第19話
「それにしてもすごいですよね、メガネさんのEndless World」
差し迫った問題も無くなったある日の午後。屋上での会話。登場人物は僕と美樹。
「現実のコピーがVR空間にあるなんて」
「その現実がこうじゃなければ、もっと楽しかったと思うんだけどね」
「うーん、こんな状態だからこそ便利なんじゃないですか。実際の危険なしで色々と調査したり出来るなんて、すごいことですよ」
そうなのだ。それは分かっている。この仕組みに気がついて以来なにかと忙しくて頭が回っていなかったが、これはきっとうまく活用すれば何かすごいことが出来る可能性を秘めている。
「それで、どうするんですか?」
「どうするって?」
「決まってるじゃないですか。Endless World、元に戻しちゃうんですか?」
そう、これが悩みの種なのだ。
元々の目的は、ゾンビのいない平和なEndless Worldを取り戻すことだった。そうして、美咲と半年記念のデートをするのが目下の楽しみだったのだ。しかし、これはつまり現実をコピーするというすごいポテンシャルを持ったEndless Worldを、元のなんの変哲もない状態に戻してしまうということだ。
実際に、今回のリボンさんの一件ではこのEndless Worldが大活躍した。
これがなかったらリボンさんを見つけることは出来なかっただろうし、仮に出来たとしても、その後におじさんを見つけてリボンさんが先に進めるようになることは決してなかった。
今後、似たような事態が起きないとは限らない。そのとき、きっとこのEndless Worldは大きな武器になるだろう。
それに先日のような事件がなくても、おそらく日常でもこいつは役に立つ。例えば物資調達で外出するときに、事前にEndless Worldで外の様子を予習してから向かうことで、リスクを大幅に軽減することができるだろう。
「どうしたらいいかな」
「それは自分で決めてくださいよ。メガネさんのEndless Worldなんだから。どっちを選んでも、誰も責めないですよ」
あくまで選択を僕に委ねる美樹。正しい。
現実にとって有益だから、平和なEndless Worldを捨てる。以前だったらこんな選択肢、検討することすら無かっただろう。自分にとって大事なのはEndless Worldのほうで、現実は生物として活動するためだけにある。そう思っていた時期すらあった。しかし、今は――
「でも、そうですね。もし悩んでるなら、とりあえず調査してみるっていうのはどうですか?」
「調査?」
「はい、そうです。だってまだ分からないことが多いじゃないですか。それを色々実験して調査してみて、その結果を元に決めるのでも遅くないと思います。もちろん、私も手伝いますから」
そういうわけで、僕らは再びEndless Worldの調査を行うことになった。
結論を先延ばしにしただけだが、美樹の好奇心に満ちた顔に逆らうことは出来なかった。
「最初の調査は何にしましょうか」
「そうだね。今回のリボンさんの件でも気になってたけど、現実世界で起きたことがバーチャル側に反映されるタイミングが知りたいかな」
「タイミング?時刻とかですか」
「うん、というか周期かな。例えば今回はラッキーなことにリボンさんの場所がすぐに反映されてたから見つけることが出来たけど、それがたまたま運が良かったのか、そうじゃないのか、とか知りたい。これを知っておけば今後役に立つと思うんだ」
「さっすがメガネさん、いいところ突きますね。それ調べましょう」
もはや楽しい気分を隠そうとしない美樹に引きずられるように、僕にも徐々にやる気が出てくる。元来、こういうシステムの仕組みを探るようなことは大好物なのだ。
「あとついでに、どういうことがアップデートされるのかも知りたい。何か反映されないものとかあるのか、とか」
「反映されなそうなのって例えばどういうのですか?」
「僕らは現実空間の情報を集めているのがドローンによるものだと考えてるわけだけど、そうするとドローンが入れない場所、例えば建物の中の情報は反映されないと思うんだよね」
「なるほどー」
そういうわけで、最初の実験項目が決まった。といってもこの実験は地味だ。
まず、実験場所をいくつか選ぶ。ドローンが観測しやすそうな屋上から二箇所、屋内ではドローンからぎりぎり見えそうな窓際や、逆に絶対観測不能な室内など三箇所。これら計五箇所に一日に数回、カラーコーンを置いていく。そして、定期的にEndless World側をチェックする。
