古都
優雅な曲線と繊細な彫刻を多用した共和国と様相を一変して、西汗国の都は簡素な直線主体の町並みだった。地味で平凡かと思えばそうでもなく、時折はっと驚くような抽象芸術が姿を現し、文化の程度ではなく趣向に差があるだけと思い知らされる。
水蒸気を空に盛大にはきながら路面汽車が鈴なりの乗客を運び、車掌は乗り逃げを出さないようきびきびくるくるせわしなく停車のたびに客車の内外を走り回っている。運賃は乗る時にきまった額を受け取るきまりになっている。速度があまりでないため、勝手に飛び乗って来るもので、車掌に運賃の小銭を渡さず勝手に降りるものもたまにいる。
気づいた車掌はちょうどそこにいかめしい顔で交通整理や警邏、警戒立ち番をしている警官がいればその乗り逃げ犯を指差して叫ぶし、いなければため息をつく。警官は乗り逃げ犯を捕まえると運賃の三倍を徴収し、その半分を街鉄会社にわたして残りは自分の懐にいれてよい取り決めになっているが、不正の温床であると問題視されている。街頭の許可済み掲示板にはそのことについての演説会の告知が掲出されていた。
三人をのせた三台の人力車はそういうエキゾチックな風俗に目を輝かせるキク、相変わらず無関心なヨシスケ、そして古い町並みが消えて新しいものに置き換わっているのをきょろきょろ確かめる幻遊斎をのせて、目抜き通りの宿からだんだん寂しくなる旧市街へと走った。
ついたのは一件の古式騒然たる武家屋敷。国王にあたる汗に仕えていた戦士階級の威圧的な門をくぐると、そこは掃き清められた広い玄関である。両脇にはきれいな植え込みがあるが、それはどうみても銃眼にしかみえない窓のついた漆喰塗りの壁の足下にあるのだ。
昔は門の脇の小さな控え室に門番がいたのだろうが、当世そんな者を雇う余裕もあるわけがない。
作家は玄関ドアを少し強めにたたいて大きな音をひびかせた。
しん、と静まり返っている。キクは珍しそうに屋敷の造作や植え込みの手入れを眺め、ヨシスケは砦のような屋敷の防御施設の名残に油断のない目配りをしていた。
かたんと音がして玄関の覗き窓があく。老人の目がいぶかしげにむけられ、同時にかんぬきをがたがたはずす音が聞こえた。
「ご無沙汰をいたしました、伯父上」
姿を現した小柄な老人に作家はひざまづいて古式ゆかしく礼をした。
「うむ、電報は受け取っておる。そちらがお客人か」
しわがれた、しかしはりのある声で老人は長上のものらしく答えた。
「神聖共和国は帝都西通家のキクともうします」
「同じく西通家に寄食するヨシスケともうす」
キクとヨシスケは共和国の礼儀にのっとて挨拶をした。
「うむ、はるばるようおいでなされた。わしがこの家の主のロウジョウです」
ついてきなさい、と老人は彼らを奥へといざなった。
「あれからおまえの書いた本を少しよんだ」
暗く長い廊下を先導しながら老人は作家にそういった。
「内容は実にばかばかしい。が、そなたに古典と雅文を教えておいてよかったと思うぞ」
「そ、そうですか」
ほめられてるのかけなされてるのかよくわからず、作家はしどろもどろになる。少し後で冷静になってからようやくほめられていると悟った次第。教えたことを使いこなしているということだ。
このときの作家は何か設問を出されたのかと焦って気がつかなかった。
「共和国から戻ってくることはないが、あちらできちんと家族を持ちなさい。大事なことだ」
「はぁ」
庭が見えるよう雨戸の開け放たれた応接室に彼らは通された。香炉からうっすら一筋の煙があがって芳香がただよっている。茶の用意まであった。
「さて、用向きを伺いましょう」
ここまでこの小柄で隙のない老人の威厳に飲まれ気味だった三人は、ようやく言葉を取り戻したかのようであった。
「その話も読みました。年を取らない人間とは実にばかばかしい話です」
作家が聞いているのと同じ話を聞いた老人はそう言った。冷静そのものの指摘だった。
