第18話

「もう起きたんだね」

「はい、ぐっすり寝て元気になりました。それで、目覚ましに屋上行こうと思ったら話聞いちゃって。盗み聞きみたいになっちゃってすみません……」

 よく見ると、美樹の顔にはテーブルで寝た証として腕の跡がついている。

「盗み聞きなんていいの。それにありがとう、手伝ってくれるって言ってくれて。私を見つけてくれたあなたが仲間になってくれるなら、これ以上心強いことは無いわ。それと――」

 リボンさんは言葉を選ぶように一瞬口ごもる。

「それと、私はあなたに言わないといけないことがふたつある。ひとつは、いままで冷たく接してしまってごめんなさい。あなたも、こんな状況で知らない人たちのところに合流して不安だったでしょうに、大人気なかった。それに、この間助けに来てくれたときにはひどいことも言ってしまった。本当にごめんなさい」

 頭を下げるリボンさんに、美樹は手をブンブンと振りながら「やめてくださいよー、私は大丈夫ですから」と恐縮する。リボンさんは頭を上げると、話を続ける。

「それともうひとつ伝えたいのは、迎えに来てくれて、私を見つけてくれてありがとう、ってこと。さっきメガネくんに聞いたけど、私を見つけるためにすごく頑張ってくれたんでしょ。迎えに来てくれてなかったら、今頃、私もゾンビの仲間になっていたでしょうね。あなたは命の恩人。ほんとうにありがとう」

「いえいえー。それほどでもないですよ」照れるように頭をかく仕草をする美樹。

「それに、私だけじゃなくてみんなの功績です。ササミさんのドライブテクニックがなければ、私達はいまごろ全滅してましたし」

「あれはドライブテクニックっていうより、なんというか、怖いもの知らずって感じだけどね」

 向かい合って笑いあう二人を眺めながら、僕は本当にみんな無事で良かった、と天を仰いだ。


 救出当日はさすがに疲れが溜まっているので休憩しようということで、Endless Worldでのおじさん救出作戦は翌日からはじまった。

 今でこそMixorをかけている僕が「メガネ」というあだ名を付けられるような状況だが、ほんの少し前、ゾンビがおらずどこでもネットワークが通じていた世界では、老若男女問わず殆どの人が日中はMixorのようなMRグラスをかけて生活していた。

 当然リボンさんもそうだったはずなのだが、今は「インターネットがなくなってから使わなくなって、もうどこにあるかわからない」とのこと。Endless Worldのオフラインモードなんていう遊び方をしている自分はかなり例外で、ほとんどの人にとってインターネットに繋がらないMixorは、せいぜい「時間がわかる充電が必要なメガネ」程度の扱いだ。

 というわけで、まずはリボンさん用のMixorを手に入れるところからスタートした。とは言え、これは簡単だった。なにせ僕らが住んでいるマイホーム豊洲には家電量販店が入っている。昨今、Mixorを売っていない家電量販店など存在しない。

 本来なら十万円ほどする新品の端末を選び放題という事実に、ガジェット好きの僕と美樹はテンションが上がる。一方ガジェットにあまり興味がないリボンさんは、見た目で淡いピンク色のものをひとつ選ぶと、「さっさとはじめましょう」と店をあとにした。

「私のMixor、実は一世代前の廉価版なんです。だから――」

 物欲しげに売り場を見つめる美樹に、僕は「まぁいいんじゃないかな。お金払わないとか今更だし」と背中を押してやると「そうですよね!」と嬉しそうに答えた彼女は、意気揚々と最新機種の最高スペックのMixorを手にとった。色は濃い黒。

 さて、デバイスが揃ったら次はEndless Worldのセットアップだ。

 機種変更機能を使って以前の端末からデータを移せば良いだけの美樹は良いとして、リボンさんのMixorは新品。新たにEndless Worldをインストールしてやる必要がある。

「よく考えたら、インターネットにつながらないのにどうやってアプリを落とすの?」

「僕のMixorに入ってるEndless Worldのアプリを使いましょう。えーと、Mixorからアプリをぶっこぬいて一旦PCに移して、それをリボンさんのMixorにインストールする感じです」

