第22話
「食料がまだふんだんにあった頃は、この先どうやって生きていこうかなんてこれっぽっちも考えてませんでした。それよりも、シャワー浴びたいとか、前髪だけでもカットしたいとか、そんなことばかり考えていました。正直どれだけ時間が経ってもゾンビが発生したということに現実感がなくて、いつか誰かが全部解決してくれて元の生活に戻れるでしょって心の隅で思っていました。だから、食料の限界が近づいてきて、自分たちから何か行動しないといけないというのに気がついたときは、かなり焦ったのを覚えています」
僕は、自分の家で食料が尽きたときのことを思い出した。たしかに、家を出るときは相当に覚悟が必要だった。
「それで、よく考えたら私達、ゾンビのことほとんど何も知らないっていう事に気がついて、それからいろいろ調べはじめたんです。ネットで得た知識も少しはあったのですが、現実に学校には沢山ゾンビがいたので、実験してみようということになりました。そうして、ゾンビを誘導するなら音が一番効率が良いっていうのに気づいたんです。みなさんにとっては常識かもしれませんが……」
ゾンビは視覚より聴覚が敏感なため、意識を誘導するなら光よりも音を使ったほうがよい、という事実は、これまで様々な場面で活用してきたとおりだ。
「食料が底をつきそうな時点で、私達は学校を脱出する必要がありました。おそらく学校内にはそれ以上の備蓄はなかったので。それで脱出してどこに行くかという話になったのですが、その頃にはもう全くインターネットも使えない状態になってたので色々と調べることが出来なく。私達に思いついたのは近所の大学くらいでした。そこは避難所になっているはずでしたから、他に生き残ってる人もいるだろうと思って」
「それは、その、危なかったね」
「危なかった? なんでですか?」
「僕もインターネットで情報集めてた頃に知ったことだから実際に自分の目で確かめたわけじゃないけど、あの大学の避難所、割と序盤でパンデミックが発生したらしいよ。美樹ちゃんが脱出しようとしたときなんて、きっとひとりも生きている人間は残ってなかったんじゃないかなぁ」
「え、そうなんですか。そっか、じゃあ、行かなくて正解だったんだ……」
美樹は怯えるように自分の両手で体を抱きしめる。
「とにかく私達その日、大学行こうってことで、学校から脱出する計画を立てたんです。その計画が、学校のスピーカーを使ってゾンビを集めるっていう方法でした。私達はなんとか運良くゾンビを避けながら放送室までたどり着いて、それで校歌を流したんです」
「その校歌が僕の命を救ったわけだ」
前に僕の命を助けてくれた校歌の放送はその時のものだったらしい。彼女たちが勇気を奮って行動してくれていなければ、僕はあそこで死んでいた。
「ちなみに校歌を流したのはなんとなく、です。別に他の曲でも良かったんですが、放送室のシステムで簡単に校歌を流せるみたいだったので。どうせなら、もっと激しい曲のほうがやつらの集まりも良かったのかなーなんて、今は思ったりします。もうどうしようもないですが。とにかく私達は校歌を校庭のスピーカーから流すと、校庭と真逆にある裏門から逃げげようとしました。みなさんが私を助けようとしてくれたときと同じ作戦です。それで――」
美樹は口ごもり、軽く首を振ると、
「それで、あとのことはあんまり思い出したくありません。というか、そんな語るようなこともありません。私達は失敗して、彼女はゾンビの群れに囲まれて、私は命からがら放送室に逃げ戻った。それだけです。私は彼女を失ったことを受け入れられず、しばらく放送室で震えてました。もう一度脱出をする勇気なんて出なくて、かばんに詰めていたカンパンの残りを食べながら、何日かを過ごしました。もういっそ、ゾンビになってもいいかなって思ったのですが、実際にはそんな勇気も無くて。それで、放送で助けを呼んだんです。正直、誰かが助けに来てくれるとは思ってませんでした。だから、みなさんが来てくれたときは、本当に嬉しかったんです」
美樹の顔を見て、僕は彼女を助けに行って本当によかったと、心からそう思った。