あとは簡単だ。カラーコーンを追加したタイミングと、Endless World内にあるカラーコーンの数が変わったタイミングを比べてやることで、現実で起こった出来事がEndless Worldに反映されるまでにかかる時間が推測できる。
「――というような実験をしたいので、しばらく建物の中でカラーコーンを見かけるかもしれないですけど片付けないでおいてください。できるだけ邪魔じゃない場所にするので」
実験開始前、夕食のときにみんなにそう伝えた。「頑張ってね」とエールを送ってくれるリボンさんをはじめ、みな実験には協力的だった。最近少し退屈そうなマイは「なんか楽しそうですねー」と興味津々だったが、VRはすぐ酔ってしまって苦手、とのことで協力は見送りとなった。
ササミからは「なんだか最近お前変わったな。前向きになったっていう感じ?」と小突かれ、少し照れくさい思いをした。
さて、実験は二週間ほど行った。
結果として、次のようなことが分かった。
まず、現実を反映する間隔は大体三日おき。Endless Worldにおけるカラーコーンの数が更新される間隔はほぼ七二時間おきで、あまり誤差はなかった。例のドローンの周回スケジュールは思ったより正確なのかもしれない。
そして反映されるカラーコーンの数は、すべて最新のものだった。これはまだ仮説だが、おそらくドローン側は絶えず色んな場所を飛び回ることで常に現実の情報を把握し続けているが、それを僕のEndless Worldに同期するのが三日に一度、ということなのだろう。つまり、Endless Worldにおける状態は現実における三日間の最終状態であり、過程は考慮されない。途中でカラーコーンが百個に増えていても、最終的に置いてある数が三個ならEndless Worldで観測できる数は三個になる。
またEndless Worldに反映される場所は、ドローンから観測可能な範囲のみだった。それはすなわち、屋上と窓際。逆に窓のない室内といった一切ドローンが観測できない場所のデータは、Endless Worldには全く反映されなかった。そもそも現実を反映するための情報がドローンから送られてきている、ということ自体が仮説だったのだが、この実験結果はこれを補強するものだと考えられる。
「――ということでまとめると『僕のEndless Worldには外での出来事が三日に一度反映される』って感じかな」
僕は美樹と実験結果のまとめをしていた。なんだか普通の大学生活にもどったみたいで楽しい。
「そう考えると、この間リボンさんをEndless Worldで見つけられたのは超ラッキーだったってことですね。最悪、三日後まで見つけられない可能性だってあったわけですから」
たしかに。その可能性を考えると肝が冷える。
「さて先生。次の実験は何にしますか?」
美樹が目を輝かせて聞いてくる。せっかくひとつ実験が終わったばかりだと言うのにせっかちなことだ。
「うーん、そうだな。僕らは適当に『現実が反映される』とか言ってるけど、それの意味をもうちょっと調べたいかな」
「というと?」
「つまり現実は上書きされるのか、それとも追加か、それ以外か。例えば現実のコピーでカラーコーンが三つ置かれた状態で、僕らがEndless World内でカラーコーンを一つ加えたとします。そのあと現実のカラーコーンの数を変えなかったら、三日後にどうなると思う?」
「それは現実だとカラーコーンは三つしか置いてなんだから、Endless Worldも三つに戻るんじゃないんですか」
「じゃあさ、Endless Worldで加えたカラーコーンの場所が現実のカラーコーンからかなり離れていたら?例えば屋上の端と端とか。それでも屋上にあるカラーコーンの合計は三つになるかな」
「あ!なるほど……つまりあれですね、現実の情報が上書きされる範囲の話ですね」
「そうそう。さすが、話がはやい。現実は上書きされるのか、されるとしたらどこまでを範囲として上書きするのか。Endless Worldにはあるけど現実は無い、という事実も上書きされるのか、とか」
そんなわけで、新しい実験がはじまった。
この実験は開始早々、予想外の結果が得られた。
今回のようにシステムの検証をする実験では、同じことをすれば同じ結果が返ってくるはずという、いわゆる「再現性」を前提としている。システムの動作が毎回ランダム変わってしまうようであれば、いくら実験をして仕組みを探っても意味がないからだ。
しかし今回、美樹との会話の中でも話題に出た「Endless Worldでコーンを増やす」というのを何度かやってみたところ、結果が毎度異なったのだ。
