2. デッドエンド

第6話

「あ、どうもどうも、はじめまして。シノノメっていいます。君で全員かな。ここの人はみんな若いんだねぇ。えっと、自分もよかったら仲間に入れてもらえないでしょうか。ちょっとこのご時世で、自分の家はあれなことになっちゃいまして」

 頭をかきながらにこにこと話している彼は、見た目は四〇歳くらいか。もし仲間に加われば、このホームセンターにおいては間違いなく最年長になるだろう。濃いめな色のジーパンにくたびれた白いシャツという出で立ちで、何やら重そうなバッグを背負っている。

「私達は基本的に、来る者拒まず去る者追わずです。ただし、我々の仲間になるのでしたら二つほどお願いがあります。ひとつは、身体検査をさせてください。噛み傷が無いかどうか調べるだけです。仮にあなたがキャリアーだった場合、我々はひとたまりもないですからね。もうひとつは、生活における様々な仕事をこなすこと。ここでは生活のための仕事をみんなで分担して行っています。それさえ守っていただければ、あとは自由です」

 リーダーがそう言うと、シノノメさんはすぐに首を縦に振った。

「もちろん、体はすみずみまで調べてもらって構わないし、バリバリ働きますぜ。あいつらが現れてからもう何ヶ月も仕事してないから、色々なまっちゃってしかたない」

「ありがとうございます。見たとおり私達は若いメンバーが多いので、年長者の知恵は大変ありがたい。それでは、さっそく身体検査をします。そうだな……メガネ、手伝ってくれるか?」

 突然の指名に驚きつつも、すぐに頷いた。足を挫いていても身体検査くらい出来る。

 僕らは、シノノメさんをつれて従業員控室に向かった。部屋に入ると鍵をかける。

「……すみません、検査のためには全裸になっていただく必要がありまして」

 リーダーが控えめに切り出す。そりゃそうだ、銭湯でもないのに一人だけ全裸にさせるなんてなかなか気まずい。

「いえいえ、大丈夫ですよ。それでは失礼して」

 そう言うと彼は、何のためらいも無く全裸になった。その身体を見て、僕もリーダーも少し固まった。

「すごい鍛えてるんですね」

 リーダーが小さくつぶやく。そうなのだ、先程までは服で隠れていて分からなかったが、彼はものすごいマッチョだった。

「ちょっとちょっと、そんなにまじまじと見られると、少し恥ずかしいって。さ、ちゃっちゃとお願いします」

「あ、すみません! よし、メガネ、調べよう」

 焦って頷くと、彼の身体を調べ始めた。正直、全裸のマッチョなおじさんの身体をまじまじと観察する趣味は僕にはない。しかしここで見落としがあれば大惨事になる。リーダーと手分けして、全身くまなくチェックする。

 そうして、全身のチェックが終わった。

「はい、ご協力ありがとうございます。見たところ、新しい噛み傷などは無いようです」

「それは良かった。自分じゃ全身は見えないから、噛まれた覚えはないけどやっぱり不安だったんで。いやー、安心しました」

 シノノメさんはそう言うと、服を着始めた。そういえば、自分が入ったときもこの儀式はあった。そのときはリーダーとササミが担当で、人前で脱ぎ慣れていない自分はかなり恥ずかしかった覚えがある。というか、人前で脱ぎ慣れている人なんてどれほどいるかは分からないが。いずれにせよ、忘れたい思い出だ。

「そういえば、みなさんはお互いのことをあだ名で呼ぶんですか。いやね、ほら、さっきメガネって呼んでたから」

「そうですね。特に明確なルールがあるわけじゃないですが。シノノメさんはどうしますか?」

「それじゃ俺は、なんか一人だけ年上みたいだし『おじさん』とかでいいですよ。なんかそんな感じで」

「おじさんってちょっとストレートですが……まぁ、じゃあ、おじさん、よろしくおねがいします。あとでみんなを紹介しますね」

 無事に身体検査を終えた僕らは、みんなのいる場所へと戻った。


 ここでは朝と昼は各自、夕食だけは当番制で誰かが作り、みんなで食べるルールになっている。一日一回は集まって、状況を共有したり明日のスケジュールを確認したりする。今日はマイお手製の野菜スープ。野菜は屋上菜園で取れた自家製のものだ。

「それでは、いただきます!」

 食事当番のマイちゃんの号令で、夕食がはじまった。

「それじゃ食べながらだけど、今日から新しく入った、えっと、おじさんにみんなで自己紹介しよう。おじさんもあとで自己紹介、よろしくおねがいしますね。ではさっそく、私から。どうも、みんなからは『リーダー』って呼ばれてます。別にリーダーと言っても、ここに住み着いたのが一番乗りだっただけなんですけどね。そのときの話は追々。元の仕事は外資系のIT企業で営業みたいなことやってました」

