空飛ぶペンギンとエンドレス・アンデットワールド

彩川楽和

1. アンデッド

第1話

 時刻は二三時。

 頭の中で今回のミッションの内容を確認する。

――西側駐車場付近の夜間パトロール。

 パトロールミッションはすでに何度もこなしている。やつらとの戦闘はおろか、遭遇することも殆どない。比較的簡単な任務だ。

 右手を顔の正面に配置し、手首をひねる。目の前の空間に浮かび上がるメニューからマップアイコンを選ぶと、視界の隅にパトロール区域のマップが表示された。これを塗りつぶすように移動していけば良い。といっても今回のマップは単純だ。

 一階に降りると裏口に続く廊下、その入り口にはバリケードがある。

 バリケードは適当な机を重ねて鉄線で縛ったような簡単なものだが、やつらには効果的だ。このバリケードの先、裏口のドアまでの五〇メートルが、第二次防衛ライン。

 万が一裏口を突破されても、この五〇メートルの中でやつらは立ち往生することになる。

 もっともそこまで入られた場合やつらを追い返す術はなく、戦闘は避けられない。あまり考えたくないシナリオだ。

 バリケードの鉄線がゆるんでいないことを確認する。

 積み重なる机の隙間から反対側をライトで照らすが、動くものの気配はない。少し安心して、バリケードをよじ登って乗り越える。

 裏口には無数の閂が内側かけられている。ここからがパトロールの本番だ。

 ズボンのポケットに忍ばせた防犯ブザーを確認する。念のため、ドアの脇に立て掛けてあるスコップも持っていこう。懐中電灯を左手に持ち替えると、右手でスコップを装備した。アイテムはこれで全部。

 本当はショットガンか、せめてハンドガン程度は欲しいところだが、舞台は日本。そんなものが容易に手に入るはずもない。

 閂を全てはずすとドアをゆっくりと開けた。

 生ぬるい6月の風が吹き込んでくる。

 最近続いていた雨が今日は降っておらず、安堵する。雨が降っていると視界が悪く、パトロールも面倒になるからだ。

 ドアの外には駐車場がある。元々は社員用のもので、車が十台ほど停められる小規模なものだ。現在、車が一台だけ停まっている。白のハイエース。以前から停まっていたもので、稀に発生する調達ミッションで使うこともある。

 駐車場の入口にはワイヤーによる柵が張られている。これが第一次防衛ライン。今日の任務は、駐車場内のパトロールと、柵の点検だ。

 ドアから顔を出して駐車場をざっと見渡す。一見やつらはいなさそうだ。駐車場に出るとハイエースに近づく。駐車場唯一の死角がこの車の陰だ。スコップを持つ手に力が入る。ゆっくりとハイエースを一周する。よかった、誰もいない。

 念には念を入れてハイエースの下を覗き込むが、猫一匹隠れていなかった。というよりやつらには車の下に隠れて人を襲うような知性は残っていない、はずだ。

 残るは、柵の点検のみ。

 今日も何事もなさそうだな。と、柵に足を向けた、そのとき。

――ジャリッ。

 自分のではない足音が聞こえた。おそらく柵の向こうからだ。

 とっさに懐中電灯を消して身を低くする。

 先程まで灯りをつけていたせいで目が暗闇に慣れていないが、足音は徐々に近づいてくるのがわかる。

 息を潜め、目が慣れるのを待つ。

 数秒の後ぼんやりと人影が見えてくる。


 やつら――ゾンビだ。


 今回は遭遇イベントあるのか。心のなかで悪態をつきつつ、思考を巡らせる。

 この世界のゾンビは視力が悪く、聴力を頼りに行動する傾向にある。夜間であることもあり、おそらく自分はまだ見つかっていない。しかし仮に物音を立ててしまえば、暗闇にも関わらず一目散にこちらに向かってくるだろう。

 人影から敵はおそらく一体。戦闘せずにやり過ごすのが理想的な勝利だ。とにかく音を立てず、息を潜めて通り過ぎてくれるのを待つことにする。

 そうして、何分が経っただろうか。

 やつは行ったり来たり、駐車場の前のあたりをうろうろしている。

 遠ざかる気配が無い。

 スコップを持つ手が汗ばんできた。もしかしたら走ってドアに向かえば敵は振り切れるかもしれない、という思考が頭をよぎる。

 しかし、その場合は追ってくるゾンビによって駐車場の柵が壊されてしまう可能性がある。大きなマイナスポイントだ。それは避けたい。そもそも万が一にも追いつかれたら、その場でデッドエンドだ。

