第16話

 僕らがその日マイホーム豊洲に帰ってきたのは、お昼を少し過ぎた頃だった。

 皆疲れきっていて、遅めの昼飯を用意する元気のある者はいない。美樹は泣き疲れたのか、帰ってくるなり机に突っ伏して寝てしまっている。

 僕は食料のストックから簡単なシリアルバーを取り出すと、無造作にそれを口に放り込む。もう今となっては急ぐ必要はないのでゆっくり食べてもよいのだが、癖のせいかさっさとその無機質な固形物を飲み込んでしまうと、屋上に向かった。

 屋上には誰もおらず、初夏のカラッとした日差しが舞い込んでいる。屋上の端までいくと、今日の目的地であったカフェがある方角を眺めながら、僕はこの数時間に起こった出来事を思い出していた。


    ◇


 リボンさんを救出しに行くことを決めた僕らは、早速準備に取り掛かった。

 この作戦は時間が命だ。救出に時間がかかると、リボンさんが移動してしまったり、奴らに襲われてしまう可能性だってある。一秒だって惜しい。

 リーダーの素早い判断により僕らはドローンや道具、武器などの準備をする班と、車の出発準備をする班に分かれ、それぞれ準備に取り掛かった。

 「十分後に出発」というリーダーの号令に従い、僕はありったけのドローンをかき集めると車に向かった。同じく武器や防犯ブザーなどの便利グッズを抱えたササミと一緒に階段を駆け下りる。僕ら二人は先の学校救出作戦に関わった経験があるため、必要な道具の選定を任されたのだ。

 駐車場に出ると、エンジンをかけて待機するリーダーと、車が出れるようにバリケードにほころびを作るマイと美樹の姿が見えた。

「よし、準備はできたな。あとは行くメンバーだけど――」

「今回はさ!今回は、みんなでいこうよ。もうこれしか居ないんだし、残されるのは嫌だよ」

 残されるとしたら年齢が一番若い自分だろう、というのを予測したマイがリーダーのセリフに割って入る。

「わたしもリボンさんを助けたい。大丈夫、この車、十人乗りでしょ。救出するリボンさんを入れても六人。余裕じゃん」

 リーダーは少し悩むような素振りを見せたが、すぐにため息をつくとマイの提案を受け入れた。そうして僕らは、おそらく初めてとなる全員での外出を決行することとなった。

 運転席はササミ、助手席には唯一場所を詳しく知っている美樹が座る。僕は最後尾で後方の監視係だ。

 目的地のカフェまでは車で三分ほどの距離だ。といっても、目的地のすぐ近くまで車で向かうわけにはいかない。美樹の話では、目的地のすぐ先にはゾンビがうようよしているはずで、車のような音が大きな乗り物で近づいたらやつらの格好の餌食になってしまう。万が一の場合、その音によって動き出したゾンビにリボンさんが襲われる、なんていうことも考えられる。

 今回の作戦はこうだ。

 まず目的地より五〇メートルほど手前で車を停め、ドローンで様子を伺う。ドローンでリボンさんを見つけることができれば大成功だが、これはあくまでも目的地までの道中の安全確保のためだ。途中に奴らがいたらドローンによる誘導で引き離し、カフェまでの道のりをクリアする。

 そして、数人で直接歩いてリボンさんのところまで向かう。

 車を降りて救出に向かう最も危険な役は、リーダーと美樹が行うことになった。

 正確な場所を知っている美樹は案内役。リーダーは美樹の護衛に加え、リボンさんが帰還を嫌がった場合の説得役だ。

 また、今回は念のために二人の周囲にドローンを飛ばして、あたりを警戒することにした。万が一のことがあれば無線で二人に危険を伝え、急いで戻ってきてもらう。ドローンを操作するのは僕とマイ。ちなみにマイは、マリオカートだけでなくドローンの操作も得意なのだ。

