第15話
これは端的に言えば、自殺宣言のようなものだ。
単に学校までの往復を散歩するだけであれば、あるいは生きて帰ってくることも可能かもしれない。片道数分の距離だ、運がよければやつらに出会わないで帰ってくることもできる。
しかし、手紙には『迎えに行ってきます』と書いてある。これはおそらく、学校に侵入するということを意味しているし、そこでおじさんを探す予定ということだろう。すでに変わり果てた姿になっているであろうおじさんを、だ。少し考えれば、それがいかに無謀なことか分かる。
「助けに行かないと! 行きますよね!」
最初に声をあげたのは美樹だった。
彼女の必死な呼びかけに対して、みな俯いて口を閉ざしてしまう。しばしの間、沈痛な静寂が流れたあと、口を開いたのはやはり、リーダーだった。
「助けに行くのは、無理だ。今どこにいるのかがわからない。道中に居てくれるならまだ良いが、学校に入っていてしまったら、探すのはほとんど不可能だ。危険過ぎる」
「それなら、私のときみたいに放送を使って呼び出すのは?」
「あのとき君は安全な場所に隠れていただろうし、逃げる意思もあった。しかし今回は彼女が学校にいるかすら定かじゃないんだ。呼び出しに応じてくれるとも限らない。それに――」
リーダーは一度言葉を区切ると、絞り出すように言葉を続けた。
「それに、前回は万全の準備をしていったにも関わらず犠牲が出たんだ。今回もそうならない保証は、ないんだ」
それは、美樹を黙らせるには十分な反論だった。改めて、沈黙が訪れる。
「ドローンで偵察してみるのはどうでしょうか? 学校までは飛ばせないと思うけど、近場の偵察くらいなら出来るんじゃないですか」
気まずさに耐えかねて、僕も提案をしてみる。
「そうだね。現状できることはその程度かもね」
何もせずにただ帰りを待つのはつらすぎる、ということで、ダメ元ドローン案が採用された。唯一最後まで捜索にでることを主張した美樹は、納得のいかないといった顔をして黙り込んでしまった。
ドローン操作の得意なリーダーとササミが裏口バリケードからドローンを飛ばして偵察を開始した。最近のドローンは優秀で、直線距離なら一〇キロメートル近く飛ばすことができる。しかし、今回のように入り組んだ街中を飛ばすという場合、遮蔽物の影響で電波がうまく届かなくなることを考慮すると、それほどの長距離は期待できない。
今回も、学校まで飛ばすのは難しいだろう。せいぜい、三キロメートル程度が限界だというのが僕らの予想だった。電池が持つ時間は三〇分程度。この間で彼女を探さないといけない。
手元のモニターを見ながらドローンを巧みに操作する二人を見守っていると、ふいに肩を叩かれた。振り返ると美樹が手招きしている。
「どうしたの?」
「私、ちょっと思いついたことがあるんです。もしかしたら、リボンさんのいる場所が分かるかもしれない方法」
彼女は覚悟を決めるように一呼吸置くと、こう続けた。
「メガネさんのEndless Worldです」
「え、僕の?」
「はい、そうです。だって、メガネさんのEndless Worldって現実を反映してるんですよね。それなら、もしかしたらいまのリボンさんの場所もコピーされてるかも――」
「そんなにリアルタイムに反映されるかな?」
「私、今朝起きたときに見たんです。例の偵察ドローン。今日もそこらへん飛んでるみたいなので、反映されている可能性あるかなって」
早口でまくし立てると、彼女はMixorを装着した。
「とにかく、私出来る限りのことはしたんです。お願いします、私をもう一度、メガネさんのEndless Worldに連れて行ってください」
懇願する彼女に根負けし、リーダーたちに適当に事情を説明すると、僕らは再びEndless Worldにダイブした。
◇
Endless Worldに入ると、そこはマイホーム豊洲の屋上だった。
そういえば前回は死なずに普通にログアウトをして終わったので、セーブポイントに戻ることはなかったのだ。
「それではさっそく、探しに行きましょう」
横を見ると、無事にログインしていた美樹がいる。
