第10話

 マイホーム豊洲の二階には、ここで暮らすメンバーが全員集まっていた。

 みな、さきほど学校から流れてきたメッセージを聞いたのだ。

「あれは、やはり助けを求めているんでしょうか……」

 リボンさんは不安そうにそう切り出した。

「そうだと思う。私の学校に誰か取り残されてるんじゃないかな」

 マイちゃんも困惑気味だ。自分の学校から助けを求める声がしたのだから無理もない。「知ってる声だった?」と聞くリーダーに「知らないと思う」と短く答えると、うつむいてしまった。

「どうしよっか……」

 気まずい沈黙が続く。なにせ自分たちが生きていくだけでも必死な世の中だ。人を助けにいく余裕などない。助けに行って無事に帰ってこれる保証もないのだ。

 沈黙を破ったのはおじさんだった。

「俺はやっぱ助けに行ってあげようと思う。どういう状況だかは知らないけど、スピーカーの声はかなり不安そうだったしね」

 すぐさま、リボンさんが反対する。

「そ、そんな! 危ないですよ。おじさんの身になにかあったら――」

「リボンちゃん、心配してくれてありがとう。でもさ、俺もここで助けに行かなかったら、何のために無駄に生き延びてるのか分かんなくなっちまうから。だから申し訳ないけど行くよ。それにもちろん、ちゃんと生きて帰ってくるさ」

 そう言うと、皆を見渡して付け加えた。

「もしも、誰か協力してくれる人がいるなら、お願いしたい。一人じゃあできることも限られるしな。もちろん、危険が伴うから強制はしない」

 再び、沈黙が訪れた。みな優しい人達だが、それでも見ず知らずの他人のために命をかけられる人は、多くない。

 僕はというと、悩んでいた。もちろん、できることなら助けに行きたかった。しかし、自分がそれほど役に立てるとも思わなかった。運動神経も悪く、得意なことと言えばプログラミングくらいだが、それがこの場面で役に立たないことはわかっている。

 ふと、先日のおじさんの言葉を思い出した。

『生きて前を向いていれば、きっといつかもっと自分にとってかけがえのないもの、大事なものに巡り会えると思うんだ』

 ここで助けに行くことが、自分に課せられた大きな試練で、それを乗り越えたらなにか大事なものに出会えるのではないか。そんな気がしてきた。

「あ、あの……僕も行きます」

 おずおずと手を上げると、みな少し驚いたような顔をした。おじさんだけは、にやりと笑うと「おう、よろしくな」と言って僕の肩を叩いた。

 一番らしくない僕の立候補に触発されたのか、最終的に他のみんなも手伝うことになった。と言っても、大人数で行動するのは危ないので、実際に学校に向かうメンバーは絞られる。

「行くとしたら、三人くらいかな。俺と、立候補してくれたメガネくんと、あと一人くらい」

「それじゃ俺が行きますよ。ずっと建物の中にいると身体がなまっちゃって、ちょうど外行きたいなーって思ってたんです」

 ササミが三人目に立候補した。マッチョふたりと行動をともにすることになり、少し気が引ける。

「ありがとう。それでは、作戦を立てようか」

 そうして、作戦会議がはじまった。

 いや、作戦会議、と言っても、現場の状況がほとんど分からない以上大した作戦は立てられない。大雑把な方針を決めるのと、突入までの流れを決めるのが主な目的だ。

 まず、マイから学校の構造を説明してもらった。

「校舎はふたつあります。このふたつは二階と四階で渡り廊下でつながってます。それ以外に体育館と、あと去年改築した図書館塔があります。正門から校舎まで行くのに校庭を通る必要があって……裏門だと校舎まですぐですね」

