第8話

【DEAD END】


 そう表示されたあと、僕はしばらく動けずにいた。こんなことが起きるわけがない。だって、Endless Worldは日常系VRゲームなのだ。日常にゾンビがいてたまるか。

 きっとなにかの間違いに違いない、祈るような気持ちでEndless Worldを再起動した。

「次のライブいつかなー」

 そこは大学で、ブルモンのパーカーを着た美咲が目の前にいた。ゾンビに襲われる前日の、すでに一度見た光景である。

 不安な気持ちを抑えつつ、まずは前回と全く同じ行動を取ってみることにした。エンジニアがバグを調査するときの基本、再現性の有無の検証である。

 しばらくして、全く同じ展開を終え、無事に結衣のストーカー事件を解決した。これから何事もなく一日が終わればよいのだが……祈るような気持ちで美咲と話していると、また、そのときはやってきた。

――美咲の悲鳴、走るゾンビ、そして【DEAD END】の文字。終了。

 最悪なことに、この現象には再現性がありそうだ。

 さらに調査を行うことにした。もう夕飯の時間だったが、ご飯が喉を通る気がしない。なにせ、こんな世界で僕が生きている唯一の理由がこのEndless Worldなのだ。そこの一大事とあっては、現実などどうでも良い。

 もしこのままゾンビが出続ける、なんてことがあったら……言いようのない焦りと不安を感じつつ、Endless Worldを再起動した。


 二回目の調査では、結衣のストーカー調査の決行を一日送らせて二日後にしてみた。すると、前回ゾンビが出たのと同じ日に何気なく外を歩いているところを急にゾンビに襲われ、死んだ。

 三回目の調査ではしばらく隠れてみることにした。美咲と結衣には適当な言い訳をして、家にこもる。するとやはり同じ日にゾンビが発生し、街中がゾンビまみれになった。その後は、少し様子を見ようと外に出たところをゾンビに襲われて、死んだ。

 その後も何度も試してみたが、何度試してもEndless Worldにはゾンビが出るし、少し粘ったところで、数日後にはゾンビに襲われて死んだ。

 ゾンビが出る日は毎回決まって、再起動の翌日である。それ以降はもはや現実と全く同じ。ゾンビが街中にいて、気軽に行動もできない。ジャンルとしてはホラーゲームである。

 何度目かの【DEAD END】を見届けて、Mixorを外した。VRとはいえゾンビに何度も殺されるのはメンタルにくるものがある。いくら現実でゾンビを見慣れているとはいっても、まだ本当にゾンビに殺された経験はないのだ。

 ゾンビというのはVRゲームではかなりメジャーな人気ジャンルであったが、僕はホラーゲームが苦手だったので、あえて日常系であるEndless Worldばかりやっていたのだ。それが一夜にしてバイオハザードのような世界になってしまったのだから、救いようがない。

 仮にいま、現実にゾンビなどいなければ、あるいは非日常系VRゲームとしてゾンビが出た世界を楽しむという選択肢もあったかもしれない。しかし、今や現実にゾンビがいるのだ。VRでまでゾンビと戦いたくはない。


 ここまでの調査で分かったことがいくつかある。

 まず、ゾンビが出現するのは毎回、再起動の翌日であった。通常のアドベンチャーゲームの感覚で言えば、ゾンビが出現したのは僕の行動が原因である。どこかで選択肢を間違えて、結果としてゾンビが出る世界線に移動してしまったのだ。

 しかし、少なくとも再起動した初日に、そんな目立った行動を取った覚えは無い。というか、世界にゾンビが発生してしまう行動ってなんだ。Endless Worldをはじめて以来の行動を振り返ってみても、自分が原因でゾンビが発生したとは到底思えない。

 つまり、Endless Worldでゾンビが発生した原因は、全くの不明である。信じがたいが、今のところ元々そういう仕様のゲームだったという可能性しか考えられない。

 もうひとつは、Endless Worldのゾンビが、現実で発生しているゾンビと似たような性質を持つということ。少なくともこれまで調査した感触では、やつらは現実と同じく目が不自由で、歩くのと走るのがいる。噛むことで感染を広げる。ふらふらとした動きも、現実で発生しているゾンビと全く同じだった。

 最後に気がついたこととして、これはおまけだが、実はゾンビが生きている世界で生き残るのは難しいということを知った。Endless Worldでゾンビが発生したあと、僕は必ず数日以内に死んでしまった。もちろん、現実に比べたら慎重さに欠ける部分はあったし、調査のために多少行動が大胆になっていたというのもあったが、それにしてもゾンビ相手ではまったくもって歯が立たなかった。

 そう考えると、現実で今も生きている自分はかなり幸運なのかもしれない、と思うようになった。

 いずれにせよ、この問題を解決する糸口すらつかめていない。

 もしかすると、このまま平和なEndless Worldに戻ることはできないのかもしれない。そう思うと、全身の血が引いていくような感覚を覚えた。目眩すら感じる。

 僕は、自分が感じていた以上にEndless Worldに依存していた。

 プレイ時間はすでに数千時間を越えている。僕にとってのメインの世界は現実ではなく、Endless Worldだ。

 そういえば、間近に予定していた、美咲との半年記念デートの約束も残っている。

「空飛ぶペンギン、見たかったな……」

 思わず独り言が溢れる。

 気がつけば外は明るくなっていた。Endless Worldと違って、現実ではまた新しい今日がやってくる。


 それから数日が過ぎた。

 この間、最低限の仕事はこなしたものの、それ以外の時間をどうやってつぶしたのかはあまり覚えていない。少なくとも一度もEndless Worldを起動することはなかった。やみくもに起動しても、どうせまた何も分からずにゾンビに殺されるのがオチだ。

