4. エンドレスワールド
第20話
マイによると、その日倒れている美樹を見つけたのは、午後の早い時間だったという。
倒れていた美樹は微動だにしておらず、最初は寝ているのかと思ったとのこと。もちろん彼女が店の廊下で寝るような人物ではないことは分かっているので、すぐに駆け寄って名前を呼んでみたが、全く反応は無かった。軽くゆすってみると唸るような仕草を見せる彼女にただならぬ気配を感じたマイは、すぐさまリーダーをはじめとしたメンバーを集めた。
残念ながら、マイホーム豊洲には医療系の知識があるメンバーはいない。
これまでの数カ月間、ちょっとした風邪をひいた者はいたものの、本格的に体調を崩した人がいなかったのは幸運だったといえる。建物内にドラッグストアがあり、市販薬ならいつでも手に入る、というも大きな強みだった。
それに今回引きこもり生活をして分かったことだが、人は、他人との接触が減ると体調を崩しづらくなるのだ。風邪などのウイルスは基本的に誰かからうつるものであり、不特定多数の人との接触が皆無になった今の生活では縁遠くなる。
ちなみに、今の生活で最も恐ろしい病気は虫歯だった。なってしまった場合、治療のしようがない。そのため、僕らはかつてなく丁寧に歯磨きをする生活を送っていた。
話を戻そう。
そんなわけで、医療担当がいないという問題はずっと先送りにされてきた。今回はそれが仇となった。
僕らは倒れている美樹を見て、動かしてよいのかだめなのか、温めればよいのか冷やせばよいのか、その場で取り留めもない議論をした。
胡散臭い情報で溢れていたインターネットの医療ブログですら恋しい気持ちだった。
しばらくして、少なくとも床に寝かしておくよりもベッドに寝かしたほうが良いだろうという結論に至った。病状によっては動かしてはいけないケースもあるという話をどこかで聞きかじったことがあるが、もとよりそんな病気であれば、病院がない今の状況では助からないのだ。
なにかの漫画で読んだ記憶を頼りに、ホームセンターに売っていた棒と毛布で担架を作ると、美樹を医務室まで運ぶ。
すると、運んでいる途中で彼女は薄っすらと目を覚ました。
「ん……」
「美樹!目覚めた?大丈夫?」
「あ、リボンさん……私……何を」
「大丈夫だから、いまは動かないで寝てて。ベッドまで送るから」
その後、美樹は数時間横になり、なんとか起き上がれる状態になった。
後ほど聞いた話によると、実は美樹は元々体が弱く、小学生を卒業するころまでは入院することもあったらしい。中学生の間は病院にも頻繁に通っていたが、高校に入学してからは体調も安定していたとのこと。
この特殊な状況下で、肉体的にも精神的にも決して健康にとって良いとは言えない生活を続けた結果、また以前の調子に戻ってしまったのもしれない。
「まだまだ、昔に比べたら全然元気ですよ」
美樹はそう言って笑っていたが、再び倒れるようなことは無くとも、体調が芳しく無くて横になる、といった事態が度々生じるようになった。
美樹が倒れてから数日後、医務室で横になっている彼女を励ませるものはないかと、僕は朝から家電量販店を物色していた。
見舞いの品と言いつつ、身銭を切ったものではにのは心苦しいところだが、店が営業していないのでは致し方あるまい。むしろ、金に糸目をつけずに好きな商品を選べるというメリットを優先しよう。
とはいえ、おそらくガジェット好きの美樹はすでにこの家電量販店を隅から隅まで物色済みのはず。何か掘り出し物が見つかればよいが。
ちなみに工学部の学生である自分にとって家電量販店を巡るというのは、それだけでワクワクする体験で、どれでもタダで取り放題ときた日には心が踊らないわけがない。ここに至っては、この状況をもたらしたのがゾンビパンデミックであるという事実などどうでもよい。実際、この家電量販店はすでに何度も探索をしているし、めぼしいものはすでに大体頂いてしまっている。その結果、僕はこの店は炊飯器から単三電池の一本に至るまで場所を記憶している。
その記憶をたぐりつつ、彼女が喜びそうなものを考える。
最初に思い浮かんだのは、ゲーム機。体を休めて横になっているときの暇つぶしには最適だろう。彼女がどの程度ゲームをやるかは不明だが、Endless Worldをやっていたくらいだ、きっと好きに違いない。
しかし、ゲーム機は少し無難すぎて、自分の中の工学部生の部分が納得していない。ガジェット好きの彼女を喜ばせるような何か――。
ふと周りをみると、そこはオーディオコーナーだった。
「イヤホンかぁ」
イヤホン、それは誰もが持っている一般的な製品でありながら、非常に奥が深い。線の有無、無線通信規格、イヤホンの形状、防水、ノイズキャンセリング、それに音質、デザイン、エトセトラ。とにかく考えることが多く、利用シーンによって最適なものが異なるため一概に価格が高いものが良いとも言えない、まさに選び手のセンスが問われる一品だ。
