第2話

 さて、第一次防衛ラインが突破されたようだ。

 たしかにパトロールをしたときは柵の点検はできなかった。柵にほころびがあったのだろうか。そう思ってもう一度、窓から駐車場を見てみる。

 よくよく見ると、駐車場の内側に見覚えのある赤くて丸いものが落ちている。

――防犯ブザー。

 たしかに柵の外に投げたつもりだったが、風か、何かの拍子で柵の中に移動してしまったようだ。そしてそれを追いかけたゾンビが柵を破壊した、と。

 つまり、これは僕のミスだ。

「次に防犯ブザー使うときは何かおもりをくっつけて使う必要があるな」

 リーダーがつぶやいた。こういうときに怒るのではなく冷静に対応策を考える、リーダーのこういうところは気に入っている。

「作戦を立てよう。みんな、ちょっと集まってくれ」

 リーダーが声をかける。

「なるべく戦闘は避けたい。危険だし、倒したとしても死体の処理が面倒だ。追い出すのを目的にしよう。誰か案はある?」

「追い出すならやっぱりドローンじゃないか。ドローンから音を出して誘導して、やつらを柵の外まで運ぶってのはどうだろう。ここから操作すれば安全に追い出せる」

「追い出した後で柵を修理する必要があるね。修理している間の安全も考えないと…」

 次々と議論が進んでいく。ここでの生活も数ヶ月が過ぎ、こういった事態にも慣れてきている。どうにかなるだろうという空気が広がっていることに少し安堵する。

 今回の原因を作ったのは自分だが、こういうとき発言することは殆どない。決まったことに従うのみだ。

 すぐに方針が決まった。

 まずは二階の窓からドローンを飛ばし、音を出してゾンビを柵の外、数ブロック離れたところまで誘導する。

 ゾンビがいなくなったことを確認したら、駐車場に出るドア前に待機している柵修理班まで無線で連絡。

 柵修理班は駐車場に出て、速やかに柵を修理。そして撤収。

 あとは、誰が何をやるのかである。こちらもリーダーが口火を切る。

「ドローンの操作は俺がやろう。柵の修理は誰かやってくれるか」

 原因を作ったのは自分だ、名乗り出ないわけにはいかない。無言のまま手を挙げる。

「ありがとう。メガネの他に、もう一人くらいいたほうがいいんだけど」

 リーダーがあたりを見渡すと、数秒の沈黙の後、一人が手を挙げた。

「私も行く。久しぶりに外の空気も吸いたいし」

 リボンさんだ。こんな僕にもたまに声をかけてくれる優しいお姉さん。お姉さん、といっても本当に年上かどうかは分からないが。優しいだけでなく、ゾンビにも物怖じしない強さがある、頼もしい人だ。

「助かる。では作戦決行は午後一時にしよう。それまでにこちらはドローンの準備をしておくから、二人は柵の修理に必要そうなものを集めておいてくれ」

 リーダーの言葉とともに、その場は一旦解散となった。

「それじゃ、材料を集めに行きましょうか」

 リボンさんに声をかけられる。こちらとしては二人きりは少し気まずいが、おそらく彼女はそう思っていないだろう。少し頑張って声をかける。

「……まずはワイヤーですかね」

「そうね。それを持ち運ぶための台車か袋も必要ね。あと工具」

 二人で無人のホームセンターを探索する。

「昨日はパトロール中にゾンビが来ちゃうなんて最難だったわね。襲われなくてよかった」

「でもちゃんと対処できてなくて、柵壊されちゃったので……。すみません」

「仕方ないわ、運が悪かったのよ。生きてるのが一番大事」

 責めるどころか身の安全を心配してくれるリボンさんに恐縮しながらも、目当てのものを目指す。大体の商品の位置は覚えている。

「私は工具を取ってくるから、メガネくんはワイヤーと台車をお願い」

 『メガネくん』とは僕のことだ。常にMRグラス「Mixor」をかけたまま生活していることから付けられた名前。ほんの数ヶ月前まではみな同じだったが、インターネットが使えなくなった今となってはMixorをつけたままな人は少数派である。

 ちなみにリボンさんは頭にリボンの髪留めをつけているからリボン。ここでは皆、こういったあだ名で呼び合っている。特に話し合って決めたわけじゃないが、必要以上に深く関わらないようにしようという配慮が無意識に生まれているのかもしれない。

