第4話
年が明けたばかりの一月三日。
正月の特別番組にも飽き、もうすぐ冬休みが終わってしまうのに何もしていない自分に少し焦りを感じ始めていた頃。帰省先の仙台から一人暮らしをしている東京に戻り、早くも実家のご飯を恋しく思いながらカップラーメンをすすりつつ見たテレビのニュース。
初めてそのウイルスの話を聞いたのはその時だった。
うろ覚えだが、南米のどこかの国で未知のウイルスが発生した、みたいな内容だった。それほど大きなニュースではなく、WHOが調査に入っています、といって締めくくられたそのニュースは、その直後に報じられたUターンラッシュに関する話題ですぐにかき消された。
あとから知ったことだが、その国では国民も警察もみな銃を所持していたため、その場は一旦収まったようで、数日間はその話題が出なかった。
次に事態が動いたのが1週間後。冬休みがあけ、正月ボケと戦いながら大学に通いはじめた頃である。
先週、南米で発生したのと同様のウイルスが、アメリカ合衆国で発見された。北米南部の田舎町で、まるで人がゾンビのようになってしまったというニュースが報じられた、らしい。
しかし久しぶりの大学通いで疲れていて、そのニュースをすっかり見落としていた。ワイドショーなどではそれなりに盛り上がったらしいが、正直日本にいる僕らにとっては対岸の火事であった。
ニュースの続報を見たのはさらに数日が経ってからだった。一度は南部で封じ込めが成功したと思われていたゾンビウイルスが、アメリカ西海岸、サンフランシスコに飛び火したのだ。
サンフランシスコは人口九〇万人を擁する大都市で、またたく間にウイルスが広まった。そしてこれは日本でも、大きなニュースとなって取り上げられた。
米軍ではゾンビが発生した際の対応策が常に用意されているとのことで、大都市で発生したパンデミックの封じ込めはかなり迅速に行われた。ゴールデンゲートブリッジが封鎖され、サンフランシスコ周辺都市とその外部との通行の一切が禁じられたのだ。
しかし当時はまだゾンビ化した人間を射殺することの是非といったものすら議論されていたような時期だった。封じ込めによって多くの未感染者を見捨てるなどとてもじゃないが受け入れられなかった。アメリカ政府は当然の措置として、症状が出ていない未感染者を該当地区から外に避難させた。
これがいけなかった。
しばらく後になって分かったことだが、このゾンビウイルスには症状が出ないが感染を振りまく、サイレントキャリア、と呼ばれるタイプの感染者が存在する。彼らは何らかの方法で感染したものの、自身は一切症状が出ず、しかし他人にはウイルスを感染させるのだ。
こうしてアメリカ西海岸を脱出したウイルスは、世界中に飛び火することとなる。
このウイルスが太平洋を横断してはるばる日本、東京までたどり着くのに、そう時間はかからなかった。初めて東京でゾンビが発生したのは一月末。
それが最初にどこで発生したのかがわからないほどのスピードで感染は広がったらしく、国内最初のひとり、は明らかになっていない。いずれにせよ、誰かがアメリカから持ち込んだのだろう。当時感染者はみなゾンビになると考えられていたため、本格的な渡航制限が行われていなかったのだ。
正直、この頃はアメリカでのゾンビ騒ぎをすっかり対岸の火事だと思っていた。むしろアメリカでバイオハザードとかウォーキング・デッドみたいな世界が実現していることに、少しワクワクすらしていたのだ。そんな状態だったので、国内でゾンビウイルス発生というニュース通知がスマホに来たときは、かなり焦ったものだ。
通知を受けたときは偶然にもスーパーで買い物中だった。急いでありったけの缶詰をカゴに詰め込むと、他にも日持ちしそうな食料を買いあさり、家路を急いだ。後から考えれば、これはかなり正解だった。ゾンビ発生のニュースからすぐ、街中のスーパーで買い占めが起こったのだ。それにその少し後にはもう街中のスーパーが営業を停止することになる。
さて、東京は世界でも有数の人口密集地である。都内での感染拡大を防げないと判断した政府はあっさりと東京を放棄した。