――仕方ない、か。

 手に持っていたスコップと懐中電灯を慎重に、慎重に地面に置く。

 スコップが存外大きな音を立てる。

 全身から汗が吹き出す。

 唇をかみしめて息を殺す。

 ポケットに手を入れて、目当てのものを取り出す。防犯ブザーだ。

 こいつを鳴らして、柵の向こう、できるだけ遠いところに投げることができればこちらの勝ちだ。ゾンビは防犯ブザーが止まるまでそいつの虜になる。

 ただし、ブザーが万が一こちら側に落ちてしまったらアウト。自分は逃げられるが、柵は壊されてしまうだろう。自慢じゃないが球技はあまり得意ではない。

 一か八かだ。

 ゆっくりと立ち上がると、しっかりと柵の外を見る。

 祈るような気持ちで防犯ブザーのピンを引き抜くと、思いっきり振りかぶって柵の向こうめがけて投げた。

――入った!

 間違いない。柵を越えた。

 少しぎりぎりだったが、防犯ブザーは柵の向こう側でけたたましく鳴っている。

 目論見通りゾンビはゆっくりと防犯ブザーのほうに近づくと、辺りをうろうろとしはじめた。

 急いで懐中電灯を地面から取り上げると、足早に、しかし音を立てないようにしながら建物の入口に向かう。中に入るとドアを慎重に締めて、閂をすべて戻す。

――よかった。逃げ切った。

 肺の中の空気をすべて吐き出す。止めていた呼吸を再開する。

 みんながいる二階に向かおう。柵の点検は出来なかったが、駐車場の中に侵入しているゾンビがいないことは確認したし、侵入しそうなやつもひとり対処した。上出来だろう。

 部屋に戻ると、リーダーに声をかける。

「問題なかったです。一体外にいたからブザー使っちゃいました。」

 簡単に報告すると、リーダーは「そうか、ありがとう。」と相づちをする。ミッションクリアだ。

 疲れ果てて部屋の隅に座ると、また右手首を顔の正面に上げる。くいっくいっ、と手首を捻ってメニューを操作する。

 

 視界がふっと暗くなる。ゆっくりと瞼を閉じる。


    ◇


 数秒後、再び目をあけるとそこはいつもの食堂だった。

 平凡な日常の再開である。

 時計を見ると、午後の講義がはじまりそうな時間である。

「そろそろ行くよ。次の講義は建物遠いんだから。」

 横を見ると、美咲がこちらを見ている。「さっきまでゾンビと緊迫の遭遇イベントをこなしてたんだよね」と言うと、彼女はいたずらっ子のような顔で答える。

 「ゾンビなら私は昨日、二体倒したよ」

 なんとも言えないような苦笑いを返す。二人で食堂を出て講義棟を目指す。

「そういえば、今日の放課後は開いてる? 新しくできたカフェに行ってみたくて」

「ごめん、今日はバイトなんだ」

「『今日は』じゃなくて『今日も』でしょ。分かった。また結衣と行ってくる」

「ほんとごめんな。あとちょっとで暇になるから」

「来月の予定、忘れてないよね?」

「もちろん、もちろんだよ。あ、でも今日も午後の講義サボればカフェ行けるかもよ?」

「それは駄目」

 そんな会話をしていると、あっという間に講義棟にたどり着いた。

 俺と美咲は工学部の二年生。情報系の学科に所属している。俺にとって、幼少期から慣れ親しんでいるコンピュータを専門的に扱う大学の講義は、面白くもあり、退屈でもあり。しかし、うんうんと唸りながら難しい顔をして講義を聞いている美咲の顔を見るのは嫌いじゃない。

 授業の内容はすでに良く知っているデータ構造の基礎についてのものだった。放課後にするバイトに思いを馳せる。バイトでは先輩が立ち上げたベンチャー企業のWebサービスのプログラミングを手伝っている。なかなかブラックなバイト先だが金払いは良い。バイトの身でありながらコアのプログラムを任せてもらっているのは密かな自慢だ。

 最近アルゴリズム的に詰まっている部分があって、さて、どうやって実装したものかなと考えていると、「スポッ」という気の抜けた音ともに目の前のPCに通知が来た。隣に座っている美咲から授業の内容についての質問だ。自分で説明するのが億劫だったので、うまく解説している技術ブログのURLを貼って返してやる。