 ワイヤーを手頃な台車に乗せると、そいつを裏口前まで運んだ。もちろんエレベーターは止まっているので階段で。なかなかに重労働だったが、なんとか準備完了。

 作戦開始の午後一時までまだ時間がある。昼飯の缶詰をさっと食べると、少しだけ「あちら側」に行っておくことにした。Mixorのアラームを一二時四五分にセットして、VRゲーム「Endless World」を起動する。透明だった視界が一気に黒くなり、反射的に目を閉じた。


    ◇


 目を開けると、そこはカフェ、シュガーハウス。目の前には山のような生クリーム。そうだ、こっちでも食事の時間だった。俺は思い切って生クリームの塊にフォークを突き立てて、口に運ぶ。Mixorには味覚フィードバックが無いのだが、なんとなく甘いものを食べたような気分になるから不思議だ。

「美味しいでしょ。ここの生クリーム、なんだったか良い卵とか使ってるらしいよ」

 彼女が曖昧な情報を伝えてくれながら、にこにこと笑っている。生クリームを口に運びながら、直前までの会話がなんだったかを思い出している。うーん、なんだったっけ。パンケーキの話だっけ。

「それでさ、来月の話なんだけど、ご飯食べるだけじゃなくてどこか遊びに行きたいな」

 美咲が言う。そうだ、来月の半年記念日の話をしていたんだった。

「そうだね。どこにいこっか」

 どこの場所だったら実装されてるんだろう。辺鄙な場所、例えば月とか、そういうのを提案したらどうなるんだろうという好奇心が頭をもたげる。

「俺は月に行ってみたいなぁ」どうだ。VRなら行けるんじゃないのか。

「月いいね。私も行ってみたい。行ければね」

 彼女は笑っている。冗談だと思われたようだ。それはそうだろう。ここはVR世界だが、かなり現実に忠実に作ってある。魔法も使えないし、モンスターもいない、空だって飛べないのだ。

「そうだなぁ。そういえば、美咲の家に遊びに行ってみたい、かも」

「それはだめ。お父さんとお母さんいるし、あんまり綺麗じゃないから……」

 そうなのだ。このゲームは全年齢対応だ。エロもなければグロもない、お部屋デートだって無い。残念無念。

 脳内で愚痴りつつ、記念日に行く場所を考えた。そうすると無難に、

「水族館は?」

「いいね、水族館。池袋のところ行きたい。空を飛んでいるペンギンが見れるところ」

 空を飛んでいるペンギン? 何を言ってるんだ。この世界のペンギンは空を飛ぶのか。全くもって現実に忠実じゃないぞ。

 不可解そうな顔をしていると、美咲がいたずらっ子のような顔をして言った。

「最近のペンギンは空を飛ぶんだよ。知らなかった?」

 なんだか腑に落ちないが、俺は納得した顔をしてパンケーキとの戦いに戻った。いくら味覚フィードバックが無いといっても、何度も生クリームを口に運んでいるとだんだん満腹感を感じてくる。

 コーヒーで口直ししようと思って店員に声をかけたとき、世界に半透明の膜がかかった。【ALARM 12:45】という文字が点滅している。

 名残惜しいが、リアルでの仕事がある。一旦離脱しよう。

 操作メニューを出すと「Endless World」をバックグラウンドに追いやった。


    ◇


 世界と僕を隔てるガラスが、また透明になった。これはおそらく現実だ。

 目の前にはリボンさんがいた。

「そろそろだね」

「そろそろですね」

 なんとも落ち着いたものだ。作戦開始まであと少しあるので、リボンさんと話をしてみる。あちら側から戻ってきたばかりの自分は、リア充の気分が残っているのかコミュ力が一時的に上昇しているのだ。

「リボンさんはその、怖くないんですか? 外に出るの」

「それは怖いよ。怖いけど、でも少し麻痺しちゃってるかも。あとちょっと覚悟というか、諦めみたいな感覚はあるのかもしれない」

「諦め、ですか?」

 彼女の口から発せられた意外な単語に首を傾げる。

「たまにね、思うの。こんなふうになっちゃった世界で生きててこれから何か楽しいことあるのかな、って。もちろん自分から死ぬ気はないけど。でもそれって勇気がないだけかも。死ぬ勇気がないから生きてるだけ。私ね、前はたくさん人生に楽しみなことあったんだけど、いまは全部なくなっちゃったの。だからもし運悪く襲われても、あんまり未練ないなー、みたいな」

