。俺は嫌だぜ、人間に殺されんのは」

「待って待って。誰も強行突破しようとは思ってないよ。ちゃんと交渉して外に出してもらえないかなって思ってさ」

 慌てて手をふる。なんだか物騒な話になりかけていた。

「ただその交渉材料が全然思いつかなくて、それで今日はみんなに相談したかったんです」

 皆一様に黙り込んでしまった。無理もない。東京から出られないというのはこの生活の大前提みたいなもので、それを覆す方法なんて考えたことも無いのが普通だ。そう安々とアイデアが思いつくなら、もう誰もが東京を脱出している。

 お手上げかと思ったその時、リボンさんが顔を上げた。

「やっぱりあれなんじゃない? メガネくんのEndless World」

「僕の? どういうことですか」

「ほら、交渉材料って言うと何か私達だけしか知らない情報とか技術とかそういうのが必要でしょ。そうなるとそれくらいかな、って。もう私達慣れちゃってるけど結構すごいことだよ、現実のことがバーチャルで分かるって」

 確かに僕のEndless Worldはかなり特殊で、もはや僕らの生活には欠かせないものとなっている。しかしそれはこの世界で生きていく上で便利なのであって、果たして政府に対する交渉材料になるようなものかというと疑問だ。

「問題はメガネのそれを使ってどんな情報を得るかだよな。何か交渉材料になりそうなもの」

 リーダーがそう言うと、皆再び黙り込んでしまった。結局その日はそこでお開きとなった。解決策さえ出なかったものの東京脱出を目指すという新たな目標を共有できたのは良かった。


    ◇


 その晩、なかなか寝付けずにいた。Endless Worldが武器になるかもしれないというリボンさんの発言をぼんやりと考え、気がつくとまたバーチャル世界にいた。

 最近はもっぱら物資調達のための下調べ、といった具体的目的がある時しか起動していなかったので、こうやってふらっとEndless Worldを訪れるのはかなり久しぶりだった。無警戒に通りを歩いていたところ、案の定あっさりとやつらに襲われて死亡した。

 久しぶりに見る【DEAD END】演出の後、すぐにまた見慣れた大学の構内に戻された。目の前には彼女がいる。最近死んでいなかったため、美咲にあったのは実に数ヶ月ぶりだった。もちろん、彼女の正体を知ってからは初めてだ。

 無邪気にブルモンの話をしている彼女を見て、自分の無力さに嫌気が差した。これからゾンビに襲われるだろうバーチャルの美咲も、病気で弱っているリアルの美樹も助けられていないのだ。その現実から逃げるように、美咲に別れを告げると当てもなく大学内を歩き回った。

「あ、こんにちは」

 突然声をかけられてそちらを見ると、結衣がいた。彼女と会うのも数ヶ月ぶりだ。

「おー、久しぶり!」

 反射的に返事をしてから、バーチャル時間軸ではつい前日にも会っていたはずであることに気がついた。こちらの発言に首をかしげる結衣を見ながら、先日の美樹の話を思い出していた。確認をしたわけじゃないが、おそらくリアルの結衣はもうこの世にいない。そんな彼女のNPCと会話をしている事実になんだか不謹慎なことをしているような後ろめたさを覚える。

 そういえば、結衣はストーカー被害に会っていたんだっけ。一度このミッションをクリアしているので解決方法を知っているが、おそらく今回もそれを実行しないであろうことを心のなかで謝罪する。どうせこの世界はすぐにゾンビだらけになってしまうのだ。ストーカーの一人や二人、問題じゃない。

 いろいろなことを考えて押し黙っていると、結衣は何か不思議なものを見るような目で僕を見てくる。すっかり忘れていたが、こちらでの僕はもっと饒舌で場を盛り上げるようなキャラだったのだ。

「何か、悩み?相談、乗ろうか」

「ありがとう。じゃあ相談させてもらおうかな」

 様子のおかしい僕に優しい声をかけてくれる彼女は、きっと本当に美樹の良い友だちだったのだろう。せっかくの申し出に甘えさせてもらおう。相手がNPCだったとしても、いや、むしろだからこそ何か参考になることがあるかもしれない。なりふりかまっていられる状況じゃないのだ。いまの悩みをそのまま話してもおそらく通じないので適当に抽象化して相談してみる。

「えーと、研究……そう、自主的にやってる研究の話なんだけど」

「研究、してるの?」

 結衣はますます訝しげな様子で目を細めるが、気にせずに話を進める。

「そう、えっと、とあるシミュレーターを使った研究なんだけど、なかなか成果になるような結果が出なくて困ってるんだよね。シミュレーター自体も自分が作ったものじゃなくて」

 僕の具体性のない質問に結衣はしばらく空を見上げながら考えると、ゆっくりと口を開いた。

「うーんと、何だかよくわからないけどシミュレーターがあるなら何度もシミュレーションを繰り返して傾向とかを見るといいのかなって思う」

「傾向?」

「うん、何度も繰り返せるのがシミュレーターの利点だと思うから。闇雲にやってもつらいから、何か目的とかテーマを決めるといいかな。それで何かが分かって仮説が立てられたら、それを確認するために実験してみるっていう流れなのかな。多分」

 自信はなさげだが、大学二年生とは思えない的確なアドバイスだ。もしかするとNPCだからこその回答なのかもしれない。僕は手短にお礼を告げるとEndless Worldを離脱した。


    ◇


 現実に戻ると結衣の言葉を反芻する。目的を決めて、シミュレーションを繰り返して、傾向を見つける。

――なんだ、簡単じゃないか。

 明日からやるべきことははっきりした。少しだけ事態が前進したことに満足すると、久しぶりに穏やかな気持ちで眠りにつくことが出来た。

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