まずは政府機関を隣の神奈川県に移すと、東京自体を封鎖した。東京都と他県との境に大規模なバリケードをはり、通行の一切を禁じたのである。これはカリフォルニアと同じ対策だが、ひとつ大きな違いがあった。
それは、無症状の人間の避難も同時に禁じた、という点だ。
代わりに政府は都内にいくつかのシェルターを作り、無症状の人間はそこに避難するように促した。これは一時的な措置であり、安全が確認されればシェルターから開放して東京の外に避難できる、というのが政府の発表であった。
二月初旬、都内の避難所をベースに多数作られたシェルターに、人が殺到した。
ところで、こういったウイルス対策で一番やっていけないことのひとつが、「人を集める」ということだ。なぜなら万が一感染者がいた場合、集まった人々が全滅する感染爆発が生じる危険性があるからだ。これはもちろん、政府の対策チームも知っていたはずで、「都内にシェルターを作る」というのは「都外にひとりも出さない」ための苦肉の策であった。
そうして、当然の結果として多くのシェルターで感染爆発が生じた。
二月最初の週が終わる頃には、都内はもう手がつけられない状態になった。
都内で生き残っているのは運良く感染者がいなかったシェルターに逃げた人、もしくはこれを予想してシェルターに逃げず、自宅などに閉じこもった人のみとなった。
正直シェルターでの感染爆発を予想していたわけではないのだが、単純に知らない人と生活するのが嫌だったこと、まだ缶詰の残りがたくさんあったこと、そしてマンションの三階という比較的安全な立地に住んでいたこともあり、シェルターには行かなかった。
テレビでは連日、ヘリコプターから見た東京の様子と政府の動きを伝えていたが、ひとつ、またひとつと放送局内で感染爆発が起こり、二月中旬を過ぎた頃には都内キー局は全て放送を終了した。
この頃は家でずっとTwitterかEndless Worldをしていた。
引きこもりをはじめた当初、これは積みゲーを消化する好機と意気込んで昼夜を問わずゲームをしていたが、無限にあると思っていた積みゲーを思いの外すぐに消化してしまい、昨年からたまに遊んでいたオープンワールド日常VRゲームのEndless Worldが生活の中心になった。Endless Worldはオンライン要素もあるものの、基本的に接するキャラクターの多くは高度なAIを積んだNPCであり、コミュニケーションが苦手な僕でも気軽に遊ぶことができたのだった。
Twitterは引きこもり生活において外の状況を把握する唯一の手段として役に立った。なんとか今のところ政府はゾンビの抑え込みに成功しているようで、何度か都外で発生したゾンビも、自衛隊による早期対応によって鎮圧されているとのこと。国内全ての空港を閉鎖して諸外国との人の出入りを完全に断った結果、国中がゾンビだらけになるという最悪の危機は今のところ避けられているようだった。
三月中旬、比較的暖かい春を感じさせる晴れの日、家を出ることにした。
理由はふたつ。
まず缶詰が底を尽きた。正確には焼き鳥缶がふたつ、サバ缶がひとつ残っていたが、これは最後の装備として取っておくことにした。ちなみに余談だが、缶詰の大半が低糖質高タンパクな魚、肉類だったこともあり、このころは特に運動もしてないのに細マッチョになっていた。
そしてもうひとつ、インターネットの接続が切れた。家の近くの基地局がゾンビに襲われたのかもしれない。コミュ障ながらもそれまでTwitterで外部の人とつながっていたので、急にとても寂しくなった。気づけばリアルで誰かと話したのはもう数ヶ月も前。誰かに会いたい、話したいという気持ちが強くなっていた。
そんなわけで、どこか食料があって人がいそうなところを目指すことにした。
普通に考えれば近所のシェルターを目指すところだが、その頃はもう機能しているシェルターのほうが少なくなっていた。感染爆発が起きて全滅したところが大半だったが、そうでなくとも食料が足りず、治安が悪化しているシェルターが多いという情報をTwitterで見ていた。そんなところにはあまり行きたくない。
