愚神礼賛

 ルイは旧王宮から出てきたアメリと斧を持ったディムを視界に捉えた時、心臓が止まるような心地になった。

 アメリが殺されてしまう、早急に助けなければと瞬時に判断し覚醒した霊剣の衝撃波を放つ。天罰の光が巨悪を挫いた――勇者は窮地に立たされていたアメリを、間一髪のところで救出する事に成功したのだ。

「アメリ、しっかりしろ!」

 勇者は腕の中にいる空虚な瞳をした相棒へ懸命に声を掛ける。

 青ざめた石膏のような顔色。艶を失い乱れた亜麻色の髪。力なく垂れた手に、擦り切れたローブ。一時とはいえ大切な人と失ったショックを受けたあげく、極限の状態へ置かれたアメリの姿は酷くやつれていた。

「私は大丈夫です。陛下が不思議な力を使って助けてくれましたから」

 それでもアメリ本人は精一杯の頬笑みを見せる。敗北して死亡したと思っていた勇者が生きていてくれたという現実がたまらなく嬉しかった。

 身体の各所を見ても大きな傷はない。ルイの険しい眉が少しだけ解けた。

「間に合って良かった。うん、突然神の声が聴こえてきたと思ったら、聖なる閃光を発現できるようになったんだ」

「え、アルター様が?」

 アメリが目を白黒とさせ、勇者が静かに頷いた。

「驚いたよ。理由はわからないが、これも君を救いたいという願いが届いたのかな」

 そして、彼は黒い瞳を潤ませて、

「本当に済まなかった。恐かっただろうに。俺は君に二度までも嘘をついてしまった」

 アメリに心から謝った。もう僅かでも遅れていたら、廃墟の中ですでに処刑されていたと、考えただけで気が気でなかったのだ。

 それでも涙を流す聖霊術士の少女は勇者の自責の念を笑顔で吹き飛ばした。

「逆ですよ。どんな逆境におかれたって、ルイ殿下は私に必ず光を見せてくれるんですから」

「――アメリ。本当に、済まなかった」

 アメリの思いやりの大きさにルイは頭が上がらない。

 込み上げてくる涙を抑えて鼻を啜り、目頭を拭った直後――

「よくもやってくれたな勇者ァ。さてはこの騒ぎもお前の仕業か!」

 どこからか、仕留めたはずの敵の喚き声らしき音が聴こえてきたのだ。

 ルイとアメリはぎょっとしたように顔を見合わせた。

(まさか!)

 ルイは意識を切り替えてすぐに奇声の方向へ視線を定める。

 途端に表情が厳しいものとなる。いつのまに上がったのか、朽ち果ての王宮の頂に、霊剣の閃光を受けて尚も健在の棘仮面がいたのだ。

「そろそろ昇天する頃と思ったら……どういう事だ。アレが通じていないだと?」

 ムットを一撃で倒した必殺剣をくらっても、まるで意にもかいせず平気でいられる葬民が存在する現実に動揺を禁じ得ない。

「そんな。アイツ、どれだけ加護の力に耐えきるというの……」

 アメリがため息を漏らした。ルイは彼女に視線を寄せて説明を促す。

「ディムは聖なる加護への耐久性が他の葬民と段違いなんです。アイツは私の霊護符にも耐え切っていました」

「葬民の長の中でも格が違うというワケか。やっかいな奴だ」

 言って勇者はアメリを持ち上げた。そして、敵の動きを窺いながら隙を見て建物の残骸の影に移動し、彼女をそっと地面に寝かせた。

「申し訳ないがここで待っていてくれ。戦いが終わってからここまでの経緯を話そう」

「はい。聖アルター神に殿下の御武運を祈りながら待っています」

 無言で頷いた勇者は深呼吸をして精神を落ち着かせた後、鞘から霊剣を取りだした。

「では行ってくる」

 ルイは振り返らずにアメリへ一言だけ告げて、再び戦場へと歩いていった。

 ディムは手足をばたつかせて子供のように暴れている。勇者は威風堂々と前へ出た。

「どこに隠れやがった。出てこい、負け犬の臆病者が!」

「俺はここにいるぞ、葬民の長よ」

 声に反応して視線を彷徨わせたディムは、ようやく勇者の姿を確認すると舌打ちをし、頂から地表へすっと降りた。

「さっきは不意打ちどうも。話には聞いてない強力な加護の力だったね。おかげでシュマ様から頂いた頑強なこの体が溶けてしまうかと思った」

「そいつは残念だ。そのまま消えてしまえば楽になれたのにな」

「君こそとっくに死んだんじゃなかったのか。ま、ここにいるって事はジーナみたいにムットの役立たずがしくじったと、どうせそうなんだろ?」

「驚いたな。よくわかってるじゃないか。奴は俺がこの手で倒した」

「ふん。ムットといいジーナといい、シュマ様への恩義をあだで返す屑ばかりだ」

 言って、ディムは自身の頭全体を覆っていた棘仮面を外して後方に投げた。

 露になる死人色の素顔。脂ぎった黒い長髪、ギラギラと赤く濁った眼球、青紫色の分厚い唇。少年のような声色とは不釣り合いの無精髭だらけで痩せこけた顔は世捨て人そのものだった。