「しかし幼かった我が甥には不思議に見えたのでしょう。あの男はあまり老けて見える者ではなかったから」
「なるほど、いま、その方はどちらにおられましょう? 」
「さて」
老人は宙をじっと眺めて思い出をまさぐっているようである。
「一昨年、店を畳んで田舎で隠居すると挨拶にきよったな。このご時世で、店はいい値で売れたらしい。身の回りを世話するものを田舎で安くやとって死ぬまで好きな書道三昧とかいうておったわ。ちょっとまちたまえ」
老人は違い棚でほこりをかぶっている文箱をとってきてその中につまっていた手書きの名刺をばさばさとめくった。
「ああ、これだ」
力強い墨痕のあざやかな文字で住所が書かれ、名前が書かれている。
「この住所、ひかえさせていただいてよろしゅうございましょうか? 」
キクの言葉に老碩学は不思議そうな顔をした。
「どうしても会ってみたいのかね? 」
「はい。もうずいぶん探していますからいまさら無駄足の一つ二つ増えてもどうということはございません」
「いきなり押し掛けても会おうとせぬかもしれぬぞ」
「かまいませぬ」
「もう他界しておるかもしれぬ。あるいは耄けてしまっておるやもしれぬ」
「いっさいかまいませぬ」
「会うだけかね? 」
キクはここで初めてためらいを見せた。ちらりとヨシスケを一瞥する。
「もし、探している仁ならば、話をしたいと存じます」
ヨシスケが代わって答えた。
「話をするだけかね? 何を話すか知らぬが、聞き入れぬといったときはどうするのかね」
「そのときはやむをえますまい。帰るまでです」
「それを信じよと? 」
「はい」
「ふむ」
碩学はあごひげをひねって少し考えてからこう言った。
「貴公らを疑う理由も信じる理由もない。少し考えるゆえ明日またきておくれ。宿はとっておるかえ? 」
「いえ、まだ」
「そうか、ではよい宿があるゆえ一筆紹介状をかこう。おまえ、案内してやってくれ」
さらさらと便せんにかかれた名前は作家も知る老舗旅館だった。
「一見じゃ泊めてくれないところだ」
「最近は共和国人の常連も多い。居心地は保証しよう」
「ご好意かたじけない」
「うむ、明日は昼を食べたあとにきてくれたまえ。朝は来客があるでな」
「ヨロズ、調査解決イタシマス」
幻遊斎はビルの窓にかかれたそんな言葉を見上げてぼーっとしていた。
この新しい職業は私諜、というそうだ。
もう向こう三軒両隣、気心しれた住人ばかりでないこの時代に、商売結婚さまざまな相手の素行調査や身上調査、時には盗品の行方を追跡したり、警察のおおざっぱな調査に満足できない被害者や遺族による詳細調査などもやるらしい。
このビルは昔、くだんの商人の事務所のあった場所である。古い商家であったのだが、それはもう跡形もなく、かようなモダンな建物が現出し、店舗や事務所がいくつも入っている。
その私諜事務所から先ほど出てきたばかりで、彼はとても疲れていた。
私諜の仕事を聞いたときに連想したのは、警官が心付けをやったり、微罪を見逃すかわりに手先に使っている町の与太者どもだった。窃盗、スリ、恐喝などやる彼らはそれぞれ人のことを探り出す特技の持ち主といえよう。やり方はまるでほめられたものではないが。
ところが私諜はそんなやくざな印象からほど遠い知的な人物だった。礼儀もわきまえて品性卑しからず、しかもそれらに付け焼刃的な薄っぺらさがない。それなりの良家に生まれ、きちんと教育を受けた人物であるようだ。
(年齢のわりに妙に威厳のある人だったな)
あれはどういう人物だろう。最後の戦争とその後の荒波に翻弄されて彼がかつての敵国でものかきという位置に漂着したように私諜という仕事に流れ着いた貴種なのかもしれない。
作家は手帳を出すと、ああでもないこうでもないとプロフィールを空想し始めた。
(私諜を主人公にした小説か、新しいかもしれん)