狙いは、少人数で自律した組織を作っている場所。
ひとつ、心当たりがあった。以前、Twitterで『豊洲のホームセンターに少数のチームがいる』という情報をみていたのだ。
自宅から豊洲までは歩いて三〇分程度。平時ならちょっとしたお散歩といった距離である。いまはゾンビに捕まることはあっても赤信号に捕まることはないし、自転車を使えばあっという間だ。
家を出てマンションの駐輪場に向かう。少し不安だったが、そこには幸運なことに誰もいなかった。駐輪場のような狭いところで襲われたらひとたまりもない。
自転車の鍵を外すと、慎重に外の通りに出た。マンションを出るのは実に三ヶ月ぶりで、引きこもり生活による運動不足もあいまって少し立ちくらみがする。太陽が眩しい。
家の前の通りにも誰もいない。人間も、ゾンビも。案外誰にも会わずにたどり着けるかも。そんな淡い期待を抱きながら、自転車のペダルを漕ぐ足に力を入れた。
結果から言えば、ほとんどゾンビに出会うことはなかった。ほとんど、というのは実際には数体と出会ったということだが、いずれも動きが鈍かったので、自転車の足を止めない限り全く脅威ではなかった。走るゾンビ、というのは案外レアなのかもしれない。
豊洲橋を渡る途中で複数体のゾンビに出くわしたときは肝を冷やしたが、幸い橋はかなり幅が広かったので、何食わぬ顔でやつらの横をすり抜けて事なきを得た。
そうして、ホームセンター「マイホーム豊洲」にたどり着き、ちょうど正面入り口のバリケードを点検していたササミに声をかけて、めでたく彼らの仲間に加わった。
◇
そうして数ヶ月がすぎ、現在は足を挫いて療養中。といっても骨折などをしている様子はなく、きちんと安静にしていれば治りそうな様子だ。
本当はひたすらEndless Worldをやっていたいところだが、今は三階の家電量販店でマイのゲーム相手をしている。本日はマリオカート。
「ちょっと、ふざけんじゃないわよ。なんであそこで青甲羅投げるの。ばっかじゃないの。どうせ1位になれないんだからおとなしくしてなさいよ。せっかく独走してたのに2位になったじゃん」
「え、でもアイテム使わないと次のアイテム取れないし」
「もっかいやるわよ。次はもうちょっとうまくやりなさいよ」
普段ストーリー重視のRPGやアドベンチャーゲームばかりやるタイプなので、正直こういうアクション性の強いゲームは得意ではない。そもそもマリオカートなんていう友達が必要なゲームを最後にやったのはいつだったか。
しかしやってみると意外と楽しいもので、ゲームを終える頃にはカーブをドリフトで曲がれるようになっていた。
「結局一度も勝てなかったね」
ため息をつきながらコントローラーを置いた。
「でも最後は二位まで来たんだから、次までにちゃんと特訓しておきなさいよ。じゃあ、そろそろ私は夕飯の支度をしなきゃ」
マイは立ち上がると、足早に去って行った。
次があるということは、彼女もなんだかんだ楽しめたようで良かった。彼女の兄であるリーダーは結構やることがあるらしく、こうやってマイの遊び相手をすることがたびたびある。メンバーの中では比較的年齢が近いこともあり話しやすいのだろう。今どきの女子高生にしてはゲーム通の彼女にはいつも負けてばかりだったが。
さて、彼女の言う通りもう少しドリフトの特訓を続けようかという考えもよぎったが、せっかく一人になったのだから、と思い直した。夕飯までの時間、あっち側に行くことにしよう。
健康家電コーナーに移動すると、電源のついていないマッサージチェアに座り、Endless Worldを起動した。
◇
シルバーウィークを終え、九月も残りわずか。
バイトが一段落した記念に、美咲と付き合うきっかけとなったバンド「Blue Monsters」のライブに向かったのだった。
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