3. ログアウト

第13話

「というわけで、メガネさんのEndless Worldで調査スタートです」

 美樹も調査を手伝ってくれるというので、僕のEndless Worldにふたりでログインすることになった。

 Endless Worldは本来、遠隔地にいるユーザー同士がインターネットを介して同じVR空間に入って交流することができるという、いわゆるVR SNSだ。しかし裏機能として、リアルで近くにいるユーザー同士をLANで繋ぐことで、外部インターネットを経由せずに同じVR空間内で交流することができる、という機能がある。裏機能と言っても別に隠されているわけではなく、あまり使われていないというだけだが。

 今回、僕は美樹に教えてもらうまですっかりその機能の存在を忘れていた。

「こっち設定終わりました! メガネさんのほうは大丈夫ですか?」

「うん、おそらく大丈夫。たぶんもう少し。しかし本当に忘れていたなー、ローカル通信モード。美樹ちゃんはよく使ってたの?」

「はい! 私はよく遊ぶ友達がEndless Worldやってて、一緒にどちらかの家から同じ空間入ったりしてました」

「そっかー。どうせVR空間で会うならリアルで会う必要なくない?」

「もー、メガネさんは分かってないですね。ネットワーク越しじゃなくてリアルで声が届く感じとか、ログアウトしたあとも一緒に入られる感じとか、全然違いますよ」

「そんなもんかなぁ」

 リアルの友達が多い人とは話が合わないな、などとぼやきながら、なんとか慣れないローカル通信設定を終える。

「こっちに呼ぶ前にふたつ、注意があります」

「え、はい」

「ひとつめ。今までの通りならうちの世界ではおそらくゾンビが出ます。しかもリアルに近いやつ。この間あんな事があったばかりだし、もし途中で気分が悪くなったりしたら、無理せず気兼ねせずすぐにMixorを外すこと」

 ある程度ゾンビに慣れしているとは言え、やはりあえて会いたい相手ではない。無理はしないに限る。

「ふたつめ。これはえっと、僕のアバターはちょっと現実と違うけど、笑わないこと。いいですか」

「は、はい。大丈夫です。私だって、アバターは今の私とは全然違いますもん」

「そのアバターが見られないのが残念だなぁ」

 ローカル通信モードはデータ容量上の制限があり、ゲストは自由なアバターを使うことができない、という制約がある。Endless Worldデフォルトの、なんだか野暮ったいアバターが適用される。

「それじゃあ、バーチャル探検に行きましょう!」

 またEndless Worldのゾンビと対峙することを思って陰陰たる思いだったが、美樹は楽しそうだ。そうして、久しぶりにEndless Worldの世界にダイブした。


    ◇


「次のライブいつかなー」

 ブルモンのパーカーを着た美咲が、目の前に現れた。もう親の顔より見た光景である。こうやって同じ発言をする様子を何度も見せられると、否が応にも今の美咲がNPC(ノンプレイヤーキャラクター)であることを自覚させられて、分かっちゃいるけど少し辛い。出来ることならセーブポイントを変更したいところである。

 ちなみに美咲は昔からNPCだったわけではなく、以前はネットワーク上のどこかの誰かだった。オフラインモードに切り替えて以降、美咲自身も元のプレイヤーの行動を学習したAIによるNPCに切り替わっているのだ。

「ごめん、ちょっと俺用事あって。またあとでね!」

 出会ったばかりの美咲に強引に別れを告げると、おそらく周辺に出現しているであろう美樹を探す。あたりを見渡してもそれらしき人が見つからなかったため、メニュー画面からフレンド通話機能を使って話しかけてみる。

「どこいるー?」

「大学みたいなところにいます。おっきな門?みたいなところです」

「門の色は?」

「赤色ですー」

「じゃあそこで待ってて」

 思いのほか遠くに出現した美樹を迎えに、集合場所へと向かった。

Endless Worldでの季節は秋。実際に肌寒さなどの体感はないが、構内に並ぶ銀杏の木が黄色に変わり始めているのを見ると、季節を感じることができる。

「おまたせ!」

 門のところに立っているEndless World初期装備の女の子に話しかけた。なにやらメニューをいじっていたようで、こちらの声に気がついて顔をあげる。

「あ、メガネさん――」

 そして彼女はこちらを見て、何かやばいものを見たような顔をしてフリーズした。

「ん?どうした?」

「えーっと。えっと、なんでもない、です。ちょっとアバターがかっこよすぎてびっくりしちゃって。メガネさん盛りすぎですよー、まったく。それに声だってちょっといじってますよね、イケボになってる。声優かっていうレベルで」

 何やら早口でまくし立てる彼女に少し引っかかるものはあるものの、アバターや声を褒められるのは悪い気はしない。特に声は、ここにたどり着くまでに大変なパラメータ調整を乗り越えてきたのだ。