 その後もみな順番に自己紹介していく。自己紹介と言っても名前と一言程度の簡単なものだが、正直こういうのは苦手だ。自分の番が近づくにつれて緊張が高まる。頭の中でリハーサルを繰り返して、他の人が何を言ってるのかはよくわからなくなる。

「じゃあ、次はメガネ」

 リーダーの声で我に返る。何か話さなきゃ。

「は、はい。えっと、僕はメガネって呼ばれてます。ここに来たのは一番最後です。リボンさんの次、かな。メガネって呼ばれてるのは、これ、このMixorを今でもかけてるからで。これは視力矯正も兼ねてるからなんですけど、あとはEndless WorldっていうVRゲームにはまってて、暇なときはそれやってることが多いです。えっと、自分は工学系の大学生でした。そんな感じです、はい」

 ふぅ、と息を吐く。無事終わった、と思う。

「それでは、最後は俺の番かな」

 おじさんはみんなを見渡すと、話し始めた。

「どうもどうも、みなさん、改めて仲間に入れてくれてありがとう。えーっと、何を話そっかな。身体を使う系の仕事をしていたので、フィジカルには自信あります。奴らともタイマンなら戦えるかなと。料理とか家事はあんまり自分でやることがなかったけど、まぁそれなりには。こんな状況なんだけどね、できるだけ楽しんでいきたいと思ってるから、よろしく!」

 元気そうな人が入ったものだ。ササミに続き二人目の肉体派だ。

 家事をやることがなかったということは結婚してたのかな、と思い左手に目をやると、薬指に指輪をしているのが見えた。そういえばさっき身体検査をしたときにも見た気がする。それでもひとりでここに来たということがどういうことかを聞くほど、野暮ではない。

「ところで、さっそくだけどみんな、お酒とか飲む?」

 おじさんが切り出した。みな少し顔を見合わせて、ササミが答える。

「一応飲める人が多いかな。手に入る酒も限られてるし、酔っ払ってるといざというときに危ないからあんまり頻繁には飲まないけど」

 実際、僕がここに入ってから酒を飲む機会はほとんどなかった。というか、みんなで飲んだことは一度もない。夜中にリーダーとササミが飲んでいるのを見たことがある程度。リボンさんは飲むとどうなるのだろうか、少し興味はある。ちなみに、僕も飲めないことは無いしお酒も嫌いではないが、そういえばゾンビが現れてからは全然飲んでなかった。

 やはり、警戒心から酔ってしまうのを避けていたのかもしれない。

「よしよし。いやね、ここに来るときに家から良い酒持ってきたんだよね。どこかに仲間に入れてもらうにしても手ぶらじゃあ申し訳ないと思って。それじゃあ、明日あたり俺の歓迎会ってことで、ぱーっとやろう。つまみもいくつか持ってきたから」

 おじさんは、手でぐいっと飲む仕草をした。

「おお、いいですね。ありがとうございます。ぜひ、やりましょう」

 リーダーはこころなしか嬉しそう。明日は久しぶりの飲み会に決定したようだ。


 翌日、まだ少しだけ足が本調子じゃない僕がおじさんの研修係をすることになった。

 研修と言ってもホームセンターの案内や、仕事の説明などの簡単なものだ。初対面の人と一日過ごすというのは全力でお断りしたいところだが、これも仕事なのだから仕方ない。夜、久しぶりにお酒が飲めるというのを楽しみに頑張ることにする。

「それではまず、ここの案内をしますね。ここは全部で四階まであって、一階がドラッグストアとかカフェ、あとホームセンターの一部。二階が全部ホームセンターで、三階が家電量販店。四階がレストラン街って感じです。レストランとかはもう意味ないですが……」

「あー、ここ、前はよく来てたんだよね。家電量販店もワンフロアのわりに結構充実してるし。四階のさ、イタリア料理の店が好きで、結構行ったな。食べたことある?あそこのボロネーゼ、すごい美味しいんだよね」

「いえ、実は僕ここに来たのこれが初めてで、営業してるときは来たこと無くて」

「あ、そうなんだ。いつか復活したらぜひ行ってみて。ボロネーゼ」

 いつか復活したら、なんて想像したこともなかったけど、ここも元は家族連れで賑わう商業施設だったのだ、そんな未来もあるのかもしれない。

「復活したら……そうですね。はい」

 適当に相槌を打つ。

「あ、メガネくん、そんな日こないよって思ったでしょ。でもね、そんなこと無いよ。人間はこんな程度で滅ぶほどやわじゃないし、滅ばなければいつか元に戻る日は絶対来る。大事なのはその日まで生きていること、それだけだから。まぁ、それが難しいんだけど」