具体的にはコーンの数が現実によって上書きされてEndless Worldでの変更がリセットされるケースと、そうではなくEndless Worldによる変更がそのまま残るケースがあった。
「全部で四回検証したうち、上書きされたのは二回です」
「半々かぁ。その二回って何があったっけ?」
「えっと、一回はなんかメガネさんに用事があって私だけでEndless Worldでの作業をしました」
そうだ。たしかその日はマイに久しぶりにマリカーに誘われたのだ。最近Endless Worldの調査ばかりであまり遊べてなかったせいか、楽しそうにマリカーをプレイする(そして僕に勝つ)彼女を見ていたら途中で抜け出せなくなり、結局Endless World側での作業を美樹に任せたのだ。
「その時なんか変わったことあった?」
「うーん、特に……いつもメガネさんと一緒のときと同じように作業しました」
頭を捻らせる彼女。
「もう一つの上書きされた日は?」
「その日は一番最近のテストのときですね。特にいつもどおりですけど、強いて言えばもう慣れてきたからってEndless World内での作業を分担して行いましたよね」
「そういえばそうだったね……あ、そうすると、ひとつ仮説がたてられるかもしれない」
「お、さすが!なんですか?」
「現実データの情報が上書きされるケースでは、全て美樹ちゃんがEndless World側の作業をしていたんじゃないかな。逆にEndless Worldの情報が保持されるのは僕が作業をした場合」
「つまり、作業者によって結果が変わるっていうことですか?」
「うん。もっと言えば、おそらくこのEndless Worldのメインプレイヤーである僕か、それ以外のゲストプレイヤーかで変わるんじゃないかな。メインプレイヤーが行った変更は保持されて現実の状況とうまくマージされるけど、ゲストプレイヤーによる変化は現実の状況によって上書きされてしまう、とか」
「おー、なるほど!さっそく試してみましょう!そうだな、リボンさんにも手伝ってもらいますか」
ということで、次の実験はゲストプレイヤーとしてリボンさんにも参加してもらうことになった。
リボンさんは協力を快諾してくれたが、先日以来全くMixorを使っていなかったらしく「さすがに捨ててはいないはずなんだけど……」というリボンさんと一緒に現実でMixorを探すというタスクが一つ増えた。ようやく従業員控え室のロッカーでピンク色のMixorを見つけたときにはすでに夜になっており、実験は翌日からはじめることとなった。
今回も実験自体は簡単だ。僕と美樹とリボンさんが現実で異なる色のカラーコーンを屋上に置く。それがEndless Worldに反映されたら、今度はEndless Worldの中で同じ色のカラーコーンをそれぞれの人が追加する。そうしてまた三日待ち、次の現実が反映されるのを待つ。
結果は僕の予想通りだった。すなわち、メインプレイヤーが加えた変更は現実によって上書きされず、ゲストプレイヤーによるものは三日おきにリセットされる。
「メガネさんの予想通りでしたねー。これはつまり、どういうことなんでしょ」
「これは結構便利かもしれないね。つまり、現実をいじらずに調査とかをしたいときはゲストがすればいいし、そうじゃなくて現実を改変するシミュレーションをしたいときは僕がやればいいってことだ」
「できることが増えそうですね!」
喜ぶ美樹は、一呼吸置くと今度は真面目な顔つきになった。
「それでメガネさん、ここまで実験してきてどうですか?」
「どうって?」
「やだなー。ほら、実験をはじめたのって、そもそもメガネさんのEndless Worldをもとに戻すかどうかの判断をするためだったじゃないですか」
すっかり忘れていた。そういえばそんな話だった。正直、ただ純粋に調査自体が楽しんでいた。
「え、忘れてたんですか」
「いやいや、忘れてないよ。もちろん。えーと、そうだな……少し考えてみようかな」
その晩、横になりながら自分のEndless Worldのことを考えた。
そういえば元々このEndless Worldにいた人たちは、この現実コピーによってどんな影響を受けているのだろう。例えば、美咲や結衣のことだ。
美咲としばらく会えていないことに微かな罪悪感を覚える。最後に大学で別れてから、Endless World内の時間でもう一ヶ月以上が経過している。正直、彼女はもうすでにゾンビに襲われてしまっている可能性が高いだろう。会おうと思えばいつでも会える、そう思っているうちにかなりの時間が経過してしまった。それに会ったところで、毎度同じセリフを言う美咲を見るのも少々辛かった。
――『会おうと思えばいつでも会える』だって?
