precious...光の記憶

 久しぶりの夢だった。銀髪の勇者ルイは懐かしい情景の中に入り込んでいた。

 忘れかけていたあの日の出来事。父親直々の厳しい剣の鍛錬が終わった後、ルイは王城の屋上にて焼け爛れる赤い空と暮れゆく王都を物憂げに眺めていたのだ。

 不意に後方から人の気配がしたのだ。恐る恐る振り向くとそこには、

「フランクか。驚かせるなよ」

 赤いローブを纏った見知った人物が悪気のない笑顔を浮かべていたのだ。ルイはやれやれと息を吐いた。

「いつ現れるかわからない邪神の魔の手から常にエリオット王家をお守りするのが王家聖守護者の役目ですので」

「とはいっても他の守護者と比べてフランクの場合はもはや監視だな」

「やり過ぎと思われる程が丁度いいのです、他の者達は平和だと浮かれ仕事に手を抜きすぎです。ともあれ本日も激しい鍛錬、誠にお疲れ様でございます」

 この男にどこかから見守られている事は知りつつも、ぼぅっとしてるところを驚かされるのはもはや恒例である。常識であれば王族に対して無礼な行為であるのだが、ルイはそ堅苦しい礼節が嫌いだったのと彼とはそういったものを通り越した厚い信頼関係にあるため、実の兄弟がいたならばこうやってじゃれあいをしたのだろうか、という風にしか思っていなかった。

「全くだ。剣士隊十人に対し俺一人で相手をさせるとは、父上もどうかしている」

 ルイは不満げに唇を尖らせて言った。

「王は殿下の素晴らしき剣才が必ずや邪神からメネスを守る大樹になるであろうと期待なさっているのです。現にあの人数を相手に勝利を収めているではありませんか」

 そして、フランクの言葉へげんなりとした。

 先代エリオット家の後継ぎ達は何事もなく生涯を終えるまで、何度その使命をことある事に聞かされたのだろう。

「メネスを守る大樹、ねぇ」

「どうしたのです、神妙な表情をされて」

 きょとんとした顔のフランクに尋ねられたルイは溜めこんだ思いを語り出した。

「二人の英雄が勝利して何百年の月日が経ったが、邪神とやらは一向に現れる気配がないぞ。これじゃ俺やお前ら聖霊術士にしろ、いくら剣技や聖霊術の鍛錬をつもうが肝心の使う相手が現れないんじゃ、無意味だ」

 人間達は幾時の年月を邪神に備えて過ごしてきた。聖霊術士として才ある者はアルター神への信仰心も相俟って積極的にアルター教団の聖霊術士養成所へ入って聖霊術を学び、エリオット王家の人間はいつ霊剣の使い手をなってもいいよう、厳しい武術の鍛錬を受ける。

 しかしシュマは一向に姿を見せない。国内では邪神は死んでいく前に負け惜しみのセリフを吐いただけだという説は常識として広まっていた。本当はもう存在しない邪神へ振り回されているかもしれないのだ。

 問われたフランクも思う点があるのか、首を傾げてうーんと唸った。

「おっしゃる通り。邪神は依然と姿を見せない。もしや今世にはすでにいないのかも」

「だろ。王家も教団も、出るかわからん曖昧な存在に一体いつまで怯え続けるのだ」

「ですが――人間を油断させる邪神の策であるかもしれません」

 フランクの出した答えもまた、考えられる可能性の一つでもあったのだ。

「う、成程な。考えられる」

 指摘されたルイは邪神襲来の未来を思い浮かべると、憂鬱そうに肩を落とした。このうえない気の滅入りようである。

「はぁ、不安だ」

「お気を確かに、殿下」

 フランクは一向に顔をあげないルイを心配して近づくと、

「フランクよ、俺は恐い。見た事すらない邪神がたまらなく恐い」

 ルイはそのままの姿勢で声を絞り出した。偽りなき本音、王家として生まれ育った者が生涯胸に抱き続けるであろう底のない不安感。だからこそルイにとっては嘘であってほしかった。大昔に起こった戦いがイマも続き、有事の際には自分が霊剣を手に取り終止符を打つ者に選ばられる事になるなろうとは――

「殿下……」

 若くして王家聖守護者に抜擢された男は言葉に詰まった。無理もない、その重圧は王族以外の者では推し測れないものだ。そしてルイは話を続ける。

「父上もいい歳だ。いざ戦うとなれば王族からは俺が選ばれるだろう。フランクよ、地を砕き人を一振りで薙ぎ払った凶悪な邪神に果たして勝てるのだろうか?」

 率直な疑問であり死活問題。言い伝えだけが残り、実際にどれ程強いのかすら不明瞭。

 フランクは両目を瞑り腕を組んで思案した後、自身の見解を述べる。

「ふむ。邪神はかの英雄達が三日三晩かけてやっと追い詰めるまでに至ったといいます。その際に残していった不吉な予言も気になりますし」

「怨魂を操る力を受け継ぐ者が現れるというアレだな。奴め、こうしている間にも計画を進めているしれない」

 増長する懸念にルイは両手で頭を抱える。だが彼の不安因子を、フランクの言葉が取り除いたのだった。

「ですが殿下、心配無用です。霊剣の使い手を補佐するため、親愛なるペロムから神と対話する術を受け継いできた我々聖霊術士がついております」

 フランクが片膝をついて深々と頭を垂れた。ルイは心からの忠誠心に感嘆する。

「機が来たのならメネスの平和を永遠にするため、共に邪神を滅ぼしましょう」

 ここまで言われたのならば、民を総べるものとして臆病風に吹かれてはいけないとルイは決心した。英雄の末裔が物怖じしていては下の者に示しがつかない。

「ありがとう。そうか、そうだよな。俺には頼もしい仲間達がついているんだ」

 笑みを見せるルイ。余裕を取り戻した彼に安堵したフランクは、天へと祈りを捧げる。

(大昔とは違う。今はアルターの恩恵を受けたたくさんの心強い味方がいるんだ) 

 そしてルイは眼下に広がる夕焼けに染まった美しい都ナダンへと再び視線を移した。

 邪神が来ようともこの目に見える景色全てを守る。そう強く誓ったあの日――何時からか記憶からはじき出された在りし日の日常、そんな日々が確かにあった。

 空が、街が、城が、悲劇に落ちる前の彼が少しずつ白くなって消える。

 現実に戻っていくのだ。戦いはまだ終わっていない。

「むぅ」

 ルイの瞳が開いた。薄暗い天井が視界を占領する。何回か瞬きを繰り返し、ここは家主を失った家屋の一室である事を認識すると、ベッドの上で上体を起こし目を擦った。

「夢、か。また随分と昔だったな」

 つい先程まで彼の頭の中で展開していたいつかの情景を思い返す。アメリと胸襟を開いて話し合い、ようやく心の整理がつき現実と向き合えたのにあのような夢を見てしまうのは、それ程強く後悔の念が残っていたからなのだろうと。

 だが今のルイには少女の兄を救う決意を、更に強固にさせる一因としかならなかった。

(待ってろよフランク。お前も必ず助けてみせる)

 拳を握りしめて打倒邪神への静かな闘志を燃やしたルイは、隣のベッドで神獣ビノと抱き合って熟睡しているアメリを見つめると、再びベッドへ仰向けになり瞳を閉じた。

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