「ありがとう。声はめちゃくちゃいじったからね。ちなみに試しにつくった女性アバター用の女性声セッティングもかなりクオリティ高いから、そっちも今度聞かせてあげよう」

「うわー、本人を知っているとそれは複雑な気持ちになりそう……」

 うげぇ、という表情をする美樹。ちなみに表情は、Mixorが顔面をスキャンして再現する仕様になっている。今の彼女は、実際にこんな表情をしているのだろう。

とにかく無事に集合しアイスブレークも済んだので、本題に入ろう。

「というわけで、ここが俺のEndless Worldです。今は平和だけど、明日の夜にはゾンビだらけになります。たぶん」

「うーん、ほんとに今は何も違和感ないですね。ここにゾンビが現れるなんて信じられない」

「でも、現実でもゾンビが現れるときはあっという間だったでしょ」

「確かに。日常が崩れる瞬間って、そんなものなのかもしれませんね」

 なんだか達観したようなことを言う美樹がおかしくて、俺は少し笑ってしまう。でもそのとおりだ、今日の平和が明日も続くとは限らない。これはまさに数日前、おじさんが身をもって教えてくれたことだ。

「とにかく、明日まではあんまりやることないんだけど、どうしようか」

「それなら、豊洲に行ってみませんか?現実との違いで何か気がつくこともあるかもしれないですし」

「なるほど……それはいいかもしれない。今までは何度もこの大学周辺で調査していたけど、豊洲ならリアルでゾンビが出たあとの様子がよく分かってるしね。美樹ちゃん、冴えてる」

「ありがとーございます!」

 嬉しそうに笑う彼女は、野暮ったい初期アバターでもなんだか可愛らしかった。

「歩いてく?それともワープしちゃう?」

「うーん、ここからだと二時間くらいですかね。ちょっと遠いのでワープしちゃいましょうか」

 Endless World内での移動方法は大きく分けてふたつ。

 実際に徒歩か乗り物を使って連続的に移動をするか、マップから目的地を指定してワープするか。周りの世界との整合性を取るため、ワープをすると、指定した移動手段に見合った時間が自動で経過する仕組みになっているのが特徴だ。

 現実での時間を節約することも考え、僕らはワープをすることにした。大学から豊洲まで歩いて二時間、ワープで二秒。

「着きましたー。二時間経つと、一気に暗くなりますね」

 セーブポイントである大学を出たのが午後の三時頃だったので、今は五時過ぎ。一〇月という季節を考えるとそろそろ日の入りが近い。

「そうだね。とりあえず、いつものホームセンターに行ってみようか」

 Endless Worldではかなりの精度で現実の街が再現されており、特に東京都内はほぼ現実の町並みを体験することができるようになっている。ちなみに、各店舗などにどうやって許諾を取っているのかは長いこと謎とされている。というか、おそらく取っていないだろうというのが通説だ。

 ワープ先に指定した豊洲駅から少し歩くと、我らが「マイホーム豊洲」が見えてきた。まだ暮らして数ヶ月しか経っていないが、文字通り我が家(マイホーム)のような安心感を覚えるのだから不思議だ。

 現実のマイホーム豊洲と大きく異なるのは、そこがまだ絶賛営業中であることだ。まだギリギリこの世界ではゾンビが出ていないし、当然であるが。

「せっかくだからちょっと覗いていこうか。実は俺、営業しているところに来るのは初めてで」

「行きましょう行きましょう。私もバックヤードの構造まで知ってるのに、営業しているのを見るのは初めてですから」

 マイホーム豊洲の中はありがちな総合商業施設といった感じで、ホームセンターのみならずドラッグストア、家電量販店、レストラン、カフェといった様々な店舗が入っている。

「あ、そういえば俺行きたいところあるんだ。いいかな、レストランなんだけど」

「いいですよ、そろそろ夕飯時ですし。何のお店ですか?」

「たぶん、イタリアンの店。ボロネーゼが美味しいんだって」

 それから二人でボロネーゼを食べた。

 これがおじさんのお勧めであることは、なんとなく彼女には内緒にしておいた。味のしないバーチャルなボロネーゼは、視覚だけでもたしかに美味しそうで、味覚が伴えばさぞ素晴らしかったのだろうと思った。

「ふたりでこんなお店来るなんて、なんかデートみたいですね」と笑う美樹に対し、俺は苦笑しながら心のなかでこっそりと美咲に謝った。

「ここのお店はチェーン店じゃないみたいですね。こういう施設に入ってるお店にしては珍しい。あとでリアルでも覗きに行ってみよー」

「リアルじゃ、何もないだけだよ。少し残ってたパスタももう全部食べちゃったらしいし」

 これは以前マイに聞いた話だ。リーダーとマイがマイホーム豊洲にたどり着いた頃、しばらくはレストラン街に残っていた食料を漁って生活していたという。乾燥パスタは保存も良く、何日も塩パスタが続く時期もあったとか。