「実は彼女がやつらになったところを見届けたわけじゃないんです。私達はよく、このイヤホンを片方ずつ耳につけて音楽を聞いてました。だから、私はこれを片方だけ持ってたんです」
「なるほど、だから『おそらく』形見だったんだね」
「はい、そうです。長々と話聞いてくれてありがとうございます」
「いやいや、逆になんだか色々と話させちゃったみたいで。そういえば、その子の名前ってなんていうの?」
「名前、ですか?」
「うん。多分聞いてなかったと思うから」
すると、美樹は少し躊躇ったような素振りを見せたあと、答えた。
「結衣、です」
「ゆい?」
「はい。結衣です」
ふと、その聞き覚えのある名前に引っかかりを覚える。まさか、そんなことがあるはずはないが。ゆい、よくある名前だ。
「そっか、ありがと。というか横になって休んでたのに、長々と引き止めちゃってごめんね。お邪魔した僕が言うのもなんだけど、少しまた寝てね」
「はい、そうします。あの、メガネさん、よかったら眠るまで横に居てくれませんか」
弱気そうな彼女の言葉に少し驚くが、断る理由もない。
「いいよ。おやすみ」
◇
それから、また数週間の時が過ぎた。
季節は秋というのが少し憚られる程度には寒くなった。ホームセンターに売っている作業着を上着代わりに羽織る日が増えた。
リボンさんは毎日「温かいお風呂に入りたい」と愚痴をこぼしていた。それに対して、ササミとリーダーが今度屋上で五右衛門風呂を作る計画を立てているようだった。
日々は穏やかに過ぎ去り、メンバーは増えも減りもせず、世界はホームセンターだけで完結していた。静かな冬の訪れは、あるいは世界がこのホームセンターを残して滅んでしまったのではないか、そんな妄想にすら現実感を与えるものだった。
ただひとつ変わったことは、美樹が横になっている時間が増えたということだ。というか、活動している時間のほうが少ないくらいだった。
僕はほぼ毎日彼女の部屋をお見舞いに訪れた。
家電量販店で見つけたおもしろガジェットを持っていったり、自作のゲームをMixorに入れて一緒に遊んだりした。僕らは思った以上に息が合ったし、なんならもっと長い付き合いがあるように感じる瞬間も多かった。
話を終えたあと、彼女が寝るまで付き添うというのも習慣になっていた。
僕は彼女の寝息を確認すると、そっと部屋から出ていくのだ。
その日、僕らはまた一緒に自作のゲームをMixorで遊んでいた。僕は自分が作ったゲームだというのに彼女に三連敗を喫し、後日のリベンジを約束した。その後、彼女はいつもどおり、すぐに眠りについた。
彼女が寝息を立てているのを確認し、ふとサイドテーブルの上を見ると、そこには彼女のMixorが置いてあった。
その時、自分が何を考えていたのかは分からない。ゲームで三連敗した腹いせのちょっとした悪戯心だったのかもしれない。あるいは、ずっと感じていた予感を確かめたいという好奇心を抑えきれなくなったのか。
とにかく自分でも驚くほど自然に、僕の手は彼女のMixorを掴むと、自分のかけているそれと交換した。
脳内で鳴り響く、こんなことはやめておけ、という声を無視し、はやる気持ちを抑えつつアプリ一覧からEndless Worldを起動する。
起動すると、おそらく東京のどこかに転送された。移動しないように慎重に、慣れた手付きでメニュー画面を開く。脳内では、今ならまだ引き返せるぞ、と誰かが叫んでいるが、もう遅い。僕は彼女のアカウント情報を確認する。
そうして、アカウント名を見て、小さく息を飲む。
続いて、オブジェクトを呼び出すメニューに遷移し、全身鏡を呼び出す。
目の前に半透明でオーバーレイされていたメニュー画面が消え、全身鏡が現れる。
そこに映っていた姿は、紛れもなく、彼女だった。
もう脳内で叫んでいる声は聞こえない。
僕はEndless Worldを終了すると、Mixorをはずして元の場所に戻す。
そして、現実のベッドで小さな寝息を立てている彼女を見つめる。
そう、彼女ーーアカウント名MIS@KIこと、僕のEndless World内彼女、美咲のことを。
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