 マイちゃんは丁寧な校舎の地図をかいてくれた。これで、大まかなイメージはつく。

「なるほど。そうすると、今回は裏門から入るのがよさそうかな。校庭みたいな隠れるところがないところで奴らに囲まれたらやっかいそうだ」

「学校までは近いけれど、車で行ったほうがいいかもな。助けた人を乗せる必要もあるし、道中も楽だし。俺が運転するよ」

 リーダーとおじさんの意見であっさりと現地までの行き方が決まった。

 次は現地での行動についてだ。

「あの、ドローン。ドローンいくつか持っていったほうがいいと思います。偵察にも、あとおとりにも使えますし」

 僕も久しぶりに発言してみた。少し心拍数が上がる。

「そうだね。ドローン持っていこう。ドローン操作慣れてるのは――」

「俺ドローン操作できます。偵察、やりますよ」

 ササミはマッチョな見た目からは想像できないような繊細なドローン操作をする。

「僕も、一応できます」

 念のため手を挙げておいた。対ゾンビではドローンは様々な場面で活躍するので、以前からいるメンバーは全員練習済みなのだ。

「それは頼もしい! それじゃあ現地ではドローン使って安全第一で行動しよう」

 おじさんはそう言うと、リボンさんの方をちらりと見た。わざわざ安全第一と言ったのは、彼女を安心させる意図があるのかもしれない。

 しかし、やはり彼女は不安そうだ。

「でも……学校の、どこにいるか分からないですよね、助けを求めてる人が。そうすると捜索が大変なんじゃ……」

 たしかに。ゾンビを避けながら学校中を探すというのは、かなり骨が折れそうだ。

「放送を使うといいと思います。校門入って目の前にある校舎の一階に放送室があるので、そこで放送をして呼び出しちゃうと良いです。さっきの校歌とかも放送室から流してたと思うので、たぶんまだ放送室の設備は生きてるはず」

 マイちゃんはそこまで言うと少し間を置いてから、思いつめたように言った。

「あの、やっぱり私も行きます。現地のこと詳しいし、放送室の使い方だって――」

 すると、おじさんが遮った。

「マイちゃん、ありがとう。でも大丈夫。地図もあるし、もし無理そうだったらすぐに引き返すから」

「そ、そうですか……放送室は、たぶん使い方は見れば分かると思うので」

「ありがとうね。そうだね、現地で救出対象を探すのはタイムリミットをつけよう。そうだな……一時間。学校についてから一時間探しても見つからなければ、一旦引き返そう。それでいいかな」

 おじさんは再び、リボンさんに視線を送る。リボンさんも、しぶしぶといった顔で小さく頷く。

 その後、持ち物などの細々したことが話し合われ、作戦会議はお開きとなった。

 今日はすでに日が落ちかけていたため、作戦決行は明日の朝一に決まった。


 いくらマイホーム豊洲が広いとはいえ、この中から外に出られないというのはそれなりにストレスが溜まる。自分はインドア派だと思っていたが、実はいままでVRでの体験が外出の代替になっていたということに、最近気がついた。

 そのため、ここで唯一「安全な外」である屋上には、最近よく足を運んでいる。

 その晩も、夕食を終えると屋上に来ていた。

 夜の屋上から見上げる空はとても綺麗だった。地上から人の活動が失われた結果、街明かりがほとんどなくなって、星が鮮明に見えるようになったのだ。

 最初の頃こそMixorの星空解説アプリを使って星座の説明なんかを楽しんだものだが、現在はそういったフィルターは通さず、星空をそのまま見るのが好きになっている。

 ゾンビが出る前にこんな星空を見たのはいつだったか。あれは、小学生のころに両親とキャンプに行って以来かもしれない。いや、中学生だったか?