「自己紹介が遅れたね。僕はディム、生前は髑髏教徒なんて酷い名前で呼ばれてたんだけどさ、知ってたりする?」

 ディムが口元を彫り上げ、意味深な笑みを浮かべる。

 明かされた名に対しルイは眉間に皺を寄せ、嫌な汗を背中へかいた。

 自身の代に生きた人物ではない。それでもヴァネッサ同様に覚えがあった名前だ。

「髑髏教徒ディム。父上から聞いた記憶がある。昼間は聖霊術士としてメネスの教会で聖職活動に励み、夜は闇に紛れて年頃の娘を襲い、首を切断した後に自宅地下にて頭蓋へ絵を描いていたというあの狂人か」

「御父上も覚えてらっしゃったんだね。さぁ、永遠に語り継がれる天才芸術家に拍手を」

 ディムがわざとらしく大袈裟な拍手をして自分自身を称えた。

 ヴァネッサがメネス犯罪史において表の重罪人だとしたら、ディムは闇に葬られた裏の重罪人だ。当時、首が切断された女性の遺体が朝焼けの街で発見させる事件が相次いだ。被害者は決まって若い女性のみ。予告なしの気まぐれに起こる狂気的通り魔事件に人々は震えあがったが、教団は事件を秘密裏に処理した。そしていつのまにか消え去った首狩り事件はやがて人々の記憶に伝説として残ったのである。

 陰湿かつ残虐極まる犯罪を聖霊教会に所属する者が起こしたという現実。アルター教団史における大汚点だ。王族および教団上層部、関係者一部しか事の結末を知らない。

 決して公にはできない禁忌とされたのだ。

「生前は楽しませてもらったよ……いや、本当の楽しみはこれからか」

 狂人の亡霊は自己の存在を大きく誇示するかのようにばっと両手を広げる。

「これから全世界が偽善神を信仰する愚かな生贄の血で染まり、本当の神に選ばれし者のみが清浄土という安寧の地に送られる。神々しいだろ、これこそ壮大な殺人芸術の集大成だよ。僕は選ばれし者の一人、そして君達は神に見放された哀れな孤児なのさ!」

 ディムが意気揚々と語った大仰な話へ、ルイの黒い瞳は怒りに燃えた。

「やはり清浄土か。よく信じれたものだよ。邪神が貴様らを都合よく動かそうと作った幻影の言葉をな」

 勇者は「ハァッ」と雄叫をあげ霊剣を光輝かせた。自分の意思で力を覚醒させたのだ。 

「覚悟しろ、ディムよ。勇者の名において貴様の魂を浄化してやる」

「すぐに現実を教えてあげるよ。君に奥の手があるなら、僕もとっておきを見せてあげる」

 言い切ると、ディムはボロボロの衣服から黒光りした小さな真球を取り出して、それを口の中へと放ったのである。

(何だアレは。いや、とっておきを見せると奴は言った。これは――)

 嫌な予感がした勇者は本能を信じてすぐに駆けだしたが、ふいに未知の恐怖を感じとって、立ちどまったのだ。

 そして瞠目する。突如としてディムの五体が激しく痙攣を起こしのである。口から泡を吹き、まるで踊るかのようにその場で何度も手足をばたつかせた彼は、元の声とは程遠い邪悪な声色を出して勇者を指差した。

「己の美学を追及し続けた男の華麗なる真の姿を、とくと焼き付けるがいいさ」

 より邪悪な存在へ近づく変化か。亡霊の背中が膨れ上がり死肉を突き破って蝙蝠を思わせる翼が生えた。手足の筋肉は異様に発達し、尻からは醜悪な灰色の鋭い尾が突き出た。胴体部分にはいくつもの裂け目が発生したが、その部分には大小様々な大きさの血走った瞳が生まれる。そして頭部は脱皮する昆虫の如く、元の葬民のような蜥蜴の頭へと変化を遂げたのだった。