彼らが私諜事務所を訪れたのはくだんの商人の所在を知るためだった。何か手がかりがあるかもしれないと言い張るヨシスケにおしきられるように店の跡地に案内され、その看板を見つけ、だめもとで依頼に入ったのである。
「ほう、この場所の前の持ち主、今は隠居して田舎暮らし。で、必要なことはなんですか? 」
写真、隠居先までの交通手段、ヨシスケがいくつかならべるのを聞き取っては私諜は整理し、こうではないかと尋ねる。おおむねヨシスケも了解した。
「だいたいわかりました。おそらく明日の夕方には調査がおわっていると思います。お越し下さい」
私諜は快活にそう答えた。
「早いね」
「なるべく早く知りたいのでしょう? だらだら無駄に日にちだけかけて日当を稼ごうなんてケチなまねを私はいたしません」
「それはありがたい。よろしくお願いします」
ヨシスケと私諜は握手をして、キクと作家はちょっと置き去りにされた感があった。
その二人にも私諜はきちんと挨拶したし、職業病か観察されている気配も感じた。
「頭のいい男だ」
出たところで、あんまり人物評をしないヨシスケが感心してそう言った。
「共和国にはいないタイプね」
「こっちこないかな」
「あはは、そうなるといいわね。ね、幻遊斎先生」
ふられて作家はうなった。
「うーん、私の作品は昔の汗国のエキゾチックさもあるから受けてると思うのですよ。だから彼がこの町で活躍するのと、共和国に移るのとどっちがいいかはなんとも言えませんな」
キクとヨシスケはちらっと視線をかわして微笑んだ。二人の間にどんな符丁があるのかわからないが、作家はちょっと不愉快だった。
そもそもこの二人の関係はさっぱりわからない。男女の関係でないことは察せられた。かわす視線も言葉も、情をかよわすような気配はかけらもない。何か秘密を共有している、という実感はあるが、それがなにかは見当もつかない。
そもそも、キクはなんのために来ているのか。ヨシスケは身内をさがしているという。そのヨシスケより上にいるらしいキクの目的は? 二人の共有する秘密は重いもののようだが、色気ぬきのそれとはいったいなにか。
このキクという活発な精神の女性を描くならどうかくか。
(ちょっと死んだばあちゃんに似てるんだが、そりゃ失礼すぎる感想だなぁ)
いつも元気で好奇心が強く、歯のない口をあけて心から楽しそうに笑う老婆であった。彼はその死を思い出してしばしじんとなる。
祖母の死は避難民として、路上でのことだった。それでも家族が見守る中でのことだった。意識が混濁する直前まで泣き言も恨み言もいわず、子供や孫を励ましときにうっかり笑ってしまうような冗談も言う毅然とした人だった。
「あら、お迎えが来たよ。おじいさんの若いころにそっくりのえらい男前だこと」
これがはっきりいった最後の言葉だった。
あれは二つの国の最後の戦争だった。両国の主戦派は疲弊しつくし、人々の心は離れ、それまで下品で取り締まるべきものとされていた文化と宗教に奉仕していた哲学が結びつき、不便な生活を改善するための自然哲学技術の時代がやってきた。その発展は不自然なほど早く、新しい有力者層がうまれて戦争はなし崩しに終わった。
もともと禁止抑止されていたものが、戦争による統制崩壊に伴って放出され、あとはただ実用化の試行錯誤をするだけだったためだという学者もいる。そしてその野方図な発展を憂慮する世代も確かにいる。
しかし古い制度はもう取り返しのつかないほどに崩壊した。幻遊斎の父祖も営々と汗国、天帝教のとある卑しからぬ階級に身分と職能を持っていたが、そんなものはとっくに消え去り、同じ仕事はタイプライターを備えた事務室に執務する新しい学校卒業者たちがより効率的にこなしている。戦争で百年を越えて修繕と改築、増築を繰り返してきた屋敷も焼け、今はもうどこにあったかもわからない。
そうやって行き場のなくなった古い知識階層はやむなく新しい時代の新しい仕事に活路を求めていった。