 久しぶりに両親のことを思い出す。

 実家のある宮城県は、最後に得た情報ではまだ安全なはずだ。というか、ゾンビがいるのは東京だけ、のはず。しかしこんな状況だ。実はすでに日本中にウイルスが広まっていてもおかしくはない。

「また会えるといいな……」

 小さく独り言をつぶやく。

「大丈夫、会えるさ。って、誰と?」

 突然後ろから声がした。びっくりして振り向くと、おじさんが立っていた。

「すまないね、別に盗み聞きするつもりはなくて。あ、タバコ吸ってもいいかい」

「いえいえ、はい、どうぞ。いえ、その、両親です。仙台にいるので無事だと思うのですが……」

 おじさんは短く「ありがと」というとタバコに火を付け、流れるように一口吸った。

「宮城ならきっと平気さ。ちゃんとここを生きて抜け出して、親孝行しないとね」

「そうですね」

 そうして、しばらく会話が途切れる。そういえば、以前おじさんは酔った時だけタバコを吸うと言っていたが、今はシラフのようだ。やはり、明日に向けて緊張しているのだろうか。

「明日はありがとうね、一緒に行くって言ってくれて」

「あ、いえ。僕、その、おじさんの言葉を思い出して。なんかこれを乗り越えたら、自分も映画の主人公――まではいかないにしても、重要人物くらいにはなれるんじゃないかなって」

「ははは。なれるさ。主人公にだってなれる。でも無理はするなよ。仙台のご両親に会うまでは死んじゃだめだ。死なない限り、主人公になるチャンスはいくつも眠ってる」

 おじさんは愉快そうに笑う。

「そうですね。そうだと嬉しいです。あ、あの。僕も一本吸ってみていいですか」

「おう、いいぞ。あんまりオススメしないけどね」

 おじさんはそう言いながら、タバコを一本渡してきた。

「こうやってくわえて。そう、そしたら火をつけてる間、軽く息を吸い込んで」

 そう言うと、僕のタバコに火をつけてくれた。

 一気に煙が肺にながれこんできて――

「げほっ!!」

 盛大にむせた。それを見ておじさんは爆笑している。

「やめておいたほうがいいよ、やっぱり。タバコなんて吸ってても良いこと無いから。それに美味しくなかったでしょ?」

 まだ少しむせながら、繰り返しうなずく。

「タバコはさぁ、不味いんだけど、なんでか我慢してしばらく吸ってるとやめんなくなっちゃうんだよね。身体に悪いってわかってるのに」

「なんで、我慢してまで吸うんですか」

 もう吸うのは諦めた僕は、タバコを指に挟んで遊ばせている。

「それはなんだろうね。かっこいいとか、付き合いとか、そういう何ていうか自分の外側の価値観に影響されて頑張るんだろうなぁ。たぶん生まれてからずっと無人島に暮らしてて誰とも交流してない人にタバコを渡しても、吸わないと思う。最初にタバコを吸うのは、そういう自分の外側が理由なんだよ。でも人間の大抵の行動って、その動機は自分の外側だからね。別にそれは悪いことじゃない」

 相変わらず分かるようなわからないようなことを言う。

「あ、それもう吸わないならここに入れちゃって。灰皿代わり」

 おじさんが手に持っていたコーヒーの缶を渡してきた。

 そこにタバコを投げ込むと、なにかから逃げ切ったような、あるいは逃げちゃったような複雑な気持ちになった。おじさんも吸い終わったタバコを缶に放り込むと、建物に戻っていった。

 僕は星空を見上げながら、明日自分が救出に行くのは、果たして自分の外側の理由なのか、あるいは内側なのか、ぼんやりと考えていた。


 翌朝、九時。天気は快晴で絶好の救出びより。

 僕らはかんたんな朝食を済ませると、早速作戦の準備に入った。

 ドローンや防犯ブザー、いざというとき武器になる金属バットなどの装備を車に積み込む。

 車の燃料を確認する。まだガソリンは半分以上残っている。近所の学校までなら問題ない。

 改めてマイから学校について説明を受ける。作戦についても再度確認する。

 タイムリミットは一時間。移動を考えても、遅くとも一時間半後にはまたここに戻ってくることになる。

 昼飯には十分間に合う時間だ。

 今日の昼飯には新メンバーが加わっている可能性がある。そう思うと、少しワクワクする。

 そうして、学校救出作戦がはじまった。

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