 真っ黒な歯を光らせたディムは、大きな翼で風を起こして真上に飛び立つと、唖然と進化する様を眺めていたルイへ戦闘開始を宣告した。

「さぁ死亡遊戯を始めよう。シュマ様の加護を穢れきったその身で感じな」

 息つく暇はない。勇者へ狙いを定めた長い尾が、槍で突くように攻撃を開始する。

 ルイは初撃を紙一重で回避し霊剣で宙に浮くディムを切り払ったものの、続く反撃の刃は難なく避けられてしまった。

「遅いねッ」

 ディムは翼をはためかせて空高く舞い上がった。

「ちッ。ならば!」

 勇者はすかさず覚醒した霊剣を振るい、聖なる円形を創るが――

「低能が。遅すぎるって言ってるだろう」

 空中にいるディムは旋回して光の噴煙から逃れたのだ。

 邪神の化身は勢いに乗り、風圧を発生させながらルイへと滑空攻撃を仕掛けた。

(なんて速さだ! けど――)

 凄まじい速度からなる猛撃。それでも勇者は狼狽えなかった。

 いかに聖なる加護への耐性が他の葬民とは段違いとはいえ、攻撃を全く受けつけないという意味ではないと。加えてディムはアメリを助けた時に放ったを閃光をくらって、多少なりとも弱っているのは確かだ。

(所詮は葬民だ、勝算は十分ある。もって数回、最終的にディムを押しきれるハズ)

 勇者は霊剣の加護を絶対的なものだと信じていた。

 力を過信しすぎて、敵の能力を低く見積もってしまうまでに。

「残念でしたぁ」

「ぐぁッ!?」

 ディムが身体を器用に捻り、正面から待ち構えていた勇者の一閃を寸前で避けると同時に、足を引っ掻けたのだ。絶好の機会を逃すはずがない。地上へ着地した後、丸太のように太い手で勇者へ殴りかかった。

「そらそらそらそら!」

「くッ」

 重い拳が雨となって勇者へと降り注いだ。勇者は当然霊剣で防御する――

「霊剣を掴んだだと!?」

「えへへ」

 完全な想定外だった。まさか葬民が聖なる加護そのものである霊剣へ、触れるどころか素手で握ったのだ。

 流石に無傷とまではいかないのか、蜥蜴の手の皮膚は少しだけ溶け出し、青白い煙を出している。しかし痛の内には入らないのか、動じてすらいないのだ。

「こいつ……!」

 超人的握力に捕まり逃れられない。加えて腕力差でも圧倒され徐々に押し倒される。

「何を驚く? これが信じた神への加護の差ってやつだ。霊剣なんて抑えてしまえばこっちのものッ」

 邪神の化身は有鱗目のような赤い瞳を細めた。勇者の額に汗がにじむ。

「僕をヴァネッサやムットなんかと同格に見てたのかな。だとしたら失礼な話だよ」

 デイムは突として勢いよく跳び跳ねた。ルイはふいをつかれて身体のバランスを失い、後方に転倒した。

(しまった)

 そして愕然とする。拍子に頼みの綱である霊剣も彼の手から離れていったのだ。

「死ねぃッ」

 鋭利かつ鞭のようにしなやかな尾がルイの頭部を掠る。

 霊剣は手の届かない場所――列柱の残骸の脇に落ちたのだ。対抗手段を失ってしまった勇者は、両手を使って下がりながらまたは身体を回転させて尾による攻撃をかろうじて避け続ける。 

(このままだと――)

 死は免れない。壊れた鎧を脱ぎ捨てた今、どんな一撃はでも決定的な致命傷となってしまう。

 葬民を倒す手段はアルターの加護を受けたモノ以外存在しないのだ。

(まだまだッ。霊剣を手に取るまでの時間さえあれば!)

 勇者は動揺と焦りをできるだけ抑え、

「ほらほら串刺しになるよッ。よくもそのザマでシュマ様を――ウゴォッ!?」

 優勢による油断で集中力が緩んでいたディムの顎を下から蹴りあげた。

 好機。勇者は敵が倒れた隙をついて起き上ると、霊剣が落ちている場所まで走った。

 随分と離れてしまったが、あと僅かだ。全力疾走の勢いを利用して滑り込んだが、

「御苦労サマ。少しは良い夢を見れたかな」

 手は伸ばせなかった。事はまたしても思い通りには行かない。悪霊が、霊剣の前に着地したのだから。

「こ、こんな……」

 絶句。なんという跳躍力だろうか。勇者の顔が悲愴に歪んだ。

 正義の灯が消えようとしている。遊びながら獲物を追い詰めたディムは霊剣を明後日の方向へ投げ捨てると黒歯を光らせて笑い猛々しい腕を振り上げた。

「そう気を落とさないで。信じた神が悪かったんだよ。じゃ、サ、ヨ、ナ、ラ」 

 勇者、万事休す。

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