 少し驚いた。リボンさんがそんなことを考えていることにではない。それよりも、こんなにストレートに自分の気持ちを僕に打ち明けてくれたことに驚いたのだ。

「ごめんね、変なこと言って。だからかな、私、いつもメガネの向こうで幸せそうにしているメガネくんのことが、ちょっとだけ羨ましいの」

 言葉を返せずにいると、無線機からリーダーの声がした。

「二人とも、時間だ。これからドローンを飛ばす。ゾンビを誘導できたらまた連絡する」

 作戦がはじまった。

 無線を切ると、リボンさんが何かを思いついたようにくすりと笑う。

「でもよく考えたら、『ゾンビを追い出してバリケードを修復する』なんて、こんなゲームみたいなこと普通に生活していたら体験できなかったな。これはこれで楽しいのかもね。ミッションクリア目指してがんばろう!」

「そ、そうですね」

 よかった、いつものリボンさんだ。安心すると、これからやることを頭の中で整理した。

 まず、修復箇所を確認する。二階から見た限り、それほど大規模には壊れていなかったはずだ。おそらく柵に穴が空いてしまっているので、そこにひたすらワイヤーを張り巡らす。それで終わり。順調に行けば三〇分もかからないだろう。

 外からドローンが発する音が聞こえてくる。音楽ではなくビープ音のような何とも不快な音だが、こいつがなかなか良くゾンビを引きつける。ゾンビはどちらかといえば高音に反応するのかもしれない。ビープ音に続いてゾンビのうめき声が聞こえてくる。

 徐々にビープ音が遠ざかっていく。そろそろやつらは駐車場を出ただろうか。

 リボンさんと二人、裏口の内側で待つこと一〇分。無線機のランプが再び点灯した。

「お待たせ。なんとかやつらを引き離すことに成功した。いまは三ブロック先あたりにいるよ。すまないがやつらが柵から出るときに少し柵の穴が広がってしまったかもしれない。もう少しドローンの通信距離ギリギリまで引き離してみる。二人は作業を開始してくれ」

 了解。無線機に向かって簡潔に答えると裏口のドアを開けた。昨晩のような慎重さは必要ない。

 荷物を持って駐車場に出ると二階の窓を見上げてみる。身を乗り出してドローンを操作しているリーダーが見える。こちらに向かって手を振っているので、軽く会釈して柵に向き直る。

 実際に柵についてみると、穴はなかなかに大きかった。

「じゃあ、私がワイヤーをカットするから、メガネくんが張っていく係でいい?」

「それで、大丈夫です」

 作業を始める。六月も中旬。今日も雨は降らず、むしろ六月らしからぬ快晴でかなり暑い。黙々とワイヤーを穴の空いた柵に張っていく。

 やつらは力がかなり強いので、本気を出せばこんな柵すぐに破ることができる。ただ、基本的にはあてもなく彷徨っているだけなので、何かきっかけが無い限り柵を突き破ってくることはないのだ。そう、例えば柵の内側で防犯ブザーが鳴っているとか、そういうきっかけがない限り。

 

 ふと、なにかのプロペラ音のようなものが聞こえてきた。

 顔を上げると、頭上を何かが飛んでいる。ドローンだ。リーダーがドローンを帰還させたのかと思って焦るが、いつもチームで使っているものとは違うもののようだ。

 実は、この謎のドローンを一ヶ月ほど前からたびたび見かけるようになっていた。誰が何の目的で飛ばしているのかは分からない。初めて見つけたときは僕らの中でも話題になったものだが、今となっては日常風景になっている。

 謎のドローンは特にとどまること無く、すぐにホームセンターを飛び越えてどこかに飛んでいった。


 それにしても暑い。

 体力に自信のない僕にとって、ワイヤーを張るのはそれなりに重労働だ。

「何か飲み物でも持ってくればよかったですね。あと汗拭きタオル」そんな軽口を叩きながら後ろを振り返り、リボンさんからワイヤーを受け取る。

「タオルは貴重だよ。洗濯だって気軽には出来ないんだから」とリボンさん。

 そうなんだよな。飲み物もタオルもこの世界ではすでに高級品なのだということを再認識して、作業を再開する。

「うぅぅ……」

 唸り声が聞こえた。

「いくら暑いからって変な声出さないでよ、メガネくん。びっくりしたじゃ……」

 リボンさんの声が途中で止まる。リボンさんが柵の外を見て固まっている。

「どうしました?」

 と呟きながら僕も顔を上げる。


 視線の先、三〇メートルほど離れたところ。

 二体のゾンビが体をゆらしながらこちらを見ていた。

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