第14話
街中が突然のゾンビ出現による喧騒に包まれているにもかかわらず、その声ははっきりと聞こえてきた。
それは紛れもなく美樹の声であった。それは忘れることができない、初めて彼女の声を聞いたときのセリフだ。
耳から入ってきた情報を処理しきれず、二人の間にしばしの静寂が流れる。本来聞こえるはずのない声が聞こえた、その事実に戸惑っているのだ。
「えっと……いまの、聞こえた?」
「……はい、聞こえました」
「美樹ちゃんがいま言ったわけじゃないよね?」
「違います。勝手に、学校の方から聞こえました。たぶん、スピーカーから」
事実確認をして、再びの静寂が訪れる。
「つまり……どういうことなんですか?」
考えるのを諦めたように、彼女が尋ねてきた。こちらが聞きたい、という言葉を飲み込み、頭を捻る。
「えーと、おかしい点は色々あるけど……まず、現実で美樹ちゃんがこれをスピーカーで流したのが、俺がMixorをオフラインモードにした後だっていうのがひとつ」
首をかしげる美樹に構わず話を続ける。
「つまり、オフラインモードにした後の現実の情報がEndless Worldに反映されていることになるよね。この端末はもう何ヶ月もインターネットに繋がれていないはずなんだけど、俺の気づかない間にこのMixorは何らかのネットワークに接続されていたことになる」
少なくとも、Mixorが外部からの情報を受け入れるような状態になっていたということだ。
これは驚きだが、全くありえない話ではない。一般的なインターネット回線はすでに死んでしまっているが、それでも外部ネットワークと通信する方法はいくつかある。それに、もっと狭い範囲のネットワーク、それこそ現在美樹のMixorと接続するのに用いているような技術を使えば、簡単にデータを転送することはできる。
うんうんと、分かっているような分かっていないような様子の美樹に考察を続ける。
「全くわからないのは、誰が何のためにこんなことをしたのか。Endless Worldのいちユーザーに過ぎない俺のMixorに、わざわざこんなデータを紛れ込ませるなんて」
得意分野の技術的な問題ならいざしらず、こういった謎はお手上げである。
「でも、もしかしてこれ、すごいヒントなんじゃないですか?」
「え、何の?」
何かを思いついたように笑顔を向けてくる彼女に対し、訝しげな顔をする。
「いやだなー。忘れちゃったんですか。私達、メガネさんのEndless Worldになんでゾンビが出るのかを調査しにきたんですよ」
そうだった。突然の出来事に、本来の目的をすっかり忘れていた。そもそも、このEndless Worldにはゾンビが出るというこの上ない謎があったのだ。
「つまり、今このバーチャル世界には、現実での出来事が影響を与えてるっていうことなんですよね。それならここでゾンビが出てるのも、現実の方でゾンビが出てるからなんじゃないでしょうか」
「そっか……そっか、なるほど。うわ、やっぱり美樹ちゃん冴えてるね。すごい」
ゾンビが出ているとか、スピーカーから聞いたことのある声が聞こえるとか、そういう個別の事象に囚われてはいけなかったのだ。現象はもっとシンプル。
「つまり、俺のEndless Worldが、現実をコピーしようとしているっていうことかな」
「そんな感じですよね、これ。でも、そんなことが可能なんでしょうか。現実をコピーするなんて」
再び頭を抱える美樹を見ながら、俺は「現実をコピーする」というキーワードが自分に無縁でないことをはっきりと思い出していた。
「あー、そうか……そういうことだったんだ」
そうして、5W1Hの「どうやって」の部分が解決した。
数ヶ月前、俺はEndless World内でバイトをしていた。プログラマーのバイトだ。
このVRゲームには面白い仕事システムがある。運営会社の現実での仕事が、プレイヤーにゲーム内のミッションとして与えられるのだ。
仕事は多種多様で、データ整理のような事務作業から、俺が先日請け負ったようなプログラミングのように、機能開発に直接携わる内容まである。もちろんプレイヤーは社員ではないので、プレイヤーに任せられる仕事内容は基本的に簡易なもの、運営会社と守秘義務契約を結ぶまでもないようなものがほとんどだ。例えばデータ整理なら、数字が何のデータわからない状態で作業を依頼されたり、機能開発でも何に使うのか分からないレベルまで機能が細分化されてプレイヤーにミッションとして提示される。
しかし、ある程度の仕事量をこなし、とくにプログラマーとして活躍をしているプレイヤーに関しては、別途運営会社と業務委託契約を結ぶことにより、より本格的な仕事をゲーム内で請け負えるというシステムがある。俺が先日までおこなっていた「バイト」が、まさにこれだ。ゲーム内ではベンチャー企業のアルバイト、といったロールプレイを行っていたが、その実は運営から依頼された開発をこなす業務委託のエンジニアである。
ちなみに、プレイヤーはこれらの仕事をこなすことにより、ゲーム内で使える通貨を手に入れることができる。ゲーム内通貨といってもEndless Worldの場合はゲーム内で購入できるものがかなり多岐に渡っており、ユーザーにとっては現実の通貨と同等に近い価値を持つ。実際、ゲーム内通貨を現実の金銭を用いて売買するRMT(リアルマネートレード)は運営に黙認されており、かなり一般的に行われている。
さて、俺が請け負っていた仕事に話を戻そう。俺が開発をしていたのは、まさに「現実をEndless Worldにコピーするプログラム」だった。現実と瓜二つの世界をバーチャルに作り上げる技術や方法のことをデジタルツインと呼ぶが、まさにそれである。