 僕個人のセーブデータを移植しないように注意しながら、アプリ本体のデータだけを慎重にリボンさんのMixorにコピーする。

「はい、これでOKです。起動してみて下さい」

 リボンさんにMixorを渡すと、セットアップの手伝いをする。横で最新機種にデータをコピーしていた美樹もちょうど作業が終わり、ようやく全員の準備が整った。

「それでは僕のEndless Worldの中で会いましょう」


    ◇


 まばたきの間に、そこは再びバーチャルマイホーム豊洲の屋上だった。前回、美樹がリボンさんの探索を終えたままの状態である。

 周囲を見渡すと、デフォルトアバターのプレイヤーが二人いる。デフォルト、といってもEndless Worldのデフォルトアバターは複数あり、髪型や服装の違いで見分けがつくようになっている。先日リボンさんを探索していた美樹のアバターは髪は短めで、服装もスポーティーで動きやすそうなショートパンツ姿。一方、今回初めて入ったリボンさんは現実と近い長髪で、服装も白のワンピースと清楚な感じだ。

「それじゃあ探索の仕方を説明しますね」

 美樹がリボンさんにEndless Worldのことを簡単に説明する。細かいことは不明だが、現実の状況がコピーされているらしいこと。この世界の主である俺が死ぬと、セーブポイントである数日前に戻されてしまうこと。ゲストである二人が死んでも俺の近くに復活するだけで済むこと。なので、探索は主にゲストである二人が行う必要があるということ。

「一気に説明しちゃいましたけど、大丈夫でしたか?」

「大丈夫、大体分かったわ。つまりこの間も私を探してくれたのは美樹で、メガネくんはずっと屋上で待機してただけっていうことね」

 意地悪に笑うリボンさんに、俺はまったくもって反論のしようがない。

「今回は主な探索場所が学校だから、メガネさんにもできれば学校まで来て欲しいと思っています。そうしたら、学校内で私達が死んでもすぐに探索を再開できる」

「もちろん行くよ。俺は学校についたら放送室にでも隠れて震えてる」

 そうして、まずは三人で学校を目指すことになった。

 別に俺が死んでもやり直しがめんどくさい、という程度なのだが、美樹の提案で学校までの道のりも慎重に進むことに。まず、美樹とリボンさんが手分けして進む道を調査、危険がなければ俺も先に進む。

 慎重な行動のおかげもあり、三人は一度も死なずに例のカフェまでたどり着いた。

「ここまではあんまりゾンビとも会わなかったですね」

「そうね。それにしてもびっくりした。本当にここ、現実のコピーになってる。カフェの前にあるテーブルの配置とか、うろ覚えだけどたしかにこんな感じだった気がするもの」

 感心するリボンさんに、美樹が緊張した声で話しかける。

「そうなんです。現実をコピーしているということは、次の交差点の周りにはおそらくやつらがうようよしている。そこをどう突破するか考えないと……」

 適当な車を盗んで突撃するという案もあるが、三人とも運転は得意ではない。やっぱり交通事故で死ぬのはごめんだ。

「結局、メガネくんが学校にたどり着ければいいのよね」

「はい、まぁそうですけど――」

「それだったら簡単じゃない。私と美樹でゾンビを追っ払えばいいのよ。動く人間なんて良い囮よ。それに死んでもメガネくんのところに復活するんだったら、今度はちょうどよい盾にもなるし」

 リボンさんの大胆な計画に言葉を失うが、美樹は手を打ち鳴らして「なるほど!」と言っている。うちの女性陣は強すぎる。

「交差点を過ぎたら学校までは走ってすぐ。私達がゾンビをひきつけたらメガネさんには一気に学校まで走り抜けてもらう感じですね。裏門を越えちゃえばとりあえずこっち側のゾンビは撒けるし。唯一の懸念は学校内のゾンビだけど――」

