第23話
それは美咲と付き合い始めて一ヶ月ほど経った頃のことだったと記憶している。
元々友達同士だったということもあり、付き合いだしてからも僕らはあまり変わらない日々を送っていた。というより、バーチャル世界では現実と違って、付き合ったからといってできることに限界がある。技術的にも、Endless Worldの規約的にも。
そんなわけで、その日も僕らは二人でブルモンのライブに参加していた。
いつも通りライブを堪能した僕らは、帰り道を二人で並んで歩いていた。
そういえば、この「帰り道」の時間は付き合う前は無かったものかもしれない。Endless Worldでは移動は省略できるのだから、わざわざ道を歩くという行為をする必要はないのだ。今思うとそれは、ライブが終わっても解散したくない、一緒にいたいという気持ちが生み出した時間だった。
最初はライブの感想などのたわいもない会話をしていたが、突然、彼女がリアルの話題を持ち出した。
Endless Worldでは大抵のネットゲームと同様に、リアルの話をNGとしている人が一定数存在する。それはプライバシーを守るためであると同時に、Endless Worldという仮想世界にまで現実を持ち込みたくないという気持ちの表れだ。
実際、僕もEndless Worldで現実の話をすることは無く、美咲とそういった話をするのもその時が初めてだった。
「やっぱりリアルの話は嫌い?」
「NGっていうわけじゃないけど、あんまりしたくないかな。現実の小難しいことは忘れたい」
「そっか、そうだよね。じゃあ簡単に伝えるね。私、今まで言ってなかったけど来年の二月に受験を控えてるんだよね」
「え……受験?」
その時、かなり焦ったのを鮮明に覚えている。
Endless Worldの中では僕も彼女も大学の同級生で、勝手にリアルでもお互い大学生だと思っていた。しかし、よく考えたらネットで出会った人の年齢が想像よりかなり低い(あるいは高い)ことなんてあるあるだ。僕は去年SNSで仲良くなった同年代だと思っていた人が、四月に「ついに中学生になりました!」と投稿したのを見て泡を食らったのを思い出す。まさか、中学受験生なんてことはあるまいな……
「えっと、大学受験……?」
「そうだよ!大学」
確認して一安心。
「あっれぇ、もしかして私のほうがだいぶお姉さんだったりしたのかな?」
「違う違う。むしろあんま年変わんなくて安心した」
「なんだぁ。君が小学生の男の子とかだったりしたら、それはそれで可愛かったのになー。天才プログラマー小学生」
「残念でした。俺のほうがちょっとだけ年上だよ」
なんとなく具体的な年齢は隠す。別に言ってもいいのだが、これ以上自分のリアルの話を広げたくない。
「そっかー。まぁそれでさ、私そろそろ受験勉強本気出さないといけなくて、あんまりこっち来れなくなっちゃうんだよね。せっかく付き合ったばかりなのに残念だけど」
「それは仕方ないよ。受験勉強の邪魔はしたくない」
ネトゲで受験を失敗した友達などたくさんいる。みな口を揃えて言っていた、「受験は毎年できるけど、このイベントは今だけなんだ」って。彼女をその仲間入りさせるのは心苦しい。
「むしろ何か手伝えることあったら言ってね」
「うーん、それじゃあひとつお願いがあるんだけど……」
いつも歯に衣着せぬ彼女が、珍しく口ごもる。
「いいよ、何でも聞くよ。何?」
「それではお言葉に甘えて。私が大学受かったら、リアルで会わない?」
オフ会、というのはかなりハイリスクハイリターンだ。ネトゲで付き合ってリアルで会った瞬間に別れた友達などたくさんいる。今の僕はかなりイケメン風のアバターだし、なんなら声もいじっている。
「それは、いいけど……いいけど、現実のぼ、俺をみたら幻滅するかもよ」
動揺のあまり、思わずリアルでの一人称が顔を出す。
「そんなことない。私は君のアバターが好きになったわけじゃないもの。むしろ君が、リアルの私を見て幻滅するかも」
「そんなことあるはずない!」
おどけた声で話す彼女のセリフをすぐさま否定する。
「じゃあ大丈夫!私、きっと大学受かるから。そうして、リアルで大学生同士で遊べたらすっごい楽しいと思わない?」
すっごい楽しい。間違いない。
「だから、受験までの間はたまにしか会えないけど、ごめんね。それ以外の時間は私のNPCと一緒に過ごしてて。NPCに浮気するなら許すから」
――僕らがリアルの話をしたのは、後にも先にもこのときだけだ。
結果的に彼女は大学を受験することはできなかったが、僕らはこうやって会うことができた。そして現実でも僕はやっぱり、君のことを好きになった。
「絶対に、助ける」
ベッドで寝息を立てている美樹を見る。
「そしていつか一緒にペンギンを見に行こう」
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