ふと、嫌な予感が頭をよぎる。
今死んだらちゃんとセーブポイントに戻れるのだろうか?
特に大きなイベントをこなした覚えはないが、時間経過によってオートセーブが走る可能性だってある。その場合、すでにゾンビになってしまっているであろう美咲を助ける手段は無いし、さらに言えばEndless Worldからゾンビを一掃する手段もなくなる。
Endless Worldをゾンビが居ない世界にするためには、ゾンビが発生する前に現実をコピーするプログラムを破壊する必要があるからだ。
底知れない不安がつのる。
――いっぺん死んでみるか。
こんな不安を抱えたまま寝るわけにもいかず、僕はMixorを起動する。ここ最近ログインをするときは殆ど美樹と一緒だったので、久しぶりのソロプレイとなる。
◇
Mixorを起動すると、そこはいつもの屋上である。
さて、どうやって死ぬか。
屋上から飛び降りてしまうのが簡単だが、ここで今までやったことのないことをするのもリスクがありそうだ。今までセーブポイントに戻ったのは全てゾンビの襲われて死んだ場合で、他の方法を取った場合に何が起こるかわからない。ただでさえ不安要素が多い状態で、無理をする必要はない。
無難にゾンビに襲われよう。
ホームセンターを出ると、目の前は大通り。見渡すと何体かのゾンビが目に入る。Endless Worldの中でも、安全なバーチャルマイホーム豊洲に引きこもっていたため、ゾンビを見るのは久しぶりだ。それが仮想現実だと分かっていても、自分からゾンビに近づいていくというのは勇気がいる。
おじさん探索作戦のなかでゾンビにやられる仕事をこなしたリボンさんを参考に、自分も目をつむってゾンビに向かって突進する。
ゾンビの叫び声に続いて、何かが引き裂かれるようなリアルな音が響き、そして急な静寂が訪れる。【DEAD END】。
次の瞬間。
「次のライブいつかなー」
目を開けると、そこにはブルモンのパーカーを着た美咲がいた。
そこはかつて何度も経験した、セーブポイントだった。
先程まで感じていた不安の反動から、思わず彼女を抱きしめる。
「え、どうしたの?ちょっと」
「無事でいてくれてよかった。ずっと会えなくて、ごめん」
「ずっと?昨日会わなかったっけ?」
キョトンとした顔の美咲を見ながら、覚悟を決める。もうずっと前から答えは出ていたのかもしれない。
「美咲、伝えないといけないことがあるんだ。その、ごめん。またしばらく、会えなくなる。たまにこうやって会いに来たいとは思うけど、基本的には会えない」
突然の言葉に驚きを隠しきれない美咲に、俺は畳み掛けるように続ける。
「それと、もう一つ。これは意味分かんないと思うけど、この世界を平和にできるはずなのにしなくて、ごめん」
そうだ。俺はこの世界を見捨てるのだ。
そして最後に、いちばん大事なことを謝る。
「あと、水族館に行く約束、しばらく果たせそうにない。ごめん」
顔を上げると、美咲は何を言っているのか分からないという様子であっけにとられている。そんな美咲に俺は謝罪の言葉を何度か繰り返すと、最後は強引に別れを告げ、大学を出る。
急いでマイホーム豊洲までワープし、屋上に移動する。
これで良かったのだ。これが今の俺の選択なのだ。
自分の出した結論から逃げるように、俺は急いでMixorを外した。
◇
翌日、僕は美樹に自分の出した結論を報告した。
「しばらく、このままにすることにしたよ。色々便利そうだし」
彼女は少しホッとしたような顔をして、微笑んだ。僕も、微笑んだ。
それからしばらく、僕らはEndless Worldを最大限活用した。
こいつのおかげで、以前に比べて格段に外出のハードルが下がった。いまやメンバーの全員がMixorでゲスト用アカウントを取り、外出の際には慎重にシミュレーションをしてから出発するというのが通例となった。
みんなでシミュレーションをする様子を見て、リーダーは「これじゃあみんなメガネだな」と言って笑っていた。
外にはまだ保存食や物資が残っている場所が意外と残っており、僕らは今後訪れる冬を乗り越えるための蓄えを進めていった。
そうして、夏が終わり、季節は秋になった。
残暑が過ぎ去り、肌寒い日が増えてきたある日。
美樹が突然倒れたのはそんな日だった。
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