第9話

 第一回マリオカート大会「マイホーム豊洲杯」は無事、僕とマイのチームの優勝で締めくくられた。ちょうどよいチーム分けのおかげか、大会はかなり白熱した。短い時間ではあるが、完全にEndless Worldのことを忘れて楽しむことができた。

「せっかくだし今晩は打ち上げしよう!」

 リーダーの提案で、その日の夜はまた、飲み会が開催される事になった。

「いいねぇ。じゃあ優勝賞品の酒もみんなで飲んじゃおっか! メガネくん、いいかな」

 酒好きのおじさんは楽しそうである。

「いいですよ。どうせ一人で飲むつもりはありませんでしたから」

 僕がそう答えると、マイちゃんは少し不服そう。

「えー、せっかくの優勝賞品なのにー。でもどうせ私飲めないし関係ないか……」

 3階の家電量販店にはなぜか酒コーナーがあり、おつまみなども充実しているので、実は飲み会はいくらでも開催可能だった。僕らはそこで適当に酒とつまみを拝借すると、早速いつもの屋上に集合した。

「私、今日はちょっと控えめにする。この間危なかったし……」

 屋上に向かう途中で、リボンさんが少し恥ずかしそうに話しかけてきた。

「そうですね。今回も上に登りそうだったら僕、止めますね」

「ありがとうね。そういえばメガネくん、少しは元気になった? マリオカートは楽しんでいたようだったけれど」

「すみません。そうですね、少し気晴らしになりました」

「何があったのかは知らないけど、本当に思い詰める前に相談してね。マリカーは最下位だったけど、相談相手くらいにはなれると思うから」

 みんなここで偶然出会っただけの僕に、とても優しくしてくれる。

 そういえば、マイがマリオカート大会を開いてくれたのも僕のことを思ってだったりするのだろうか。あのマイのことだ、自分がやりたかっただけかもしれないが、楽しかったのは事実。あとでお礼を言っておかないと。


 打ち上げがはじまると、おじさんが仰々しく袋から酒のボトルを取り出した。

「えー、みなさん。それでは優勝チームの二人に、こいつをプレゼントしたいと思います」

 その後に続いたおじさんの講釈によると、それはなにやらしばらく前に生産中止になったプレミア物の国産ウイスキーらしい。ネットオークションだとだいぶ良い値段がするとか。

「でもこんな良いもの、本当に開けちゃっていいんですか」

 僕が聞くと、おじさんは笑顔で答えた。

「飲む機会をうかがってたんだけどね、そうしてるといつまでも飲めないから。いつ何があるかわからないし、飲めるうちにみんなで楽しく飲んじゃうのがいいのよ」

 しばらく経つと、前回と同様にみなすっかり出来上がっていた。

 そういえばこの飲み会の良いところは、帰宅が楽なところだ。終電も明日の授業も仕事もないので、時間を気にする必要もない。みんなここに住んでいるので、ある意味宅飲みである。そう考えると、今の生活はルームシェアと呼べるのかもしれない。

「おーい、メガネくん。飲んでるかい」

 少し端のほうで飲んでいると、おじさんがこちらにやってきた。

「ちょっとタバコ吸っていいかな」

「どうぞ」

「悪いね。もう随分と長いことやめてたんだけど、最近また吸うようになっちゃって。特に酒を飲むと、ね」

 そう言うと、おじさんは持っていたタバコに丁寧に火をつけた。よく分からないが、今のご時世、タバコも貴重なのかもしれない。

「いやー、大会は残念だったなぁ。うちのチームも途中まではいい線いってたと思うんだけどね」

「最終レースで落ちまくっちゃってましたもんね」

「そうそう、レインボーロード。あれおじさん昔からほんと苦手で。メガネくんは上手だったねぇ。マリカー、ずっとやってたの?」

「いえ、ここに来てからです。マイちゃんにしごかれて」

 そう言うと、おじさんは愉快そうに笑った。

「そっかそっか。おじさんは結構ゲームが好きで、マリカーもだけど子供の頃からよく遊んでたなぁ。今みたいな、ゾンビが出るやつも結構好きで、バイオハザードとか。今思うとなんで自分から進んでゾンビがいる世界なんて体験してたんだろって思うけどね」