「そこは祈るしかないわね。特に理由もなければゾンビが集まってることもないでしょうから、いても一体とかだろうし。そのくらいならメガネくん頑張ってどうにかして」

 大胆なのか適当なのか分からない作戦を聞かされ、もはや拒否権などない俺は苦笑を返す。

「それじゃあ行きましょうか!」

 そういうと、リボンさんと美樹はさっそく交差点に向かって走り出した。俺は物陰から様子を見て出ていくタイミングを伺う。

 交差点にいたゾンビもさっそく気がついたようで、無防備にも走り回る二人に目を奪われている。交差点にたどり着いた二人は左右に分かれ、ゾンビたちを交差点から誘導する。

 ゾンビたちを引き離しすぎず、近づけすぎず。基本的にやっていることはドローンを用いた誘導と一緒だが、自分自身は安全圏にいてドローンを操縦するのと、自らが餌となるのでは緊張感が全く違う。

 ちなみに、この作戦は餌となる二人が逃げ切らず、最終的にはゾンビに襲われて俺のもとに帰ってくることをゴールとしている。ぶっつけ本番だが、かなりのゾンビコントロールが要求される作戦だ。

 視界の中にいるゾンビが概ね二人に釘付けになっているのを確認すると、俺は覚悟を決めて通りに飛び出した。

 学校までは走って一分もかからない。Endless Worldでの移動速度はプレイヤーの体力や運動神経とは関係ない。ここではシステム上出せる最大速度で学校を目指す。

 交差点を通り過ぎる時、左右に分かれたゾンビの一部がこちらに気づいて振り返る。現実の肉体に冷や汗が流れるのを感じるが、ここで立ち止まることはできない、無視して走り抜ける。陽動をしている美樹とリボンさんが何やら叫んでやつらの注意をひきつけている。

 程なくして無事に学校の裏門にたどり着く。恐る恐る振り返ってみるが、ついてきているゾンビはいない。急いで門を乗り越え、学校に侵入する。

 リボンさんの祈りが通じたのか裏門の内側にはやつらはいないようだった。

 束の間の安全を手に入れたことに一呼吸しながら、前回リアルでこの場所を訪れた時のことを思い出す。言うまでもなく、おじさんがゾンビに襲われるのを目にしたときだ。

 自然と体が震えるのを感じる。これがリアルでなくて本当に良かった。現実でここに訪れていたら、足がすくんでしまっていたかもしれない。自分でも気づかないうちに、あの出来事は心に大きな影響を与えていたようだった。

 そんなことを考えていると、隣から声をかけられた。

「お待たせしました!」

 はやくも美樹が一度死んだようで、復活してきた。

「うまくいったみたいですね。まだリボンさんが来てませんけど、とりあえずもう少し安全なところに行きましょうか」

「安全なところ?」

「はい、こんな開けたところではなく、どこかの部屋……とりあえず入り口からすぐの警備員室に行きましょう」

 すたすたと歩いていく美樹を慌てて追いかける。警備員室は門から校舎に入ってすぐのところにあり、やつらが居ないことを確認すると、中に入った。

「やっとセーブポイント更新できましたね。まずはリボンさんを待ちましょう」

 美樹は椅子に座って一息ついている。自分自身がセーブポイントであるというのは、なんだか妙な気分だ。

 ほどなくして、リボンさんも部屋に現れた。

「お待たせしました。わざとゾンビに襲われるっていうのが思ったより怖くて、時間かかっちゃった。自分から提案した作戦なのに情けないわね。結局最後は目をつむってやつらの中に突進して、次に目を開けたらここ」

 よく考えたらリボンさんはEndless Worldでゾンビに襲われるの初体験なのだ、無理もない。自分からゾンビに襲われに行くなんて、いくらVRだと分かっていても脳みそが拒否をするだろう。