音楽を聞かないという人はあまり居ないだろうし、ゲームをするにしても動画を見るにしても、暇つぶしにイヤホンは必要だ。それでいて、ガジェオタが喜ぶジャンルのものだ。これにしよう。
自分はオーオタ(オーディオオタク)ではないためそれほどイヤホン業界に精通していないが、それでもゾンビ発生以前は用途に合わせた四、五種類のイヤホン、ヘッドホンを家に常備してた。その時の知識でなんとか戦えるはず。
そんな甘い考えを持っていたのは最初のときだけ。
広いオーディオコーナーを右往左往しつつ、気がついたら一時間以上が経過していた。
問題はオーディオに関する知識ではなかった。そもそも、自分は女性にプレゼントなどしたことがないのだ。彼女が何をもらって喜ぶのか、自分が何を送るべきか、サッパリわからない。
と、そこでふと先日新品のMixorを選んでいた美樹を思い出す。
性能よりもデザイン優先で淡いピンク色のMixorを選んでいたリボンさんと対象的に、美樹は迷わず最高スペックで真っ黒なものを選んでいたではないか。
デザインよりスペック、せっかくなら少し変わった機能がついているものがよい。
やっとのことで方針が決まり、また追加で一時間ほどを費やし、ついに僕は見舞いのイヤホンを選んだ。
「どうぞー」
医務室のドアをノックすると、中から声が聞こえた。
最初の頃こそ、女性が一人で寝ている部屋に入るのはどうなんだろう、と躊躇う気持ちもあったが、何度か見舞いを続けているうちにすっかり慣れてしまった。それでもドアを開ける前にノックをするのは、ラッキースケベ的な事故を防ぐための最低限のマナーである。
僕を見るなり、美樹が表情が明るくなった、気がする。
「メガネさんありがとうございます! 一人で暇だったんですよー」
そう言いながら、彼女はおそらく先程までかけていたであろうMixorをベッドの横に置く。
「調子はどう? Mixorで遊んでたの?」
「はい、調子は悪くないです。正直もう起きても大丈夫なんですが、ダラダラしてました。Mixorでゲームやってたんですよー」
「何のゲーム?」
「なんかパズルゲー? 謎解き? みたいなやつです。私こういう系のゲーム好きで」
「そうなんだ。美樹ちゃんは音ゲーとかやらないの?」
ベッド脇の椅子に腰掛けながら、さり気なく聞く。
「音ゲーは嫌いじゃないんですけど苦手で、あんまりやらないですね。とくにMixorの音ゲーって結構全身使うじゃないですか。私運動神経無いから、すぐ疲れちゃって」
「あー、分かる。大体どっちかというと運動ゲーだよね」
そう、MixorのようなMRグラスで遊ぶ音ゲーは、音に合わせて周囲から飛んでくるノーツをキャッチしたり、障害物を避けたりというものが多く、数分遊ぶと汗だくになるようなものが一般的だ。かくいう僕も、それで運動不足を解消しようとした時期があったが、すぐにやらなくなってしまった過去を持つ。
そして僕は、音ゲーはあまりやらない、という回答に密かに安堵する。今回選んだイヤホンはBluetoothによる無線通信を使ったもので、これを使って音ゲーをしようとすると遅延が大きくて遊べないのだ。視覚から入ってくる情報と、耳で聞こえるテンポがずれるというのは、音ゲーにとって致命的である。
「あ、でも音楽は聞く?」
「音楽は聞きますよ。私前言ったように昔は入院することが多かったので、そのころよく聞いてて。一人で静かな病室にいると、気が滅入っちゃってだめなんですよね」
「お、それは良かった!」
「良かった?」
訝しげな顔をする彼女に、僕は後ろ手に隠し持った袋を渡した。
一応プレゼントだから、と店のレジから包装紙を頂いて包んでみたのだが、もちろんプレゼント包装の経験など無いため、非常に不格好な仕上がりとなってしまっている。
「これは……?」
「これはその。お見舞い?」
「お見舞い? ってなんでメガネさんが疑問形なんですか」
クスクスと笑いながら、彼女は包装を丁寧に開けていく。
「あ、これ。このイヤホンは……」
商品を見た彼女の顔が一瞬曇る。
「あれ、もしかして知ってた? 完全ワイヤレスの骨伝導イヤホン。耳にイヤリングみたいに挟んで使うタイプで、珍しいかなと思ったんだけど。前に使ってたとか?」
「いえ、ありがとうございます! すごく嬉しいです。私は持ってたこと無いんですけど、前に友達が使ってて、それで……」
それっきり、彼女は黙り込んでしまった。静かに箱を開けると、イヤホンを取り出して眺めている。何か地雷を踏んでしまったのかと焦るが、別に怒っている風でもないので様子を見る。
「やっぱりそうだ」
彼女はそうつぶやくと「ちょっとまってて下さいね」と前置きして、テーブルに置いてある自分のバッグをあさると、何やら手に持ってきた。
「これ、見て下さい」
彼女の手に握られていたのは、僕があげたのと同じイヤホンの片方だった。
「これ、私の友達の、その――形見なんです」
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