第12話
中庭からやつらが走ってきたとき、僕はむしろ冷静な気持ちだった。
ホバリングモードにしていたドローンが、近くに居たゾンビたちを集めたあげく、風に流されてこちらに飛んできてしまったようだ。中庭は建物に挟まれていて、風が強いのかもしれない。
えーと、それではもういちどドローンを操作して、やつらを追い返せばいいのかな。コントローラーはどこにやったっけ?
ほんの少しの間、そんなことを考えていたように思える。
ゾンビが発生して数ヶ月を過ごしてきたが、大量のゾンビがこちらに向かってくるという事態に遭遇するのは初めてで、まるで映画のワンシーンを見ているような気持ちになっていた。ゲームならムービーシーンだな。このあと何かイベントがあるはず。
「逃げろおぉぉぉぉぉ!!!!!門を登れっ!!!」
おじさんの怒鳴り声で我に返った。
――逃げなきゃ。
いまさらドローンなんて使ったところで意味がない。やつらはもう僕たちを明確に認識して追ってきている。
もちろんこれは映画じゃないし、ゲームのムービーでもない。自分で行動しないとすぐにやられるし、僕の残機はひとつしかない。
震える足を動かして裏門に向かう。
門を乗り越えるには、ひとつしか無いドアノブに足をかける必要があった。
「あんたから。さ、はやく」
おじさんは女の子を抱き上げるとドアノブに足を掛けさせる。彼女はそれほど小柄なほうではないが、門を越えるのには少し苦戦している。
「わりぃ、下から押すぞ」
ササミが女の子を下から持ち上げて、無理やり門の向こう側に押しやる。
「このまま俺も行っちゃうよ」
そう言うと、ササミは軽々と門を越える。
「よし、次はメガネくん。君だ」
「え、でも」
「こういうのは年寄りがしんがりをつとめるもんだ。ほら、はやく!!」
そう言われて、僕も急いでドアノブに足を掛ける。緊張と恐怖で体がうまく動かない。
「くっそ、きやがった」
後ろでおじさんの声が聞こえる。続いて、バットで何かを殴るような音。
裏門の外にいる女の子が悲鳴をあげる。
なんとか力を振り絞って裏門を越え、振り返る。
おじさんが、何体かのゾンビとバットで戦っていた。
「おじさん!!!」
僕が叫ぶ。ササミも、女の子も何か叫んでいる。
おじさんはこちらを見ると、少し笑って何かを言った。
そして次の瞬間。
大量のゾンビに覆われて、おじさんの姿は見えなくなった。
◇
その日、学校からホームセンターに帰った僕らが、皆にどんな説明をしたのかはあまり良く覚えていない。
ササミが簡単に事実を告げ、取り乱すリボンさんを皆でなだめた。
僕はその間黙っていたように思う。
リーダーがふと「一応、検査しないと」とつぶやいた。
マイが救助した女の子の感染チェックをすることになり、そのまま解散となった。
僕はその後、車を出すために一時的に破壊したバリケードの修理を一心不乱に行った。
もしもあのとき、会話をもっと早く切り上げて門を越えていたら。
ドローンのモニターをこまめにチェックしていたら。
順調に修理が進んでいくバリケードに対して、心に深い闇が広がっていくのを感じた。
感染爆発以降、人の死というものは以前よりももっと身近になった。誰かが死ぬ瞬間、というのを幾度か見てきた。明日は自分の番かもしれない、もしくは自分の仲間の誰かの番かも、そういう予感が常に頭の片隅にあった。
それでも、実際にその時がくると、自分には何の覚悟も出来ていなかったことを思い知らされた。
そう、僕らは本当に、散歩みたいなもんだと思って学校に向かったのだ。
代わり映えのしない退屈な日常に、ちょっとした刺激を。
マリオカート大会の次は人命救助大会だ。
――その結果、僕らは仲間を失った。
数日経っても、ホームセンターの中は、文字通りお通夜のような状態だった。
誰もが何かしらの責任を感じ、一方で他人に責任の所在を求め、それを口には出さず、出せず、ただただ耐えていた。
『もし自分が映画の登場人物だったら、どんな役割なのかなって考えてみると、結構楽しいよ』
彼の言葉を思い出す。
「これは映画じゃなくて現実だったよ、おじさん」
ホームセンターの息苦しい空気に耐えられず屋上に逃げてきた僕は、学校の方に向かって吐き捨てるようにつぶやいた。
気晴らしに久しぶりにMixorのメニューを開くが、何もやることが思いつかない。Endless Worldを起動しても、きっとまたやつらにおそられるだけだ。もう、ゾンビはうんざりだった。
もしかしたら、今もEndless Worldが普通に遊べていたら、それほど現実に興味を持っていなかったのかもしれない。おそらく学校に行くメンバーに立候補することもなかっただろう。そうしたら、かわりにリーダーあたりが行って、結果的におじさんが死なずに済んだかもしれない。