 おじさんのあまり前向きな発言に呆気にとられる。

「そこは頑張るしか無いけど、どうにかなるよ、きっと」

 やたらと楽観的なおじさんに愛想笑いを返すと、本題に戻った。

「それでは、仕事の説明しますね。まずは屋上菜園に――」

 それから半日ほどかけて、仕事の説明をひととおり行った。

「――これでだいたい以上です。分からないこととかありますか?」

「いやいや、ほんとに君たちはちゃんとした生活を送っているね。ここなら何年でも生き延びれそう。そしていつかボロネーゼ食べないと。……ねぇ、今日色々教えてもらったお礼に、この状況で生きていく上でのコツを教えてあげようか」

「コツ、ですか。食料が限られてるから無駄にエネルギーを消費しない、とかですか?」

「そういうのもあるけど、一番は今の状況を楽しむことかな。だってさ、こんなゾンビがうろついている街に取り残されるなんて、完全に映画やゲームの世界じゃん。この状況でもし自分が映画の登場人物だったらどんな役割なのかなって考えてみると、結構楽しいよ。まだ生きている時点で少なくとも序盤にゾンビになっちゃうちょい役じゃない。いつかすべてを乗り越えたあとでこの話が映画化されるとして、そのときに自分が何の役をやりたいのか考えてみるといいんじゃないかな」

「役、ですか……おじさんは何の役なんですか?」

「俺? 俺はねぇ、若者に良い話するちょっとうざいおじさんの役。でも最後は若者を助けて自分がゾンビになっちゃうんだよなぁ」


 その日の夜は予定通りおじさん持参の酒を使って、飲み会が催された。

「こんな良い天気だし、外で飲もうよ」

 というおじさんの提案により、屋上での開催となった。

 おじさんが持ってきた酒は、僕でも聞いたことがあるような高級なウイスキーから、名前もしらない日本酒まで様々。みんなもやはり珍しいようで、色々と試しているうちに気がつけば大人は全員出来上がっていた。

「マイちゃんはさぁ、飲まないの〜?」

 上機嫌のリボンさんがマイに絡みに行く。ここで唯一の未成年であるマイは、律儀にもお茶を飲んでいるようだった。

「私は、はい。やめときます。まだ未成年ですし」

「そんなぁ、もう法律とか関係ないってぇ。外見てごらんよ、ゾンビが歩いてるんだよぉ。全然だいじょうぶだってぇ」

 完全に酔っ払って親戚に酒を勧めるおじさんである。

「ちょっとうちの妹に悪影響だからやめなさい。ほら、あっちいって」

 さすがリーダーは酔っても冷静。

 一方あまりお酒に強くない僕は、端の方で船を漕いでいる。

「はーい、私、ゾンビ探してきます〜」

 そう言うと、リボンさんはふらふらと歩いていってしまった。

「かわいいゾンビいたら教えてねぇ!」

 おじさんが声をかける。かわいいゾンビって何だよ。

 その後、おじさんとササミの筋肉自慢対決がはじまり、最終的には今度みんなで筋トレしようという話で盛り上がった。絶対に参加したくないイベントだ。

 でも、こんなにみんなで楽しく話したのは久しぶりだ。ひとりだけシラフのマイも楽しそうにしている。

「あー、いましたよー。ゾンビ!たぶん、あれそう。絶対そうだよー」

 上の方から声がした。ふと声のしたほうを見ると、いつのまにか給水塔の上にリボンさんが立っている。物見台のつもりだろう。

「そんなところいるとあぶねーぞ。降りてきなって」

「だいじょうぶ、だいじょうぶだって!ほら私酔ってないしぃ」


 そう言ってリボンさんは一回転してみせようとして――足を滑らせた。


 一瞬の出来事だった。

 給水塔から足を踏みはずしたリボンさん。

 それを察知して駆け出すおじさん。

 給水塔から落ちてくるリボンさん。

 滑り込みでそれを受け止めるおじさん。

「ふぅ、危ない危ない。大丈夫だった?」

 おじさんの質問に、自分に何が起きたのかよく分かっていない様子のリボンさんは無言でうなずいている。

「おっとごめんね、今降ろすからね」

 お姫様抱っこの体制だったことに気が付き、おじさんがリボンさんを地面に降ろした。

「ちょっと飲ませ過ぎちゃったかな。今日はここらでお開きにしようか」

 おじさんの一言で、その日は解散となった。


 翌日。酔っていたこともあり、まだ昨晩の出来事が夢だったように思える。

 昨日のおじさんは、映画で言えば間違いなく主人公だった。

 指先一つ動かせなかった僕は、間違いなくモブキャラだ。

 でも、問題ない。だって僕には自分が主人公になれるもうひとつの世界がある。そっちにはゾンビもいないし。僕にとっては未来のボロネーゼより、仮想世界で食べるパンケーキのほうがご馳走だ。

 昨日は久しぶりにログインできてなかったので、今日はたっぷり遊ぶぞ。そう思ってEndless Worldを起動した。これからもずっと、こっちの世界で楽しく過ごすんだ。


――その時は、まさかそれが最後になるとは、夢にも思わなかったんだ。

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