「あ、僕もバイオハザード好きです。もしかしたら、その時の知識で今まで生き延びれたのかも」

「そうかもしれないね。バイオハザードなんてさ、全クリするまでに下手したら何百回も死ぬわけじゃない。それを考えるといま生きてる僕らはすごいよね」

 たしかに一理ある。というか、まさにそれは先日、Endless Worldでゾンビに殺されまくったことで僕が気がついたことのひとつだ。

「ゾンビゲームと言えばさ、おじさんが学生のころにやったゲームで、やっぱりゾンビのゲームがあって。主人公はおじさんなんだけど、ゲームの冒頭で主人公の娘がゾンビに襲われて死んじゃうんだよね。それでしばらく無気力な生活を送るんだけど、あるときふとしたきっかけで別の女の子と出会うの。それでその子と交流を深めるうちにだんだん親子のような絆が芽生えてきて――っていうゲームがあって。当時は学生だったから主人公の気持ちはあまりわからなくて、単純にゲームを楽しんでたけど、今はよく分かるなぁ」

 そのゲームなら僕も知ってる。僕が遊んだのはリメイク版だが。物語のラストに主人公が重大な決断を迫られる展開は、ゲーム史に残る名シーンだ。

「それはつまり、これは聞いてよいのかわからないのですが、おじさんもそういう経験をされたということですか?」

 普段ならこんなに他人の懐に入り込むようなことをしない。僕もお酒のせいで少し気が大きくなっているのかもしれない。

「うーん、そうだね。そう。少し前にね」

 おじさんはそう言うと、タバコを口に加え、ゆっくりと煙を吐き出した。

「最初はね、本当に何もやる気が起きなくて、いっそのことこのまま自分もゾンビになっちゃおうかなって思った時期もあったんだけどね。そのときに例のゲームのことを思い出して、どうせ死ぬなら、もう少し誰かの役にたったり、助けたりしてから死のうって思い直したんだよね。まだ想像もつかないけど、これからなにか生きる希望に出会えるかもしれないし。まぁ、結局いまは誰の役にもたてずにこうやって酔っ払ってるんだけど」

 おじさんは小さく笑った。僕はどんな言葉を掛けるべきか悩んでいた。ゲームの世界の問題で落ち込んでいる自分が少しだけ恥ずかしくなってきた。

「そんなことないです。こうやって楽しい時間が送れているのは、おじさんのおかげです。賞品でいただいたお酒も美味しかったし」

「ふふ、ありがとうね。とにかくさ、メガネくんはまだ若いんだから、いまは何かを失って落ち込んでいるのかもしれないけど、生きて前を向いていれば、きっといつかもっと自分にとってかけがえのないもの、大事なものに巡り会えると思うんだ。だから、今は落ち込んでもいいけど、生きる希望だけは捨てないでね」

 そう言うとおじさんは短くなったタバコを灰皿代わりのビール缶に捨てて、「年取ると説教臭くて良くないね」と、はにかみながらみんなが談笑しているほうに戻っていった。

 おじさんから聞いた話を思い出しながら、夜空を見上げる。

「かけがえのないもの、大事なもの、か」


 それから数日間、以前よりはだいぶ、前向きに過ごすことができるようになっていた。目が悪いので相変わらずMixorはかけていたが、もうEndless Worldを起動することもなかった。

 これまで一日の大半をEndless Worldで過ごしていた僕は、正直に言って暇を持て余していた。マイとマリオカートで遊んだり、ササミとスプラトゥーンで対戦したりすることはあったが、それ以外の一人向けのゲームは何となく遊ぶ気になれなかった。ちなみにどちらもたいてい、僕の敗北で終わっていた。

 その日も、昼間から屋上で寝ていた。素晴らしいことに屋上にはホームセンターで売っていたハンモックが設置されているのだ。ササミとおじさんから一緒に筋トレをしないか、と誘われて逃げてきたのだが、七月初旬の梅雨も過ぎた晴れた昼下がりは、屋上で昼寝するのに最適だ。

 横になって、まるで東京がゾンビタウンになってしまったことなど夢なのではないかというような、穏やかな時間を過ごしていると、ふと、音楽が聞こえてきた。

 どこかで聞いたことがある。そうだ、以前、僕をゾンビから救ってくれた、あの校歌だ。ハンモックから降りて音がする方に移動すると、やはり、ちょうど学校のある方角から聞こえてくるようだった。この曲を聞くのはあのとき、ゾンビに襲われて足をくじいたとき以来だった。

 数分して曲が終わる。首を傾げながらハンモックに戻ろうとすると、学校の方向から「ザザ……ザザザ……」というノイズ音が聞こえてきた。

 改めて学校の方に振り返ると、少しの後、声が聞こえてきた。

「……助けて……誰か……誰か、助けてください……学校…………」

 声の主はそう言うと、スピーカーの音はぷつりと切れた。

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