もう何度目か分からないifを頭の中で思い描きながら、それがやはり現実にはならないことを認めて、これまた何度目か分からないため息をつく。
すると、背後でドアの開く音がした。
屋上にやってきたのは、先日救出した、新入りの女の子だ。
「あ、すみません」
僕を見るなり彼女は申し訳無さそうにそうささやくと、建物の中に戻ろうとした。
「いや、待って。大丈夫だよ」
とっさに引き止める。
「美樹ちゃん、どうぞ。今日は良い天気だから」
「そうですか……では、すみません。おじゃまします」
そういうと彼女は、屋上の柵にもたれかかった。彼女の名前は美樹。あだ名を決めるようなタイミングも持てず、そんな空気にもならず、結果的に本名で呼ばれている。
僕らは特に会話もせず、屋上は再び静寂に包まれた。時折吹く風の音が大きく聞こえる。
いまのホームセンターで一番つらいのは彼女かもしれない、とふと思った。
なにせ、おじさんは自分のために犠牲になったのだから。もちろん、それについて直接的に責める人は誰も居ない。というか、僕らが勝手に助けに向かったのだ、彼女は何も悪いことをしていない。しかし「もし助けに行かなければ」というifは、誰もが一度は考えたことだろう。
「ここでの暮らしには慣れた?」
沈黙に耐えきれず、当たり障りのないことを切り出してみた。
「そうですね、おかげさまで。学校と違ってここはバリケードがしっかりしているので、安心して生活できます。学校のときは、毎晩寝てる間にゾンビが襲ってくるんじゃないかって不安で、ここに来て久しぶりにぐっすり眠れたような気がします」
「それは良かった。僕もここに来たのは実は比較的最近で、彼を……おじさんを除くと、一番の新参なんだ。だから、その、ここに着いて安心できたという気持ちはよくわかるかな」
「屋上菜園とかすごいですよね。食べ物とかもろくなものがなかったので、とても嬉しかったです」
言葉とは裏腹に、彼女の表情は晴れない。
「そう言ってもらえると嬉しいな。ここに来てよかった、って思ってもらえると――」
「それはもちろん! もちろん、そう思っています。まだみなさんとはあまり話せてないですが、それでもみなさん優しい人ばかりですし。あ、でもさっきリボンさんに怒られちゃいました、ゴミの捨て方が違うって」
おじさんを慕っていたリボンさんとの溝は深そうだ。リボンさんは本来優しく思慮深いタイプなのだが、今回の出来事から立ち直るにはまだ時間がかかりそうな様子だ。
「あの、どんな方だったんですか? おじさんって。みなさんの様子から、とても慕われていた方なんだろうなとは思うのですが」
「おじさんは……なんだか変な人だったなぁ。頼りになるようなならないような、真面目なような不真面目なような。僕は今まで会ったことのないタイプの大人だったかな」
「きっと面白い人だったんですね」
「そうそう、いまの状況を楽しんでいるような雰囲気があった。本人もすごくつらい経験をしているみたいなのにね。それは自棄になっているわけではなく、自分が生きていて、その命を何かに役立てることが出来るということに使命感を持っているような感じかな」
そこまで話して、ふと最期の光景を思い出した。
「そっか。だからおじさんは最期に笑っていたのかも。君を救うという使命を全うできて、満足したのかもね」
「そんな……」
「そういえばね、あの放送を聞いて、最初に学校に助けに行こうって言い出したのはおじさんなんだよ。一人でも行くからって聞かなくて。だからみんなでついていったんだ。だからさ、美樹ちゃんはおじさんの夢を叶えてあげたと思って、これから楽しく過ごさないと」
こんなことを言われても、きっと彼女は困るだろう。何にも無くても楽しく過ごすのが大変な情勢なのだ。案の定、彼女は黙り込んでしまった。
余計なことを言ってしまったのではないかと内心焦るが、もう取り返しはつかない。
「そ、そういえば、あれ。えーと、誰か友達はできた?」
しんみりとしてしまった空気に耐えきれず、意味のわからないことを口走った。小学校に通う子供に声をかける親のようなセリフである。彼女もキョトン、とした顔でこちらを見ている。
「いや、ほら、誰か結構話する人とか。いや、僕ももう友達だと思ってるけどね」
坂道を転げ落ちるように意味のわからない発言を繰り返す僕。
しかし、それが功を奏したのか、彼女の表情が少し緩んだ。
「そうですね……マイちゃんは、学校に居たときはお互い知らなかったのですが結構話しかけてくれて、学校の話とかしてます」
「学年が違ったんだっけ?」
「はい、彼女が2年生で、私は3年生だったので。高校通ってた頃の話ですけど…」
年があけてすぐに感染爆発が起こったため、都内の学校ではもちろん卒業式などが行われることはなかった。中止というか、それ以前の問題である。
