第17話
ドローンから送られてくる映像に映っているゾンビは数体。映像の外側にもっといる可能性もある。幸い、カフェの中に入ろうとする個体は居ないようで、みなカフェの入口付近をうろついている。
よく考えてみれば、いくら建物の中とは言え不用意に大声を上げ過ぎた。おそらく、彼女たちの話し声を聞き付けて、近辺に居たゾンビが集まってきたのだろう。
マイが慎重にドローンを飛ばし、周囲を観察する。結局、集まってきたゾンビは全部で七体。無線機を使い、リーダーに連絡を取る。
「まずは、ドローンでの誘導を試みます。ドローンの音で別のところにいる奴らも集まってくる危険性があるので、引き離したらすぐに離脱して下さい」
「分かった。出口の近くで待機するから、タイミングで合図してくれ」
「了解です」
撤退作戦の開始だ。
横のマイを見ると、額から汗が流れているのが見える。いくらドローン操作がうまいといっても、こんな場面でゾンビを誘導するような大役を担ったことはないはずだ。それに何より、今回は彼女にとって、兄の命がかかっている。相当な緊張を感じているに違いない。
「マイちゃん、大丈夫?変わろうか」
「いえ、私やります。できます」
覚悟を決めたように小さく息を吐くと、マイはドローンの操作を再開した。
僕も先日の学校で似たようなことをやったが、ドローンでのゾンビ誘導の初手は、ゾンビの注目をドローンに集めることである。ドローンはそれ自体なかなか大きな羽音を立てるため、何もしなくてもゾンビに気づかれるケースが多い。特に学校のときのように建物内などの静かな場所ではなおさらだ。
しかし今回のような屋外では風音の影響で、かなり近づかない限り羽音だけでは気づかれない場合もある。あいにく今日も風が強く、羽音だけでゾンビを誘導するのは難しそうだった。
そうすると、次の手はドローンのスピーカーから音を流すという方法だ。
これは確実だが、音量次第では無駄に周囲のゾンビを集めてしまう危険性がある。そのため、まずは小さな音からスタートして徐々に音を大きくしていき、ターゲットのゾンビが気づいた素振りを見せたら誘導を開始する、というのが定石だ。
今回はマイがドローンの操作を担当しているので、僕が音量調整をする。ゾンビ誘導用に持参したスピーカーから専用のビープ音を流す。
慎重に音量を上げていくと、カフェの周囲をうろついていた奴らが一斉にこちらを見た。釣りと一緒で、かかってからが肝心。ここからがマイの腕の見せどころである。
速すぎず遅すぎず、個体差があるゾンビたちを一斉に誘導しないといけない。今回のターゲットは七体。一体もはぐれないように気を配りながらゆっくりとドローンを操作する姿は、まるで幼児をたくさん連れた保育園の先生のようだ。もちろん、やつらはそんな可愛いものではないが。
十数分の時間を費やし、途中で着いてこない個体を釣るために音量を上げたり、下げたりをしつつ、やっとのことで奴らを隣の通りまでおいやることができた。マイと二人して大きなため息をつく。空調の効いた車内にいながら、汗びっしょりだ。
マイのドローンはゾンビを釘付けにするためにその場でホバリングさせ、今度は僕のドローンを使ってカフェの周囲を最終確認する。
「リーダー、今なら大丈夫です」
カフェ前のゾンビが居なくなったことを確認すると、リーダーに連絡をした。それを合図に、リーダーが二人を連れてカフェを飛び出す。
音を立てないように慎重に、それでいて足早に。
すぐに、車のリアウィンドウからカフェを出た三人が小走りで近づいてくるのが目視できた。リボンさんの姿を実際に見ることができて安心する。
しかし、道を半分ほど進んだところで唐突に三人の足が止まる。
「どうしたんですか」
無線で呼びかけるが応答がない。よく見ると、リーダーがこちらを指差している。
こちら?車に何かあるというのか。
首を傾げていると、運転席にいたササミが叫び声をあげた。
「くそ!こっちだ」
車の前方、カフェとは反対方向を見ると、ちょうど二体のゾンビが目と鼻の先まで迫っていた。
それからの出来事はあっという間だった。
まず、ササミがギアをバックに入れて急発進した。
リーダーたちがいるところを少し通り過ぎて急停止すると、ドアを全開にした。
「早く乗れ!!!」
前方にいるゾンビは急な出来事に対応しきれず、ぼんやりとこちらを眺めている。しかし、急な展開にあっけにとられているのはゾンビたちだけではない。急発進した車が真横を通り過ぎた衝撃もあり、リーダーたちもすぐに体が動かない。「急いで!」というササミの声が虚しく響く。と、その時、
「ふたりとも行きますよ!」
美樹の叫び声が通りにこだました。
その声で我に返ったリーダーは軽くうなずくと、すぐに車を目指して走りはじめた。美樹はリボンさんの手を引いて、半ばひきずるような体勢で車を目指す。
周囲を見ると、この騒動を聞きつけたゾンビたちがこちらに集まってきている。前方に居た二体だけではない。後方からも数体。先程ドローンで追い払った奴らかもしれない。
しかし、まだいずれも車までは少し距離がある。
リーダーたちは、ゾンビに追いつかれる前になんとか車までたどり着いた。
「ありがとうございます。助かりました」
リボンさんを押し込んで自分も椅子に座った美樹が、ドアを締めながらササミに会釈した。
「まだ助かってないけどな」
自嘲気味にそう言ったササミは周囲を見渡すと「しゃーない」とつぶやき、続いて大声で叫んだ。
「ちゃんとつかまってろよ!!!」