 そして、逃げるときの運転手がササミ。

 目的地に向かう車の中で、僕らは作戦を手早く確認した。正直、作戦と言っても細部は各担当者任せの大雑把なものだったが、一刻を争う現状では仕方ない。

 作戦の基本方針はいのちだいじに。

 常に周囲を警戒し、やばいと思ったら一目散に車に戻って逃げること。

 さて、予定通りカフェより少し手前の大きなスーパーのある辺りに到着。ササミは車を器用にUターンさせると路肩に駐車する。Uターンさせたのは、もちろん逃げるときの準備だ。

 まずは作戦の第一ステップ、ドローンでの偵察だ。

 といっても片道一車線、幅一〇メートルほどの道は目視でも十分見通せる。目的地より先の交差点付近にはたしかに動く人影が見えるが、少なくともその手前にはリボンさんを含め誰も見当たらない。念のためドローンで物陰や脇道もチェックしたが、幸運なことにやつらは居ないようだった。

 カフェの入口に到達したドローンから送られてくる映像を見て、美樹は声を上げた。

「ここ!ここですよ。私が見たときはこの外のテーブルの後ろにリボンさんが隠れてたんですけど……」

 しかしドローンの映像を見る限り、カフェの周囲に人影は無いようだった。

「とにかく、カフェまで行ってみよう」

 リーダーがそう言うと、リボンさんと二人で足早に車を降りる。

「気をつけてね」

 車を降りる美樹の背中に声をかけると、彼女は一瞬こちらを見てにっこりと笑った。

 車からカフェまでは五〇メートルほど、周囲を警戒しながらと言っても、歩いて一分もかからない距離だ。

 二人はカフェに到着すると、まず先程ドローンで確認した店の周囲を念入りに確認する。その様子をしばらくドローン越しに眺めていると、諦めたように肩をすくめたリーダーが無線で話しかけてきた。

「やっぱり外にはいなそうだ。カフェの中を確認しようと思うんだけど、念のため先にドローンで見てきてくれないか」

 マイのドローンを外部の警戒用に残し、僕のドローンをカフェ店内の探索に向かわせることになった。リーダーにカフェの入口を開けてもらい、中に侵入する。

 電気のつかないカフェの店内は暗く、静かだった。一見、動くものはない。

 そのまま奥に進み、突き当りにあるレジ付近までドローンを飛ばすが、やはり生物の気配が無い。

 ドローンの見える範囲にゾンビがいないことをリーダーに伝えようと、無線機に話しかける。すると、ドローンのマイクから音声が聞こえてきた。

「その声。もしかして、メガネくん……?」


 暗闇の中、レジカウンターの陰から姿を表したのは、紛れもなくリボンさんだった。


「リボンさん! いました!!」

 思わず無線機に叫びかける僕。それを聞いて、運転席でササミがガッツポーズをしているのが見える。

「よし! でかした」

 リーダーは短く返答すると、すぐに美樹を引き連れてカフェに入っていった。

 ドローン越しに様子を伺う。突然のみんなの登場にリボンさんは少なからず驚いている様子だ。

「リーダー。それにあなたも。書き置きしていったと思うのだけど、どうして……」

 迎えに来た二人の顔を見て、喜びではなく戸惑いの表情を見せるリボンさん。それはそうだ。だって今の彼女は家出をした子供のようなもの。それを迎えに来た人たちを、おいそれと歓迎するはずはない。

「あ、もしかして、二人も一緒に学校までおじさん探しに行ってくれるのかな。ひとりだと心細かったから助かるな」

 つとめて明るく振る舞う彼女に、リーダーが首を振る。

「いや、みんなで君を迎えに来たんだ。外は危険だ。一緒に帰ろう」

「そんな、私帰らないよ。だってまだおじさんを見つけられてないもの」

「それなら、どうして君はこんなところにいるんだ。こんなところに隠れて」

「それは……学校までの途中にゾンビがたくさんいるところがあって。しばらく様子を見ていたんだけど中々いなくならないから一旦ここで休憩してたの。でも、そろそろいなくなるかも。というか、みんなドローンとか持ってきてるんでしょ。それを使えば学校までいけるんじゃないかな」