あの私諜も元はそういう身分のある出自であったのだろう。
そのような人に昔日のことを聞くのははばかられることであった。私諜のほうもたぶん、彼の身上について似たような推測をたてて遠慮はしたのだろう。もしかすると幻遊斎名義の作品を読んだこともあるかもしれない。
(おたがいを詮索しない仲の友人と、敵方として結果的に詮索をしていくことになる同輩)
彼はまたひとつ新しい話の構想を進めた。
紹介された宿に部屋を取ると、彼は観光にでようという誘いを断って机に向かった。そのままほとんど翌朝まで、眠そうな顔をいっさい見せない宿の者に茶や夜食を用意させながら一気に第一話を書き上げる。
さすがに翌朝には眠り込んでしまい、目がさめればもう昼近い時間だった。さすがに空腹を覚えて食堂におりた作家は、キクとヨシスケがどこか外出から戻ってきて食事を取っているのを見つけた。
ことわって同席し、髭をそらなきゃなと思いながら給仕に食べたいものを注文する。
「よく寝ておられましたね」
「ずいぶん夜更かししてしまいました」
「熟睡してしまってなんだかもうしわけないわ」
キクはころころと笑う。ヨシスケは相変わらず仕込みの杖を手元から話さず寡黙である。
「どちらから、ゆかれましたか? 」
「天帝教の旧聖学堂を見学してまいりました。立派な建物なのに、ずいぶん傷んでてちょっと残念でしたわ」
「そういえば、もう使われてないのでしたね。でなければ部外者が入れるはずがない」
「ええ、建物を買い取った大商人が維持費のためにお布施をとって公開しています。幻遊斎先生はご覧になったことがございますか? 」
「いえ」
嘘だった。ほんの一年二年のことだったが、彼はそこで教えを受けたことがある。香がたきしめられ、掃き清められ、おそろしいほど厳粛な静謐に包まれた厳粛な場所だった。朗々と声をあげるのは教師のみ、生徒は声をひそめて最低限の会話のみ見逃されていたにすぎない。
最後の戦争が始まって、彼の学業はそこで終わったし、父祖と同じ仕事につくということもなくなった。
「今はあたらしい学校で教えておるな。わしもたまに特別講義を依頼される」
食後、身なりを整えて再訪した老碩学はにこにこ笑いながらそう言った。
「古いほうは百年以上使われておったが、ちと手狭な上に不便なところもおおくてな、まあそうなる。大事にとっておくのもどうかと思うぞ」
思い入れなどまるでないようだ。
「数は多くありませんが、お布施をはらって見学している人がおりましたよ。調度など、たいへんよろしい建物だと思いましたわ」
「だが、廃墟だ。廃墟のままにしておくのはちと悲しい。全く違うものにするか、壊してしまってほしいと思っております」
「さようですか」
キクはそれ以上何もいわなかった。かわりに、昨日の返答をもらいにきたことを控えめに思い出させた。
「保険つきでよければ、会いに行かれるが良い」
碩学は明快に返事した。
「保険、とは? 」
「わしの指定する者を同道されよ」
二人の視線が作家に集まる。
「いや、わが甥ではない」
老人は笑ってかぶりをふった。
「あなたがたがこやつにどこまでつきあうよう依頼したか知らぬが、それとは別に確かな者にいってもらうつもりなのだ」
「どのような方でしょう」
「わしの教え子で御史局を休職中のものがおってな、趣味であちこちの言葉や民話を集めておる。ちょうどあのへんはまだいっておらんというので、頼むことにした」
「御史局、ですか」
それは官吏の仕事の監査と防諜を主とする部署である。キクとヨシスケの眉がくもった。
「いやであれば、これまでとしたい」
「いえ」
ヨシスケがびっくりするほど唐突に声をあげた。
「それでよろしいです」
「よろしい。話はきまった」
老碩学は名刺を一枚出した。
「あとでこの者がゆく。行き方は彼が知っておる」
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