「そっかー、残念。でも、バーチャルで行った場所にリアルでも行くのってなんかわくわくしませんか?聖地巡礼みたいな感じで」

「分かる分かる。バーチャルとリアルで違うところ探してみたりとかね」

 明日にはこの世界もゾンビまみれになるというのが嘘のように、二人で笑いあった。もう何ヶ月もオフラインモードでばかり遊んでいたためか、人と遊ぶEndless Worldがこんなに楽しいものだったのか、というのを噛み締めていた。

 いや、これはEndless Worldというよりも「他人と一緒にゾンビが居ない世界で過ごす」という体験が楽しいのかもしれない。あるいは、二度と現実では訪れない瞬間かもしれないのだ。

「さてと、ゾンビさんが出るのはいつなんでしたっけ。明日?」

 ボロネーゼを食べ終えた彼女が切り出した。そう、何も俺たちは味がしないボロネーゼを楽しみにEndless Worldに入ったわけじゃない。目的は、調査だ。

「明日だよ。最初にゾンビと出会う時刻はまちまちだけど、毎回少なくとも明日のうちには遭遇してる」

「じゃあ時間飛ばしちゃいます?明日の夕方まで」

「そうだね。でも、時間飛ばすならちょっと安全なところに行こう。時間が経ってすぐに奴らに囲まれてる、みたいなのは嫌だからね」

 Endless Worldは基本的には現実のスピードで時間が経過していくVRゲームだが、ワープしたときに自動で時間が進んだように、「時間を飛ばす」機能がある。時間を飛ばした場合、周囲で起こる出来事は自動的にシミュレートされ、設定した時間経過後の世界に移ることができる。

 ちなみに、一度に飛ばせる時間は二四時間まで。一度時間を飛ばすと、同じだけの時間をEndless World内で過ごすまでの間、時間を飛ばすことはできない。つまり最大限時間を加速していっても、現実の倍のスピードでしか時間を進めることはできず、例えば突然三〇〇年後の世界にワープ、みたいなことはできない。この機能はもっぱら、みなが活動していない夜の時間を飛ばすために使われている。

「うーん。ここらへん学校近いから知ってますが、人が居ないところなんて殆ど無いですよ」

 美樹は腕を組んで首をかしげる。

「そうだよなぁ。街の様子が分かって、ここから近くて、めったに人が来ないところ」

 うーん、と二人で悩んでいたら、ふと、彼女が顔をあげた。

「あ!! ありますよ、うってつけのところ。街が見渡せて、人があんまりこないところ。ここですよ。今私達がいるところ」

「ここ?」

「はい、ここです」

 そう言うと、彼女は得意げに笑みを浮かべた。


 翌日の午後五時、二人は外にいた。

 外といっても、通りではない。美樹が思いついたのは、マイホーム豊洲の屋上だった。そう、まさにリアルの二人がいるところである。

「やっぱり、ここなら人居ないと思ったんですよね。ここのお店、屋上は客に開放してないので、こっそり忍び込めば誰も来ないかなって。ここなら街も見渡せるし」

 そんなわけで、屋上から二人で外を眺める。

 遠くてはっきりと見えるわけじゃないが、間違いなく街中で騒動が起きているのが分かる。逃げ惑う人々と、追いかけるやつら。

「うわー、ほんとにいる。ここEndless Worldですよね……」

 両手を顔の横に持ってきて、Mixorをかけていることを確認するようなそぶりを見せる彼女。無理もない。今見える景色は、まるで現実のコピーだ。

 もちろん今のマイホーム豊洲の周辺はもっと落ち着いていてめったに騒動は起きないが、パンデミック初期はこういった出来事はそれこそ、日常茶飯事だった。

「やっぱり衝撃だよね。ちなみにあいつらに襲われるとデッドエンドって画面に出て、セーブポイントに戻される」

「げー、まじですか。デッドエンドって。そんな概念このゲームにあったんだ……」

 ショックを受ける彼女を横目に、俺は街を観察する。きっとここでは、本当にパンデミック直後にこんな光景が繰り広げられたんだろう。そして、何人もの人が事態を飲み込むことすら叶わずに犠牲になった。

 そんなことを考えていたときだった。

 突然、音楽が流れ出した。

「え、嘘」

 隣で美樹が固まっている。もちろん、俺もこの曲を知っている。もう何度か聞いているし、一度は命も助けられた。彼女の学校の校歌だ。

「こうやって校歌を流すことよくあるの?」

「いえ、ないです。スピーカーで流すのなんて、私があいつらを誘導するために流すようになるまでは、一度も聞いたことない」

 少しして、校歌が鳴り止んだ。

 しかし、スピーカーはまだ生きているようで、「ザザザ」というノイズ音が聞こえる。

 そして次の瞬間、スピーカーから流れてきた声は、俺たち二人にとって間違えなく聞き覚えのある内容だった。


「……助けて……誰か……誰か、助けてください……学校…………」

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