 名案、とばかりに両手のひらを打ち鳴らす仕草をするリボンさん。普段なら可愛らしいが、いまはそんな振る舞いもどこか痛々しく見える。

「いや、そういう問題じゃない。君も分かっていると思うんだけど、学校に行っても、おそらく、意味はないんだ」

 絞り出すように言葉を紡ぐリーダー。薄暗いカフェの店内が静寂に包まれる。

 永遠のような静寂を破ったのは美樹だった。

「お願いします、リボンさん。一緒に帰りましょう」

 リボンさんはそれを聞くと、堰を切ったようにまくし立てた。

「えっと、どういうことかな。帰る?なんで?だって、おじさん、学校に置いてきちゃったんでしょ。あなたを探しに行って、おじさんだけ置いてきちゃったんでしょ。じゃあ迎えに行かなくちゃ。ほら、みんながいま私を迎えに来てくれたみたいにさ。たぶんおじさんも待ってるよ、みんなのこと。別に私だけでもいいけどさ――」

「リボンさん!!!」

 美樹の叫び声がリボンさんのセリフを強引に断ち切った。

「私は……ごめんなさい。おじさんが私のために学校まで来てくれて、それでああいうことになっちゃって、置いてくるしか無くて。それで今またこういう事になっちゃってて、全部私のせいだってことは分かってるんです。私が、何の考えもなく助けなんて呼んだから。だから、それが巡り巡って今こんな事になっちゃってるって、分かってるんです」

 涙声の美樹は、一呼吸置くと目元を拭いながら話を続ける。

「でも、だからこそ、私、リボンさんには帰ってきて欲しいんです、無事に。私のせいで二人もいなくなってしまったら――それが耐えられないっていう気持ちは正直あります。でもそれ以上に、私を助けるという決断をしてれた優しいマイホームのみんなには、もうこれ以上傷ついて欲しくないんです。元凶が何を言ってんだって思うかもしれませんが、心からそう思っています。なので、お願いします」

 そう言うと、美樹は深々と頭を下げた。かぶせるようにリーダーが続ける。

「今回の救出作戦も、実は彼女の発案なんだ。俺にもあまり良くわかってないんだけど、何やらVRを使って君の場所を探して、それでここまでみんなを連れてきたんだよ。分かってあげて欲しい」

 さきほどまでの勢いを失ったリボンさんは、「でも」と口ごもる。

 と、その時。頭を下げたままだった美樹が、何かを思いついたように「あ!」と声を上げた。

「そう言えば、ありますよ、良い方法。こんな危ないことしなくても、おじさんを探せる方法が」

 打って変わって明るい雰囲気を取り戻した美樹に、リボンさんは眉をひそめる。

「いまリーダーが言ってくれましたけど、今回リボンさんを探すのにEndless WorldっていうVRのゲームを使ったんです。細かい説明ははしょりますけど、とにかく、そのゲームの中ではいま現実と瓜二つのことが起きていて、ゲームの中でもこのカフェにリボンさんがいたんですよ。それで私達ここに来れたんです。だから、そのゲームを使えば安全に学校の中を探索できるし、おじさんだって探せる。ほら、これどうですか?」

「ゲームってそんな――」

 信じられない。そう言いたげなリボンさんに、肩をすくめながらリーダーが続ける。

「君もそう思うだろ。でも実際にこうやって君を見つけることができた。ゲームでだ。それが何よりの証明なんじゃないかな」

 まだ半信半疑といった様子のリボンさんに、リーダーが畳み掛ける。

「とにかく、もっと安全な方法があるなら、試してみない手はないと思うんだ。一旦家に戻って、それから考えようよ」

 こうして、反論を失ったリボンさんは渋々といった様子で帰還に応じたのだった。


「やば……」


 ドローンの映像に釘付けになっていた僕は、隣から聞こえたマイの声に我に返る。

「どうしたの?」

「これ見て下さい。カフェの外」

 そう言ってマイが見せてくれたドローンの映像には、カフェの入口に群がるゾンビたちがうつっていた。

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