「そっか、今頃卒業してたはずだったんだ」
「はい、せっかく受験勉強頑張ってたのに、試験すら受けられませんでした。ひどい話です」
彼女は唇を尖らせる。努力が報われないというのは悔しいものだ。
「そういえば、メガネさんは大学生だったんですよね」
「そうだよ、工学部の二年生。情報工学って言って、プログラミングとかそういうのが専門」
「いいなー、私も大学生になりたかったなー。サークルとか入って、お酒飲んだりして、彼氏作って、みたいな」
「大学は勉強するところだよ。もっと言えば研究するところ」
「分かってますって。こう見えて、私も工学部志望だったんです。お父さんの影響でガジェット好きで、電子工作とかもするんですよ。だから、もしかするとメガネさんと趣味合うかもしれません」
それからしばらく、僕らは最近出たおもしろガジェットの話題に花を咲かせた。彼女は予想以上にガジェットオタクで、僕の知らない海外のガジェットなどにも詳しかった。得意分野の話題になったおかげで、彼女も少し調子が出てきたようだ。少し前の暗い雰囲気はどこかにいってしまった。意外と本来は明るいタイプなのかもしれない。
「あと、去年の年末にクラウドファンディングがスタートしたイスラエルのスタートアップが作ったやつがあって、AI搭載型の小型ドローンなんですが、あれどうなったんだろうなー。楽しみだったんだったんですが、イスラエルって感染者出てるんですかね」
「さぁ、どうだろう。海外どころか、東京の外の情報がぜんぜん入ってこないからね」
「そうですよねー。あ、そういえばメガネさんがかけてるそれって、Mixorですよね」
彼女は持っていたバックから何かを取り出した。
「実は私も持ってるんです、Mixor。っていうか前はみんなしてましたよね。最近は使っている人減りましたけど。やっぱインターネットに繋がらないとほとんどただのメガネだからですかね、私もあんまりつけなくなっちゃいました。メガネさんはなんでずっとつけてるんですか?」
「これは、今は視力補正用だね。もう純粋にメガネ。いや、実はちょっと前まではゲームやったりもしてたんだけど」
「お、なんのゲームですか? 私も結構ハマってたゲームあるんですよ、Endless Worldって言うんですけど……」
――Endless World!
久しぶりにその単語を聞いて、僕は飛び上がった。
「ほんとに!? 僕もずっとEndless Worldやってたんだ。前もやってたけど、ゾンビが出てからはもうほんとに一日中、最近はオフラインモードだけど、それでもずっと続けてた。え、ブルモンのライブとか行ったことある?」
「ありますよ! というか、私Yukiの大ファンです。うわー、びっくり。まさかこんなところにEndless Worldプレイヤーがいたとは」
「そこそこ流行ってたからねー」
「ですよね! せっかくのVRワールドなのに現実をコピーしているっていうのが個人的にツボで、VRなのに魔法のひとつも存在しないっていうのが逆に新鮮で面白かったです。今となっては、あんな平和な世界はむしろファンタジーですけどね」
「そうなんだよねー。Endless Worldの良さはそこだったはずなんだけど、最近ゾンビが出るようになっちゃって、それで辞めちゃったんだよね」
同じゲームのプレイヤーならばいいだろうと思い、僕は最近Endless Worldで体験したことを彼女に話してみた。
「え、そんなことあるんですか。私、実は最後に起動したのみなさんに助けていただく少し前なのですが、そのときは特に何の異変もありませんでしたよ。ちょっと入って見てきましょうか」
そう言うと彼女はMixorをかけて、慣れた手付きでEndless Worldを起動した。彼女がEndless Worldを探索する間、僕はまたぼんやりと学校を眺めていた。
「うーん、やっぱり特に異常無いですね。ゾンビなんて居ない、平和でファンタジーなバーチャルリアル世界ですよ。こっちは」
Mixorを外しながら、彼女は首をかしげた。ファンタジーでバーチャルでリアルとは、てんこ盛りな世界である。
「というか、オフラインモードなのに現実みたいなゾンビが出てくるの、おかしくないですか?それ、なんだか怖い」
言われてみればそのとおりだ。ゲームの中にばかり異変の原因を求めていたが、もしかしたら現実の方にこそヒントがあるのかもしれない。
「私も手伝いますから、もう一度、調査してみましょうよ。ゾンビが出てくるEndless Worldなんて嫌ですもん、私」
かくして、僕らはしばらく諦めていたEndless Worldゾンビ発生事件の再調査を行うことにした。
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