「さて、それじゃ早速探索に行きましょう!」

「ちょっとその前に休憩させて……なんだか走り回って少し酔っちゃったみたいで」

 元気いっぱいの美樹と対照的に、グロッキーな様子のリボンさん。

 体性感覚が無いVR空間で走り回ると、視覚情報と体が感じる加速度の差によって船酔いに似たような感覚に襲われることがある。普段からEndless WorldでVRをやっている俺や美樹は耐性ができているのだが、慣れていないリボンさんにとってはなかなか辛かったようだ。

「それじゃあ一度現実に戻りましょうか」


    ◇


 結局その日はリボンさんの体調が戻らず、探索は翌日からとなった。

 学校は思ったよりも広く、また学内のゾンビも多く、学校にたどり着くまでは順調だった探索も滞っていた。そもそも、学校内を探索して目的が達成できるという確証もなかった。

 しかし探索を初めて三日目、美樹が中庭であるものを拾った。ドローンだ。

「このドローンって、もしかしてリアルで私を助けに来てくれた時に置いていったやつですか?」

「そうだね……」

 それは俺が美樹の救出作戦で操縦していたドローンだった。結果的におじさんを襲うゾンビたちを誘導してしまったドローン。忘れかけていた罪悪感が再び去来し、苦い感覚を味わっていると、美樹が「よかった!」と声をあげた。

「つまりあれですよね。メガネさんたちが学校に来たあとの学校の状態がちゃんと反映されてるってことですよ」

「あ、なるほど。そうだね」

 前向きな美樹に救われて、顔を上げる。

「それは良かったけど、そろそろ何か作戦を考えないと。闇雲に探すだけじゃ何度死んでもきりがないわよ」

 警備室の椅子に座ってリボンさんは、まだVR空間に慣れきっていないようで、疲れがにじみ出ている。

「ゾンビをもっと一箇所に誘導とかできれば、一気に確認できるんですけど……」

「誘導……それだ!リアルでやったのとを同じ方法を使えばよかったんだ」

 美樹のつぶやきからヒントを得た俺は、二人に作戦を説明した。

「つまり、どこかのスピーカーから音を流してそこにゾンビを誘導するってこと?」

「そうです。例えば校庭のスピーカーから校歌を流して、校庭にゾンビを集めるといった感じです」

 早速みんなで放送室に移動すると、美樹慣れた手付きで放送設備を立ち上げる。

「それじゃあ校庭から校歌流しますね」

 数分後、もはや聞き慣れた校歌が流れ終わると、美樹とリボンさんは急いで校庭に向かった。

 そして、結果的にそれが最後の探索となった。

 後から聞いた話では、最初におじさんを発見したのは美樹の方らしい。服装があまり乱れていなかったため、最後に会った時の印象の通りで見つけられたということだ。

 美樹に呼ばれてその姿を確認したリボンさんは、彼のところまでゆっくりと歩いていくと、その手を取って話しかけた。なぜかおじさんがリボンさんを襲うことは無く、彼女は結局近くにいた別のゾンビに襲われるまでの間をおじさんと過ごすことができたという。

 リボンさんは放送室に戻ってくるなり俺に「お世話になりました」と深々と頭を下げ、そうして今回のミッションはおしまいとなった。


    ◇


 Mixorを外して最初に見たリボンさんの顔は、何か憑き物が取れたような晴れ晴れとしたものであった。リボンさんが以前言っていたとおり、それはきっと辛い現実を突きつけられる出来事だったはずだが、きっと彼女はだいぶ前から、この時が来るのを覚悟していたのだと思う。

 リボンさんはリアルでも改めて僕と美樹に感謝を述べると、「みんなにも伝えないと」と言って去っていった。

「美樹、あなたあっちの席を使ってもいいのよ。こっちだと狭いでしょ」

 リボンさんがかつてのおじさんの席を指差しながら気まずそうにそう切り出したのは、その夜の夕飯時のことである。これを聞いた美樹は一瞬驚いた顔をすると、すぐに意地悪そうなにやけ顔をした。

「いやですよ。せっかく今はリボンさんの隣なんですから、このままがいいです」

 僕はそのやり取りに苦笑しながら、本当に久しぶりに、この場所に平穏が戻ってきたのを感じていた。

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