 彼女からお礼のスタンプが送られてくる。スタンプの絵柄は最近はやっているブサカワ猫のキャラクターだった。彼女のほうを見るとこちらを見て変な顔をしている。おそらくスタンプのモノマネだろう。思わず微笑んでしまった。

 美咲の変顔も堪能したので、残りの講義はスキップ。さっさとバイト先に向かうことにした。

 最近バイトを頑張っているのは、給料が良いとか欲しい物があるとかそういうのもあるが、今となっては仕事内容が楽しいというのが大きな理由である。バイトではデジタルツインというものに関するシミュレーションシステムを開発している。

 バイト先は大学から電車で一五分、山手線沿線の駅近くにあるワンフロアの小さなオフィスだ。エンジニアは自分を入れて三名。オフィスに着くと、挨拶も早々にPCを立ち上げ「さて、今日もがんばりますかな」と腕まくりをした。


 数日後、久しぶりのバイト休み。

 駅前に出来たカフェ、シュガーハウスに美咲と来ていた。

「このあいだ結衣とふたりで来たんだけど、パンケーキがすごく美味しかった。種類がたくさんあるから別のも食べてみたくって」

「本当にたくさん種類があるな」

「こんどはどれを食べようかな」

 美咲はいつになく真剣な表情でメニューを眺めている。一方俺は初めて行った店ではメニューの一番上のものを頼む、という自分ルールに従ってさっさと決めてしまった。

「そういえばさ、来月のお店予約したよ。楽しみにしててよ」

 そう言うと彼女は期待半分、不安半分といった目でこちらを見てきた。

「ほんとに? 楽しみにしてるからね!」

 そう、来月一〇月一二日は俺らが付き合いだして半年の記念日なのだ。

 大学の工学部はほとんど男子校といってよいほど男子率が高く、女子は美咲を入れても数えるほどしかいない。ただ同じ学部にいる時点で話が合うということもあり、男女の仲は良く、美咲とも学部の飲み会などで話すことがたびたびあった。

 そんなある日、彼女がどうしても行きたい好きなバンドのライブがあるが、おそらくチケットが手に入らなくて悲しんでいるという話を聞いた。どうやらサイトでの購入が早いもの勝ちで、すぐに売り切れてしまうらしい。

 当時バイトもしておらず暇だった俺は、自動でチケットを購入するプログラムを作ってプレゼントした。

 チケットは無事に買うことができた。ただ、ひとつプログラムにミスがあった。チケットは一枚で良いところ、二枚買ってしまったのだ。それで、俺は彼女と一緒にライブに行くことになった。

 そこで俺もそのバンドにハマり、二人でカラオケに行ったりするようになり、なんやかんやあり付き合うことになったのが四月一二日。

 ちなみに付き合ったときに、例のチケット購入プログラムのミスが『わざと』だったことをきちんと謝罪した。

 そんなわけで、今は彼女と二人でパンケーキなどを食べに来ている。

「お、おまたせしました……!」

 彼女とのエピソードに思いを巡らせていると、カフェの店員がパンケーキを運んできた。開店したばかりで慣れていないのか、店員も少々危なっかしい。しかしそれも仕方ないかもしれない。なぜならパンケーキの上には一五センチほどの生クリームの山が乗っているのだ。

「これがこのお店のパンケーキの特徴なの。メガ盛り生クリーム」

 美咲は目を輝かせているが、こちらはすでに胃もたれしそうだ。これはコーヒーをおかわりする必要があるかも。

 覚悟を決めて、フォークを持ち、生クリームをひとくち食べようとした、そのとき。

「……おい。」

 天から声が聞こえた。

「……おいっ!」

 体ががくんと揺れて、世界が傾く。

 続いて、ブラックアウト。


    ◇


ゴーグルが外れた。


「おい、駐車場の柵が破られたぞ。君がパトロールしたところだ」

 誰かの声がする。

 何があったって? いま生クリームを食べようとして――

「聞いてるのか。君がさっき見てきた西側の柵だ。やつらが二、三体集まってる。どうにかしないと」

 リーダーの声だ。

 ようやく理解できた。

――そっか、そうか。

 ずっと座っていて固くなった体を叩き起こし、窓に近づいてみる。

 身を乗り出して下を見ると、たしかにいる。柵の内側に三体。ゾンビだ。

 ソンビはたまに低いうめき声をあげながら、あてもなく駐車場をさまよっている。


 そう、こちらが僕が生きている現実世界。


 ゾンビがいる世界だ。

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