そうして再びギアを戻すと、アクセルを力いっぱい踏み込んだ。
それからマイホーム豊洲にたどり着くまでは、まさに遊園地のアトラクションのようだった。
ササミは意気揚々とゾンビを二体跳ね飛ばすと「さっすがハイエース!」とテンション高めに叫んで道路のど真ん中を爆走。
両脇から出てきたゾンビを避けたり跳ねたりしつつ、ご機嫌な様子でアクセルを踏み続けた。
右に左に揺られる車の中、僕は後部座席でみんなと身を寄せ合ってなんとか耐えながら、この時代にゾンビではなく交通事故で死ぬのは嫌だな、とぼんやり考えていた。
しかし、ササミの運転の腕はなかなかで、気がつけば僕らはマイホーム豊洲の駐車場に居た。最後の方はゾンビを避けるよりも跳ね飛ばすことを優先した結果、駐車場の周辺まで着いてきたゾンビは皆無。
おかげで僕らは、自分たちが生きていることを再確認する時間も、駐車場のバリケードを修復する時間も悠々と取ることができた。
ちなみにササミの運転で恐怖の針が振り切れたのか、美樹は途中から涙を流しつつ爆笑。駐車場にたどり着くなり「生きてる。私、生きてるんだ」と小声で確認すると、一転して放心状態になった。
建物に入ると緊張の糸が途切れたのか、生還したこととリボンさんを助けたことの安心感からか、すぐに机に突っ伏して眠ってしまった。
◇
以上が、リボンさん救出作戦の顛末だ。
僕はお気に入りのハンモックに寝転がると、生きていることのありがたさを改めて噛み締めていた。「なんだか今日の出来事は映画みたいだったな」と、おじさんの言葉を思い出しながら苦笑する。
そうだ、今度こそ僕たちは救出作戦を被害者ゼロで達成したのだ。これが映画なら一応のハッピーエンド。今回の主人公は僕じゃなく、リボンさんを見つけて、説得までやってのけた美樹かな。
目を閉じると、初夏の気持ち良い風が体の上を吹いていく。もう少し経つと、この屋上も暑くて居心地が悪くなりそう。タープみたいなものってホームセンターに売ってたかなぁ。
そんなことを考えていると、屋上の入り口が開く音がした。ここに誰かが来るのは珍しい。最近は美樹がたまに尋ねてきたが、彼女はまだ疲れて夢の中だろう。
「やっぱりここにいた」
頭だけ少し動かして声のする方を見ると、そこにはリボンさんがいた。
「あ、ども」
上半身だけ起こして対応する。いつもだったらハンモックから降りるところだが、なんだか自分も疲れているらしい。立ち上がるのが億劫だった。
「今日はありがとうね。メガネくんも、彼女と一緒に私のことを探してくれたって聞いたよ。その、メガネを使って」
目元を指差すジェスチャーをするリボンさん。
「いや、僕はそんな。ほとんど美樹ちゃんの功績です。彼女が必死で探してくれたので」
「そうなのね。あとでお礼言わなきゃ。私、彼女には結構冷たく当たっていたのにね」
「リボンさん、その、ごめんなさい。今日は無理に連れ戻しちゃって」
僕の謝罪を聞いたリボンさんは、小さく驚いたような顔をすると、続いて微笑んだ。
「いいのよ、そんな。こちらこそ心配をかけてごめんなさい。手紙ひとつで出ていって、結果的にみんなを危険に晒しちゃった。どうかしていた。帰りの運転で目がすっかり覚めたみたい」
「それはよかったです。あの運転はすごかったですね。僕も今まで何度かゾンビのせいで身の危険を感じたことがありますけど、今日の帰り道ほどじゃなかったですもん」
それからしばらく、僕らはあのササミの運転の話で盛り上がった。あれは今の生活では貴重なエンターテイメントだったのかもしれない。
「ところで、私、メガネくんに聞きたいことがあったの」
話が落ち着いたところで、リボンさんが切り出した。
「彼女が言っていたのだけど、そのメガネを使えばおじさんを探すことができる、って」
「リボンさん――」
「違うのよ、もう今日みたいな無理をするつもりはない。勝手に出ていって、一人で学校に乗り込もうなんていう無茶もしない。でも、私やっぱり諦めきれなくて。もし残念な事実だったとしても、自分の目で確かめたい。それが安全に叶うなら、なおさら」
僕もドローン越しに会話を聞いていたので、美樹がリボンさんを説得するのにEndless Worldのことを話したのは知っている。しかし、Endless Worldで今回リボンさんを見つけることができたのは本当に偶然だ。仮にあちら側で学校に乗り込んだとしても、そこにいるやつらの中でおじさんを探し出すのは至難の業だろう。そもそも、例のドローンが学校の中までスキャンをしているかも分からない。それに、仮に見つけられたとしても、きっとそれはリボンさんにとって辛い現実と向き合うことになる。
僕が黙っていると、リボンさんは微笑んだ。
「きっとメガネくんは優しいから、私が傷つくのを心配してくれてるんだと思う。私がこれから大変な思いをして、結果的に辛い目にあうって分かってるから。でもそれでもいいの。どうせ他にやることなんてないし、私はたぶん、これを乗り越えないと次に進めない」
そういうリボンさんの顔は、今日最初にカフェでドローン越しに見た顔とは違い、何か吹っ切れたような明るい表情だった。それならお手伝いしますよ、そう口を開きかけたとき、再び屋上のドアが開いた。
「私も手伝います! 学校の案内なら任せて下さい。絶対におじさんを見つけてやりましょう」
屋上に現れた美樹は、片手を突き上げてそう高らかに宣言した。
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