アルバイトという設定で書いたプログラムは、より正確には現実に関するデータをEndless Worldのシミュレーターにインプットするものだった。
Endless Worldが技術的に優れている点は、そのシミュレーション能力だと言われている。独自のアルゴリズムを用いたプログラムによって、Endless World内で起こっている出来事、例えばNPCの行動から天候に至るまでがシミュレートされ、プレイヤーはまるで現実世界にいるかのような体験を得ることができる。
このシミュレーターに対して現実のデータ、つまり現実世界の動画や音声などといった情報を入力してやることにより、Endless Worldの世界に現実が影響できるようにする、というのが俺が書いたプログラムの内容だ。
要するに、いままでバーチャル世界の中で閉じていたEndless Worldを、現実とつなげてしまったのだ。それこそ、現実でゾンビが発生したら、バーチャルでもゾンビが発生してしまうレベルに。
ポイントは、このプログラムが存在するのは俺のMixorの中だけだということ。バイトでこのプログラムを書いた時、すでにオフラインモードだったのだから当然だ。その結果、俺のEndless Worldだけが現実を反映し、ゾンビがはびこるホラーゲームモードになってしまったということだ。
美樹に自分がやっていたバイトと、そこで書いたプログラムの説明をした。彼女は全ての話を聞いた上で、納得がいかないように頭をかしげた。
「それでも、その、現実のデータっていうのがメガネさんのMixorに入力される必要があるっていうことですよね。それはどうやって――」
「あ、それならちょっと心当たりがあるんだ」
正直、ずっと気がかりだったやつだ。
「たぶん、ドローンだと思う。美樹ちゃんはまだ遭遇してないかもしれないけれど、実はこのホームセンターの周りをよく偵察ドローンみたいなのが飛んでいたんだよね。誰が何のために飛ばしているのかずっと謎だったんだけど、そいつがデータの収集と、俺のMixorへの転送をやってたんだと思う」
「そんなのがいたんですね。でもそんなことを誰が……」
「データ転送が出来ていたことを考えると、飛ばしていたのはおそらくEndless Worldの運営かな。どうやってここを突き止めて俺のMixorにアクセスしたのか、そもそもなんでこんなことをしているのかはサッパリわからないけどね」
お手上げのようなジェスチャーをしてみせる。
しかし、いくつか新しい謎が生まれたものの、最大の問題であったゾンビ出現の原因については大方判明した。調査としては素晴らしい成果だ。
「とにかく原因が分かったってことは、もしかして、この世界からゾンビを一掃する方法も分かっちゃってたりします?」
「そうだね。試してみないと分からないけど、たぶん。原因が俺の書いたコードだっていうなら、それを書き換えてどうにかなる。気がする。たぶん。おそらく」
実際に書いてみるまでは断言しないというのが、自分のエンジニアらしいところだ。色々と見通せる分、懸念点もたくさん思いついてしまうのだ。「自信なさすぎですよ」と笑う美樹に返す言葉もない。
「とにかく、調査付き合ってくれて本当にありがとう。何も分からなかった前に比べたら、ものすごい前進だよ」
「いえいえ、こちらこそ。謎解きみたいでなんだか楽しかったです」
思わず頭を下げる俺に、「やめてくださいよー」と笑いながら手を振る彼女。
事態が大きく進展した一方、頭を使ってとても疲れたので、今日はここでお開きということになった。二人はログアウトをすると、現実に帰還する。
◇
現実に戻ると、もうすでに夕方だった。Endless World内では時間を飛ばしたりするために現実の時間間隔が狂うのだが、結構な時間が経っている。そろそろ夕食の時間だ。
僕は一旦美樹と分かれると、夕食の前に今日判明した事実をMixorのメモ帳アプリに記録した。やはりいくつかの謎は残るものの、明日以降調べたり試したりすることがたくさんできた。久しぶりに翌日の予定が出来たことに心が浮かれつつ、夕食を食べに従業員控室に向かう。
すると、部屋の中から何やら言い争うような声が聞こえてきた。
「だから、そこはおじさんの席だって言ってるでしょ。あなたが座っちゃったら彼が帰ってきたときに座る場所が無くなっちゃうじゃない」
恐る恐るドアを開けると、リボンさんが美樹に向かって声を荒げていた。美樹が、先日までおじさんが座っていた席を使おうとしたらしい。
「いえ、でも。おじさんはもう……」
「もう、何だって言うの?まだわからないでしょ。誰もゾンビになったおじさんを見てないっていうじゃない。それだったらあの人は絶対に帰ってくる」
戸惑いつつも反論する美樹に、きっぱりと言い切るリボンさん。
「OK。分かった。美樹ちゃん、悪いんだけど今日はそっちの椅子に座ってもらえるかな。君も、彼女はここに来たばかりなんだから、あんまり怖がらせないであげて欲しい。それじゃあせっかくの飯が冷める前に食べよう」
リーダーが強引に決着をつけると、何とも居心地の悪い夕食がはじまった。
そしてその日は、特に会話もなく気まずい夕食を終えると、何事もなく解散した。
問題が起きたのは、翌日の朝のことだった。
翌朝、最初にそれを見つけたのは、早起きの美樹だった。
「大変です!! みんな起きて!」
そう叫びながらみんなを起こして回る彼女が持っていたのは、一枚の紙切れ。
そこにはこう書いてあった。
『おじさんを迎えに行ってきます。リボン』
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