「そうだね。まだこっちではゾンビが発生したばかりで下に降りるのは危険だから、少し時間を飛ばそうか」
「でも時間を飛ばすと、もしかしたら今いるかもしれないリボンさんを見落としちゃいますよね。それは嫌なので、私、パッと行って見てきますよ」
先日この世界の学校から美樹の放送が流れてきたように、現実世界の出来事がEndless Worldのどの時間帯に反映されるのかは不明である。今まさに、眼下の大通りにリボンさんが出現している可能性もあるのだ。
「そっか…そうだね。俺も一緒に行くよ」
「それはだめです。メガネさんが死ぬと、時間戻っちゃうんですよね。そうしたら、ここまで時間飛ばした後、先に進めなくなっちゃう。私がこの世界で死ぬと何が起きるのかはわからないですが、ゲストプレイヤーなんでたぶんまたここに戻ってこれるかなって思いますので」
彼女は「というわけで、時間無いんでとにかく行ってきますね」と言い残すと、俺の言葉を待たずに屋上から建物の中に戻っていってしまった。
彼女の意図を汲むなら、自分はここで待っていることしかできない。現実でもバーチャルでも待っていることしかできない自分にもどかしさを感じる。
『私ね、前はたくさん人生に楽しみなことあったんだけど、いまは全部なくなっちゃったの。だからもし運悪く襲われても、あんまり未練ないなー、みたいな』
以前、リボンさんと一緒にバリケードを直したときの彼女の言葉を思い出す。彼女はきっとその後、おじさんと過ごす時間が人生に対する未練になったんだろう。そして今、それが再び失われてしまった。そうなったら、今回のような無謀な行動にでるのもうなずける。
もしも無事に彼女を救い出せたとして、それは果たして彼女にとって幸せなことなのだろうか。
「ただいまです」
突然、背後から声をかけられた。そちらを向くと、美樹が立っている。
「やられちゃいましたー。建物出るまではなんとかなったんですけど、大通り出たところでガブっと。死ぬことここに戻ってくるんですね」
いくらここがバーチャル世界だといえ、ゾンビに襲われるのはそこそこにメンタルに応える経験のはずだ。にこにこと笑っている美樹に驚く。
「いやー、死んだらログアウトさせられちゃうとかだったらどうしようと思ってたんですけど、ここに戻るだけなら全然OKです。安心しました。それでは私、また行ってきますね」
「ちょ、ちょっと待って」
すぐに出ていこうとする彼女を呼び止める。
「どこを探すつもりなの?闇雲に探しても見つからないよ」
「そう言われても……何か手がかりはあるんですか?」
「そうだね。リボンさんは今回こんなことをしたけど、本当は結構慎重なタイプの人なんだ。酒に酔っていなければね。だから、まず学校への道は開けた大通りじゃなくて裏通りを通っていくと思う」
「裏通りですか?そっちだとゾンビと会ったときに逃げ場がなくて危ないと思うんですけど」
「うん、でも裏通りのほうが隠れる場所が多いからね。大通りは一見広くて逃げ場が多いけど遮蔽物が全然ないから、奴らと遭遇したらほんとに走って逃げ切るしかないんだよね。リボンさんはそういう体力博打はしない。時間がかかっても隠れながら少しづつ裏通りを進んでいくはず」
「なるほどです。裏通りですね」
「そう、そして多分だけどまだ裏通りのどこかに隠れてると思う。奴らが集まってる所があればそこで立ち往生してるんじゃないかな」
「じゃあ、裏通りでゾンビが集まってるのを見つけて、その手前で隠れられそうな場所を探せばいいってことですね!」
「そうなる、かな。たぶんだけど」
彼女は「それじゃ行ってきます」と元気に答えると、またホームセンターの中に戻っていった。
彼女を見送ると、俺は長いため息をついた。正直、さっきの推理にそんな自信があるわけじゃない。もしかしたらリボンさんは何も考えずに大通りを全力疾走していったかもしれない。でも、その場合はそもそももう彼女は無事ではないだろう。
そう、さっきの推理は「リボンさんが一番取りそうな行動」ではなく「リボンさんが無事だとしたらこのケースだろう」というシナリオなのだ。もちろん、そんなことは彼女に伝えないのだが。