 最初の数日こそ、Mixorで別のゲームを遊んでみたりした。有名なVR音ゲーをやって身体を動かしたり、ARパズルゲーで頭を使ってみたり。しかし、どれも全くはまらなかった。

 気がつけば、Mixorはただの視力補助装置となっていた。

 そして、Endless Worldに行けなくなったことで、僕は生きることに対してかなり無頓着になっていた。

 その結果、少し危ない目にあったりもした。

 先日、正面玄関付近のパトロールをしていたときのことだ。足が治り、久しぶりのパトロールだったのだが、その日は圧倒的に慎重さを欠いていた。足音も隠さず雑にバリケードの点検をしていた。そうして、近くまでゾンビが来るのに気が付かなかったのだ。ゾンビがバリケードまで歩いてくる間、逃げるでもなく、ぼーっとそのゾンビを眺めていた。あるいは、ゾンビがバリケードを壊してくれれば、今の悩みから開放されるかもしれない。そんなことを考えていたのだ。幸か不幸か、正面玄関のバリケードは裏の駐車場と異なりかなりしっかり作られていたため、ゾンビに壊されることはなかった。バリケード前で立ち往生するゾンビを確認すると、のんびりとホームセンターに向かって歩いて戻った。

 あとから考えれば、バリケードが破られて自分がゾンビになったらホームセンターにいるメンバーにとって一大事だ。本当に自分勝手なことをしたと思う。

 そうした日々が続き、誰の目からも僕の調子が何かおかしいことは明らかだった。皆、何かあったのか、相談にのろうか、と声をかけてくれたが、結局誰にも何が起きたのかを説明することはなかった。

 そもそもEndless Worldの話はあまり皆にはしていなかったし、今回の出来事について話をしたところで理解してくれるとは思わなかった。所詮、ゲームの話なのだ。

 そんなある日の夕食時、マイが切り出した。

「みんなでマリカー大会しませんか」

 最近も、たまにマイちゃんのマリオカートに付き合っていた。マイとやるマリオカートが結構好きだった。レース中は頭を空っぽにしてEndless Worldのことを忘れられるからだ。そのおかげで、そこそこの腕前になっていた。

「おー、楽しそうだね。マリカー、最後にやったのいつだったかな」

 おじさんがふと、遠い目をしてそう言った。

 他のメンバーもマイちゃんの提案に賛成した。さすがに国民的ゲームというだけあって、みな一度や二度は遊んだ経験があるようだ。

「大会って言うなら、何か賞品が欲しいね」

「あ、それなら俺が持ってきたレアなお酒を提供しちゃおうかな」

「お酒じゃあ私飲めないんですけど―」

「わたし、おじさんの缶詰食べたい〜!」

 みんな楽しそうに大会の話をしている。

 毎日代わり映えのしない生活を送っているのだ、こういったイベント事はとても貴重だ。「予定がある」というのは、それだけで生きる希望になる。

 Endless Worldであった「予定」のことを思い出しながら、みんなが話しているのを眺めていた。


 一週間後、マリオカート大会「マイホーム豊洲杯」が開催された。

 この一週間は練習期間。頻繁にマリオカートをやっていたマイはともかく、それ以外のメンバーのための期間だ。蓋を開けてみると、以前からマイとよく対戦していたリーダーと、あと意外なことにおじさんがかなり強かった。ササミは「スプラトゥーンなら負けないのになぁ……」とぼやいていた。リボンさんはほぼ初心者であった。

 この経験差を補うために、この大会はチーム戦となった。

 チームはリーダーとササミ、おじさんとリボンさん、そしてマイと僕だ。

 マイの特訓は厳しかった。

 マイはかなり負けず嫌いらしく、僕にすべてのコースのショートカットを叩き込んだ。おかげでEndless Worldのことで頭を悩ませる暇がなくなり、レインボーロードでも一度も落ちずにショートカットを使って完走できるようになった。

 チームと言えば、チーム決めのときにこんな一幕があった。

 軽くみんなで遊んでみたところ、マイ、リーダー、おじさんの三人が強いのはすぐに判明した。そこでチーム戦にしようという話になり、チームはくじで決めようか、という流れになった。強い三人を分けた上で、残りの三人が誰のチームに入るかを決めるわけだ。

 しかし、そのときにリボンさんが焦ったように「くじはやめよう」と言い出した。そして、次のようにまくし立てた。

「マイちゃんはたまにメガネくんと遊んでるみたいだから相性良いんじゃない。あとリーダーとササミくんも相性良さそう。そうすると私は残りでおじさんとかな。それでいいと思うんだけどどうかな」

 正直、皆チームはなんでもよかったので、この提案は受け入れられた。

 というより、例の「リボンさん給水塔から落下事件」の一件以来、リボンさんはおじさんを明らかに意識していた。これは皆の知るところであり、今回のリボンさんの提案を聞いて反対する人が居なかった理由でもある。

 ちなみに、当のおじさんはリボンさんの好意に気づいているのかいないのか、「がんばろうねぇ」なんて呑気に言っていた。

 かくして、マリオカート大会「マイホーム豊洲杯」ははじまったのだった。

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