待っていることしか出来ない自分が少しでも貢献出来ていることを祈りながら、俺はまた仮想世界の美しい空を眺めた。
それから、美樹は幾度となく屋上に帰ってきた。
さすがに最初の頃の元気は無いが、それでも弱音を吐かずにすぐさま建物へと戻っていく彼女からは、もはや鬼気迫るものを感じていた。
「ただいま……です」
何度目かの帰還をした美樹ちゃんは、今まで一番元気の無い声だった。
「どうだった?」
「今回、すごい先まで進めたんです」
内容と裏腹に意気消沈している彼女の言葉の意味を理解して、俺は小さく頷いた。
「そうなんです。もうすぐついちゃう。あと交差点をひとつ越えたらもう学校です。学校までの間で見つからなければ、それはつまり、この世界にリボンさんが反映されていないか――」
「それか、もう学校に到着しちゃっているのか、だね」
「はい。まだ、時間をずらしてトライすることはできますけど」
空間を調べるのに加えて、いろいろな時間まで探索しなければならないとしたら、それはもうほとんど不可能なミッションだ。時間と場所の組み合わせは無限大だ。
「とにかく、もう一度行ってきます。今まで見落としてないかも調べて。あと、さっき少し見えた感じだと、最後の交差点のあたりにゾンビがたくさんいた気がするんですよね。そうしたらその手前で立ち往生しててくれないかなって――って私、今、ゾンビがたくさんいて嬉しいって思っちゃってました。おかしいですね」
そう言うと、彼女は少しだけ元気を取り戻したように笑った。
探索に戻る美樹を見送ると、Mixorのシステムメニューを表示して現実の時刻を確認する。現実ではすでに捜索開始から1時間近くが経っている。ドローンで探索していたリーダーたちから声をかけられていないことを考えると、おそらくあちらも進展はないのだろう。すでに諦めてしまっている可能性もある。
学校まで到着してしまったらどうしよう、一旦Endless Worldを出て作戦を建て直さないとな、などと考えていると、突然近くから叫び声がした。
その叫び声はMixorにつないであるイヤホンからではなく、現実空間から聞こえてきた。
焦ってイヤホンとMixorを外すと、すぐ隣にはMixorをつけてガッツポーズをしている美樹がいた。
◇
「見つけました!見つけましたよ、ついに」
Mixorを外し興奮気味に話す美樹を連れて、僕はリーダーたちのところに戻った。
僕らを見つけると、リーダーは肩をすくめた。案の定ドローン組は特に進展が無いらしく、暗い雰囲気がただよっている。
「リボンさんの居場所が分かりました。彼女が見つけてくれました」
僕はそう言うと、美樹の背中をぽんと叩いた。先程まで興奮気味だった彼女は、一転して少し緊張した面持ちになると、リーダーたちに説明をはじめた。
「えっと、細かい説明は省くのですが、このMixorの中には今の外の世界に近い状態が再現されていて、それでリボンさんを探していました。それでさっきやっと見つけたんですが、リボンさん、学校手前の交差点にあるカフェに隠れてました。交差点にゾンビがたくさんいて、出るに出られなくなっているみたいです」
一息つくと、少しためらいながらこう続けた。
「正直、Mixorの中の状況が何分前の世界を再現しているかわからないので、まだそこにいるかはちょっと分からないです。ゾンビも結構居たので……でも、こうやって手がかりが得られた以上、私はリボンさんを連れ戻しに行きたいです。だめ、でしょうか?」
言葉は控えめだが、仮に断られたら一人でも助けに行く、という強い意志を感じる彼女の声に、リーダーは小さくため息をつくとこう答えた。
「率直に言えば、Mixorの中にこの世界が再現されているというのがイマイチ理解できない。でも、君が嘘をついているようにも思えない。それに手がかりがあるのに何もしないというのは、褒められたことではない。とにかく、行ってみよう。車で行けばすぐだ」
そうしてバーチャルでのリボンさん捜索を終えた僕らは、ついに現実でのリボンさん救出作戦に乗り出すのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます